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婚約破棄されるわけにはまいりませんので  作者: ほねのあるくらげ


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「初めて貴女の釣書を見た時は驚きましたよ。メイナ様にそっくりでしたからね」


 また景色が切り替わる。牢の中に囚われているのは狂信者達の長たる翁だ。彼に向け、メリルは精一杯厳かに語り掛けていた。


 ――おまえ達は、怪しげな術を使うそうだな。その術を使えば、今世の記憶を持ったまま生まれ変われるのだろう?  

 ――誰に吐かせたのかは知らないが、それは我が一族の罪人への罰。我が一族の血も信仰も持たぬ貴様に使いこなせるものではない。下す側だろうと下される側だろうと、貴様では不完全な結果しか得られぬわ。


「メイナ様の血筋に縁のある方なのだと信じて顔合わせに臨みましたが……顔どころか仕草も声も、癖だって貴女はメイナ様とよく似ていました。ですから私は貴女こそがメイナ様の生まれ変わりだと確信し、破談を願ったのです」


 ゼクスの声と同時に、メリルの眼前に広がる景色はめまぐるしく移り変わっていった。けれど知らない、知らない、こんなものは知らない。

 メリルの中のメリルが侵略されていく。メリルでない誰かの記憶に上書きされる――――そんなことは、認めない。


「なんでゼクスは、そんなこと……? どうしてそれが、理由になるの?」

「貴女は、ラトルストの女王で……前世の私は貴女に仕える騎士でありながら、貴女を己の傀儡としておりました。そのくせ貴女にほだされ、挙句貴女を本気で愛してしまい……貴女を守ろうとして、死んだのです。そんな愚かな男が、おめおめと貴女と結ばれるなど赦されるとお思いですか?」


 ゼクスは自嘲気味に笑った。ああ、けれど。


(“貴女”なんて、呼ばないで)


 メリルはメリルだ。メイナではない。だってそうでなければ、ゼクスもまた前世と同一の存在になってしまうから。


「あんな情など抱くぐらいなら、最初から……最初から、二心なく貴女にお仕えしていればよかった。早々に心を入れ替えて貴女を守り、名君となる貴女の支えとなり、貴女だけの騎士として生き、貴女だけの騎士として死ねばよかった。そうすれば、あれほど滑稽な最期は迎えなかったでしょう」


 ゼクスと会話を試みることでなんとか意識を保たせる。大丈夫。メリルはまだメリルだ。

 だが、そう思えたのも一瞬だった。油断すればすぐに記憶の再生が始まってしまう。

 今度の記憶は、まるで王城の謁見の間のような場所だった。


 ――卿がわらわを信用していないことは知っている。わらわを見限り、反乱を企てようとしていることもな。……だが、一年だけでいいのだ。あと一年、わらわに時間を与えてくれ。わらわは犯した愚行の清算をせねばならぬ。その間、わらわはおまえ達の話もよく聞こう。さすれば、一年ののちにわらわは卿にすべてを譲る。卿が剣に頼る必要はない。


 玉座に座るメリルは、目の前で佇む男にそう言った。立派なひげを蓄えた、野心に満ちた目をした男は、腰に佩いていた剣を抜いてそれを放り投げ、静かに(こうべ)を垂れた。


「貴女を裏切り、貴女から栄光を奪った私が、どうして貴女と結婚できるというのです? 貴女のそばにいる資格など私にはありません。私の存在は、必ずや貴女を不幸にします。……私はもう二度と、私のせいで不幸になった貴女を見たくはない」


 目の前にいる、現実のゼクスの言葉は続く。

 もう二度とメリルに想いを寄せてはいけない。何かの間違いが起きて、メリルに想われるわけにはいかない。だからメリルと距離を置くため、あえて非道を演じていた。それがメリルの心を踏み躙ると知りながら。

 もしもメリルが素晴らしい男性を見つけても、自分と婚約しているという事実が二人の幸せを阻んでしまう。だからこそ、一刻も早くこの婚約からメリルを解放する必要があった。

 このまま嫌われ続けて、婚約を解消してもらえれば上々。もしもメリルが一向に折れずに結婚してしまったとしても、自分が家督を継げば無理にでも離縁ができる。

 あるいはどこかの田舎にメリルのための屋敷を買って、別居状態に持ち込んで自由に過ごしてもらってもいい。とにかく、メリルに悪評が立たない形ですべてを白紙に戻せるのならなんでもよかった。

 メリルへの暴言を他人に聞かれてはならなかった。ゼクスがそんなことをしていると知られれば、人々もそれに同調してしまうかもしれない。メリルの風評が社交界中に広まり、彼女が人々から嘲笑されるなどあってはならないことだ。

 堂々とメリルを人前で虐げるには、自分自身の評判が高すぎた。これまで積み重ねてきた罪滅ぼしの善行が、自己満足の贖罪が、結局自分の首を絞めていた。

 片や突然社交界に現れた謎の令嬢、片や何もかもに優れる『完璧な貴公子』。自分達が不仲だと知られたり、自分がメリルを虐げていたら、人々はメリルにその原因があるとみなすかもしれない。メリルが人前でゼクスを糾弾しても、メリルの詭弁として受け取られてしまうかもしれない。自分には半生をかけて築き上げた信頼があるが、メリルにはそれがないからだ。不当にメリルの名前に傷をつけるわけにはいかなかった。

 もちろん、もしそんなことになったとしても、メリルを愛する男達が、彼女を守ろうとしてくれるかもしれない。だが、それは悪循環を生んでしまう。婚約者(ゼクス)という特定の相手がいながら、不特定多数の異性に囲まれるような状況は、その輪の外から反感を買うだろう。

 おかしなことだ、とメリルは嗤う。メリルの気持ちは踏み躙ったくせに、メリルの名誉は保たせようとするなんて。もっとも、ゼクスが矛盾の塊であることはとっくに知っていた。


「これらの事情を、貴女には知られまいと必死でした。貴女は前世を覚えていらっしゃいませんからね。私のような愚か者のことなど、わざわざ思い出させて貴女を苦しめる必要などありません。私をそばに置いていた時間など、貴女にとっては消し去りたい汚点でしょうから」

「……うん、そうだね。貴方との婚約は……わたしにとって、不幸だった……かも……」


 そうだろう、と言いたげに、ゼクスは静かに目を閉じた。


「でも……覚えて……ないと、思った……なら……なんで……、なんで……わたし(・・・)を、巻き込んだの……?」


 また視界がぶれる。豪奢な部屋の一室で、メリルはワイングラスを傾けていた。口に含んだワインはひどく苦くて痛い。

 血とともにこぼしたのは、最愛の人の名前だった。ゼノ、と。くずおれながらも微笑んで伸ばした手の先に、銀髪の騎士が手を差し伸べてくれていた。

 けれどそれは、ただのまぼろしだ。本物のゼノは、その早すぎる死を望んでなどいないはずだから。

 幻覚とはいえこらえきれない苦しさに、メイナと同調していたメリルの意識はやっと覚醒した――――ああ、あの毒で舌が麻痺し、口に含んだものが己の命を奪うという恐怖から味覚までも失ったのか。


(メイナ・ラトルスティーン。あなたは、かわいそうな人なのかもしれない。だけどこの身体は、この心は、絶対に渡さない……!)


 そんなにも、そんなにも愛した男のもとにいきたかったのか。彼の遺言をまっとうして、悪行も善行も含めて自分のすべてを全部綺麗にして、手遅れになる前に何もかもを後に託して、来世で結ばれようと思ったのか。

 それは無理な相談だ。無駄に命をかけただけの、儚い夢物語だ。だってほら、相手の男はそんなこと微塵も考えていなかった。それどころか、自ら願ってその絆を断とうとしているのに。

 メイナの自我だって、メリルに継承されてなどいない。だからメイナとゼノが生きたまま結ばれることなど、万にひとつもありえないのだ。

 だってその二人は、もうとっくの昔に死んだ人間なのだから。今を生きているのは、メリルとゼクスに他ならない。


「貴方と婚約したせいで、わたしは不幸になったのよ! だって……だって、ゼクスがあんな人だったから! もしもゼクスが『完璧な貴公子』のままだったら……ううん、ありのままのゼクスだったら、わたしはきっと幸せになれたのに……!」


 絞り出した声は震えている。それでもメリルは歯を食いしばり、ゼクスの頬を力いっぱい張り飛ばした。


「メイナにだって悪いところはたくさんあった! メイナが前世の貴方を盲信して、我儘放題に生きなきゃあんなことにはならなかった! そもそもあの変な宗派の奴らが暗躍しなきゃ、ゼノは何もしなくてよかった! だから、だから、ゼノだけのせいじゃないし、そもそもゼクスには何の責任もないじゃない!」


 乾いた音が大きく響く。ぶたれた頬をゼクスは押さえもしない。ただはっと目を見開いたまま、彼は微動だにしなかった。

 

「前世の貴方が傷つけたのはメリルじゃない。それでもわたしのことを、その人の生まれ変わりだって思うなら、わたしがちゃんと言ってあげる。メイナは、たとえ何をされても前世の貴方……ゼノのことが好きだった。メイナの幸せは、ゼノとずっと一緒にいることだった――ゼノがそばにいてさえくれれば、メイナは誰より幸せだったの!」

「何を、」

「だけど、メイナはもう死んだのよ。わたしはわたし、メイナはメイナ。わたしはメイナになれない。……だってわたしは、メイナじゃないから」


 メリルには、前世のゼクスがメイナに対して行った仕打ちを責める権利はない。

 メリルにあるのは、今のゼクスがメリルに対して行った仕打ちを責める権利だけだ。だってメリルは、メリルなのだから。


「わたしは十分苦しかったよ。わけもわからないまま拒絶されたんだから。貴方の勝手な思い込みに付き合わされて、すごくつらかった。たとえわたしの前世がメイナでも、今のわたしはメイナじゃないんだから。……わたしはメリル。メリルっていう名前があるの」


 前世のメリルはきっと前世のゼクスを愛していた。けれどそれは、前世のメリル――――メイナの話だ。

 メリルが今のゼクスに対して抱いた淡い想いは、他ならぬゼクスに打ち砕かれている。メリルはもう、彼を愛してなどいない。


「同じように、今の貴方もゼノとは別人なんじゃないの? 別人の記憶を持って生まれただけなのに、それをゼクスが引きずるのはおかしいよ。言ったでしょ、ゼクスはゼクスなんだって」

「私は……」


 メイナは、あの牢の中にいた怪しげな翁に何かをさせたのだろう。今の記憶を持ったまま、生まれ変わることができるように。それはきっと、来世(メリル)の自我を乗っ取ることと同意義だ。


「わたしはもうわたしの人生を生きてる。だからゼクスにも、ゼクスの人生を生きてほしい」


 けれど翁の忠告通り、メイナは記憶を完全に持ち越すことができなかった。メイナの自我はメリルの中にたいして残らなかった。だからメリルは、前世(メイナ)ではなく自分(メリル)としての言葉を紡ぐことができる。


「ここまで言ってもまだ前世を切り離せないなら……ゼクス自身がメイナを愛してるなら、そのまま前世(ゼノ)の記憶に引っ張られ続けていればいい。それで、ずっとわたしに対して見当違いの贖罪を続ければいいじゃない。わたしを傷つけて、自分からわたしを遠ざけたいんでしょ? それを続けてる限り、わたしは絶対ゼクスを許さないけど」


 メリルはゼクスから目を離さずに問う。死んだらそれで終わりじゃだめなの、と。


「わたしは、わたしを守るために戦って怪我をした人を全力でぶったのよ。貴方の物を勝手に処分したり、貴方に嫌がらせのプレゼントを贈ったりしたこともある。水とかワインとかだってかけた。踊ってる途中、わざと何回も足を踏んだしね。ほら、わたしも立派な『最低』だと思わない?」


 あふれる涙をぬぐいもせず、メリルはゆっくりと笑ってベッドに腰掛けた。その笑みはどこかひきつっていて、けれどこれが今のメリルの精一杯だ。 


「わたしは横暴な貴方と正面から向き合った。わたしは泣き寝入りするだけのか弱い女の子なんかじゃないから。何かをされるたびに、きっちり仕返ししてたの。だから貸し借りなんてない。……貴方が勝手なことをやりはじめた件については、今の一発で全部ちゃらにしてあげる」


 メリルは前だけ向いていた。うつむくことも、視線をそらすこともせず、彼女はゼクスだけを視界に収めていた。


「それでもゼクスはまだ、『最低の婚約者』で居続けるの? 前世の記憶に縛られて、わたしにもそれを押しつけるの? それで、来世もまた同じことをするわけ? ……いつになったら、その贖罪は終わるの?」

 

 ゼクスは何も答えなかった。

 震える彼の手にそっと触れる。びくりと跳ねて逃げようとするその手を、メリルは強く掴まえた。


「わたしにとって何が幸せで何が不幸か、それはわたしが決めることよ。……わたしは、ゼクスに優しくされたい。それでもう一回、ゼクスのことを好きになりたいの。だってゼクスはわたしの婚約者で、旦那さんになる人なんだから。そしたらわたしはきっと、幸せになれる」

「私に……そんな、資格は……!」

「ゼクス」


 諭すようなメリルの声音は深く響く。そのたたずまいに、ゼクスはすがるような眼差しを向けていた。


「前世の貴方は、いろんな人にひどいことをしたかもしれない。でも、もうみんな死んじゃってるのよ。加害者も被害者ももういないのに、誰に何を償うの?」


 もう片方の手をゼクスの頬に当て、無理やり視線を合わせる。ゼクスは息を飲んでじっとメリルを見つめた。


「今世の貴方も、今世のわたしにひどいことをしたよね。……わたし達はまだ生きてる。じゃあ、今世の貴方がするべきことって一つしかないじゃない?」


 それはメリルがゼクスにあげる最後の慈悲だ。

 ゼクスの選択がなんであれ、メリルはそれを踏まえたうえでふさわしいものを返すだろう。非道には非道を、嫌悪には嫌悪を、そして愛には愛を。


「も……申し訳っ……申し訳ございません、メリル様……!」


 泣きそうな目をした青年は、ようやくメリルの名を呼んでその手を握り返す――――それが、彼の答えだった。

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