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「あー、つっかれた!」

「どうかおしとやかになさってくださいませ、お嬢様?」


 邪魔な装飾品を外してきついコルセットを取り払ってベッドに飛び込む。呆れ顔のサーナの小言も慣れたものだ。


外面(そとづら)はちゃんと取り繕ってるから大丈夫ー」

「コレが貴族のお姫様なんて世も末ねぇ。どうみてもただの街娘でしょ」


 本当のことだ。耳が痛いも何もない。とはいえ父親が貴族というだけで、メリル自身が偉いわけではないのだから仕方ないだろう。

 そもそも、貴族令嬢として生まれてまだ一年も経っていない。侯爵家の侍女として、庶民として暮らしてきた時間のほうが長いのだ。そう簡単に、骨の髄まで生まれ変われるわけがなかった。


「わたしがなれるんだからサーナでもお嬢様になれるよ。わたしと立場、代わってみる?」

「まさか。あんたの生まれの複雑さはよくわかってるわ。たとえお貴族様の暮らしができるとしても、絶対あんたにはなりたくない」

「あははっ。本人の前でそこまで言うわけ?」


 サーナはもともと、どこかの孤児院で暮らしていたらしい。孤児院の子供に働き口を用意するのも貴族のつとめとされるようで、慈善事業に力を入れているとアピールしたい貴族の中では孤児を使用人に採用するのも珍しくないという。幼いころから忠誠心やら教養やら立ち振る舞いやら、ふさわしい教育を施せるため都合がいいのだろう。

 使用人仲間が相手なら多少砕けるだけで、サーナだって外面は完璧だ。それにサーナは、メリルがお嬢様になっても二人きりの時は以前の気安さを見せてくれた。結局サーナにとって、メリルは“メリル”なのだろう。それがどうしようもなく嬉しかった。


「それで、今日の舞踏会はどうだったの? そろそろいい人見つかった?」

「別に普通だよ。いつもと同じような音楽を聞きながら、いつもと同じような人と踊るだけ。……くるくる踊って何がわかるんだろうね。あれでよく縁談話が来ると思わない?」

「そりゃあ来るでしょ。だってメリルは可愛いし。……静かに座ってれば完璧なお姫様なのに、中身はコレだからねぇ」


 大げさに肩をすくめてから、サーナは就寝の挨拶をして明かりを消した。メリルは深く布団を被る。使用人だった時とは比べものにもならないほどふかふかで温かいベッドは、いつまで経っても落ち着かなかった。


*


 その日メリルが招待された舞踏会の主催は、変わり者と名高い道楽貴族だった。飽きっぽくて、ありきたりなことが嫌い。そんな男が主催だったからだろうか、趣向もいささか変わっていた。仮面舞踏会だったのだ。

 特にやましいことをしているわけでもないのに、誰もが仮面で顔を隠すという。しかも、もし音楽が流れ始めたら近くにいる異性と踊らなければいけないらしい。それは普段お堅く振る舞っている者も羽目を外せるような大義名分で、開放感に満ちた一夜の遊びで、格式ばった宴に紛れ込ませる背徳的な刺激なのだろう。

 けれど、互いの素性もわからないまま踊ることに意味はあるのだろうか。意外と家格の高い家からの招待ということもあって断りきれずに来たものの、メリルは楽しむ気分にもなれず壁の華に徹していた。どうせ誰が誰だかわからないのなら、愛想を振りまく必要もないだろう。

 鳥を模したような黒い仮面をつけた男性がメリルの前を通った。ひときわ目を引く長いくちばしに、思わずメリルの視線も動く。男はメリルの視線など気づいたそぶりも見せずにそのまま歩き去っていった。

 暇をつぶすのに、あの鳥の仮面のような独創的な仮面探しは最適ではないだろうか。どうせお互い仮面をつけていて視界が悪い。視線がどこを向いていようと、たいしてわかりはしないだろう。

 飲む気もないワイングラスを片手に、メリルはそっと周囲をうかがった。鳥獣を模した仮面もあれば、宝石をごてごてと飾り立てただけの仮面もある。各々の仮面のデザインには、きっと本人の趣味や性質が多分に反映されているのだろう。

 赤地に蔦のような金の装飾をあしらっただけのメリルの仮面は、周囲に埋没するほど地味だった。おとなしい意匠の仮面をつけて広間の隅に立つメリルに興味を示す者は一人もいない。連れ合いでもない限りは相手の顔も家名もわからないのだから、それも当然だろう。

 今のメリルはジェイラ侯爵家令嬢ではなく、蔦の仮面を被ったただの地味な少女だ。そんなメリルは、利を求める者にとっても欲を貪る者にとっても無価値な存在だ――――そのはずだった。


「失礼、お嬢さん。今日は誰もが自由を得られる仮面舞踏会だ。それなのにどうして、君は一人でいるんだい? よければ、私が君の無聊を慰めてあげようか」


 メリルの前にやってきた羽根飾りの仮面をつけた男は、ぐいと顔をメリルへ寄せた。酒の臭いが鼻をつく。酔っているらしい。

 「いいえ、結構です!」すかさず押しのけ、さりげなく距離を取る。しかし羽根飾りの男はしつこかった。「そんな冷たいことを言わずに」男の手が、メリルの華奢な手首を握る。


「こんな賑やかな場は嫌いかい? なら、静かなところに行こう。そこなら二人きりになれる。その邪魔な仮面も、そこに行けば外してしまえるよ」

「やっ……!」


 その力は思っていたよりも強く、中々振りほどけない。今すぐ振り払って頬を張り飛ばしたいのに、好色そうにうごめく指の感触に怖気が立ってそれもままならなかった。

 助けを求めようにも、壁際でひっそり立っていたメリルのことなど誰も見えていないようだった。仮面で表情がわからないのも大きいだろう。周りの者達の目には、メリルと羽根飾りのやり取りもひとつの駆け引きとしてしか見えていないのかもしれない。


「――そこまでになさい。彼女が嫌がっているのがわかりませんか?」


 厳しい制止の声の主は、道化師のような仮面をつけた背が高い男性だ。年はメリルより少し上ぐらいだろうか。

 道化師の仮面の男はメリル達の間に割って入り、メリルの手首を掴む羽飾りの手を強引にほどかせた。仕草こそ上品なものだったが、道化師からは得も言われぬ威圧が感じられる。動作が洗練されているからこそ放たれる類の圧なのだろうか。

 そのまま道化師は羽飾りからメリルを背に庇うようにして立つ。予想外の救世主に、メリルは思わずその背中を縋るように見つめた。特別たくましいというわけでもない後ろ姿だ。けれど何故だろう、彼のたたずまいはメリルをひどく安心させた。


「いくら無礼講とはいえ、羽目を外しすぎるのはいかがなものかと思いますよ」


 道化師が冷たい声音で告げると、羽飾りはばつが悪そうにもごもごと口を動かしながら足早に去っていった。


「あ、あの、ありがとうございます!」

「いえ、当然のことをしたまでですから。とんだ災難でしたね」


 では私はこれで、と道化師はそのまま立ち去ろうとする。しかし何か思うところがあったのか、道化師ははたと足を止めた。


「そういえば、くちばしが特徴的なカラスの仮面をつけた男を見ませんでしたか? 私の連れなのですが、この人混みではぐれてしまって」

「もしかして、黒い仮面の方でしょうか? その方なら向こうのほうに、」


 助けてくれた恩が返せそうでほっとする。けれどメリルの返答は、不意に流れてきた音楽に消されてしまった。


「これは……申し訳ございません。間が悪かったようだ」

「仕方のないことですわ。では、一曲お相手してくださいますか?」


 道化師は了承の言葉と共にメリルが伸ばした手を恭しく取る。仮面のせいで視界が悪いうえに身長差もあって、おまけにどっと疲れが押し寄せてきたのか鼓動がやけに早くて息苦しかった。

 だが、道化師のエスコートのおかげかなんとかミスをすることなく踊ることができる。頭がやけにふわふわして、自分が本当にどこぞの公爵邸の大広間で踊っているのかわからなくなってしまっていたが。


「わたくし達、どこかでお会いしたことがあったかしら?」


 流れる音楽に混ぜてそう尋ねたのは、道化師とあまりにも息が合いすぎていたからだ。そう、まるで何度も一緒に踊ったことがあるような。

 同じことは道化師も思っていたらしい。けれど彼は困ったように返した。


「私もそんな気がするのですが……あいにく、このような仮面をつけていては互いのこともわかりませんね」

「……ッ!」


 仮面舞踏会の体裁を取っている以上、大広間の中で仮面を外すのはルール違反だ。素顔を晒せるのはバルコニーか、廊下か、庭園か、あるいはどこかの部屋になる。しかしメリルがこの道化師と共に大広間を出ることを、きっと陰から見ているメリルの目付は好ましく思わないはずだ。

 もしメリルがあの羽飾りにどこかへ連れていかれたとしても目付は助けにも来てくれないだろうが、メリルの危機管理能力の低さやら警戒心のなさをあげつらって義母や父にキンキン声で報告するのは間違いない。相手がこの道化師でも、目付のすることはきっと変わらないだろう。

 メリル……というよりもジェイラ家が探しているのは、ジェイラ家の利になる結婚相手だった。この道化師がどこかの立派な貴公子ならまだしも、没落貴族の三男坊でない保証はない。この仮面舞踏会には家のメンツを保つためだけに参加した。ジェイラ侯爵も、今日の場でまで男を探してこいとは思っていないだろう。 


「そう警戒なさらないでください。貴女の素顔を暴こうなどと、無礼なことは思っておりません。こうして貴女の手を取れただけで幸福なのですから」


 道化師はくすりと笑う。見え透いた世辞ではあったが、だからこそ下心も感じられなかった。

 何故かひどくもやもやする。そのもどかしさの理由もわからないまま、メリルはエスコート通りに美しくターンした。


「ああ、ほら、あの方ではありませんの?」


 曲が終わってすぐ、メリルは視界に映った特徴的な黒いくちばしに気づく。少し離れたところでどこかの令嬢と踊っているカラスを指し示すと、道化師は小さくため息をついた。


「あんなところに……。ありがとうございました、レディ。どうか素敵な一夜になりますよう」


 手はあっさりとほどかれた。道化師は優雅に一礼して、カラスのほうへと向かっていく。ほんの少し前まであの道化師と踊っていたという事実を証明するものは何も残らなかった。


*


 舞踏会も終盤にさしかかり、ちらほらと帰り支度をする者が出始めた。メリルもその中の一人だ。

 大広間を出て仮面を外す。屋敷の外に出ようとすると、どこからか聞き覚えのある声がした。


「楽しんでいただけたようで何よりです。誘った甲斐がありました」


 これは、あの道化師の声ではなかっただろうか。周囲を見渡せば、それらしい二人組を見つけることができた。恐らく向こうも素顔を晒しているだろうが、暗いため顔はよく見えない。


「うん、おかげで久しぶりに華やかな場に出られたよ。もちろん教会の静謐な空気も好きだけど、やっぱり社交界はいいな」

「そうですか? 普通の夜会ならばともかく、仮面舞踏会など意義を感じられません。社交のためではなく、享楽のための集まりなど……」

「相変わらずだね、ゼクス。だけど、物は考えようさ。互いに素性がわからないからこそ、うっかり見せてしまう何かがある。そうして情報を集めるのも一種の社交だろう? どこかの誰かが被っている猫が、仮面のおかげで剥がれているかもしれないんだよ」

「……私は、腹芸とは無縁に生きたいんですよ。とはいえ、なかなか断りづらい家からの招待でしたからね。私一人では居づらかったのですが、カルヴァ君に来ていただけて助かりました」

「また何かあったら呼んでくれ。君の紹介なら、どこにだって滑り込めるからね」


 二人はメリルに気づくことなく遠ざかっていく。メリルもジェイラ家の馬車に乗って帰路についた。


(あの道化師、ゼクスっていうんだ……)


 どこかで聞いたことがあるような気がする。だが、メリルに求婚してきた者にそんな名前の男はいなかったはずだ。連日届くという釣書をメリル自身が見たことはないが、名前ぐらいは父親から聞いていた。ジェイラ家の娘の嫁ぎ先としては不適格だとかもうひと声ほしいとか、そういう愚痴を長々と言われるからだが。

 今日だけはそんな小言からも解放されるだろう。それなら毎日仮面舞踏会でも悪くないと詮無いことを考えながら、メリルはつかの間のまどろみに身をゆだねた。

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