19 VS邪竜①
太陽の光を反射する艶のある闇色の鱗に覆われた二十メートルを超える巨躯。空を駆けるための巨大な翼。薙ぎ払っただけでそこらの民家など倒壊しそうな長く太い尻尾。太く逞しく発達し、鋭利な爪の伸びた四本の脚。そして、長い首の先にある頭部は耳の辺りから立派な二本の角が伸び、縦に割れた瞳孔にギラギラと輝く殺意を乗せた金色の眼球が俺達を睥睨している。
「マジかよ……」
御伽話の中や空想の産物でしか登場することはなかったはずの竜が、今俺達の目の前に現実の物として存在していた。
「グルル……」
誰もが突如現れた竜の威容に唖然としている中、竜は首を巡らせて周囲の上空を漂っているハーピィをぐるりと見渡した後、その一角に向けて人など丸呑みに出来るだろう巨大な顎門をガパリと開いて首を反らしていく。
「っ⁈」
竜が何をしようとしているかなど考えるまでもない。俺の脳裏を過るのはついさっきハーピィを容易く消滅してみせた光の柱。
「伏せろっ!」
「えっ……きゃっ⁈」
俺は恵理の体を庇う様に抱えてその場に伏せる。直後――
カッ――――!
竜の口内から極大のブレスが放たれた。
漫画やゲームにでも出て来る様な破壊光線やレーザーと言われても納得出来そうな極大のブレスは、射線上を漂っていたハーピィの群れを一切の抵抗なく焼き尽くして蒸発させていく。
だが、それだけでは終わらなかった。竜はブレスを放出したまま首を横に動かして次々とハーピィを焼き尽くしていく。
ブレスの放出が収まった頃に空を見上げれば、竜のブレスが通った場所だけハーピィのいない空白空域となり、そこから奥に青い空が見通せる様になっていた。今の一撃だけで確実に百近いハーピィがこの世から消え去っただろう。
ど派手な開幕宣言をした竜は、咆哮を上げて再びブレスの発射体勢に入った。
それを見た俺は再びその場に伏せてやり過ごそうとしたのだが、なんと生き残ったハーピィ達は反撃のために一斉に竜に向かって飛んで行った。
あれだけの力の差を見せ付けられて多大な犠牲を払ったというのに、尚も竜に歯向かうとは……数で押せば何とかなると思っているのか、単なる馬鹿なのか。
どちらかと言えば後者な気がするが……なんたって鳥頭だからな。
「ゴハアアァ!」
竜は迫って来るハーピィに対して再びブレスを見舞う。だが、今回はさっきよりも溜めが短かったせいか若干威力が低い。まあ、それでも直撃を受けたハーピィは一瞬で灰となっているが……。
それでも接近を止めなかったハーピィが何体か竜に取り付いたのを皮切りに、次から次へとブレスを逃れたハーピィが群がっていき攻撃を開始する。
だが、接近に成功したハーピィが鉤爪の付いた鳥の足を竜の鱗に突き立てようとしているが、鱗が硬すぎて全く歯が立っていなかった。
それに対してハーピィに群がられている竜は……もはや暴虐というものが形をとってこの世に顕現したとしか思えない暴れっぷりだ。
憤怒に満ちた咆哮を上げ、目に付いた個体から順に巨大な両手で鷲掴みにしては握りつぶし、爪で引き裂き、尻尾を振り回して叩き付け、足元の敵は踏み潰す。さらに目の前を飛んでいるハーピィに関しては喰らい付き、骨を噛み砕いて吐き捨てている。
竜は止まることなく無慈悲に殺して殺して殺しまくり、確実にハーピィの数を減らしていく。
目の前で繰り広げられている光景はすでに戦闘ではなく一方的な蹂躙だった。
ハーピィの攻撃は一切通じていないというのに、竜は腕を振り回すだけでも相手の命を奪うことが出来るのだ。こんなものを戦いと呼べるはずがない。
俺は呆然としながら竜がハーピィを蹂躙する様を見ていたが、ハッと我に返って竜がハーピィに気を取られてるうちに鑑定を発動させる。だが――
「っ……⁈ 化け物が!」
鑑定の結果を見た俺は、その内容のあまりの規格外ぶりにすぐに後悔することになった。
種族:邪竜
LV:106
体力:6750
魔力:7835
攻撃:5725
防御:6200
魔功:6700
魔防:5908
敏捷:4760
魔法:竜魔法
スキル:邪竜眼、邪竜鱗精製、竜の咆哮、竜圧、刃翼、高速飛行、再生、逆鱗、魔力感知、全属性耐性
全てのステータスにおいて俺と二倍以上の差がある上に、今まで出会って来た魔物の中でも一際凶悪なスキルを持っていた。
中でも、見ただけで相手のステータスを減少させる呪いをかける〈邪竜眼〉や一定威力以下の魔法攻撃を通さない〈邪竜鱗精製〉、さらに欠損まで回復させる〈再生〉。
〈状態異常無効〉を持っている恵理には〈邪竜眼〉は効果がないようだが、俺のステータスを開いて見ると最悪なことに全てのステータスが三分の二程度まで減少していた。
元々ステータスで劣っているというのに、ここまで差があったらこっちの攻撃は殆ど通らないだろう。
恵理の魔法でもかなり厳しい。〈邪竜鱗精製〉で弾かれる一定威力以下の魔法というのは恵理の〈複合魔法〉ならクリア出来ると思うが……突破出来たとしても邪竜の魔防を見るとかなり分が悪い。
さらに生半可な攻撃をしても〈再生〉で即座に回復される……。
俺は自分が魔物の体となってから成長したステータスを見て、この世界で俺に適う奴は殆どいないだろうと思っていたが……こいつを見て自分がどれだけ自惚れていたか思い知らされた。
(こんな化け物とまともに戦ってられるか!)
俺は即座にこの場を離れる判断を下す。幸い邪竜はハーピィの相手で忙しそうだ。いまなら気付かれずに離脱することも可能だろう。
「恵理っ! すぐにこの場を離れるぞ!」
「えっ、あ、はいっ!」
まだ少し気が動転している様だが、腕を掴んで無理やり立たせる。
「一気に山を下りるが、走れるか?」
「は、はい。さっきまで全身が震えていましたけど、今は何とか大丈夫です」
「よし」
二人でハーピィの巣に来るときに通った道を使って逃げようと、邪竜に背を向けて走り出した瞬間――
「グオオオオォォォン!」
背後の邪竜が一際デカい咆哮を上げた。
何故か俺の背中に直接叩き付けられたかの様な咆哮に悪寒が走り、バッ! と振り返って背後を見る。そして――
――邪竜の金眼と俺の視線が交差した。
「っ⁈」
勘違いでも見間違いでもない。確かに邪竜の金色の瞳と目が合った。
俺達を見ている!
「ガアアアア!」
邪竜の口内から光が漏れ始め、首を仰け反らせた。
ブレスを発射するための予備動作。ならそのブレスの照準は――
「くそがっ……!」
俺は一歩後ろを走っていた恵理の体を脇に抱え、ブレスの射線から外れるために真横に進路を変えて全力で地面を蹴り付け跳び退いた。直後――
ドゴオオオオォォォンンン!
一瞬前まで俺達のいた場所を極大のブレスが大地を引き裂きながら走り抜ける。
「ぐぅぅ⁈」
「きゃああああ⁈」
間一髪直撃は免れたものの、吹き荒れる余波で俺達の体はハーピィの巣の真ん中辺りから数十メートル離れた岩壁に叩き付けられた。
恵理に関しては岩壁にぶつからない様に咄嗟に俺の体の内側に抱え込んだので直撃はしていないが多少の衝撃は伝わっているかもしれない。
「ゆ、雄二君、大丈夫ですか⁈」
「俺は大丈夫だ。だが……」
俺の視線を追って恵理もそちらに顔を向ける。
「グオオオン!」
そこには周囲を飛び交うハーピィを次々駆逐しながらも俺達をその目に捉えている邪竜の姿があった。
今のブレスは完全に俺達を標的にして撃ち込んで来た。そして今も逸らすことなくその目に捉えている。
それはつまり――
「逃がす気はないってか……?」
「そ、そんな……⁈」
俺の呟きを聞いて、いまだ抱えたままの恵理が青褪めた顔で声を掠れさせる。
「うぅ……そもそも、何であの竜はいきなり現れたんでしょう……?」
それは俺も気になっていた。
さっきまでは邪竜の迫力に呑まれて頭の中が真っ白になっていたが、冷静に考えてみると何の前触れもなく現れて、いきなり殺気と怒気を撒き散らしているのは何故かと思う。
おそらくだが――
「寝てたところを叩き起こされたんじゃないか……?」
俺の見ている場所を恵理も目で追って行く。そこには邪竜が出て来るときに崩されて大きく広がった穴――元は恵理の魔法で空いた穴がある。
「も、もしかして、私の魔法の衝撃で……?」
「それか……穴の中を通ってハーピィ共の悪臭が邪竜の元まで届いたかだな。あくまで予想だが」
俺の予想を聞いた恵理はさーっと顔から血の気が引いて行った。
「す、すみません……」
「いや、魔法を撃ってくれって言ったのは俺だから……」
別に恵理を責めるつもりはない。
邪竜が出て来た理由は想像に過ぎないし、仮に当たってたとしてもあんな所に邪竜が寝ているなんて誰が想像出来るものか……。
「な、何とか逃げられないでしょうか……?」
「出来ればそうしたいが……厳しそうだぞ」
向こうは完全に俺達を狙ってるし、残ってたハーピィ達もついに数で押しても敵わないと判断したのか戦線を離脱する個体が増えている。
邪竜にも翼があるから逃げるハーピィを飛んで追撃することは出来るだろうが……奴はすでにハーピィに対する興味が薄れている。まだ群がってくる個体は始末しているが、逃げる個体を追う素振りは見せていない。
となれば、次に狙われるのは翼を持たず、邪竜からすれば地を這う虫程度にしか見えないだろう俺達となる。
隠れる場所が殆どないバロール山脈では身を隠してやり過ごすことは出来ないし、例え隠れる場所が見付かったとしても奴は〈魔力感知〉のスキルを持っている。俺は〈魔力遮断〉で気配を殺すことが出来るが恵理は持っていない。恵理の様に濃密な魔力を持っていれば隠れたとしても間違いなく見つかるだろう。
どうせ戦闘を回避出来ないのなら、逃げながら足場の悪い場所で戦うよりもそれなりの広さがあって足場も安定しているハーピィの巣の中で戦った方がいい。
腹を括るしかない。
「ここであいつを迎え撃つ。危険だから――」
恵理はなるべく離れていろ。そう続けようとした台詞は彼女の表情を見て咄嗟に呑み込んだ。
顔は青いし体は震えている。だが、恐怖に竦みそうになりながらも、唇を噛み締めて必死に己を奮い立たせながら真剣な顔で俺を見上げる恵理からは、自分だけ離れて見ていることを良しとしていないことが言葉にせずとも伝わってきた。
……これは俺が反省しなければならないだろう。
恵理はもう俺に守られながら魔物と戦うだけの存在じゃない。この三週間で彼女は俺と肩を並べ、背中を預け合って共に立ち向かうパートナーとなっていたのだ。
それを忘れかけていた。
恵理は俺を見上げながら少し不安そうな表情をしている。もしかしたら俺に戦うことを反対されるかもしれないと思っているのかもしれない。だが、俺の中でそんな気はすでに霧散していた。
「……邪竜は〈全属性耐性〉のスキルを持っているし、魔防も相当高い。魔法を直接ぶつけても効果が薄いかもしれないから、あいつの足場を狙って体勢を崩して隙を作ってくれ」
「っ、はいっ!」
俺の指示を聞いた恵理は一瞬嬉しそうに頬が緩んでいたが、すぐに真面目な表情となって杖を構えていつでも魔法を撃てる様に魔力を集め始めた。
邪竜の方はハーピィとの決着は付いた様だ。周りに残っているハーピィはすでに三十匹程度になっており、そいつらも背を向けて逃げ始めている。間違いなく五百匹以上はハーピィを倒していたと思うが……邪竜に疲れは全く見られない。
だが、もう一度鑑定で見てみると邪竜の魔力が当初の三分の二以下まで減っていた。
おそらくあのブレスが竜魔法なのだろうが、相当魔力を消費する様だ。ハーピィも少しは役に立ったと言える。
邪竜は逃げるハーピィの最後尾にいた何体かを適当に握り潰すと、体ごと俺達の方に向き直って完全にハーピィから標的を切り替えた。
俺は恵理に目で合図を送ってその場を駆け出す。邪竜の正面には向かわずに奴の脇に逸れながら疾走する。
邪竜は俺の動きに合わせて足を踏み出すが――
「エクスプロージョン!」
恵理の放った爆発の魔法が邪竜が足を踏み出そうとした先の地面に着弾し、穴を穿つ。
「ゴアァ⁈」
踏み出した先の地面に開いた穴に足を取られた邪竜は、そのままバランスを崩して体を横に傾けていく。
完全に倒れ込むことはなかったが膝を付いて動きを止めた。
膝を付いたことで低くなった邪竜の頭部目掛けて跳躍する。
各種肉体を強化するスキルに加えて〈石化〉のスキルで拳をコーティング。あらん限りの力を籠めた拳を邪竜の横面目がけて振り抜く。
「ああああああーーーー!」
ドッ――ゴオォォン!
音速を超えた右フックが邪竜の横面を捉え、ダンプカーと正面衝突した音を数十倍に膨れ上がらせたような衝撃音が響き渡った。
(決まった……!)
過去最高の一撃だったはずだ!
俺は宙に浮いたまま殴り飛ばした邪竜の頭部を目で追う。呪いで低下させられたステータスは強化系のスキルで補うことは出来た。さすがのこいつも顔面にまともに喰らえば――
――ギロッ。
「っ⁈」
殴り飛ばした際に反射的に閉じた邪竜の瞼がグワッと開き、殺意の籠った金色の眼光が俺を射抜く。
効いてない⁈
「ゴアアァ!」
殴り飛ばした邪竜の頭部が首を鞭の様にしならせて凄まじい勢いで再び戻って来る。
ドッ――!
「ごあっ⁈」
咄嗟に両腕をクロスさせて防御した直後、邪竜の頭部に弾かれた俺は弾丸の様に地面へと叩き付けられた。
「つ~~~~! くそっ……!」
「雄二君っ、離れて⁈」
岩を砕き、砂埃が舞い上がる地面で仰向けに横たわった俺の耳に、恵理の切羽詰まった叫び声が聞こえて来た。
目を開けて見上げた空に映ったのは、青空を切り裂くように伸びる黒く太い一本の線――――俺を叩き潰すために振り下ろされようとしていた邪竜の巨大な尻尾だった。
「っ⁈」
弾かれた様に横に転がり、間一髪尻尾の射程外に逃れる。
邪竜の尻尾に叩き付けられたことで弾け飛んだ岩の破片が転がる俺の頭上に降り掛かって来た。
ゴロゴロと転がって距離を取り、膝を付きながら起き上がって顔を上げた先で見たのは――
「ゴアアァ……!」
今まさに俺目掛けてブレスを放とうと、限界まで顎門を開いた邪竜の姿だった。喉の奥には赤と白が混じり合った光が見える。
――躱せない。
最悪な結果が脳裏を過り、邪竜の口内の光が一際大きく輝いてブレスが発射される。その瞬間――
「アースランス!」
邪竜の頭部直下の地面から莫大な魔力を籠められた巨大な岩の槍が、邪竜の顎目掛けて伸び上がった。
「ゴガッ……⁈」
邪竜の堅牢な鱗に阻まれて喉を貫くことは敵わなかったが、衝突の衝撃で邪竜は口を無理やり閉ざされ、頭部を上に弾かれた。結果――
ボゴオォォォ――ン!
逃げ場を失ったブレスのエネルギーがそのまま邪竜の口内で暴発する。
「グ、ゴア、ガァ……⁈」
さすがの邪竜も自らのブレスの暴発にはダメージを受けている。金色の眼光が揺れて焦点が定まっていない。
絶体絶命のピンチだったが命拾いすることが出来た。
助けてくれた恵理に向けてサムズアップして感謝と称賛を告げる。
コクリ、と恵理が頷いたのを確認し、今のうちに追撃をかけるため起き上がってポイズンソードを抜く。
外からの物理攻撃が効かないなら内部からジワジワと蝕んでやる。
いまだ意識がはっきりしていない邪竜の足元に接近して胴体を駆け上がると、おそらく邪竜の魔石があるだろう胸の辺り目掛けてポイズンソードを振るう。
そのまま斬りつけても弾かれるだろうと考えて魔力を纏わせた所、邪竜の鱗に傷を付けることに成功した。だが、傷が浅すぎて肉まで届いていないため毒が邪竜の内部に浸透しない。
俺はさらにポイズンソードに魔力を籠め、時間の許す限り邪竜の体に傷を刻み続ける――が、それも長くは続かなかった。
意識を取り戻した邪竜が体に取り付いた俺に気付いて引き剥がそうと手を伸ばして来る。
俺は大人しく退避して邪竜から距離を取った。捕まったら一発でアウトなので無理をする訳にはいかないのだが……邪竜の肉にはまだ少ししか刃が届いていなかった。この巨体に毒を回すにはあれだけでは全然足りていない。
しかも、魔力を通していたというのにポイズンソードの方が邪竜の鱗に負けて刃がかけてしまい、使い物にならなくなってしまった。それだけではなく、ついさっき斬り付けた部分が邪竜から距離を取った俺の目の前で急速に再生していくのが見えた。
〈再生〉のスキルだろうが、やっとの思いで傷を付けたというのにまた最初からやり直しだ。もしかしたら僅かに入った毒すら無効化されたかもしれない。
冗談みたいな鱗の強度と再生力に苦い思いをしながらも仕切り直しといこうと思ったのだが、邪竜は俺から視線を外している。
どこを見ているのかと思ったが、邪竜の視線を追ってハッと気付いた。
(恵理に狙いを変えるつもりか……!)
邪竜に射竦められた恵理がビクリと肩を揺らすのが見えた。
標的を変えた邪竜は咆哮を上げて恵理に向かって直進し始める。
「させるかっ!」
「ガアア!」
動きを止めるために接近した俺に、邪竜が邪魔だとばかりに頭上から腕を振り下ろして来る。
横に跳んで回避するが――一発では終わらない。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
次から次へとまるでモグラ叩きの様に邪竜は両手を振り下ろし、一切の容赦なく俺を叩き潰そうとして来た。
しかも、あの巨体から繰り出しているとは思えない程早い!
段々避けるのが厳しくなり、十数発目でついに避けそこなって邪竜の鋭い爪が体の表面に掠ってしまった。
それだけでゾリッと俺の体の表面が一気に削ぎ落とされ、内側の半透明な紫色のスライムの体が露わになった。
血は出ないが削ぎ落とされた肉片が辺りにビチャビチャと飛び散る。
「雄二君⁈」
恵理の悲鳴が聞こえたが返事を返す余裕はないし、恐ろしくて邪竜から目を逸らすことが出来ない。
俺は一度距離を取って削ぎ落とされた部分の回復を待つ。
致命傷に近い傷を負っても平然と動き回り、ボコボコと傷口の肉を蠢かせている俺を見た邪竜が僅かに戸惑った様な唸り声を上げたが、再び恵理の方に向き直った。
邪竜はあくまで恵理を狙っている。
さっきのブレスを邪魔されたことに怒っているのか、それとも厄介な相手だと認識したのかは知らないが……どちらにしろ先に恵理を始末する考えは変わらないか。
邪竜にとっては俺などいつでも始末出来ると思っているのだろうし、力の差を考えれば無視されても仕方がないのだが――腹は立つ。
俺は背を向けた邪竜に駆け寄り、尻尾の付け根辺り目掛けて糸を大量に射出。指から切り離すことなく地面を引き摺っている尻尾の先端と一緒に両手で握り込む。
そのままズルズルと引き摺られそうになるが、両足を踏ん張って何とかその場に踏み止まる。
「グルゥ⁈」
俺に気付いた邪竜が呻き声を上げて前傾姿勢になりながら踏み出す足にさらに力を籠めたが――上げた足を地面に下ろすことが出来ずに空中にプラプラと足を浮かせた状態となる。
「ぬああああああっ!」
俺は腕を回して尻尾を抱える様に持ち直し、そのまま背負い投げの要領で引っこ抜くように勢いよく邪竜を後方に放り投げる。
今まで感じていた邪竜の体重が消えたかと思うと、フワリと浮き上がった邪竜が俺の頭上を越えてそのまま後方に飛んで行き、邪竜の質量が丸ごと大地に叩き付けられた。
落下した衝撃が邪竜を中心に放射状に周囲を伝わってバキバキと地面に亀裂が入っていき、舞い上がった瓦礫が再び重力に従って落下を始め、ガラガラと転がっていく。
仰向けに横たわった邪竜はすぐに起き上がって来ない。
大してダメージはないはずだが……おそらく自分が投げ飛ばされたことにでも驚いているのだろう。邪竜にとってこんな経験は初めてだっただろうからな。
とにかく、ひとまずは恵理から遠ざけることに成功した上に、俺にとって絶好のチャンスが到来した。
「恵理! 俺の槍を用意してくれ!」
「は、はい!」
恵理に指示を出してからすぐさま仰向けになった邪竜の元に向かう。走った勢いを乗せて跳躍し、邪竜を真上から見下ろす。
「おりゃっ!」
空中で両手の指を邪竜に向けて伸ばし、そこから大量の糸を発射する。
粘着性を最大にした〈蜘蛛糸〉をビュルビュルと射出し続け、邪竜の体と地面を糸で繋いで動きを封じていく。
「まだまだぁ!」
胸以外をどんどん糸で覆っていった結果、邪竜の全身は八割が糸で真っ白になり、まるで包帯で覆われたミイラの様になった。
ここまですればまともに動ける様な魔物は今までいなかったのだが、唸り声を上げながらもがく邪竜の力に引っ張られ、邪竜と糸で繋がっている地面がミシミシと悲鳴を上げているのが聞こえて来る……。拘束を解かれるのも時間の問題かもしれない。急いだ方がいいだろう。
俺は邪竜の胴体に着地して口を開くと、糸で覆われていない胸部目掛けて〈強酸液〉のスキルで精製した液体を口から大量に吐き出す。
ジュウウウウウッ!
「グオオオオン⁈」
鱗に触れた液体は蒸発するような音を響かせながら邪竜の鱗をジワジワと溶かしていく。
よしっ!
やはり、魔法を弾くことが可能な竜鱗でもスキルである〈強酸液〉を防ぐことは出来ない様だ。
だが、確かに効果はあったものの溶けた場所が端からどんどん再生していくのが見えた。ちんたらやっている暇はない。
俺はもう一度〈強酸液〉を吐きかけて溶解速度を上げ、さらに〈石化〉でコーティングした両拳を溶けている部分に連続で叩き込む。
叩き込む度に俺の拳を覆っている石も液体に触れて溶けていくが、その度にコーティングし直して休む間もなく殴り続ける。
もがく邪竜の暴れ方が激しくなり、糸で繋がっている地面に亀裂が入り始めた。
いつ拘束が解かれるかとひやひやしながらどんどん殴る。
やがて五十発目を超えそうになった頃、ついに層になっている邪竜の鱗を破壊して内側の肉を露わにすることに成功した。
思わず凶悪な笑みが浮かぶ。
「恵理!」
「はい!」
俺が一声呼びかけると、近くまで来ていた恵理がさっき頼んでおいた槍を鞄から取り出して俺に向かって投げて寄こす。
恵理に用意してもらった槍は元々ジェネラルオークが使っていたのを奪った物だが、その後で俺の精製する毒と調合したこいつは穂先を紫色に染めた「ポイズンランス」へと名を変えた。
真っ直ぐに飛んできた槍の柄をしっかりと掴み、その場で両手に持ち直して頭上に掲げる。
俺は槍の穂先の照準を鱗を破壊されて露わになった邪竜の肉へと合わせ、渾身の力で振り下ろした。
突き刺した槍が肉を切り裂き沈み込んでいく感触が柄を通して握り込む手に伝わり、邪竜が痛みに絶叫を上げる。
俺は構わずさらにぐりぐりと槍を奥に刺し込んでいき、筋肉に阻まれて止まった所で手を離す。
このまま放っておいても穂先から分泌される毒で内部からどんどん侵されていくが……まだ終わらん!
俺は数歩下がった所で真上に三メートル程跳躍する。そのまま空中で一回転しながら足を伸ばし、遠心力による勢いと落下速度を乗せた踵落としを槍の石突目掛けて叩き込んだ。
「ゴォッ⁈ ガッ……、ガアアアアア⁈」
芯を捉えた踵落としは止まっていた槍をさらに奥深くに刺し込むことに成功し、邪竜にさらなる激痛が襲い掛かる。
槍が半分以上邪竜の体内に埋まったのを見て、今度は柄を握って内部を掻き回してやろうと思い手を伸ばす。だが――
「ゴギャアアァア!」
これまでにない邪竜の咆哮が響いた直後、全身を言い様のない悪寒が貫いた。
本能が訴える警告に従ってすぐにその場を離れた一拍後――俺の鼻先を黒い塊が途轍もない速さで過って行った。
過ぎ去った先に目をやると、それは拘束されていたはずの邪竜の腕だった。
さらに邪竜は反対の腕や両足、尻尾の拘束も糸で繋がっていた岩盤ごと力任せに無理やり引き抜いて自由を手に入れた。
邪竜の様子が変化したことを感じ、一度距離を取って恵理の元まで後退する。
無意識のうちに握り締めていた拳を開くと、掌にはじっとりと汗が浮かんでいた。
「……雄二君?」
「邪竜の雰囲気が変わった……。何か嫌な予感が――」
言いかけた所で脳を嫌な物が走り抜けたのを感じ、バッ! と邪竜の方に顔を向ける。
俺の様子を見た恵理も邪竜の方に目を向ける。
そこでは邪竜がちょうど起き上がったところだった。
「う、おっ……⁈」
起き上がった邪竜と目が合った瞬間、初めて邪竜を見た時に感じた殺気が児戯に思える程の重圧に、久しく忘れていた恐怖が蘇ると共に、錯覚だとわかっていてもここだけ重力が何倍にも膨れ上がった様に感じて無意識のうちに膝を付きそうになってしまった。
視界の端で恵理がよろめいているのが映り、倒れない様に咄嗟に引き寄せる。
「す、すみません……! で、ですが、あれは……」
「ああ……今までよりさらにとんでもない気配だ」
完全に立ち上がった邪竜の、元は金色だったはずの竜眼は血の様に真っ赤に変色し、その奥には怒りの度合いを示す暗き憤怒の炎が轟々と燃え上っている。
それだけで人や魔物など簡単に殺せそうな邪竜の眼光に思わず身震いした。気が弱い者なら間違いなく失神し、そうでなくとも戦意を喪失しているだろう。
邪竜から迸る殺意と怒気にゴクリと喉を鳴らし、何が起きているのか確かめるため今一度鑑定を発動させ――
「なっ……⁈」
表示された邪竜のステータスを見て愕然とした。
ブレスを使いまくったことで本来なら減っているはずの魔力は、減少するどころか逆に最初に見たステータスの二倍近くまで上昇していた。それだけでなく、攻撃と魔功までが激増している。
訳の分からない鑑定結果に言葉を詰まらせていると、邪龍のスキル欄の〈逆鱗〉の文字が赤く点滅しているのに気付いた。
そこには――
〈逆鱗〉
スキル所有者の怒りが一定に達することで発動可能。発動中、使用者の思考能力が落ち、防御・魔防のステータスが半減する代わりに、〈再生力強化〉〈状態異常無効〉のスキルを獲得する。さらに魔力・攻撃・魔功のステータスを元のステータスの二倍まで上昇。
その説明文を見た瞬間、もう一度邪竜のステータスに目を走らせた。
確かに魔力・攻撃・魔功が上昇している代わりに防御と魔防が減少しているのが確認出来た。
前よりは攻撃が通りやすくなったと思っていいのだろうが、元々のステータスが異常に高いために減少しても尚、奴の耐久力はずば抜けて高い。しかも〈状態異常無効〉ということは、唯一邪竜を倒せる可能性があった奴に突き刺さっているポイズンランスの毒が全く役に立たないということだ。
「まさに、逆鱗に触れたってことか……」
切り札を封じられ、状況はさらに悪化した。
苛烈さを増すだろう死闘を予感し、背後に忍び寄る死神の気配を感じながらも否応なく第二ラウンドの幕が上がる。
明日も投稿します!




