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婚約破棄されるわけにはまいりませんので  作者: ほねのあるくらげ


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 ゆるやかに、けれどはっきりと、メリルとゼクスの関係は改善されていった。まるで、止まっていた時間が動き出していくように。

 ゼクスは前世を捨てたあの日を境にして、見違えるほどメリルに優しくなった。きっとそれこそが『完璧な貴公子』……否、ゼクス本来の気質に違いない。

 きっと自分達は、いずれ本物の婚約者同士になれるのだろう。愛し愛される、幸せな二人に。だってメリルを守るために戦って怪我をした日、ゼクスはメリルを「メリル」と呼んでくれたのだから。

 とっさに彼の口をついて出たのは、今はもうない前世の名前ではない。だから、二人の仲は必ず再構築できるはずだ。初めて出会った、仮面舞踏会の夜のものに。


「ご機嫌よう、ゼクス様。身体の具合はいかがですか?」

「今日も来てくださったんですね。おかげさまで、そろそろ復帰できそうです。どうぞ、そちらにかけていてください」


 お見舞いのお菓子を持ってゼクスの部屋を訪れたメリルを、彼は快く迎え入れてくれる。まだ背中は痛むらしくその足取りはゆっくりとしたものだったが、立ち上がることに支障はないようだ。


「カルヴァ君から珍しい茶葉をいただいたんです。とても美味でしたので、ぜひメリル様にも味わっていただきたくて」


 ゼクスははにかみながら、お茶の支度をする侍女を一瞥した。支度を終え、侍女は一礼してそのまま部屋を出ていく。

 淹れたての紅茶からは確かにかぐわしい匂いがする。しかしメリルにとっての“おいしい”は、それを用意した人の心遣いであり、飲食物そのものの味ではない――――はずだった。


「……ッ!」


 紅茶を口に含んだ瞬間、何かが舌先を駆け巡る。人から教えてもらったり、本で読んだりして身につけた表現としての単語ではない。まさかこれが、これこそが本物の――――


「メリル様?」

「“おいしい”……“おいしい”……ですわ、ゼクス様……」

「それはよかった。お気に召していただけたようで何よりです。カルヴァ君もきっと喜ぶでしょう」

「カルヴァ様にはお礼を言わないといけませんわね。二人で、一緒に」


 メリルは震えながらもう一口紅茶を飲む。目の前には穏やかに微笑むゼクスがいて、手元にはおいしい紅茶の注がれたティーカップがある。それだけで胸がいっぱいだった。


「メリル様、私の前で無理に繕わなくても結構ですよ? ありのままの貴女のことは、もう何度も目にしていますから。二人きりのときは、どうか楽になさってください」 

「あっ……!」


 頬がかぁっと熱くなる。そんなメリルを嗤いもせず、ゼクスはメリルのことを愛しげに見つめていた。だが、すぐにその表情がかげってしまう。


「そういえば……実は、しばらく王都を離れて領地のほうの研究所に赴任しないかという話が出ていまして。一時的な異動ではありますが、こうしてお会いするのは当分難しくなりそうです」


 ゼクスが研究しているのは鉱物らしい。多くの宝石鉱山を有するディバール領内にも、王立の研究所の支部があるそうだ。

 つい最近、ディバール領内で非常に珍しい鉱石が見つかったようだ。所長直々に持ちかけられたという今回の異動の話はゼクスの休養のためでもあり、その鉱石(いし)の研究のためでもあった。


「じゃあ、しきたりはどうなるの? 最低でも週に一回は会わなくちゃいけないんでしょう?」

「このような事情ですから、周囲も多少大目に見てくださるとは思いますが……もしメリル様さえよろしければ、私と一緒にディバール領に来ていただけませんか? それならば、余計な勘繰りをされることもありませんから」

「!」


 ゼクスのうかがうような眼差しを向けられ、メリルはぱっと顔を輝かせた。彼から誘ってくれるというのなら、きっとメリルは邪魔ではないはずだ。

 自分達は婚約者同士。離ればなれになるのは耐えきれないし、遠い空の下にいる間、心の距離まで離れてしまうよりよほどいい……と力説すれば、きっと周囲も納得してくれるに違いない。


「行く、わたしも一緒に行きたい!」


 模範的な令嬢なら、一度家に持ち帰って親の判断を仰いでから答えるのだろう。それでもメリルは即答した。そんなもの、待っていられるわけがない。

 ジェイラ侯爵の許可が出ないことだって考えられる。しかしディバール侯爵なら許してくれるだろう。ディバール家の許可を盾にすれば、父も義母も無理に拒めはしないはずだ。


「それはよかった。鉱山のある町から少し離れた場所に、我が家の屋敷がひとつあります。郊外なので多少は不便で退屈かもしれませんが、あそこなら景色もよく空気も綺麗です。街中にも屋敷はありますが……あの地ならば自然が豊かですので、貴女の静養にもちょうどよいかと」

「静養? ……あっ」


 そういえば、彼には言っていないことがあったっけ。メリルの出自にまつわる事実は、まだ言えないでいる。けれどきっとゼクスは、すべてを知ったところで変わらずメリルを受け入れてくれるはずだ。


「あのね、ゼクス。実はわたしは――」


*


「精が出るわねぇ」


 刺繍針と格闘するメリルを見て、サーナが呆れたように笑った。あれきり刺繍はやっていなかったとはいえ、当時の猛特訓が功を奏したらしい。ハンカチに施す刺繍は前回より格段にうまくなっていて、メリル自身の怪我も減っていた。

 今のゼクスなら、喜んでこのハンカチを受け取ってくれるだろう。仮につまらない罪悪感を並べて受け取れないと言い張るのなら、彼のポケットに無理やりねじ込むまでだ。


「ディバール領、行くんでしょ? そのまま向こうで式を挙げるわけ?」

「どうだろ。季節を一つか二つまたいだら、また王都に戻ってくるみたいだけど」

「ふぅん。まあどっちにしろ、わたしのことは連れて行ってくれるんでしょうね?」

「当たり前だよ。安心して、サーナが嫌がっても引っ張ってくから」


 それはよかった、とサーナは肩をすくめる。有能な侍女であり頼れる親友でもある彼女と離れる気などメリルにはさらさらない。サーナもメリルについてくる気でよかった。


「絶対この家よりディバール家のほうが待遇いいって。サーナはずっとわたしを庇ってくれてたから、ずっと居心地悪かったでしょ?」

「……あら、そんなことないわよ?」


 そんなことがないわけがない。ジェイラ家においてメリルの味方はサーナだけだった。サーナだけは誰が相手でもメリルへの態度を変えなかった。義母の顔色をうかがい、他の使用人達に追随し、その時々で見て見ぬふりをすることを、サーナだけは決してしなかった。そんなサーナが義母の不興を買ってクビにされなかったのは、それだけサーナが優秀だったからだ。 

 けれどそれは、サーナにとって苦しい日々でもあっただろう。保身を考えるなら、メリルのことなど無視していればよかったのだ。そのほうが楽だし、周囲との軋轢を生まなくて済む。それでもサーナはずっとメリルの友達でいてくれた。


「ねえ、メリル。そのうちあんたはディバール家に嫁ぐんだから、もうこの家の誰の顔色をうかがわなくてもいいのよね。旦那様も若様も、奥様だって、きっともうあんたには手出しできないはずよ。だってあんたはディバール侯爵夫人になるんですもの。今とは比べものにもならないぐらいの権力だって手に入るわ。その力を使って、この家に復讐したいとか思わないの?」

「復讐? だけど、何かやられたらその都度仕返しはしてたのよね。だから今さら特にジェイラ家に何かしたいとか、そういうのはないかな。だってそんなことしたら、取引先のディバール家が困るかもしれないし、ジェイラ家出身のわたしにも何かあるかもしれないし……他にも、とばっちりに遭う人達がいるでしょ」


 ジェイラ家の当主一家や彼らに仕える使用人達には、思うところがないわけでもない。

 だが、ジェイラ領に住む民には何の罪もなかった。領主達に何かあれば、彼らにも累が及んでしまうかもしれない。貴族様の揉め事など、平民にとっては迷惑以外の何者でもないだろう。

 それに、これまでメリルが受けた仕打ちを公表すれば、おのずとメリルの出自も明るみになる。ゼクスは気にしないと言ってくれたが、人々の好奇の目はつきまとうだろう。せっかく彼と和解できたのに、これ以上余計なものに煩わされたくない。

 

「あえて言うなら、わたしが幸せになることが一番の復讐かも。だって奥様達は、わたしのことが大嫌いなんだよ?」


 嫌われた理由は、理解できなくもないが。けれどそれは、メリルにはどうしようもできないことだ。

 同時に、たかが妾の子をいじめ抜いていた程度では何の問題にもならないことも知っている。現当主は無能だが、築いてきた歴史という名の看板は強い。得たばかりの権力を不用意にかざせば、傷つくのはこちらだろう。


「そのわたしが会うたび幸せそうにしてたら、あの人達にとってはきっとすごく面白くないと思うんだよね」

「そういうものかしら?」


 ゼクスはジェイラ家の仕打ちに憤慨していたが、彼にも何もしなくていいと伝えている。もしもメリルが頼めば彼も一計を案じるだろうが、彼に暗躍などさせたくはなかった。わざわざメリルのためにはかりごとを企てる必要などない。

 それでもゼクスが……否、ディバール家が動くとしたら、それは報復のためではなく、もっと合理的な目的のためだろう。無関係の者達にまで被害が広まらないよう、そのときはうまくやるに違いない。けれどそれは、メリルには興味のないことだ。


「そもそも、さ。ジェイラ家の評判が下がるなんてことがあれば、ディバール家まで大損でしょ。ディバール家の不利益になるようなことはできないよ。わたしの身分だってなくなるわけだし、最悪離縁かも。これまで散々あの人達には迷惑かけられてきたのに、このうえあの人達のせいで身を滅ぼすのはまっぴら」


 サーナはまだ納得していないようだ。だが、メリルが楽しそうに刺繍の続きをはじめると、仕方がないと言うように微苦笑を浮かべて肩をすくめた。


*


「荷物はこれですべてのようですね。では、出発いたしましょう」


 ディバール領へと出発する日、ゼクスは朝早くに迎えに来てくれた。ゼクスはメリルの手を取ってエスコートしてくれる。馬車に乗り込むその刹那、メリルは彼に囁いた。


「ねえ、ゼクス。わたし、まだ貴方のこと好きじゃないからね。だから、向こうで研究に没頭してわたしのことをほったらかしにしたら、わたしもゼクスのことなんて忘れて他の人のところに行っちゃうかもしれないよ。そしたら、今度はあっさり婚約破棄しちゃうんだから。だって遠くに逃げちゃえば、家のことなんて関係なくなるし」

「……おや。それはそれは」


 つまずいたふりをしてゼクスの胸に飛び込む。ゼクスは難なくメリルを受け止め、華奢な身体をそっと抱きしめた。


「メリル様、私は貴女を愛しています。これは前世の記憶に引きずられたものではなく、ただのゼクスとしての想いです。貴女は私の妄執を断ち切ってくださった。貴女のおかげで、私は前世(ゼノ)の呪縛から解放された。強く気高い貴女のことが、たまらなくまぶしく愛おしい。……きっとすぐに貴女も私を愛することになるでしょう」

「貴方が『完璧な貴公子』だから?」


 ゼクスはそうメリルの耳元で告げる。ゼクスの鼓動を感じながら、メリルはしたり顔で尋ねた。


「ええ。ですから、貴女の心を得ることなど造作もありません。この名にかけて、貴女を私の虜にしてみせます。そうでなければ、償いにならない。……これまでメリル様を傷つけたぶん、それ以上にメリル様を愛し守ると誓いましょう」


 そして、ゼクスは優しく微笑んだ。


「――婚約破棄されるわけには、まいりませんので」

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