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人外勇者の魔調合  作者: 木ノ下
7/31

5 失った者・残された者

 陽が完全に沈み、辺りが闇に包まれた頃。

 場所はヴォルガラード帝国帝城。その城内に存在し、主に城に仕えるメイドや兵士達が利用する大食堂。 普段、食事時にはそれなりの喧騒に包まれているその大食堂の一角。そこだけが粘性を持った闇にでも覆われているかの様に重苦しい空気に包まれていた。

 そこに集まっているのは帝国の勇者召喚により地球から無理やり召喚され、戦争で利用するための奴隷にされた者達だった。

 彼らの目の前には美味しそうな具材が沢山入った湯気を上げるスープや肉厚のステーキ、瑞々しいサラダの盛り合わせと、彼らのように育ち盛りの少年少女ならこれでもかという程食欲を刺激する香りが漂っている。だが、そんな料理を前にした彼らの手は亀の歩みにすら及ばない程ゆっくりとしていて、明らかに食欲がないことを窺わせる。中には顔を青褪めさせて全く手を付けていない者もいた。

 彼らがこの様な状況に陥っている理由はただ一つ。

 それは、彼らと同じ様に召喚されたクラスメイトで、前日の実戦訓練から唯一帰って来なかった男子生徒――霧島 雄二。

 彼の死を聞いたことが原因だった。

 前日の夕刻。デミットによる制裁を受けボロボロになった誠を加えた班のメンバーが集合場所に戻って来た際に、すでに集合していたクラスメイト達は誠の惨状に息を呑んだ。

 さらに一緒に行動していたはずの雄二の姿が見当たらないことに気付いた彼らは、誠と同じ班にいたものの誠に比べ特に目立った外傷のない鈴音達に何があったのかと問い詰めた。

 そこで悲痛な表情となった鈴音に訓練終了後にデミット達が雄二に行った非道。そして彼の末路を初めて聞かされた。

 話を聞いた彼らは呆然とし、恐怖し――そして理解した。

 彼らにとっては空想上の存在でしかなかった剣や魔法、魔物が存在する世界。召喚された当初からまるでゲームの様な世界だと思い、自分達が奴隷になったことや戦争に参加しろと言われてもあまり現実味を感じなかった。さらに、勇者としての力を得ていた彼らは今回の実戦訓練においても何ら苦労することなく魔物を狩ることに成功していたため、より危機感を持つことはなくなっていた。だが、彼らの前から雄二が姿を消したことによって、その余裕は一気に覆された。この世界はあくまでゲームの様であってゲームではない。これは現実なのだと……ようやく真に理解した。

 剣で切られれば血が流れる。怪我をすれば痛みを感じる。人の悪意で命を落とすこともある。そして彼らはこの世界に置いて帝国に生殺与奪の権利を握られており、今まで深く考えようとしていなかったが、戦争が始まれば彼ら自身が人の命を奪うことになるということ。

 それらの認識が雄二の死によって彼らの精神により深く刻み込まれた。

 中でも近藤 実と斉條 茜の状態は輪をかけて酷かった。

 話に聞いただけの他のクラスメイト達とは違い、二人は直にデミット達が雄二に手を下す場面を目撃している。

 その余りにも容赦がなく、無慈悲に嗤いながら人の命を奪おうとする光景は、日本で不良と呼ばれていた頃に経験した荒事など、所詮小さく薄っぺらい子供の争いなのだと感じる程の衝撃だった。

 だが、彼らの精神が追い詰められている理由はそれだけではない。最も大きな原因としては雄二が殺された理由にこそある。

 この場に集まっている多くの者達の中では『雄二が自分達の中で一番無能だったから殺されたと言うのであれば……彼がいなくなった今、残された者達の中で次に使えない者が殺されるのではないか?』という強い強迫観念が生まれていた。

 昨日の話を聞いてデミット達が人殺しを躊躇するような輩でないことはすでに全員わかっている。

 ならば、もし訓練でデミット達が納得出来る結果を残せなければ次に死ぬのは自分かもしれない。

 数日前まで無能と罵っていた雄二の立場が自分に降りかかるかもしれないことに恐怖した彼らは、今でこそ静まり返って食事をしているが、ついさっきまでは食堂で他のクラスメイトと顔を合わせた途端に相手の欠点を挙げ連ねて、いかに自分の方が優れているかなどという醜い言い争いを繰り広げていた。その中には日本では友人だったはずの者達の姿も見受けられた。

 そんな出来事があったために、彼らは互いに相手を心から信頼することが出来なくなり、仲の良かった者同士でさえ目を合わせることすらしなくなってしまった。

 すでに彼らの頭の中には雄二の死を嘆く気持ちなど殆ど残っていない。あるのはどうやって自分が助かるか、ただそれだけ。

 その結果が、丸一日経った今になってもいまだ立て治れずにいるという状況を引き起こしているのだ。

 そんな修復不可能なまでにギスギスした雰囲気を撒き散らしながら食事をしているクラスメイト達から数席分空けた場所で食事をしている三人組。

 その三人も周りの者達と同じく暗い表情でありながらも、纏う空気は決定的に違っていた。

 空気が違うと感じるのは三人が周りの者達とは違い、決して互いのことを親の仇でも見る様な目で警戒している訳ではなく、いなくなった雄二のことで純粋に落ち込んでいるからだろう。

 その三人とは雄二と最も中がよかった幼馴染――誠、鈴音、雪であった。

 三人とも顔を俯かせ、目の前の料理を見詰めるだけで一口も食べていない。

 そんな重苦しい空気の中、ようやく声を発する者がいた。


「……お前ら、食べないのか?」


 最初に口を開いたのは誠だった。何も手を付けようとしない二人を心配している様だが、誠自身何も食べていない上に口調には力がなく上の空になっている。


「……食欲がないわ」

「……いらない」


 返された二人の声にもあからさまに元気がない。

 誠は重い溜息を吐くと、テーブルに肘を着いて目元を手で覆う。


「何でこんなことにっ……!」


 昨日から数え切れない程繰り返された問。答えなど出ないことは誠自身とうにわかっているのだが、言わずにはおれなかった。


「くそっ、あの時俺が動けてれば!」


 またも沸き上がる自責の念。

 特に誠は、自分自身が雄二の最後の瞬間まで一緒にいたというのにあと一歩の所で助けられなかったことを激しく後悔していた。


「誠……あなたの責任じゃないわ。あまり自分を責めないで。むしろ私こそもっとしっかりとした作戦を練れていれば……」


 自分の恋人が全ての責任は自分にあるという風に項垂れている姿を見て、鈴音はそれを否定する。そして誠に雄二救出のための作戦を与えた自分にこそ責任があると考えていた。

 確かにあの場で作戦を考えたのは鈴音だが、幼馴染が殺されそうになっているプレッシャーに加え、奴隷の首輪による激痛に耐えながら極僅かな時間で支配の抜け道を突くという、あれだけの離れ業を成したのは驚嘆すべきことだ。同じ状況で同じことをやれと言っても果たして何人が出来るか……。

 だが鈴音にとってそんなことはどうでもいいことだった。

 例え過程に置いてどれだけの偉業を成したとしても、今回の件に限っては結果が伴わなければ全くの無意味。雄二を救えなかったというその事実だけが残るのだ。


「……どっちのせいでもない」


 そこで、ずっと黙り込んでいた雪が初めて口を開いた。


「……悪いのは私達を召喚したこの国のせい」


 付き合いの浅い者が見れば、雪の表情は普段から彼女が浮かべている無表情に見えることだろう。だが幼い頃からの付き合いである二人は気付いた。

 普通だったら見逃してしまう様な雪の表情の極僅かな変化と、普段よりさらに平坦な声音になっていること。そして……この小さな体の中でマグマの様に煮え滾っている雄二を奪った帝国に対する激情に。

 それだけではない。

 雄二の危機に駆けつけるどころか殺されそうになっていることも知らず、取り返しの付かない段階になってようやく全てを知ったこと。

 前日に力になるなどと偉そうに言っておきながら、いざという時に何も出来なかったこと。

 何も出来ない自分へと向けられた怒り、情けなさ、そしてとめどなく溢れて来る悲しみ、それら全てがぐちゃぐちゃに混ざった行き場のない感情が今にも爆発しそうになっていた。


「……」

「……雪」


 雪の言葉を聞き、彼女の中で渦巻く激情を感じ取った二人は、この場にいるみなが自身と同じ想いであることを感じて、それまで自分を攻め続けていた心を深く呼吸を繰り返すことでどうにか鎮める。

 そしてほんの少しだが、さっきよりはマシな表情で顔を上げた。


「……食べよう」

「そうね……少しでも体力を付けておいた方がいいわ」

「……むう……わかった」


 誠のポツリと呟かれた提案に二人も賛成し、一向に動かなかった手が料理に伸ばされ始めた。

 後悔が消えるわけではない。悲しみがなくなった訳でも開き直った訳でも無い。

 剣を持った訓練や魔物との戦闘を普通に行っているが、彼らは本来普通に生活していれば命のやり取りになど巻き込まれることのない平和な日本で高校に通っている年齢だ。さらに何も知らない異世界に召喚された上に、周りは自分達を道具としか思っていない敵ばかりという、常に精神に負担がかかる環境で初めて経験する幼馴染との残酷な別れに対してすぐに心の整理が出来るはずがなかった。

 だが、雄二との別れからすでに丸一日経っている。意識的か無意識なのかはわからないが、このまま欝々としたままでは残された自分達の心まで潰れてしまうと感じていた。

 三者三様に様々な思いを抱えているが、誰もに共通しているのは帝国に対する怒り。

 ならば、決して消えることがないだろうその感情を原動力に、いつか帝国に牙を剥くため今はとにかく生きるために必要なことを成すことにした。

 何とか気持ちを持ち直した三人だが、多少なり心に余裕が生まれれば他に気になることが出て来る。

 三人の脳裏を過るのはこの場にいない最後の幼馴染である源 唯。

 今日は訓練が休みだったこともあり、昨日雄二のことを知った唯は帝城に帰って来てから食事も摂らずに今になってもずっと自室に引き籠っている。

 三人は昨日雄二の死を聞いた唯の様子を思い出していた。

 唯の所属していた班が集合場所に戻って来たのは一番最後だった。

 戻って来るなり誠の有様を見た唯は、治癒術師である自分の能力を駆使して慌てて誠の治療にあたったのだが、誠の怪我の処置が終わった後になって、最も再開を望んでいた雄二の姿が見えないことに気が付いた。誠に何があったのかも気になったが、何故か嫌な予感がした唯は先ず雄二の居所を知るために同じ班であった誠と鈴音に尋ねた。だが二人は辛そうな表情で目を逸らし口籠るばかりで話そうとしない。ならばと、自分達より先に戻って来ていた他の者に聞いても誰もが二人と同じ反応をするばかり。益々嫌な予感を募らせた唯が普段の姿からは想像出来ない怒鳴り声で、雄二はどこだと掴みかからん勢いで誠達に詰め寄ったことでついに誠は話した。――唯にとっては何よりも聞きたくなかった真実を。

 誠から雄二の死を聞いた唯は、最初全く信じようとせず大声で喚き散らしながら本当に誠に掴みかかって取り乱していた。隣には雪もいたのだが、彼女自身とても受け入れられない話に、頭の中が真っ白になる程呆然として、とてもではないが唯を止めるために動ける状態ではなかった。

 鈴音を含め、周囲にいた数人の女子がやっとの思いで誠から唯を引き剥がし、必死に宥めることで何とか落ち着いて話を聞かせられる状態まで持って行ったのだ。

 そして今度は鈴音から噛んで含める様にゆっくりと説明され、雄二の死が紛れもない事実なのだと認識した唯は――動かなくなった。

 その場に膝から崩れ落ち、瞳からは完全に光が消えて誰が何を言っても何の反応も返さなかった。さらに、その状態のまま虚空を見詰めて聞き取れない程小さな声でぶつぶつと呟き出したのだ。

 精神的にかなり不味い状態だと判断した誠達は、ここで勇者に潰れられては困ると判断したデミットの命令もあり、すぐさま帝城まで唯を連れ帰って彼女に与えられている部屋のベッドに寝かせた。

 その後、時折様子を見に彼女の部屋を訪れたのだが、目を覚ましても布団の中で蹲り部屋から一切出ようとはしなかった。


「……後で唯の部屋に食事を持って行くわ。流石に一日中何も食べないのは身体に悪いもの」

「そうだな……俺も様子を見に一緒に行くよ」

「……私も」


 三人は自分達が食べ終わった後に唯の分の食事を持って行くことを決め、何と言って話しかけるべきかと思い悩んでいた。

 彼らとて雄二の件については相当に辛い想いをしている。だが、唯の受けた衝撃と絶望は自分達の比ではないだろうと考えていた。それは唯が雄二に対して抱いていた想いを知っている彼らには尚更理解出来ることだった。

 だからこそ彼女に対して下手なことを言う訳にはいかない。一つ間違えれば追い詰められている唯の精神がさらに悪化しかねないのだ。

 三人はこの後の訪問に若干憂鬱になりながら食事を続けた。






「唯? 入るわよ……」


 食事が終わり、唯の部屋の前まで来た三人は意を決して扉を叩き訪問を告げるが、予想通りノックに対する返事がないことに一度顔を見合わせ、一言扉の向こうに断りを入れてゆっくりと扉を開ける。

 三人は室内に入るとゆっくりと扉を閉め、明かりの消された室内を見渡す。

 唯はすぐに見つかった。

 周囲を必要最低限な調度品に囲まれた部屋の中心にポツンと置かれたベッド。その上で抱えた膝に顔を埋めた唯が毛布を被って何かブツブツ呟きながら座っていた。

 鈴音は一瞬逡巡するも、持って来た料理の乗ったトレーを持ち直し唯の傍まで近付いて行く。


「……唯、晩御飯持って来たから少しでも食べましょ? 身体がもたないわよ?」

「……」


 鈴音が柔らかい口調で持って来た料理を進めるが、唯は顔を埋めたまま動こうとしない。

 その後も何度か声をかけるが何の反応も返ってこない。このままでは今日も何も口にせずに終わってしまうかもしれない。

 明日からは訓練が再開してしまう。帝国兵は唯の状態などお構いなしに訓練に参加させようとするだろう。剣や魔法が飛び交う場所にこんな状態で訓練に参加させればどんな事故が起こるかわかわない。鈴音は仕方なく近くのテーブルにトレーを置き、少々強引に顔を上げさせるために唯の顔に手を伸ばす。だが――


 パシンッ!


「⁈」


 鈴音の指先が触れた瞬間、唯が振り上げた手によって弾かれてしまった。


「……放っておいて」


 弾かれた手を呆然と見詰める鈴音に、氷で出来ているかの様な唯の冷たい声が投げかけられる。

 そのまま唯はまたも動かなくなってしまった。

 鈴音の後ろで成り行きを見守っていた誠と雪が、唯の行動に目を見開いて固まっている。


「……」


 鈴音は弾かれた自分の手をジッと見詰めていた。唯と幼馴染として付き合い初めてからこんなに邪険にされたことも、あんなに冷たい声をかけられたのも鈴音にとって初めての経験だった。

 少なくないショックを受けた鈴音だったが、それだけ今の唯は追い詰められている。そう理解し、あまり気のりはしないが荒療治にかかることにした。

 鈴音は一度弾かれた手をぎゅっと握り締めると、ズカズカと無遠慮に唯に近付き、がっしりと両肩を掴む。


「っ⁈」


 驚いた唯が振り払おうと身を捩るが、かなりの力を籠めているのか全く振り解けない。

 そして、鈴音は暴れる唯の肩を強引に持ち上げ被っていた毛布を払いのけると、唯の顔を真正面から見詰め怒鳴り付けた。


「いい加減にしなさい! いつまで不貞腐れているつもりなの!」

「⁈」


 怒鳴られた唯はビクッと肩を跳ねさせ、一瞬その瞳を揺らす。見れば光源が月明かりしかない暗い室内でもわかるほど唯の目の下には隈が出来ていた。精神的なストレスもあるだろうが、もしかしたら昨日一度目を覚ましてから寝ていないのかもしれない。その表情を見て僅かに躊躇してしまうが唇を噛み締めて鈴音は続ける。


「いつまでもめそめそして! 泣いてる暇があったら帝国に反撃する方法でも考えたらどうなの!」


 鈴音の剣幕に呆然としていた唯だったが我を取り戻した途端、両目を吊り上げ鈴音をキッと睨み付ける。


「っ、何よ⁈ 勝手なことばかり言って! 鈴音ちゃんに私の気持ちがわかるの⁈」

「わからないわよ! 悲劇のヒロイン気取ってる痛い女の気持ちなんかね!」

「なっ⁈」


 鈴音の言い様に口をパクパクさせていた唯だったが、どんどん顔を真っ赤にしていくと共にこれ以上ない程眉と両目が吊り上がる。明らかに激怒している。

 扉の近くで見ていた誠は冷や汗を流して二人のやり取りをハラハラしながら見守っている。そんな誠に反して隣の雪はいつもの無表情で眺めていた。

 そんな二人をよそに鈴音と唯のやり取りは益々ヒートアップしていく。


「私のどこが悲劇のヒロイン気取ってるっていうのよ⁈」

「今のあんたを見たら誰だってそう思うわよ! こんな陰気な部屋でいつまでもシクシクと。泣いてたら誰かが助けてくれるとでも思ってるの⁈ どうして自分で立とうとしないの!」

「鈴音ちゃんには誠君がいるじゃない! 私のっ、大事な人が死んじゃう気持ちなんかわからないよっ!」

「っ⁈ 雄二だって大切な幼馴染よ! 大事に決まってるでしょう!」

「何よっ……! だったら……! だったら、どうしてっ……」


 唯は両目に涙を滲ませながら一度口を閉じると、目一杯溜めて鈴音に吼える。




「どうしてユウくんを助けてくれなかったのよぉっ⁈」




 唯の慟哭にも似た叫びが部屋中に響き渡った後、時間を止めた様にその場に静寂が訪れた。

 直接その言葉を叩き付けられた鈴音だけでなく、扉の近くで黙って見ていた誠も避けられない罪を見せ付けられた罪人の様に辛そうに顔を歪めている。

 そんな二人の様子を見て、唯は自分がとんでもないことを言ってしまったことに気付き、何か言い繕おうとしたのか慌てて口を開くが、結局何も言わずに口をモゴモゴとさせると顔を背けてしまった。

 室内に気まずい沈黙が流れる。

 そのまま誰も何も言わないまま時間が過ぎて一分が経とうとした頃、永遠に続くかと思われた静寂を意外な人物が破った。それは――


「……唯」


 扉付近で二人のやり取りをジッと見ていた雪だった。

 隣に立っていた誠はギョッとして雪を見ている。気まずそうにお互いの顔を見ない様にしていた唯と鈴音も、普段から口数が少なく人の仲裁など両者の間を取り持つことを苦手とする雪が、自分からこの沈黙を破り進み出て来たことに驚いていた。


「雪ちゃん……」

「雪……」


 目を見開いて自分を見詰める二人をよそに、雪は真っ直ぐ唯に近付くと、


「……唯、言い過ぎ」


 ぺチン。


「あうっ」


 そう言いながら殆ど力の入っていないチョップを唯にお見舞いした。


「……鈴音も、少し落ち着く」


 ぽこっ。


「うっ、ごめんなさい……」


 今度は鈴音の頭部にグーにした手で軽く拳骨を落した。……背が足りないので服を引っ張って屈んでもらっていたが。

 気まずそうに目を泳がせている二人を見てから、雪は唯に話しかける。


「……唯。鈴音と誠は雄二を助けるために本気で戦ってくれたんだよ?」

「……」

「……唯もわかるよね?」


 雪がゆっくりとした、普段の平坦な声ではなくはっきりと感情の感じられる声音で話しかける。


「……うん」


 そして、雪の優しい声音に意固地になっていた唯の心が解きほぐされたのか、まだ顔を背けたままではあるが唯は小さく頷いた。

 そんな唯の様子を見て、雪はさらに唯に近付き、そっと唯の両手を取った。


「……唯が辛いのはみんなわかってる。その辛さがどれだけ大きいのかは想像も出来ないけど、唯が今も辛くて苦しんでるのはわかる」

「……」

「……でも……それは唯だけじゃないんだよ」

「っ⁈ ……」

「……それに、私達は全部終わってから知ったから何も見なかった……ううん、何も見なくて済んだ。でも二人は目の前で雄二を傷付けられて、失うところを見てるんだよ?」


 雪の言葉に目を見開いた唯は、気まずさなど忘れたかの様に逸らしていた顔をバッと正面に戻した。その視線の先には悲痛気に、今にも泣きそうに表情を歪めた鈴音と誠がいる。

 その二人の表情と雪の言葉、さらに自分の行動と鈴音達に対する数々の暴言を思い出した唯は、込み上げて来た激しい後悔による嗚咽を必死に我慢する。

 雪はベッドの上に膝立ちになり、掴んでいた唯の両手から手を離すと、今度は唯の頭部をそっと掴んで自分の胸元に優しく抱き寄せる。

 その温もりについに唯の我慢がきかなくなり嗚咽が漏れ始める。


「うぅ……でもぉ、ぐすっ……わ、私、ひっく! ……辛いの、ひっ、ユ、ユウくんがっひぐっ! 死んでっ、ど、どうすれ、ばっ!」


 唯とてみんなが辛いのも、自分の行いが八つ当たりそのものだとも理解していた。だが、だからといって愛する人が殺されたことに対する感情は理屈でどうにかなるものではないのだ。こんな苦しい想いを抱えて生き続けなければならないなら、全部誰かのせいにして何もかも放り捨ててこのまま死んでしまいたい。そう思ってしまう程、愛する人を失うという苦しさは重くのしかかってくる。

 そんな感情に振り回され唯は、もはや自分では自分の感情を制御出来なくなっていた。

 だが、そこに雪から思いがけない台詞が出て来る。


「……唯は何か勘違いしている」

「ふえ?」


 この流れでいきなり勘違いしていると言われた唯は、自分ではどうにもならなかった嗚咽すら一時的に止まり、涙と鼻水塗れの顔でキョトンとして雪を見ている。


「……雄二が死んだとは限らない」

「へ?」


 全く予期しなかった台詞に、唯だけでなく二人を見守っていた鈴音と誠も「は?」と、口を開けてポカンとしていた。


「え? え? どういうこと? だって雪ちゃん、さっきユウくんは誠君達の目の前で失われたって……」

「……ん? 死んだとは言ってないよ?」

「……」


 確かによーく思い返すと雪は一言も雄二が「死んだ」とは言っていない。とは言え……


「で、でも、誠君はユウくんが崖から落ちたのを見てるんだよ? それにあの日は流れが激しかったから、両足を失ってるユウくんじゃ……」


 言ってるうちにまたも辛い想いが込み上げて来たのか、唯の台詞はどんどん尻すぼみになっていき、最後は殆ど消えかけていた。瞳には再び涙が滲み始めている。

 雪はまた俯きかけている唯の両頬をがしっと掴むと、自分の方に無理やり向け直してその瞳を真っ直ぐに見詰める。


「……でも、死んだ所を見た訳じゃない。目撃したのはあくまで崖から落ちる所で雄二の命が消える瞬間は誰も見ていない。……それに、私達の体は地球にいた頃と違う。なら、生きている可能性はある。違う?」


 雪の迷いのない真っ直ぐな目を向けられた唯は数秒の間呆然とし、何の反応も返せなかった。

 それは鈴音と誠も同じ。

 三人の中では雄二はすでに死んだものとして認識されており、生きているかもなどとは全く考えもしなかった。だが、今回雪によって初めて雄二が生きている可能性が示唆された。そして、それは現場の状況と自分達の肉体の変化をよく思い返せばありえない話ではなかった。

 実際にあの日、最後の瞬間まで雄二と一緒にいた誠は雪の話を聞いて何故思い至らなかったのかと反省していた。

 あの時、雄二は両足を失っていたものの、自前の回復薬で止血を終えて僅かながら体力も回復していた。そして俺達の肉体はこの世界に召喚された際に地球にいた頃よりも強化され、さらにレベルが上がったことでちょっとやそっとじゃ死ななくなっている。

 ならば途轍もなく可能性は低いが雄二が生きている可能性は残っている。

 それは今の唯には……それだけでなく、いまだ完全に心に負った傷の癒えていない鈴音や誠、雪自身にとっても立ち直るための希望となりえる。

 鈴音と誠の瞳の奥には、この部屋に来た当初よりも強い光が灯っていた。

 だが、二人に反して唯は弱々しく首を振るだけ。

 その原因は最初に突き付けられた雄二の死というショックが強すぎたせいで生きている可能性を信じ切ることが出来ないということが一つ。そして、信じた末に裏切られ、もう一度絶望することを恐れた故だった。

 唯の感情が間違っている訳ではない。誰だって身が引き裂かれる程辛い想いなど何度も経験したくはないのだから。

 が、そんな唯の様子を見た雪が「やれやれ」とばかりに首を振ると、この場の誰にとっても、特に唯にとってはとんでもない爆弾を落とした。




「……わかった。唯が諦めるなら雄二は私がもらう」




「「「……え?」」」


 唯が失言を口にしてから二度目の静寂が室内に満ちる。そして一泊後――


「「「えええええっ⁈」」」


 唯、鈴音、誠の三人揃った見事な絶叫が起きた。

 雪以外、全員今にも目玉が跳び出るんじゃないかと思う程仰天している。


「ちょ、ちょっと待って雪ちゃん⁈ それどういうこと⁈」

「……ん? そのままの意味。唯は雄二がいらないみたいだから私がもらう。雄二のお嫁さんになる」

「⁈ お、およ、およよよ⁈」


 唯が「およおよ」と繰り返し、壊れたスピーカーの様になりかけていると、雪の爆弾発言に仰天していた鈴音と誠が声を上げた。


「ゆ、雪? ちょっといいかしら……?」

「……ん? 何?」

「え、えっと……さっき言ってたのは本気なの?」

「……さっき?」

「だ、だから、雄二のお、お嫁さんになるって……」

「……ん、本気」

「……唯を焚きつけるためじゃなくて?」 

「……? 違うよ」

「……」


 そこで今度は鈴音の代わりに誠が雪に質問し始めた。


「な、なあ……つまり雪は雄二のことが好きってことか……?」

「……そう」

「ま、まじかよ……そんな素振り全然見せなかったじゃねえか……」

「……そう? お嫁さんになりたい位には好き」


 こともなげに雄二の嫁になりたいと言って見せた幼馴染に二人は絶句した。


「い、いや、でも誠の言う通りよ! 雪ったら全然雄二が好きそうな素振りなんて見せなかったじゃない!」

「そうだよな。いつごろから好きだったんだよ?」

「……中学一年の文化祭?」

「結構前じゃねえか……」

「でも、何で雄二なの? あっ、別に雄二が悪いっていう訳じゃないんだけど……」


 鈴音の質問を聞いた雪は、視線を下げて何かを考える素振りを見せると、


「……多分、私は雄二以外の男子とまともにコミュニケーション取れないから」

「「ああ、成程……」」


 その答えを聞いた二人は揃って納得してしまった。

 確かに日本にいた頃から雪が自分達幼馴染以外の人間と会話をしている姿は滅多に見たことがない。あったとしても大抵は雪の無表情さと口数の少なさに戸惑い事務的なやり取りばかりですぐに離れて行ってしまうからだ。

 その点、昔からの付き合いで気心が知れているのもあるだろうが、雄二は常に自然体で雪と接していた。それを考えれば確かに雪の言っていることもわかる。だが、それなら何故雄二に告白しなかったのかと二人は疑問に思った。


「……その時にはもう唯がいたから」

「……そうか」

「雪……」


 確かに、例え雪が雄二のことを好きになっていたとしてもそれ以前から、小学校に入学した頃にはすでに唯は雄二にべったりだったのだ。二人が恋人関係へと進むことはなかったが、周りから見れば唯の気持ちはわかり切っていたために雪も唯達との関係を壊す可能性を秘めてまで告白することは憚られたのだろう

 目の前で好きな男子が他の女子に密着されて仲良くお喋りしている様子など辛い物だったろうに。それが例え自分とも仲のいい幼馴染だったとしても……いや、幼馴染だからこそなんでもない風を装った無表情を張り付け、いつも通り接し続けるのは雪にとって相当な辛さだったのではないだろうか。

 その時の雪の心情を思い、二人は悲し気な表情になる。だが、そこで「はて?」と思い至ることがあった。

 今までは自分の想いを隠し続け、唯に雄二の隣を譲り続けてきた雪だったが、今この場で彼女は自分の想いを隠すことなくぶちまけ、雄二をもらうとまで宣言した。それはつまり――


「……でも」


 雪はいまだに「およおよ……」とうわ言の様に呟き続け再起動出来ていない唯に近寄って行く。そして唯の両頬をバチンッといい音を響かせて挟み込み、無理やり正気に戻した。

 そして焦点の戻った唯の瞳を覗き込み、


「……唯は雄二を諦めた。だから私がもらう。もう唯に遠慮も我慢もしない」

「っ⁈ そ、そんな……」


 雪の力強い宣言。それを聞いた唯はショックを受けながらも視線をあっちへこっちへ泳がせながら何とか反論しようとする。


「だ、駄目だよっ! ユウくんは私が……」

「……私が、なに? 唯は雄二が生きてるって信じられなくて諦めたんでしょう? でも私は諦めない」

「⁈」

「……雄二の死体を見るまで私は探し続ける。絶対に見つけて今度こそ告白する」

「っ⁈」

「……私には雄二しかいないけど、簡単に諦めた唯はその辺の男にでも慰めてもらって好きになってればいい」


 真正面からはっきりと自分の意志を愛にぶつけた雪は、腕を組んで小さな胸を逸らすと「ふんす!」と鼻息を吐いて、ベッドで小さくなっている唯を一切の揺らぎのない眼光をもって見下ろす。その様はまるで勝者が敗者を見下すかの様な様相を呈していた。

 傍からみていた鈴音と誠の二人は、初めて知った雪の雄二に対する愛の深さと意志の強さに圧倒されて目を白黒させていた。

 そして、まるで「お前の雄二への愛はその程度か!」と言わんばかりの強烈な言葉の数々と、自分を見下し勝利を確信しているかの様な雪の視線を直接受けた唯は――


「~~~~~っ!」


 しばし呆然とした後、顔を俯かせてプルプルと肩を震わせ、その場にバッと立ち上がると――


「そんなのだめぇーーーーーー⁈ ユウくんは私のなのぉ!」


 まるで駄々っ子の様なことを言い出した。


「私、ずっと……ずっと好きだったんだからぁ! 雪ちゃんにだってユウくんはあげないんだから!」

「……むっ、今更そんなことを言っても雄二はわたさない」

「いやっ! いやっ! そんなの絶対にいや!」


 いやだいやだと顔を真っ赤にして頬を膨らませて怒るという、まるでではなく完全に駄々っ子となった唯の姿に鈴音と誠は雪の時とは違う意味で目を白黒させることとなった。


「……むう、往生際が悪い。だいたい唯は雄二のこと――」

「諦めてないよっ!」


 口を尖らせながらの雪の抗議を唯が鋭い口調で遮った。


「私……ユウくんのこと、諦めないよ」


 その言葉に目を丸くする三人。――そして気付いた。

 雪を真っ直ぐ見詰める唯の瞳には、この部屋を訪れて以来一度も見ることがなかった強い光が宿っているのを。


「わたしって本当にばか……雪ちゃんに言われて初めて気付くなんて。まだユウくんが本当に死んだかなんてわからないのに……」

「……」

「ずっと一人で不貞腐れて、泣いて……みんなに迷惑ばっかりかけて」

「……」

「雪ちゃんの言う通りだね。もしかしたら、また辛くて苦しい想いをするかもしれない。でも……ユウくんが生きてる可能性が残ってるんだったら……私がしなきゃならないのはユウくんが生きてるって信じて、絶対見つけてやるって自分で動くことだった……」

「……そっか」


 決意の火が灯った唯の瞳を見た雪はさっきまでのふてぶてしい表情から一転、フッと息を吐くと、薄らと微笑みを浮かべてとても優しい眼差しで唯を見上げる。


「……なら、もう大丈夫だね?」

「え?」


 唯は何を言われたのかときょとんとした表情になり雪を見下ろしていたが、雪のいった「大丈夫」という言葉の意味と自分の今の状態に気付き目を限界まで見開いた。

 雄二の身に起きたことを聞いてからずっと心を蝕んでいたギリギリと締め付けられるような痛み。大切な人を奪った理不尽な世界に対する憎悪。憎むことにすら疲れ、何をする気にもなれず、出来ることならこのまま死んであの世で雄二と再会したいとすら願っていた虚無感。

 ついさっきまで自分の心を覆っていたそれら負の感情。だが、今心の中にあるのは必ず雄二を見つけ出してみせるという、たった一つの燃え盛る想いだった。もはや死にたいなどとは微塵も思っていなかった。

 唯は驚き、ベッドに直立したままの状態でいまだに微笑みながら自分を見詰めている雪を凝視する。

 その眼差しに含まれた優しさ……いっそ慈愛と言うべきものを感じ取り、唯はこの小さな幼馴染に救われたのだと理解した。そして、唯はもう一つ気付いた。

 少し離れた場所で憑き物が落ちた様な表情で自分達を見守ってくれている鈴音と誠。二人ともとんでもない暴言を吐いてしまった唯を責めるでもなく、唯の身を案じ、立ち直ることを信じてずっと見守ってくれていた。

 そのことにようやく気付けた唯は、愚かな自身への恥ずかしさと彼女達への申し訳なさ、そしてそれ以上の喜びを感じ、込み上げて来る涙を必死に堪えていた。

 そんな唯の様子に気付いたのか、雪がベッドに直立している唯の手を引き寄せ座らせる。

 そして――


「……泣いちゃってもいいよ? でもそれが終わったら今度は自分で立たなきゃダメ。……それからみんなに謝るんだよ?」


 限界だった。

 唯は自分から雪の胸にギュッと抱き着き、幼子の様に大声で泣き出した。

 昨日からちゃんと泣けなかったことを全て取り返そうとするかの様に、次から次へと涙を溢れさせる。

 雪はそんな唯を抱きしめたまま、まるで母親の様に優しく頭を撫でていた。

 鈴音と誠は二人の様子を穏やかな表情で、目じりに浮かんでいた涙をこっそり拭いながら唯が泣き止むまでジッと見守っていた。






「うっ、ぐすっ……雪ちゃん、ありがとう」

「……問題ない」


 あれから数分間ずっと泣き続けていた唯だったが、思い切り泣いたことで少しはスッキリしたのか、隈は残っているもののいつものおっとりとした笑みが戻っていた。

 雪は唯が泣き止むと、そそくさとその場を離れて鈴音の後ろに体を半分隠す様にして立っていた。柄にもないことをしたと恥ずかしがっているのかもしれない。

 だが、雪の御蔭で唯は立ち直ることが出来、笑顔が戻ったのだ。お手柄であろう。唯にとっては新たな問題も生まれたが……。


「雪……上手く言えないけど、とにかくすごかったわ」

「ああ……なんかすげえ喋ってたな。誰かと思ったぞ」


 鈴音と誠が感心した様子で雪を褒める。誠の感想は若干ズレていたが……。

 だが、褒められた当の本人はやはり恥ずかしいのかそっぽを向いてしまった。

 その様子に軽い悪戯心が湧いた誠が雪をからかいだした。


「いやいや、ほんとに凄かったぞ雪」

「……」

「唯を抱きしめている時なんて、まるで聖母みたいだったしな」

「……!」


 雪の形のいい眉毛がピクリと動いた。

 それを目ざとく捉えた鈴音がそろそろ誠を止めようと動き出したが――一足遅かった。


「……誠」

「ん? 何だ雪?」


 雪はチラリと誠を一瞥するとポツリと――


「……今回なんの役にも立たなかったね」

「ぐふうっ⁈」


 誠はとてつもなく痛い所をぐりぐりと抉られたかの様にその場に膝から崩れ落ちた。

 その様子を鈴音が呆れた様子で見ていたが溜息を吐いただけで何も言わなかった。

 実際、今回誠は扉付近でオロオロしていただけなので雪の言うことは正しかったりする。

 そんな幼馴染の様子に笑みを見せていた唯に雪がさりげなく視線を送る。それを受けた唯はわかっていると言わんばかりに頷くと、ベッドから降りて立ち上がり――


「鈴音ちゃん、誠君」


 笑みを引っ込め、真剣な表情になって二人の名を呼ぶ。

 呼ばれた二人も唯の真面目な雰囲気を感じ取ったのか、真剣な表情になり真っ直ぐ向かい合う。

 そして、唯はジッと見詰めて来る二人に対して体の前に両手を揃えると深々と頭を下げた。


「二人とも本当にごめんなさい! 辛いのは二人だって同じなのに……私、みんなが心配してくれてたのに八つ当たりして……」

「……」

「……」

「それに、あの時の怪我を見れば二人が必死になってユウくんを助けようとしてくれたのはわかるのに……認めたくないからって、嫌なことから目を背けてばかりで酷いことを言った。だから、その……」

「唯、もういいわ」

「ああ、充分だ」


 唯がまだ謝罪を続けようとするのを見て、もう充分だと判断した二人はやんわりと止めた。


「えっ、でも……」


 まだ自分の中では納得出来なかったのか、唯は困った表情になった。

 そんな唯の表情を見た二人は微笑みながら続ける。


「辛いことがあった時に取り乱すのは当然だもの。それに私だって唯に酷いことを言ったわ」

「俺も今回は全然役に立たなかったしな。最初の一言で充分唯の気持ちは伝わったよ」

「もし、それでも唯が納得出来ないなら……私達に何かあった時、今度は唯が助けてくれるかしら?」

「ああ、それでいいと思う」

「鈴音ちゃん……誠君……。うん、わかったよ。二人とも本当にありがとう!」


 四人の間に発生しかけていたわだかまりは完全に解けた。

 今は全員が穏やかに笑みを浮かべている。


「さて、一先ず唯がしなきゃならないことは一つね」

「?」


 突然することがあると言われても何のことか全く心当たりがない唯。そんな首を傾げた唯に鈴音は苦笑し、ベッドの脇に設置されているテーブルの上にある料理の乗ったトレーを指さした。


「まずは食事をしなきゃ。でしょ?」


 きゅる~。


 鈴音の指し示した料理を見た途端に主張を始める唯のお腹の虫。体は正直な様だ。


「っ⁈ あ、ありがとう……」


 赤面しながら持って来てくれていたことに礼を言うと、唯はそそくさと料理に向かい合って手を伸ばす。

 唯の様子を見た三人は微笑ましそうな表情で唯が食べ終わるのを待っていた。






「さて、唯も落ち着いたことだし、今後のことについて話し合いましょう」


 唯が食事を終えるとトレーを脇にどけ、空いたテーブルを四人で囲み話し合いを開始した。

 議題は自分達が今後どう動くかについて。


「すぐにでも雄二の捜索に行きたいけど……」


 一番は当然行方不明となっている雄二の捜索。鈴音の意見については誰も異存はない。だがそれを行うには大きな障害がある。


「奴隷の首輪がある限りそれは難しいだろうな……」

「そうだよね……」

「……忌々しい」


 彼らが身に付けている奴隷の首輪がある限り、雄二を探しに行くどころかそれ以外の行動に関してすら多大な制限をされてしまう。

 その辺は嫌と言う程理解しているのでみな口惜しい表情になる。


「……壊す?」

「落ち着きなさい雪。そんなことをしたら死ぬのはわかっているでしょう」

「デミットが言ってたことが事実かはわかんねえけど、もし本当だったら取り返しがつかないからな」

「……焼くのは?」

「やめなさい」


 彼らはデミットから、もし奴隷の首輪を無理やり外そうとすれば装着者を一瞬で死に至らしめる激痛が走ると脅されていた。誠の言ったように嘘である可能性も否定出来ないが確証もないのに失敗したら死ぬような分の悪い賭けは出来ない。

 それにしても、ついさっき唯に雄二のことで遠慮はしないとはっきり意志を示した影響なのか、すぐにでも雄二を探しに行きたいがために雪の発言が物騒になっていた。おまけに普段の無表情で言うために冗談なのか本気なのか判別が付きづらく余計に怖い。


「やっぱり今すぐにユウくんを探すのは無理だよね……」


 わかってはいたことだが、自分達の状況的にすぐに雄二を探しに行くのは不可能という結論になり意気消沈する唯。

 ならば自分達は可能な範囲でどう行動するかとなるのだが……四人は頭を唸らせ必死に考え込む。

 そして最初に口を開いたのは誠だった。


「一先ずは俺達のレベルを上げることを優先して、来るべき時に備えるぐらいしかないんじゃ……?」

「そうね……。今の私達の実力じゃ何かあった時に出来ることは少ないし……」

「ああ、実際デミットと戦った時は限界突破を使っても倒しきれなかったからな……もうあの時みたいに力が足りないことを後悔したくはない」

「……二人に聞いた話だと奴隷の首輪にも欠点がある。そこを突けばなんとかなる?」

「そうなの?」


 実戦訓練の際に鈴音が見つけた奴隷の首輪の抜け道について聞いていなかった唯が頭に疑問符を浮かべる様子を見て、鈴音が自分が実際にやったことを説明する。


「そっか……そんなことがあったんだ」

「ええ、でも結局の所直接危害を加えることが出来る訳ではないし、一度バレたら次はあんな小細工は通用しないと思うわ……」

「……残念」


 いい考えだと思っていた雪はあっさり否定されたことに肩を落とす。だがすぐに頭を切り替えて次の策を考える。


「やっぱり今すぐ出来るのは私達自身が強くなるぐらいしかないのかなあ……」


 歯痒いがどうしても最終的にはそういう結論になってしまう。鈴音と誠はやはりあの時が千載一遇のチャンスだったのだと余計に悔しそうな表情になる。

 その後もあれやこれやと四人で話し合い、意見を出し続けるが、結局現状を打破する様な案は出ないまま自由時間の終わりが近づいた。


「はあ……仕方ないわ。今日の所はこれくらいにしましょう」

「くそっ、奴隷の首輪さえなけりゃ帝国兵なんかすぐに叩き潰してやんのに!」

「まだ戦争までは時間があるから……大丈夫! 今は私達が強くなることを考えよう」

「……同感」


 今日の話し合いでは打開策は見つからず現状の先延ばしにしかならなかった。だが、ほんの一時間前までは絶望しか感じていなかったはずが、今では明確な目標を持ったこと、理不尽しかないこの世界でもまだ親友や想い人と再会する希望が残っていることに気付いた四人からは悲壮感は漂っていなかった。明日からの厳しい訓練の日々をどれだけ自分の糧にして成長できるかという前向きな気持ちが占めていた。

 そしてその気持ちを抱いたまま、唯を除く三人が各々の部屋に戻ろうと椅子から立ち上がり扉に向かって歩き出す――


「雪ちゃん」

「……ん?」


 だが、退室しようと背を向けていた雪を椅子から立ち上がった唯が呼び止める。


「……どうしたの?」


 その場で振り向いて、呼び止めた理由を問いかける雪。すでに扉を開きかけていた誠と鈴音も振り返る。

唯は目を逸らすことなく雪を見据える。


「本気なんだね……?」


 問いかけられた雪は具体的なことは言わずとも唯が何のことを言っているのか瞬時に理解した。二人の間に漂う空気に鈴音と誠は息を呑んでいる。

 雪は体ごと唯の正面に向き直り――


「……当然。例え唯が相手でも容赦しない」

「今日のことは本当に感謝してる。でも……それとこれとは別だから」

「……上等」


 雪のいつも通りの眠たげな双眸には激しい炎が燃え上っている。そしてその眼差しを向けられた唯にも同様の炎が灯っていた。

 両者の間では不可視の火花がバチバチと激しく衝突していた。

 離れた位置で立ち尽くす鈴音と誠は確かに幻視した。唯と雪の背後で鋭い眼光と牙を剥き出しにして相手を威嚇する龍と虎の姿を。二人の争いに関係ないはずの鈴音と誠ですら、魔物と相対した時にも感じたことのない凄まじい迫力に顔を青褪めさせ足を震わせていた。

 いつまでも続くかと思われた二人の壮絶な睨み合いは、どちらからともなくフッと、その気配を消すことで終息した。


「今は私達が争っている場合じゃないね……」

「……ん」


 雪はゆっくりと振り返り、扉付近で待機していた鈴音達の方に歩いて来た。唯も後ろを向いて三人が退室するのを待っている。


「……ん? どうしたの?」


 固まっている鈴音達に自分が原因の一端だとは思いもせずに雪が不思議そうな顔をするが、反応がないので雪は中途半端に開いていた扉を完全に開いて部屋から出て行った。唯と雪の放つ気配に気圧されていた二人も、そこでようやく我に返り雪を追うように慌てて退室した。

 この時、誠は心底思った。

 女の戦いはこの世の何よりも恐ろしいと。そして――きっと雄二が無事に見つかったとしても彼にはしばらく平穏が訪れることはなさそうだと……。


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