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婚約破棄されるわけにはまいりませんので  作者: ほねのあるくらげ


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* * * * * * * *


 紅い飛沫が飛び散る。少女はただ茫然とそれを見ていた。

 狙われたのは自分だった。死ぬのは自分であるはずだった。けれどその剣が斬り裂いたのは、まったく違う青年で。

 当の襲撃者すらも予期しなかったその犠牲。何故、と少女は小さく問う。だってこの青年は、自分を庇って襲撃者と戦った彼は、自分を殺す側の人間――――襲撃者の仲間だったはずなのに。


「さぁ……。長く……おそばに、いたせいでしょうか……」


 青年は少女に背を向けている。だから彼がどんな顔をしているのか、少女にはわからない。けれどきっと笑っているのだろう。

 いつもとなんら変わらない、優しい微笑。それが策略あってのものであることを少女はこれまで知らず、けれど理解した今になっても彼の笑みは揺るがない。


「貴女の未来を、ねじ曲げ……我々の礎としたことは、間違いだった。メイナ様……どうか、その御世が、健やかならんことを……。貴女は……必ずや、名君になられます。ですから……もう二度と、私のような者に、惑わされては――」


 青年はそのまま力なく倒れた。おびただしいほど流れる血の赤は、ともに彼の命もさらっていった。


「ふん。傀儡に情を移すような愚か者には似合いの末路だな」

「こ……この者達を捕らえよ! わらわを暗殺しようとした咎、おまえ達の矮小な命のみでは償えぬものと知れ!」


 襲撃者が唾を吐く。その声を掻き消すように少女は叫んだ。

 ようやく駆けつけた騎士達が襲撃者を捕縛する。その喧騒の中、少女は青年の傍に跪いた。


「わらわに女王の資格などないわ。ゼノ、おまえがいないとわらわは何もできないんですもの。たとえおまえのすべてが偽りだったとしても、わらわは……」


 涙が頬を静かに伝う。どれだけ待っても、返事は返ってこなかった。


* * * * * * * *


「やめて……くださいっ……」

「僕に口ごたえするのか、メカケ(・・・)の子のくせに!」


 固い床の上に突き飛ばされる。打ちつけた臀部がひどく痛んだ。メリルの瞳に涙がにじむ。


「かえして! それは、おかあさんがくれたの!」


 それでも負けない。立ち上がってとびかかる。意地悪な異母兄はぎょっとした顔をして、持っていたぼろぼろのぬいぐるみを手離した。

 異母兄は悔しげに唇を噛んで、ぬいぐるみを踏みつけようとした。メリルは慌ててぬいぐるみに覆いかぶさる。ののしられて、髪の毛を引っ張られて。泣き叫ぶメリルの声を聞きつけた使用人達がメリルと異母兄を引き離した。


「いい加減になさい!」


 ぴしゃり、ぶたれた頬はメリルのものだ。


「身分をわきまえよと、何度言ったらわかるのですか!」


 老いた侍女は目を三角にしてメリルを怒鳴る。侍女の足に縋るようにした異母兄が、べぇっと舌を出していた。


「メリル、だいじょうぶ!?」

「……うん」


 長い長い折檻交じりのお説教から解放されて目元をぬぐっていると、親友のサーナが息を切らせて走ってきた。小さく頷くと、何故だかサーナのほうが泣きそうな顔をしている。


「これ、食べて。メリルの。みんなにはないしょだよ」


 サーナが差し出した白い包みには何枚ものクッキーが入っていた。まかないでもらう、失敗作のそれではない。綺麗な焼き色のそれは異母兄のおやつだ。きっと厨房からくすねてきたのだろう。みんながおいしいという物をメリルが食べても意味がないことを、彼女は知らないから。


「いっしょに食べよ?」


 見つかったらサーナもただでは済まない。そんな危険を冒してまで自分を元気づけようとする親友に報いたくて提案すると、サーナは泣きながら頷いた。きっとこれはすごく“おいしい”物だから、サーナにこそ食べてほしかった。


*


 メリルの“おとうさん”だという人をメリルは知らない。このお屋敷の旦那様こそメリルの“おとうさん”らしいが、とてもそうは思えなかった。

 メリルがこのお屋敷にいるのはきっと何かの間違いだ。だってみんなそう言っている。メリルさえいなければ、と。

 屋敷中が聖夜祭の準備で賑わう中、メリルに任された仕事は蜘蛛の巣取りだ。お屋敷の中も外もぴかぴかに飾り付けるから、その前に掃除をしなければいけない。精一杯腕を伸ばして長いほうきを高く掲げ、一生懸命物陰に隠れた蜘蛛の巣を払う。日はあっという間に暮れて、夜の冷たさに手がかじかんだ。


「きれい……」


 窓の向こうはとても暖かそうだった。煌々と燃える暖炉のそばで、使用人達が笑いながら準備をしている。サーナも地下の食糧庫と厨房を往復して食材を運び込んでいるだろう。メリルのように寒い外で作業をしているのはほんの数人だ。

 異母兄すらも楽しそうに飾り付けを手伝っていて、旦那様と奥様もそれを微笑ましげに見ている。その輪の中にメリルの居場所はなかった。


 今頃、使用人達も浮かれた様子でごちそうを食べているだろう。旦那様やお客様達が食べるパーティーの残り物も混ざっているから、聖夜祭の食事は普段より格段に豪華なはずだ。けれどやっぱりそこにもメリルの席はない。

 あれこれ用事を言いつけられて、お腹がぺこぺこのまま頑張って。メリルの仕事が全部終わったときには、聖夜祭も終わっていた。


「メリルのごはん、こっそり取っといたんだよ」

「サーナ、ありがとう!」

 

 部屋に戻ると、得意げな顔のサーナが出迎えてくれた。

 自信満々に見せられた皿には、一切れのローストビーフやぐちゃぐちゃのケーキが載っている。誰にも見咎められないように、こっそり隠し持ってきたのだろう。サーナのその優しさが、メリルにとっての“おいしい”だった。


*


 今日は異母兄の誕生日らしい。屋敷中が大慌てだった。メリルやサーナも細々とした雑用を、朝からずっと休まずこなしている。

 メリルもサーナをはじめとしたごく一部の使用人仲間から誕生日のお祝いをしてもらったことがあった。異母兄の誕生日は、メリルの何倍も派手で豪華でにぎやかだ。


(わたしも、おかあさんに会いたいな)


 プレゼントを渡しながら異母兄にキスをする義母を見て、ふとそんな思いに駆られる。けれど母は二年前に遠いところに行ってしまった。もう二度と母には会えないと、初めて会った“おとうさん”は言っていた。そして、メリルはこの屋敷に連れてこられた。

 あの時は、“おとうさん”は“おとうさん”だった。けれどだんだん“おとうさん”はメリルを嫌いになっていって、今ではすっかり旦那様になっている。旦那様はメリルの“おとうさん”ではないから、メリルのことは見えていない。

 普通の日もお祝いの日も、メリルは家族と一緒にいられなかった。メリルの家族なんて、どこにだっていないのだから。


*


 月日は流れる。泣いてばかりの小さなメリルも、図太くたくましい娘に育った。だって、どれだけ泣いたところで何も変わらない。だから少しでも強くなろうと思った。

 義母に嫌味を言われても受け流し、異母兄の怒りを買わないよう適当にあしらい、父のことは主人として接する。そうやってメリルはささやかな平穏を手に入れた――――はずだった。

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