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「はぁ……」


 空を見上げ、メリルは本日何度目になるかもわからないため息をついた。

 襲撃事件から三日経ったが、あの事件は『貴族街に忍び込んだごろつきが目についた馬車を襲った、強盗目的のもの』ということで決着がついた。入念に調べられたようだが、襲撃者達の後ろには誰の存在も確認できなかったらしい。

 ジェイラ家の馬車がなかったのは、異母兄が体調を崩しただか何だかで先に義母と異母兄を乗せて帰ったからだったそうだ。翌朝帰ってきて拍子抜けした。襲撃と特に関係なかったなんて。

 背中の傷が落ち着くまで、ゼクスは仕事を休むという。メリルが巻き込んだせいで怪我をさせてしまったのは申し訳なかったが、だからと言って周囲がせっついてくるお見舞いに行く気はなかった。彼はメリルを嫌っている。怪我の原因であるメリルが顔を見せれば、嫌味が雨あられと降ってくるに違いない。


「最近、らしく(・・・)ないわよ。メリル、何かあったんでしょ?」

「ううん、なんでもないよ?」


 心配そうなサーナを不安がらせまいと明るく笑う。

 けれどもしかしたらそんなもの、親友はお見通しなのかもしれない。もう用事はないから下がっていいと言ったのに、部屋を出ていく気配がないのだから。


「あのさー……もしも寝言で誰かの名前を言ったとしたら、それってやっぱりその人にとっての大事な人ってことなのかな?」


 ゼクスの心の中に誰がいようが、メリルには関係ない。けれどその女性がいるからこそメリルが拒まれているのなら、それは少し理不尽だ。


「ゼクス様と関係あること?」


 サーナの目が険しくなる。ごまかしは通じないようだ。小さく頷くと、サーナは少し考え込むそぶりを見せた。


「夢の内容がわからない限りは一概には言えないでしょ。わたしもたまに孤児院の夢とか見るけど……全然印象に残ってない子の名前を思い出そうとして、ようやく思い出せたって叫んだらその声で起きたことがあるし」

「じゃあ、」

「でも、女の人の名前なら気をつけたほうがいいんじゃないの? ……ゼクス様とあんたって、ちょっとヘンだったわ。一見普通の、幸せそうな婚約者同士なのに……なんであんなに、ぎこちないわけ?」


 ああ、やはりそう見えていたのか。外面も、本当の距離感も。気づいた者はサーナ以外にもいたのかもしれない。だとしたら、とても滑稽なことだ。


「そうかなぁ? 初めての婚約者だからじゃない? ほら、わたしなんてお付き合いもしたことないのに、いきなり婚約者ができちゃったから」

「……」


 難しいとわかっていても、嘘をつかずにはいられない。ややあって、サーナは諦めたようにため息をついた。


「二人の間のことは、わたしにはわからないわ。だから、あの方がメリルを悲しませるようなクズならわたしがぶん殴るからとっとと言いなさいよ。……でも、他人を守るために危険な相手に立ち向かってくれる人ってあんまりいないと思うの」

「え……それ、どういう……」

「そのまんまの意味に決まってるじゃない。守る対象が、自分の嫌いな相手ならなおさらね。あれが二人だけの特殊な愛情表現で実はお互いすごい幸せだったのに、勘違いしちゃったわたしだけが空回りするのはごめんよ」

 

 思わずぎょっとする。その顔が面白かったのか、サーナはけらけら笑いながらようやく出ていった。「お見舞い行って来たら?」なんて言葉を残して。


「サーナまで……」


 けれど、確かに彼女の言う通りだ。

 今までゼクスの本心だと思っていたものが、メリルの勘違いだったら。もしもまだメリルが気づいていない何かがあるなら。あるいはゼクスに、何か誤解をされているとしたら。いつまでもこんなところでうじうじしているわけにはいかないだろう。


*


 メイナという名前自体はさほど珍しいものでもない。何百年も前の時代の女王様から市井の娘まで、メイナという名は溢れている。メリルの交友関係の狭さでは(くだん)の“メイナ様”を突き止めることは不可能に近いだろう。だから、人の手を借りることにした。

 フォーア邸の場所はすぐにわかった。シトリーの名で、改めて婚約を祝う手紙が届いていたからだ。メリルはそれを頼りに小さな友人のもとに向かった。


「メイナ様? ううん、知らない方です。どなた?」

「そうですか……。ゼクス様のお知り合いだと思うのですが、わたくしには心当たりがなくて」

「ゼクス兄様のお知り合いなら、カルヴァ兄様のほうが知ってるわ! メリル様、一緒に行きましょう?」 

「ありがとう、シトリー様。案内してくださるかしら?」

「はい!」


 フォーア家の馬車に乗せてもらい、“カルヴァ兄様”のいる場所に連れて行ってもらう。次男の彼は家を出て、聖職者としてとある教会に勤めているらしかった。

 

「これはこれは。どうかなさいましたか、メリル様。シトリーまで」


 修道女を呼び止めて取次ぎを願うと、目的の相手はすぐに来た。黒の祭服に身を包んだカルヴァ・フォーアは、屈託のない笑みを浮かべている。


「突然申し訳ございません。少しお訊きしたいことがありまして」

「ふむ……。すまない、この子を少し見ていてもらえないかな」


 カルヴァが修道女に頼むと、修道女は快く承諾した。シトリーはちらりとメリルを見る。カルヴァがひらひら手を振ってメリルもぺこりとお辞儀をすると、シトリーは心得たような顔で修道女に手を引かれていった。


「あんな小さい子供の前では話しづらいこともありますからね。話に夢中になっていたらすねないとも限らない。ああ、他人に聞かれたくないことなら、懺悔室を使いましょうか?」

「お気遣い、ありがとう存じます。ぜひお願いいたします」


 こちらへどうぞ、とカルヴァはすたすた歩いていく。メリルは無言で彼の後を追った。

 懺悔室の中で、薄い壁をはさんで婚約者の親友と二人きりになる。呼吸を整えてから、メリルは静かに口を開いた。


「訊きたいことというのは、ゼクス様についてです。……カルヴァ様は、メイナ様という女性をご存知でしょうか?」

「メイナ、か……。もしやメリル様は、その女性とゼクスの関係について疑っていらっしゃる?」

「……ええ。ですが、それで彼を責めたいわけでは、」

「奴の親友として、奴の名誉のために、神の名において証言しましょう。これまで奴と特別な仲になった女性は一人たりともいなかった、と」


 そして彼は付け加える。メイナという女性のことも、自分は直接(・・)知らないと。


「むろん、一曲ダンスの相手をした女性ならば数え切れないほどいるでしょう。しかしそれで深い想いが生まれるかは別の話。奴との付き合いも十年を越しましたが、その間奴に浮いた話が出たことはありません」


 カルヴァはそう強く言い切った。ほどなくしてかすかな笑い声が聞こえる。


「直接奴に尋ねなかったのは、尋ねづらかったからですか? それとも、奴が真実を口にするわけがないと?」

「両方ですわ。なんとか尋ねることができたとしても、はぐらかされるのが目に見えていましたもの」

「それは正しい判断ですよ。尋ねる相手に私を選んだことも含めてね。私なら、奴が話したがらないことも話せてしまう。奴の婚約者である貴方が相手なら、まあいいでしょう」


 これからカルヴァは何を話そうというのだろう。ぎゅっとこぶしを握って身構えた。そんなメリルの緊張を知ってか知らずか、カルヴァは軽い調子で話し出す。


「私と兄は双子でしてね。一応私が弟ということになっていますが、実はどちらがどちらなのか親も判別できていなかったのです」


 実は兄と呼ばれているほうこそが、本物の双子の弟(カルヴァ)だったのかもしれない。しかしそうなると相続が厄介なことになる。

 ゆえにカルヴァは、早々に教会に預けられた。彼が世俗を捨てて聖職者になれば、何の問題もなく双子の兄が家督を継げるのだから。


「権力に興味はありませんし、実兄と争ったり親戚に利用されたりするのも嫌なので親を恨んだことはありませんがね。ただ、教会に閉じ込められて自由を奪われたような気がして、多少の不満はありました。……私がゼクスと出会ったのは、私が教会に預けられた年の冬でした。私とは対照的に、奴は自ら望んで教会の門を叩いたんです」


 ゼクスは変わった奴だったとカルヴァは言う。大貴族の嫡男のくせに、家出同然に教会にやってきて聖職者になろうとしていたのだから、と。


「あまりにも思い詰めた顔で来たものだから、修道女達も追い返すに追い返せなかったようで。六歳程度の子供が、出家を志願するんですよ? 一体全体、何をしでかしたんだか。どうせ親と喧嘩でもしたんだろうって、奴は司祭に送り届けられていきました。けれど次の日も、またその次の日も、奴は来たんです」


 司祭や彼の両親を交えた話し合いが何度も行われ、ようやくゼクスは聖職につくことを諦めたらしい。

 メリルの知る限り、ディバール家にゼクス以外の子供はいない。彼がもし出家していたら、ディバール家は分家筋から養子を取らなければ断絶してしまっていただろう。周囲の大人が必死で止めるのは当然だ。

 その縁で知り合って、そこからなんだかんだで仲良くなったんだから、人生何がどんなきっかけになるかわかりませんね――――そう言ったカルヴァの声には懐かしさがにじんでいた。しかしすぐにそれを引き締め、カルヴァは再び口を開いた。


「ゼクスには非の打ちどころがありません。自分の仕事はもちろん家の事業や慈善活動にも熱心で、侯爵家の次期当主としての振る舞いも申し分ない。礼儀作法も教養も、武術も学問も、なにもかもに秀でている。おまけに清廉潔白な善人だ。そんな奴が『完璧な貴公子』と呼ばれるのも当然でしょう」


 メリルは何も言わなかった。

 そんな噂程度なら耳にしたこともある。シトリーだって同じことを言っていた。けれどメリルが知るゼクスは、カルヴァが語る姿とはかけ離れている。だからメリルは、否定も肯定もしなかった。できなかった。


「幼いころからの付き合いですから、私は奴がそう呼ばれるようになるまでのことを知っています。ゼクスは昔から、寝る間も惜しんで何か努力しているような、勤勉な奴でした。それは今もさして変わりはありませんが」

「……常軌を逸しているほどに?」

「ご名答。奴の努力家ぶりは異常だった。奴はどんなことにも一切手を抜かず、困難なことにも平気で挑戦するんです。奴のその姿勢は、まるであえて自分を苦境に追い込んでいるように……あるいは、何かに追い立てられている風に見えました」


 荒唐無稽な理想の姿に、がんじがらめに縛られている。あって当然の欠点すらもなく、人々から完璧だと讃えられるゼクスだが、カルヴァの目にはそうとしか映らなかったという。

 それはメリルの知らないゼクスだ。ゼクスは平気でちくちく嫌味を言うし、メリルの気持ちなんて何も考えてくれない。婚約者をないがしろにする青年は、『完璧な貴公子』という言葉からほど遠いだろう。


「一体どうしてそこまでするんだと、奴に訊いたことがあります。すると奴はこう答えたんです――『私は私になる前に、メイナ様と国と民に対して許されないことをしました。ですからそれを償うのです』」

「ここでメイナ様が出てくるのね……」


 完全無欠の聖人でいることが、一体何に対しての償いになると言うのか。どうしてそんな姿を自分には見せてくれないのか。メリルの眉間にしわが寄った。


「親しくなったからこそ、それを打ち明けてくれたんでしょうが……正直、奴が何を言っているのか私には理解できませんでした。今でもその言葉の意味がわかったとはとても言えない。ただ、なんとなくこのことかなと思うものはありまして。生命の輪、です」


 生命の輪。いのちは巡り、いかなる時も絶えることがないという神の教えだ。一度消えたいのちは、またいつの日か再び灯る。だから死は終わりではなく、新たなはじまりとも解釈されていた。


「まさか……ゼクス様は、生まれる前の記憶を持っているということですか? ありえないわ!」

「それがそうとも言い切れない。歴史上、前世の記憶の継承を教義に盛り込んだ異端派はいくつか存在しています。……世間からは狂信と切り捨てられた宗派の中にも、そのいきすぎた信仰ゆえに罪人への罰として前世で犯した罪の記憶の継承を挙げているところがあったんですよ」


 ないことを証明することはできません、とカルヴァは続ける。

 九十九人が前世の記憶など持っていなくても、最後の一人が前世のことを覚えているかもしれない。あるいはある百人の集団に前世の記憶の継承者がいなくても、別の百人の集団にはいるかもしれない。だから、いのちは巡り続けるという神の教えがある以上は、死者(ぜんせ)の記憶を受け継ぐ生者の存在を否定できないのだ。

 ありえない、とメリルはもう一度呟く。だって、もしもゼクスの“メイナ様”が彼の前世に生きていた人物なら、一体どうやって彼女を見つければいい――――メリルを見てもらうには、どうすればいい?


「ただまあ、これらは全部ゼクスの勝手な事情です。しかも私の憶測も混じってますからね。当てになるかはわかりません。そもそも、当てになったところでどうでもいいことだ。だってそうでしょう? 貴方にだって貴方の事情がある。どうして貴方だけがゼクスの事情に悩まなければならないんです?」

「……! ええ、その通りだわ! ありがとう存じます、カルヴァ様!」


 視野が一気に広がったような気がする。湧き立つものを抑えきれず、メリルは勢いよく立ち上がった。

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