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婚約破棄されるわけにはまいりませんので  作者: ほねのあるくらげ


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6/12

 メリルとゼクスの婚約が決まったという噂は、正式に発表される前から社交界中に知れ渡っていた。メリルが出席するすべての夜会でゼクスにエスコートされ、ゼクスが出席する夜会にメリルも行くようになれば、そんな噂も立つだろう。

 表向き、メリルとゼクスは完全に恋人だった。実際はゼクスを逃がしたくないメリルが圧をかけ、メリルから逃げたいゼクスは体裁を気にしているのか強く出られないだけだったのだが。

 そんな内心はさておき、婚約者としての演技は我ながら堂に入っていたと思う。特にゼクスのエスコートは何から何まで完璧だった。立ち居振る舞いやちょっとした話し方まで、『礼儀正しい貴族の子息』であり『婚約者を愛し尊ぶ好青年』になりきっている。しかし実際の関係性は真逆もいいところで、むしろ『最低の婚約者』と呼ぶにふさわしいものだ。

 それが如実に現れるのは二人きりの時だった。踊っている時や休んでいる時などの周囲に人がいない時、ゼクスは小声でねちねち嫌味を言ってくるのだ。

 とはいえ、大抵の罵詈雑言はこれまでの侍女生活で慣れきっていたし、ゼクスはこれまで一度もメリルに手を上げていない。暴力を振るわれるわけでもないので、耐え切れないものでもなかった。

 それにメリルは、ゼクスに何か意地悪なことを言われるたびに、偶然の事故を装って足を踏んだり飲み物をかけたりしている。口では中々勝てないのだが、仕返しができているうちは、まだ溜飲も下がるというものだ。


「今日はこれぐらいでいいでしょう。貴女は貴女で、お好きなように」


 王族主催の、華やかな舞踏会の席でもそれは変わらない。一曲目のダンスが終わると、ゼクスは突き放すようにメリルから離れた。

 既婚者はもちろん、未婚の者でも婚約者がいるなら舞踏会の席でのダンスは強制されるものではない。たとえ婚約者と踊らなかったとしても奇異な目で見られることはなかった。ダンスの主役は若い未婚の男女なのだから。

 ゼクスという婚約者がいる以上、メリルが大勢の相手と何曲も踊り続ける必要もない。むしろさっさと休憩できてありがたいぐらいだ。

 ゼクスと離れると、メリルにダンスの誘いをしようと我先にと男性達がやってくる。それを笑顔でかわし、メリルは落ち着ける場所――――すなわち壁際に移動した。

 王城の大広間には、様々な肖像画がかけられている。メリルの目の前にある絵画もその中の一点だった。立派なひげを蓄えた、野心にあふれた瞳の男。この国の初代国王ゴルソンの肖像画だ。

 当時このミットクレード王国は、いくつもの領邦国家で構成されたラトルストという国だった。ジェイラ領もラトルスト王国の中にある小さな国の一つだ。どの領邦も他の領邦と争いを繰り返していたため、ラトルスト王国は領土こそ広大だったものの国としての権能は致命的だったらしい。

 そんな中、諸領を統一して改めてラトルストを一つの国にまとめあげたのがゴルソン王だ。王は国の名をミットクレードと改め、領邦君主達はミットクレードの貴族に取り立てられた。

 土地の名に付随する爵位を持つ貴族はみな、当時の領邦君主の末裔だ。ジェイラ家だけでなくディバール家も、時代が時代なら王族と呼ばれていただろう。父がゼクスとの縁談を歓迎したのには、そういう理由も含まれていたに違いない。


「その肖像画に目をつけるとは、中々の審美眼を持つようだな。ゴルソン王の肖像画は数あれど、これはその中でももっとも希少な部類に入るものだ。なにせ、この俺が描いたものだからな!」

「ケイス王子殿下!」


 メリルに声をかけてきたのは、この国の第二王子ケイス・イグズェル・ラル=ミットクレードだった。特にすることがなかったので眺めていただけなのだが、どうやらお気に召したらしい。

 ミットクレードには二人の王子がいる。兄王子は真面目で堅実、弟王子は放蕩者。齢二十歳の兄王子は妻帯者で、十四歳の弟王子はあらゆる意味で風変わりだという。メリル自身はよく知らないのだが、眼前の少年は王子としてかなり評判が悪いらしかった。

 それに、下手に王族と縁づいて王子の寵愛を受け、メリルが一人でジェイラ家を上回る権力を手にしてしまえば異母兄にとって都合が悪い。ジェイラ家の娘であれば王家に嫁ぐのも夢ではなかったが、父が最初から王家を嫁ぎ先候補として見ていなかったのはそれが理由だ。


「お前は確か……ジェイラ家のメリル嬢か」


 肯定し、改めて名乗る。ケイスは満足げに頷いた。


理想通り(・・・・)の顔だ、気に入った。喜べ、近々お前をモデルに絵を描いてやろう」

「はい?」

「長年描きたいと思っていたモチーフがあってな。だが、中々イメージに合うモデルがいなかった。それがこうしてふさわしい者を見つけたのだ、これぞ神のおぼしめしというものよ!」


 ケイスはかかと笑う。メリルに拒否権はないらしかった。


(でも、ここで王子と仲良くなっておけば……いざというときに、助けてもらえるかも?)


 多少中身に問題があったとしても王子は王子だ。ゼクスが無理やり婚約を破棄しようとしないよう、圧をかけてくれるかもしれない。あるいはメリルがゼクスに捨てられたとき、就職先の世話をしてくれるとか。王城の使用人として雇ってもらえれば万々歳だ。

 

「ちなみに、どのような絵なのです?」

「愚昧にして賢明であった悲劇の娘、ラトルストの最後の女王メイナ・ラトルスティーンの肖像画だ。この俺の手によってキャンバスの中に収められること、光栄に思えよ」


 そう言って、ケイスは尊大な笑みを見せた。


*


「メイナ・ラトルスティーンは弱冠十二歳で即位したとされている。そして齢十五を迎えた日、自室で毒杯を呷って亡くなった。ラトルストの筆頭貴族だったゴルソンにすべてを託すための下地を整え、ゴルソンを次の王に据えると定めたあとでな。在位わずか三年の、短く儚い虚飾の栄華だ」


 キャンバスに向かってペンを走らせるケイスは、尋ねてもいないことをぺらぺら喋っている。静かな空間よりも話しながらのほうが集中できるのだろうか。

 祖国の前身だった国家の最後の女王といえど、メイナという女王はほとんど無名の存在だ。メリルは侯爵令嬢にふさわしい教養を身につけるため様々な勉強をした。自国の歴史など必修科目と言っていい。だからかろうじてメイナの名は知っていたが、歴史学者でもなければ名前以上のことは知らないだろう。メリルも名前程度しか知らず、だからこそケイスがそんな女王を題材にした絵を描こうとしていたのが意外だった。


「メイナ女王にまつわる史料は驚くほど少ない。まるで女王自身が、意図的に己の名を歴史から消そうとしたようにな。肖像画に至っては一枚も残っていないんだぞ。だからこそ俺が描くのだがな。謎多き女王を描いた、現存する唯一の絵画! その偉業を成し遂げれば、ありとあらゆる称賛が画家に集まるだろう! この俺にふさわしい栄誉ではないか!」

「ああ……そうですね、とてもすごいと思います」

「ははは! そうだろう、そうだろう!」


 雑にあしらうが、ケイスは気にしていないようだった。気づいていないと言ったほうが正しいかもしれない。


「ですが、史料がないなら殿下は想像で女王の姿をイメージしたのですか?」

「いいや。一応、ないことはないのだ。王家に伝わる蔵書の中に、メイナ女王についての記述があった」


 ケイスは歌うように口ずさむ。太陽の光を編んだような黄金(こがね)の髪、紅玉のごとく輝く瞳。歌声はどんな楽器の音色より素晴らしい。白くなめらかな肌のまぶしさに民は目をくらませ、その美貌には神でさえ心を奪われた。彼女の微笑でこの世のすべてが跪く――――らしい。歴史に脚色はつきものだなぁ、とメリルは遠い目をした。


「どうだ! まさしくお前のことだろう!」

「は、はぁ……」


 さすがに大げさすぎだとちらりとケイスを見る。すかさず「動くな!」と言われてしまった。


「殿下、メリル嬢には婚約者の方がおりまして……」

「婚約者がいるからなんだ? 俺は本当のことを言っただけだろう」


 きょとんとするケイスの様子に、メリルは小さくため息をついた。今度は見咎められなかったようだが、王子にこっそり声をかけた侍従はさぞ胃が痛んでいることだろう。

 今、メリルは王城の客室の一室で、ワイングラスを傾けながら立っている。唇に当てて傾けているだけで一滴たりとも飲んではいないし、そもそも中身は水だ。ケイスいわく、女王の自殺の瞬間らしい。

 指先一つとっても動きを指定されているし、「お前はメイナ女王だ。お前は何故、その(ワイン)を飲み干す? お前は何を考えている? それにふさわしい顔をしろ!」という王子の無茶ぶりもついている。ずっとポーズも表情も維持していなければならないので非常に大変だった。

 一応こまめに休憩は入れてもらえていて、そのたびに侍女達が何かと世話を焼いてくれるのだが、今は彼女達も部屋の隅で置物と化している。次に彼女達が動いてメリルが身体を伸ばせるのは、ケイスが休憩の号令をかけたときだけだ。


「最初の二年間、この女王は絵に描いたような暴君だったらしい。たった十二歳の子供に王冠を与えて、まともな統治をしろと言うのも無理な話だろうが。とにかく、女王が我儘放題だったせいで大臣達もそれぞれ好きにやっていたそうだ。ただでさえ中央に求心力がなかったというのにな。……いや、その状態だからこそ領邦国家がさらに権力を手にしてしまったと言うべきか」


 好きにやっていたというのは、『各々が思う理想の政治をしていた』という意味ではなく『私腹を肥やすためならなんでもした』という意味だろう。あるいはそれこそが、佞臣にとっての理想の政治の形なのかもしれないが。


「しかし御世の最後の一年間、この女王は見違えるほどの名君になった。そのおかげで中央の権威が増して領邦国家も多少弱体化したのだ。ゴルソンによる統一がなしえたのは、その一年の下地があったからこそだろう。仮にメイナ女王が晩年も暴君であれば、ミットクレードの建国者はゴルソンより後の人物だったかもしれん」

「それほどの手腕を振るっておきながら、どうしてメイナ女王はゴルソン王にすべてを譲って自殺などしてしまわれたのでしょうね。そもそも何故、女王は急に改心したのか……」

「それを考えるのがお前の役目だろうが! お前は今、メイナ・ラトルスティーンなのだぞ!」


 何者かによる圧力があったから、メイナ女王は死によって退位した? 自分の限界に気づいたメイナ女王は、優秀なゴルソンに後を託すために自身を含めたすべてを綺麗にしようとした?

 我儘放題に生きていたものの、国の現状を突きつけられて目が覚めた? 女王の裏で悪政を進めていた策謀家が表舞台から退場したから、メイナ女王は本来の才能を発揮できた?

 言われたとおりに考えてみるが、やはりわからない。そもそもケイスの読んだ史料が正しいとも限らないのだ。何百年も前の時代を生きた女王の考えなんて、メリルに読み取れるはずもなかった。

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