エレグ
ボーガ王国の都市ダライには大型船舶が往来するようになってからは若干減ってしまったものの、未だに漁によって生計を立てているものがいる。
ここに住む青年エレグもその一人だった。
海産物を食すという文化はボーガ王国では最近になってできたものだったので、漁に従事する者は元々そこまで多くない。
そのため、その市場は成熟しきっていなかった。
そこに目をつけた彼は、
(漁師の方が町で商人をやるよりも、より稼げて、よりのんびりと暮らせるのでは)
と考え、海へと繰り出したのである。
当初は悪戦苦闘していたが、魔物が現れて同業他社が次々と廃業した事や、船を出すついでに魔物を討伐する仕事を兼業するようになったこともあって、なかなかの利益を得ていた。
(今日は何が獲れるだろうか)
と、考えてこの日も船を出す。
そして、以前は穴場と呼ばれていたが、ここ最近では自分しか使っていない地点へと到達し、投網を何度か繰り返していると、沖の方から一艘の小舟が流れて来るのが見えた。
形状から察するに漁船というよりは、救命ボートといった類のものらしい。
船を近づけて行くと、気絶した青年が乗っていた。
流石に放置する訳にもいかないので、エレグは青年を自分の船に乗せて一度町へと戻って行った。
市場でこの日獲れた分の魚を売り払うと、青年を担いで家へと戻る。
その際、そこにいた知り合いに、
「今日は随分とでかいのが釣れたようだな」
と、からかわれたが、
「まぁ、こんな日もあるだろう」
と、適当にあしらっている。
青年をそこに寝かせると、
(シルトゥゲンに言った方がいいだろうか)
と、考えてダライの町の長であるシルトゥゲンのところへと報告しに言った。
目を覚ましたカイが見たものは、知らない家の壁だった。ついでに、いつの間にか着替えさせられている事にもその時気付いた。
そこには銛や修復中の網、さらには弓が立てかけてある。
立てかけられている物のレパートリーは彼が少し前まで乗っていた帆船と同じであり、室内からほのかに海の香りがするため、一瞬船内に寝かされているのではと錯覚したが、船特有の揺れが全く感じられなかったので、すぐに醒めて全てを思い出した。
彼が少し泣きそうになっていると、
「気がついたみたいだな」
と、呼ばれた。
声がした方向を向いてみると自分よりやや歳上らしい青年が煮えたぎる鍋の様子を見ながら座っていた。
鍋からはどことなく懐かしい匂いがする。
「あなたが、助けて下さったんですか?」
涙を堪えてカイは尋ねた。
その青年、エレグにとって彼の言葉は聞き慣れないものだったが、どこかで聞いた事がある言葉ではあった。
ボーガ王国ではいつどこに潜入してもいいように、成人になる前までに他国の言葉をいくつか覚えさせられるので、その中の一つだろう。
しばらくして黄金の国の言葉に似ていると思い出し、
「あぁ、お前が小船で海を漂っているところを救出してここまで運んで来た訳だから助けたことにはなるのかな。それはそうと、この国の人間は丁寧な言葉遣いに慣れていないからそんな畏まった言い方はしないでくれ」
と言い、重ねて
「どれくらい流れていたのかは知らないが、冷えてしまっただろう。海産物を適当にぶち込んだ粥を作ったから良かったら食ってくれ」
と言って、鍋から取り分けてそれをカイに渡して来た。
そこでカイはなぜ匂いに懐かしさを感じていたかを思い出した。
帆船の上でも粥をよく炊いていたのである。
粥は海上では、敵にぶっかける武器になる。海賊が全く出てこなかったため、武器としては使わなかったが、小島に到着する際には上陸する直前に全員でそれを食べていたので何となく懐かしさを感じたのだろう。
カイが涙を流しながらそれを食べていると、
「そこまで嬉しがるなんてよっぽど腹が減っていたんだな。待っていろ、他に何か持って来てやる」
と、言ってエレグは市場へと行ってしまった。
カイは訳を説明しようとしたが、
「いいから、いいから、そのままそこでそれを食べて体力を戻してくれ」
と、聞かずに彼が出て行ってしまったため、とりあえずお言葉に甘えることにした。
しばらくするとエレグは果物を大量に持って帰って来たので、カイはそれを馳走になりながら自分の正体と、これまでの事を説明した。
説明した事は、国が魔物の侵攻に耐えきれそうになかったこと、それを解決できるかもしれない自分の姉を探すことになったこと、ここに来るまで仲間がいたが船とともに沈んでしまったことなどである。
それらを彼が説明し終わるとエレグは何かを考え込んでいるような表情をしていた。
「何か心当たりがあるのか?」
カイが尋ねると、
「その一人で軍隊と戦える程強い姉っていうのは、ひょっとして薬草を売りながら旅をしているんじゃないか? 数年前にこの町に襲来した魔法使いと戦ってくれた剣士がいたんだがそれかもしれない」
とのことであった。
彼の姉の特徴と一致している。
詳しく尋ねてみると、カストゥルム国で魔法を習得した者が赤子に見えるほど強い、風を操る魔法使いが数年前この町を襲撃して来たらしく、その時にその魔法使いを一人で追い詰めた女剣士がいたらしい。
「今、どこにいるか分かるか?」
カイはそう聞いたが、
「俺はこの国の弱小部族から出稼ぎに来ているだけで、昔からここに住んでいたわけではないから分からん。しかし、族長なら何か知っているかもな」
とのことであった。
「是非、取り次いで貰いたい」
「しかし、族長というのはだな……」
エレグは少し苦虫を踏み潰したような顔をしたが、
「分かった。彼の屋敷へと行こう」
と、言った。
現在の族長シルトゥゲンは前の族長グラスが病死した際に選ばれた族長であり、まだ就任して日が浅い。
そのこともあってまだ族長という立場には慣れていなかった。
が、それだけであればエレグも彼の屋敷へ行くことを躊躇ったりしない。
彼は言わばお飾りの族長であり、実質の族長は彼の妻とグラスの妻であった。
カストゥルム国から来た彼女達がこの町の中心人物になってからというものの、この町はほぼカストゥルムの一地域と言っても過言ではない程に乗っ取られてしまっているのである。
それでも、グラスが族長だった頃はカストゥルム国民の流入も抑えられており、カストゥルムが貿易で使用できる港も限られていたのだが、シルトゥゲンが族長に就任するまでの立て込んでいた時期にグラスの妻によって全ての制限が外されてしまった。そのため、エレグはグラスが彼女達に毒殺されたと思っており、彼女達のことを危険人物であると見ている。
先ほどカイのことを報告しに行った際はその彼女達がいたので、今度はいないことを祈りながら屋敷へと入ると、彼女達はおらず、シルトゥゲン一人だった。
「お前一人か? 護衛と奥方二人はどうした」
エレグはそうシルトゥゲンに話しかけると、
「護衛も俺よりも向こうへ着いて行く方が有意義なんだろう」
と、述べた。
この町の人間は既に半数以上がカストゥルムから流入して来た者であり、元々ここに住んでいた者は流入して来た者たちの結婚詐欺や悪徳高利貸し業などの被害に遭っていつの間にか土地と店、さらには船を奪われて逃げ出してしまっている状態である。
シルトゥゲンもその事に気がついてはいるが、傀儡である自分では力が及ばず既にどうにもならなかったので、それがゆえの発言であった。
「いや、しかし連中がいないなら丁度いい。以前の戦いでこの町を救ったという薬師について聞きたいんだが何か知っているか? このカイってやつの姉らしいんだ」
「あぁ、俺は本人を少し見たことがあるな。背が高くて、なかなか綺麗な容貌をしていた。あちこちの民族衣装を合わせたような服装で剣を何本も携えているって感じのパンチの効いた格好をしていたから忘れようにも忘れられん。しかし、魔法使いに吹き飛ばされて死んだって噂もあるみたいだが」
それを聞いたカイは
(確実に姉さんだ)
と、確信した。
そこで、
「間違いなく死んでいないのでもっと詳しく教えてください」
と、シルトゥゲンに言ってみたところ、
「ライカンなら何か知っているかもな。あの薬師とは友達だったらしい。俺が手紙を書いてやるからそれを持ってここから少し北にあるリペリアンって町に行け。奴はあそこの工事の指揮を執っているはずだ」
と言ってライカンなる人物宛ての手紙を認め、カイへと渡してくれた。
手がかりを得て二人が屋敷を出て行こうとすると、
「姉さん、見つかるといいな」
と、言ってシルトゥゲンは彼らを送り出してくれた。
ただ、いきなりそのまま出発というわけにもいかないので、二人はとりあえずエレグの家へと戻って行った。