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* * *


「お前ももう十八だ、そろそろ伴侶を見つけないとなぁ。誰かいい人はいないのかい?」


 微笑む父の目は期待に輝いている。それを奪うのは忍びなかったが、いい加減な嘘で騙すほうがもっとたちが悪いだろう。ゼクスは小さく肩をすくめた。


「まだ未熟な身ですから。今は自分のことだけで精いっぱいで、とてもそこまで考える余裕がないのです」

「だが、家庭を持つからこそ成長できる部分もあるだろう? それに、お前は十分立派に育ってくれた。いつでも家督を譲れるんだから、早く私達を隠居させてくれ」


 冗談めかす父に合わせてゼクスも笑った。上手に、笑えているだろうか。


「そういえば、私の取引先のご息女が結婚相手を探しているらしいんだ。メリル・ジェイラ嬢を知っているかい?」

「ああ、ジェイラ侯爵家の。直接ご挨拶をしたことはありませんが、お名前だけはうかがっています」


 確か、妖精姫だかなんだかとたいそうなあだ名がつけられていたはずだ。突如として社交界に現れた謎多き令嬢は、身体が弱くて儚げな美姫らしい。

 ゼクスの友人の中でも何人かがメリルの噂をしている。ダンスの誘いこそ拒まないものの決して一線は越えさせない、触れるだけで摘み取ることはできない花だ、と。

 とはいえ、ゼクスは挨拶どころかその姿すら遠目でも見かけたことがなかった。いつでも彼女を取り囲むように、男達が壁を作っているからだ。その壁は彼女からほど近いときもあればかなり遠いときもあり、壁の外側にいる者達はもちろん壁同士でも牽制をしあっているようにも見えた。


「もしもお前に特別な人がいないのなら、彼女に求婚してみてはどうかと思ってね。ほら、これがメリル嬢の釣書だ」


 ジェイラ領の名産は良質な金細工だ。宝石が財源であるディバール家としては、ジェイラ家との繋がりを深めたい。ジェイラ領で採れる金や銀は、美しい指輪やチェーンの素材になる。今よりもっといい条件で宝石を売り込むことができればディバール領は潤うし、ジェイラ領の金細工もさらなる価値を得られるはずだ。

 家のため、民のために持ちかけたほうがいい縁談なのだろう。ゼクスは微笑を浮かべたまま釣書を受け取った。


(これは……!?)


 釣書に飾られた、件の令嬢の肖像画。そこから目が離せなくなった。

 他人の空似だと言い聞かせるのは簡単だ。ああ、けれど、それなら自分(・・)は一体どうなる?

 目の前が暗くなる。めまいと動悸に襲われながら、それでもなんとか立っていた。


 ――ずっとそばにいなさい。どこかに行ったら許さないから。


 違う、違う。この少女は彼女(・・)ではない。愛おしさと照れの混じった微笑みを浮かべながら、甘くとろけるような声で名前を呼んでくれたあの人とは別人だ。きっとこの少女は彼女の血縁者で、偶然彼女に似ているだけなのだろう。

 だから、だから。この少女が嫌悪と憎しみに顔を歪めても、頬を張り倒して罵ってくれても、何の意味もない。あのとき自分が裏切ったのは、傷つけたのは、騙していたのは、この少女ではないのだから。


(それでも、私は……)


 足元が揺らぐ。頭が激しく揺さぶられる。心を駆け巡る禁忌の感情に狂わされそうだった。


「ゼクス? どうかしたのかい?」

「あ……い、いえ、なんでも……」


 そんな風に、必死の形相で穴が開くほど小さな肖像画を見ていたからだろう。

 ゼクスの動揺を、父は違う意味で受け取ったらしかった。安心したように目を細め、父は何度も頷く。その勘違いはゼクスにとって致命的なものだ。


「美しいだろう? おかげで求婚者が山のようにいるらしい。うかうかしていれば先を越されてしまうよ」

「……」

「お前も乗り気になってくれてよかった。さっそくジェイラ家にお前の釣書を送っておこう」


 できれば先を越されてほしい。自分の釣書など彼女の目に触れないまま燃やされてしまえばいいのだ。そう強く願いながら、ゼクスは力なくメリルの釣書を閉じた。


* * *


「ついに来たぞメリル、望みうる限り最高の相手がな!」


 朝食を終えて早々父の書斎に呼ばれるから何事かと思ったら。父は珍しく興奮した様子で一冊の釣書を差し出してきた。(メリル)の価値を吊り上げ続けた価値はあったらしい。


「名はゼクス・ディバール。ディバール侯爵家の嫡男で、まだ若いながらも王立の研究所に勤める科学者だ。ディバール家ならば資産も家格も申し分ない。ディバール家は我が家の取引先でもあるし、両家にとって価値のある縁談だ!」

「ゼクス?」


 まさか、あの仮面舞踏会で出会った道化師のことだろうか。当然のことながら肖像画を見てもぴんとはこない。しかし直接会って声を聞けば、彼かどうかわかるかもしれなかった。


「人は奴を『完璧な貴公子』と呼んでもてはやしているらしい。有名な男のようだが、お前も知っているのか?」

「え……ええ。一度、踊っていただいたような気がします。仮面舞踏会でしたので、確証はありませんが」

「仮面舞踏会? ああ、あの時か。なら、あれがきっかけで先方はお前を見初めてお前を探し当てたのかもしれんぞ。あんなものでも参加させた甲斐があったな」


 父のこの態度からして、メリルの夫となる男はこのゼクスという青年で決まりのようだった。メリルに拒否権などはない。仮にこの男がどれだけ浮気性の屑野郎でも、おとなしく従わなければいけないのだ。

 肖像画なので多少の美化はされているだろうが、見目はかなりいい。身分も高いのなら、相応に遊んでいるかもしれない。素の彼を見かけた時は真面目そうな印象を受けたが、あのたった一瞬での判断がどこまで信じられることやら。


(まあ、別にどんな人でもいっか。わたしとこの人が結婚するんじゃなくて、ジェイラ家とディバール家が結びつくだけなんだし)


 メリルはおざなりに釣書を置いた。ゼクスと結婚すれば、メリルは貴族令嬢から貴族の奥方になる。それは今よりもっと面倒な立場なのかもしれないが、少なくともこの家から出ていくことはできる。

 次期ディバール侯爵夫人になれば、ジェイラ侯爵の妾の子という肩書はきっと消えてなくなるはずだ。メリルにとってはそれだけで十分だった。結婚生活がどんなものであれ、少なくとも今よりは気が楽だろう。

 来週には顔合わせの場を設けると聞かされて解放される。何はともあれ、これで連日催される夜会に行かなくていい理由ができた。ゼクスと婚約したら今度は彼にエスコートされて参加しなければならなくなるかもしれないが、これまでのように不特定多数の男性と踊る必要はないだろう。存分に壁の華になれるなんて最高だ。


*


「楽しそうね、メリル。そんなに結婚が決まったことが嬉しいのかしら」

「おく……お母様」


 昼食を終えたら勉強の時間だ。メリルを完璧な貴族令嬢にするため父が手配した家庭教師は、メリルがささいな間違いをするたびに鞭で叩いてくる。だから朝食から昼食までの時間は予習と復習に当てていた。

 しかし今日は書斎に呼ばれてしまったせいで多少時間を無駄にしてしまった。急ぎ足で廊下を進んでいくと、角からやってきた義母にぶつかりそうになった。なんとか避けたものの、義母は虫を見るような目でメリルを見下ろしている。


「もうあの泥棒猫にそっくりの小娘を見なくて済むと思うとわたくしも嬉しいわ。妾腹の分際で貴族令嬢として扱われて、挙句侯爵家に嫁げる幸運を噛みしめておきなさい」

「……」

「けれど勘違いだけはしないでちょうだい。……相手は侯爵家の嫡男よ。もしジェイラ家の名に傷をつけるようなことをすれば、どうなるかわかっているわね?」

「もちろんです、お母様」


 メリルは笑う。明るく美しく、一点の曇りもない笑みを浮かべる。義母は舌打ちでもしそうに顔を歪めたが、鼻を鳴らして去っていった。 


(離縁……ううん、破談なんかになったらよくて絶縁、最悪暗殺かなー。これまで通り使用人として置いてもらえるにしても、絶対今より待遇悪くなるよね)


 その背中を見送って、メリルはやれやれと首を横に振った。命は惜しいし、一文無しで家を追い出されるのも困る。幸い学だけはあるが、身寄りも何もない少女が一人で生きていけるほど社会は甘くない。まともな職は期待できないだろう。

 十二年前に父親にこの屋敷に連れて来られた時から、メリルはジェイラ家に縛りつけられて生きていくのだと決まってしまっていたのだ。しかしそれを変えられる機会がこうして巡ってきた。だから、絶対にものにしなければならない。


(でも……やっぱり、いい人だといいな……)


 身体が震えていることに気づき、メリルはわずかに顔を伏せる。希望なんて持っていたって何の意味もないことなんて、自分が一番わかっていたのに。

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