喜多さんの秘密
名門星埜守高校の合格発表の翌朝、ボクはいつもより早く目を覚ました。机の上に置かれた入学手続き用の書類を見て、昨日のことが夢ではなかったことにホッと胸をなで下ろす。
本当に信じられないな。
模試では合格可能性5パーセント未満だった星高に合格したなんて。
でも――――
ボクは未だに迷っているんだ。
姉が生徒会長を務める高校に通うということに。
これまで以上に姉に迷惑をかけてしまうのではないかという不安。
それもこれも、ボクが男として自立できていないことが原因なんだ。
だから姉は、姉としての責任感でボクのお世話をしたくなってしまう。
だめだなあ……ボクは。
やはり、星高はやめて県立N高校を受験すべきだろうか。
今なら入学金を諦めさえすれば県立入試を受験することは可能だ。
「えっと……それを家政婦の私に相談するのですか?」
エプロン姿の家政婦の喜多は、朝食の準備をする手を止めて振り向いた。
「うん。だって……パパとママは仕事で忙しそうだし……。お姉ちゃんに相談したりしたら、ゼッタイ星高よっ、ていう答えしか返ってこないでしょ?」
「確かにそれは賢明な判断ですね……。そうですか、お坊ちゃまがそのような悩みを……ううっ」
「ええっ、ど、どうしたの喜多さん?」
喜多は流し台に片手を付いて、目頭を押さえながら肩を震わせていた。
「楓お嬢様にちやほやされて、へらへら笑っていただけのアノ祥太お坊ちゃまがいつの間にか成長なされて……ううっ」
「うん、なんだか褒められているはずなのにビミョウな感じに思えるのはボクの気のせいかな?」
「ううっ…… これを奥様に報告するのが不肖、家政婦の喜多の今年一番の楽しみになりましたよ、お坊ちゃま!」
後光が差すほどの喜多の笑顔を向けられて、なぜかボクはもやもやした気分になった。
それにしてもまだ二月なのに早くも今年一番の楽しみだなんて、喜多はもう少し楽しいことを見つける努力をするべきだと思うんだ。
「ええ、ええ、分かりますよ。祥太お坊ちゃまは楓お嬢様から逃げたい気持ちで頭の中がいっぱいなわけですね?」
「えっ!? ボクがお姉ちゃんから逃げたいなんて思うわけないよね?」
「違うんですか?」
両手を流し台について、心底意外そうな表情を向けてくる喜多。
その反応の方こそボクには意外だよ。
ボクはぎゅっとこぶしを握り、喜多に訴えかけるように宣言する。
「逃げたいと思うどころか、ボクは四六時中お姉ちゃんと一緒にいたいと思っているよ! でも、そんなことになったら、ボクはお姉ちゃんを束縛することになってしまう。お姉ちゃんはみんなのお姉ちゃんであって、ボク一人が独占して良いわけがないんだ! それに――」
「あー、何言ってんだろー、このバカ弟はー」
「えっ?」
「えっ?」
一瞬、喜多が低い声で何かつぶやいたように思ったけれど、あれはボクの空耳だったのかな。
小首を傾げて、きょとんとした顔で聞き返されてしまった。
「……えっと、話を戻すけど、喜多さんはどう思う? ボクが男子校へ行ったら一人前の男になって、お姉ちゃんに迷惑をかけずにすむという話だけど」
「正直、私にとってはどうでもいい話なのですが――」
喜多は聞きようによっては誤解されかねない前置きをしてから、
「どちらの高校に行こうが、自身の考え方次第ではないでしょうか。男子校に行ってもお坊ちゃま自身が変わろうと思わなければ何も変わらないし、お嬢様と一緒の高校へ行っても、お坊ちゃま自身が変わろうと思えば周囲の人間関係も自然と変わっていくものです。この私のように――」
「喜多さんのように?」
「あっ、いえ、最後の一言は蛇足でした!」
手を顔の前で振って慌てた様子の喜多。
「そっか…… そうだよね。うん、わかった」
「え、ええーッ!? お坊ちゃまは私と旦那様の秘密が分かってしまったのですか!」
「えっと……違うよ? 喜多さんとパパの過去に何かあっただなんて、これっぽっちも分かってなかったよ?」
「ひ、ひいーッ」
ものすごく焦った様子でキッチンの床をどたどたと小刻みに往復し始める喜多。
普段は冷静沈着な喜多が、こんな風になるなんて。
ボクはぽかんと口をあけて見守るしかなかった。