告白と別れ
鏡の前に立って自分の姿を確認する。
寝ぐせはないか。
服にしわはないか。
かれこれ八回は確認しているが、気になりだしたら止まらない。
これでよし!
っと思って鏡の前から離れても、気づいたらまた鏡の前に立っていた。
なんといっても今日は人生初デート。
エレイン様とはほぼ毎日一緒に過ごして、週に一回は一緒に出掛けているはずなんだが、どうも今日は気持ちが収まらない。
いや、デートだしね。デート。
そんなこんなで十四回目のチェックを終えたあたりで、待ち合わせの時間が近づいていることに気づく。
二時間前には待ち合わせ場所についておくつもりだったが、もう待ち合わせの三十分前だった。いつもは三十分前に着くようにしているので少し遅刻気味だ。
家から五分もあれば待ち合わせ場所には着くのだが、いつもより遅いということで焦ってしまう。
「やばい! 今日は死んでも遅刻してたまるか」
急いで机に置いてあった鞄を肩にかけ、最後にもう一度鏡で自分の姿を確認する。
当たり前だが、持ち物にも抜かりはない。
「ノーン・アベルの青春が今、始まる……。 ってうぉ! ……アランさん、どうしてここに」
張り切って柄にもないことを言いながら玄関を開けると、そこにはアランさんが立っていた。
もう一度言おう、柄にもないことを言いながら玄関を開けると、そこにはアランさんが立っていた。
恥ずかしい。
僕はこの四か月間で青春なんて言葉は一度も口にしたことがない。
それなのにどうしてこんなタイミングで僕の「青春」が初お披露目されてしまったんだ。
穴があったら入りたい。
「ノーン様、お話しておきたいことがあるのですが……、どうされました? 顔が赤いですよ」
いや、どうやら早とちりをしてしまったらしい。
アランさんは僕の青春とはまだ、ご対面されてはいないようだ。
それなら話は早い。このまま話を進めよう。
「そうですか? 特に何もないですよ。それより、話とは?」
「はい。今日のデートなのですが、姫様はどうしても二人きりがいいと仰るのです。私個人としてもそれがいいと思うのですが、さすがにノーン様といえど姫様と二人きりで出かけさせるわけにはいきません」
ああ、もしかしてこの人付いてくる気なの? 本当に何を言ってるんだこの人は、それじゃあデートじゃないじゃないか。
そこらへんは空気を読んでほしい。
「そこで、姫様には二人きりにすると伝えておいて私はこっそり付いて行こうと思います」
こっそり付いてくるか……。
相手は一国のお姫様だ。それくらいの譲歩は必要だろう。
「わかりました。でも、どうしてわざわざそれを僕に伝えるのですか?」
わざわざ僕に伝えずにこっそり来ればいい。
というか、できればアランさんが付いてくることは知りたくなかった。
知らぬが何とかというらしいが、エレイン様だけじゃなくて、僕にもこっそりしてて欲しい。
「いえ。ただ、途中でノーン様に気づかれたときのための保険です。万が一がございますので」
万が一か……。
実際、僕がアランさんの尾行に気づくなんてことはないと思うが、アランさんも念には念を入れておきたいのだろう。
「そうですか、わかりました。でも、どうせなら僕に気づかれないようにしてくださいね。せっかくのエレイン様とのデートを楽しみたいので」
「善処させていただきます。何より、ノーン様の青春の始まりを邪魔するわけにはいきませんしね。では、またあとで」
アランさんはにっこり笑うと、そのまま姿をくらましてしまった。
一気に僕の頬が赤く染まっていくのがわかる。
やっぱり聞こえてたんじゃないか!
僕は心の中でそう叫んだ。
***
アランさんとのやり取りもあったが、一応待ち合わせの十五分前には到着することができた。
普段の僕からしたら大遅刻だが、世間一般的には全然問題ないだろう。
しかし、待ち合わせ十分前にはエレイン様も待ち合わせ場所に来た。
もう少し遅れていれば、エレイン様より遅くに到着していたかもしれない。危ないところだ。
エレイン様は僕がいることに気づいてないようで、きょろきょろとあたりを見渡している。
今日はいつものようなきしっとしたドレス姿をではなく、髪を下ろし、ゆったりとした白いワンピースに身を包み大きめの帽子をかぶっている。
今日のエレイン様は、いわゆる「普通の女の子」だった。
周囲の人たちも、まさか広場に一人で立っているがこの国のお姫様だということに気づいていない。
毎日会っている僕でさえ、一瞬エレイン様だと気づかなかった。
「ノーン!」
エレイン様が気づいたようだ。
手を振りながら僕の方に走ってくる。
「おはようございます。エレインさ……んんん」
挨拶をしようとしたら、エレイン様は急に僕の口を両手で塞いできた。
近い近い。僕の理性が保たない。
僕が今にもエレイン様に抱きついてしまいそうになったとき、エレイン様は僕から離れた。
エレイン様が一回離れたことによって、僕の理性は何とか保ちこたえる。
「急にどうしたんです。びっくりするじゃないですか」
「ごめんなさいね、ノーン。今日はお姫様ってことが周りにバレないようにすることが二人でデートすることの条件なの」
エレイン様は周りに聞こえないよう、小声で僕に事情を説明してくれる。
さすがはアランさん。
お姫様ということがバレなければ変な輩に絡まれるリスクもないと考えたのだろう。
けどごめんなさいエレイン様。
アランさんついて来てます。
バレないように僕たちを監視してますよ。
「そうなんですか。それはいいとして、じゃあ僕は何と呼べばいいですか?」
「そんなの、エレインでいいじゃない」
呼び捨てか。
僕としてはエレイン様を呼び捨てできるのは嬉しいが、偽名とかでもいいじゃないのだろうか。
もちろん、呼び捨てしてみたいからそんなことをわざわざエレイン様に言ったりなんかしないが。
「わかりました」
「敬語もなしよ。うっかり様付けで呼ばないようにね」
敬語もなしか。
まぁ、それもそうか。
「わかったよ。え、エレイ…ン」
やばい! 呼び捨てってめちゃくちゃ緊張するぞ。
この数ヶ月の間、誰に対しても敬語だった僕にしたら呼び捨てはハードルが高すぎることに今頃気づいた。
今までで呼び捨てにしたことがあるのなんか、アグラヴェインのことだけだ。
しかし、緊張しているのは僕だけではなかった。
エレイン様も呼び捨てで話されたことなんかほとんどないのだろう。
自分で呼ばせておきながら、体をモジモジさせながら俯いていた。
「い、行こうか。……エレイン」
「そうね……。行きましょう……」
僕たちは一緒に歩き始めたが、しばらくの間目を合わせることはできなかった。
いざ買い物を始めると緊張も解けていった。
まだぎこちなくて安定しないが、僕なりにタメ口というものがわかってきてうれしかった。
これから学校で生活するのに、いつまでも敬語を使っていたのではみんなに馴染めないかもしれない。
しかし、タメ口は何とかできてもエレイン様を呼び捨てにするのはなかなかできなかった。
普段からアランさんも含め三人で街に出ていたので、買い物で困ることはほとんどない。
街は基本的にレンガ造りで、石畳の道がしっかりと整備されている。
今回は僕の学校生活のための買い物ということで、とりあえず服を買いに来ていた。
今までは家にある服を適当に来ていたので、自分のサイズに合った服というものが思ったよりも快適でついついたくさん買ってしまう。
「やっぱり、しっかり準備したほうがよかったでしょ?」
「はい! 自分に合った服はすごくいいですね!]
僕がそう言うとエレイン様は少し頬を膨らませる。
しまった。癖で敬語を使ってしまった。
「すごくいい……」
「はい、それでよろしい。次は靴を見に行こうかしら」
「ああ、それは大丈夫。昨日、シャロットさんが帰ってきて僕に合った靴を持ってきてくれたんだ」
「そうなの? じゃあ、あとは何を買いたい?」
「いや、授業で使われるものは学校で配られるらしいから買い物は服だけでいいよ。それよりも、最後に街をぶらぶらしたい」
「わかったわ。じゃあ、どこに行きたいの?」
「そうだね、どうせなら行ったことがない場所がいい」
「だったらとっておきの場所があるわ。ついて着て」
そう言うとエレイン様は街の中心とは反対側に歩いていく。
僕も何も言わず、それについて行くことにした。
街の中心から離れていくと、それに伴い人の数も減っていった。
少しずつ日も沈み初め、デートの終わりの時間も近づいていく。
「ここよ、ノーン」
エレイン様がそういった場所は大きな果樹園だった。
そこには多くの果実が実っている。
収穫が近そうな大きなものもあれば、まだまだ色が鮮やかでない小さいものもある。
夕焼けに照らされた果実はどれも実に美しかった。
「私、ここでよくお兄様と遊んでいたの」
「仲が良かったんだね」
「そうよ。でも、お兄様が10歳になるころには本格的に帝王学を学ばなきゃいけないって私とはあまり遊べなくなってしまったの」
帝王学か。やはりこの人は本当のお姫様なんだな。
僕なんかがエレイン様とデートするなんて本来、あってはならないことなんだろう。
僕はとんでもなく恵まれている。
「それからずっと一人だった。唯一、仲が良かったアグラヴェインも早くから軍人学校に行ってしまったしね」
アグラヴェイン。
やはり彼も幼いころから訓練を受けているんだな。
「一人の生活が長く続いたの。でもそんなとき、あなたが私の前に現れてくれた」
「僕ですか?」
「敬語」
「あっ、すみません」
「ふふっ。そう、あなたよ。私はあの日、アランの目を盗んでこっそり部屋から抜け出したの。そうしたら、倒れているあなたが見えたわ。私、怖くて最初は何もできずにただあなたのこと見てたの」
そうだったのか。
僕はあのとき、意識朦朧としてたから何も気づかなかった。
「けどね。あなたが大事そうに一人の女の子を抱えていることに気づいて急いでアランを呼びに行ったわ。けど、そのころにはもう手遅れで私はあの女の子を助けることができなかった」
エレイン様は少し、目に涙をためていた。
だがそれは別にエレイン様が気に病むことではない。
妹を救えなかったのは、兄である僕の責任だ。
僕はそう思っている。
だからこそ、今は力を求めなくてはいけない。
「私、すごく後悔したわ。もしかしたらあの子を救えたかもしれない」
「それはエレインが気にすることじゃない! それに、僕はエレインに感謝しているんだ」
初めて、自然に「エレイン」と呼び捨てにすることができた。
意識したものではない。
エレイン様への感謝の気持ちを伝えたいだけだった。
「私に感謝なんておかしい……」
「いいや、何もおかしくない。記憶がなかった僕がこんなにも安心して生活できているのはエレインのおかげなんだ。怖かった、自分が何者かわからないということはみんなが思っているよりも怖いことなんだ。毎日僕のところに来てくれる人がいたから、僕はこうして今も落ち着いていられるんだ」
「でも……」
「でもじゃない。僕はずっとエレインにに救われてきた。僕はそんなエレインが好きなんだ」
ああ、言ってしまった。
どうしよう。すごく緊張する。
心臓が止まってしまうかのような感覚に襲われ、息ができない。
今という瞬間がとんでもなく長く感じられる。
「嬉しい」
しかし、エレイン様のその言葉で一気に僕の心臓は動き出し、強張っていた僕の顔は徐々に緩んでいった。
けど、僕は次に何と言い出せばいい?
エレイン様はお姫様だ。
僕のような男がどうこうできる人じゃない。
じゃあ僕に、ノーン・アベルに出来ることはなんだ。
「ねぇ、ノーン」
「はい」
「私、あなたと離れたくない。あなたとこのまま一緒にいたい」
それはできなかった。
僕はエレイン様が好きだ。
けど、僕は過去と決別することができていない。
妹の仇がまだとれていないんだ。
「それはできません。強くならないと、いけないんです」
「どうして?」
リブニアへの復讐。
それは僕が強くなる目的だ。
けど、今はそれだけじゃない。
「この国を、エレインを守るため」
そう言うとエレイン様は笑った。
「そうよね。あなたは神に選ばれてしまったんだもの、わがまま言っちゃいけないわよね。それに、その言葉だけで今は充分」
「ありがとうございます。必ず強くなって帰ってきます」
「そうね。あなたはきっと強くなる。私、信じているわ」
そう言うと、エレイン様は僕の隣に立って僕の手を握った。
「帰りましょ、ノーン。そろそろ出発の時間よ」
「はい、帰りましょう」
僕たちはそのまま手をつないで街まで帰った。
しかし、僕は大切なことを忘れていた。
今朝と同じようなミスをしてしまった。
僕が、「アランさんが僕たちを尾行していること」を思い出したのは、僕が家に着いてからだった。
***
いったん家に帰ると、今日買ったものを含め身支度を済ませた。
馬車のある所にはエレイン様、アランさん、ガウェインさん、シャロットさんの四人が待っていてくれた。
「すみません。わざわざ見送りに来てもらって」
「何を言っているんですか、あなたは私たちの息子なんですから。ね? あなた」
「そうだぞ、いちいちそんなことを言われたら、こっちが気を遣ってしまう」
ガウェインさんとシャロットさんには本当にお世話になった。
僕がこうしていられるのも、この人たちがいてくれたからこそだ。
「すみません。いえ、ありがとうございます」
「そうだ、それでいい。戦場でも、助けられたときは「すみません」じゃなくて「ありがとう」だ。覚えておけ」
「はい、ありがとうございます」
「失礼します。ノーン様、私からはこれを」
アランさんは、そう言うと小さな紙袋を取り出した。
「なんですか? これは」
「手袋です。むこうでは、木刀を持つ機会が多いのですが、中には粗削りなものも多く手を痛めやすいので」
「そうなんですか、ありがとうございます! 大切に使わせてもらいます」
「いえ、喜んでもらえて光栄です」
アランさんがそう言って、身を引くとガウェインさんとシャロットさんも同時に後ろに下がった。
エレイン様が一人、僕の正面に残った。
エレイン様は下を向いて、顔を上げてくれない。
「頑張りなさい。エレイン」
シャロットさんがエレイン様の背中を強く押した。
背中を押されたエレイン様は何かを決意したように一歩前へ踏み出す。
「私も、ノーンにちゃんと言わないといけないと思ったから言うわね」
「はい」
「私もノーンが好きよ。いつか、お姫様である私に引けを取らないような立派な騎士になって、私の隣に来て。私、それまでずっと待っているからね」
これはきっと、僕の告白の返事ということでいいのだろう。
もちろん、僕の返事は決まっていた。
「はい。僕は必ず、エレイン様の隣に立ってみせます」