11 王国の勇者
数分走り続け、白井さんを見付けた場所から一キロ程離れた頃。
俺はようやく川端で足を止め、抱えていた白井さんを地面に降ろした。
地面に降ろされるなり、白井さんは両手を地面に付いてぜえぜえと息を吐いている。
相当な恐怖だった様だ。
何だか申し訳ない思いを抱きながら、俺は白井さんの後ろで彼女が呼吸を整え終わるのを黙って待っていた。
やがて、呼吸が整って落ち着いてきた様なので、なるべく優しい声音を意識しながら白井さんの背中に向かって声をかける。
「大丈夫か?」
ビクッ!
そんな音が聞こえてきそうな程に肩を跳ね上げると、白井さんは縮こまりながら恐る恐る俺の方を振り向いて来た。
その様子はやはり小動物みたいで、俺の中で少しばかり彼女にいじわるしたくなる衝動が湧きあがって来た。
まあ、そんなことをしたら恐慌状態で魔法を乱射されそうなのでしないが。
「大丈夫か?」
俺はさっきと同じ質問をもう一度繰り返す。
白井さんは口が震えて中々声を発することが出来そうになかったが、俺は辛抱強く待っていた。
すると、俺が危害を加えるつもりがないことを一先ずは理解してくれたのか、何度か深呼吸を繰り返し、若干たどたどしいながらも答えてくれた。
「は、はい。だ、大丈夫、です」
「そうか」
俺は一つ頷き、白井さんの前に腰を下ろす。見下ろしたまま喋ってたら失礼だからな。
ドカッと腰を下ろすと白井さんはまた肩を震わせていたが、さっきよりは大丈夫そうだ。
「まずは……いきなりこんな所まで連れて来て悪かったな」
「い、いえ……」
「確認なんだが……あんたの名前は白井 恵理で間違いないよな?」
鑑定で確認しているから間違いないだろうが、一応本人の口から聞いておきたい。
「! は、はい。そうです。あ、あの……どうして私の名を? それに、さっき確か日本人って……」
「待ってくれ。順番に説明する」
「は、はいっ! すみません……」
さて、何から話したものか……。
元々彼女が本当に日本人だった場合は俺のことも話すつもりではあったが……果たしてどこまで説明する?
あまり情報を与え過ぎると、後で解放した際に俺にとって面倒なことにならないか?
いや……そもそも、この状況で彼女を俺の元から解放することが出来るのか?
例え俺の情報を一切話さなかったとしても、この子を解放すればこの森に俺の様な正体不明の異形種が存在することがバレてしまう。仮に口止めをして、彼女が俺のことを誰にも話さないと約束してくれたとしてもどうやってそれを信用する?
だいたい……俺は白井さんと一緒にいた三人の男を殺害している。
仲間を殺した奴の言うことを素直に聞いて黙っていてくれる訳が……いや、それは案外大丈夫か? 自分を襲おうとした男達のことなど、もしかしたら気にしていないかもしれない……。
いやいや! 仮にそうだとして、白井さんが本当に俺のことを黙っていてくれようとしても、彼女が森で行方不明になっていたことは紛れもない事実なのだ。その間はどこで何をしていたのか確実に追及される。
適当に他の魔物に男達が殺されたことにして、白井さんはその魔物に攫われたことにでもするか? ならどうやってそこから脱出したと言い訳する? しかも、白井さんは魔法特化の後衛職だぞ。盾役もなしに大量に魔物が生息する森の中で、どうやって魔力を節約しながら魔物達を相手に生き残ったと説明するんだ。
……問題は他にもある。
あの場に近付いていた人間達が白井さんの仲間だった場合、俺が殺した男達の死体を見れば激怒するだろう。白井さんがいなくなっていることにもすぐに気が付く。
仮に仲間じゃなかったとしても、街に戻れば……本当にこの世界に存在すればだが、ギルドかどこかしらに報告されるだろう。そうなれば、知らせを聞きつけた白井さんの仲間が捜索を依頼するかもしれない。もしくは……仲間に手を出した俺を探し出して始末するために直接森に来る可能性もある。かと言って、そいつらを返り討ちにして口封じのために皆殺しにすれば余計にことが大きくなる……。
駄目だ……段々頭がこんがらがって来た。
結局のところ、彼女を助けるために姿を見せた時点で俺の存在が知られることはすでに避けようのないことになっていた様だ。
俺に関しての情報漏洩を防ぎたいなら、あの場で白井さんを助けるべきじゃなかった。それか……今からでも白井さんを殺して彼女の口から俺の存在が広まることだけでも防ぐか。
「……」
腕を組んで考え込んでいた間、ずっと地面に落としていた視線を上げて白井さんの様子を窺う。
説明すると言いながら黙り込んでしまった俺を見て、白井さんは不思議そうに首を傾げていた。
完全になくなった訳ではないが当初よりも俺に対する警戒度は下がっている様だ。
地面に正座し、ぱっちりと開かれた瞳に疑問や好奇心の色を加えて俺を見詰めていた。
その表情は、俺が『やっぱり殺そうか』などと考えているとは微塵も思っていなさそうだ。
まあ、俺だって考えただけで本気で殺そうとは思っていない。
あそこで白井さんを助けるために動いたのは俺の意志だ。自分で助けておいて、やっぱり面倒だから殺すなどと、そんなふざけたことをするつもりはない。俺は帝国の奴らの様に理不尽な存在になりたくはないのだ。
それに……あそこで白井さんを見捨てていたら、俺は完全に心まで魔物に堕ちてしまう気がした。変わってしまったとしても、僅かにでも人の心が残っているのだとしたら俺はそれを守りたかったし、唯達に顔向け出来なくなる様なことはしたくなかった。
俺は深く息を吐き出し、顔を上げる。
いつまでも考え込んでいても答えは出ない。俺のことは一先ず置いておいて、先に白井さんの話を聞こう。
「放っておいて悪かったな」
「っ! い、いえ……」
「それでなんだが……俺のことを話す前に先に質問に答えてもらいたい」
「は、はい。何でしょう?」
さて、最初に聞くことはやはりあれだろう。
「白井さんは日本人なんだよな?」
「! は、はい。確かに私は日本人ですが……あの、何故それを……?」
やはりな……。
俺が日本人のことを知っている理由を物凄く聞きたそうにしているがその説明は後回しだ。
俺は手を上げて白井さんを制する。
「悪いがその話は後だ。俺の質問が終わってからにしてくれ」
「あ……すみません」
肩を落として見るからにしょんぼりしてしまった。可愛そうだが、ここは諦めてもらうしかない。
俺は次に気になっていたことを思い浮かべる。
それは、『どうして日本人である彼女がこの世界にいるのか?』ということ。
俺は彼女が日本人だと確信した時からどうしてもそのことが引っかかっていた。
俺が召喚された時に一緒だったのは同じクラスにいた連中だけ。間違っても白井さんや、彼女と一緒にいた男達はいなかった。
なら、俺がいなくなった後に帝国がまた勇者召喚をしたのだろうか?
これは考えにくい。
白井さん達を最初に見た時も思ったが、もし帝国の仕業だとしたら白井さん達の近くに監視役の帝国兵が必ずいるはずだ。そして、何よりも――
「? あの、どうかしましたか……?」
俺は、白井さんの白くほっそりとした、何にも覆われていない首をジッと見詰める。
そこには、帝国が彼女を召喚したなら確実にある物――かつての俺や唯達の様に、帝国によって強制的に装着させられているはずの奴隷の首輪が存在しなかった。
それこそが、俺が彼女を召喚したのが帝国ではないと結論付けた理由だ。
だが、だとするなら白井さんは一体どうやってこの世界に来たのか?
……まあ、それも直接聞けばわかることだ。
「それで、白井さんはどうやってこの世界に来たんだ……?」
「えっと……」
白井さんはそこで言葉に詰まり、言っていいものか僅かに逡巡した様だが、意を決した様に表情を真剣な物に変えて口を開く。
そして、その内容に俺は少なくない衝撃を受けることとなった。
「私は一週間前、エスタシア王国に勇者として召喚された者の一人です」
(王国の勇者だと……?)
一応何を言われてもいい様に心の準備はしていたつもりだったが……話された理由は容易に俺が用意した防壁を突破し精神に衝撃を与えて来た。
まさか俺達の他にも勇者として召喚された日本人がいるとは思わなかった……。
驚きに目を見開いて暫し固まってしまったが……考えてみればあり得ない話ではない。
帝国が勇者召喚の方法を知っているなら、この世界に存在する他の国々だってその方法を知っている可能性は充分あり得る。別に帝国だけの特権という訳ではないということか。
白井さんがどうやってこの世界に来たのかはわかった。なら、次に問題になるのは王国が勇者を召喚した理由なのだが……こっちについては白井さんが勇者として召喚されたと聞いた時点で想像は付いた。
だが、違う可能性もある。念の為聞いた方がいいだろう。
「……白井さん達は何で勇者として召喚されたんだ?」
「えっと……王国の方たちが言うには近々帝国との間で戦争が起こるらしくて……その戦争で王国を守るために勇者として手を貸して欲しいとお願いされて……」
「……っ」
やはりか……!
思わず舌打ちが出そうになったがギリギリ抑えることが出来た。
白井さんの話に嘘はないだろう。帝国が召喚した勇者に対抗するために王国も勇者を召喚したというなら納得出来る。だが――
(どいつもこいつも俺達を利用しやがって……!)
帝国以外にも勇者を戦争に利用しようとしている国があると知って、全身から抑えようのない怒気が溢れて来た。
「っ⁈ あ、あの……」
「っ」
いかんいかん。白井さんを怯えさせてしまった。
彼女に対して怒った訳ではないんだが……俺の見た目で怒気を撒き散らしていたら自分に向けられた訳じゃなくても女の子だったら普通ビビるよな。
「……すまん。とにかく白井さんがこの世界に来た方法と理由はわかった。つまり、王国の兵士の代わりに戦争に参加させるため森でレベル上げをさせられてたってことか?」
「えっと……させられてると言いますか……まあ、確かにここにはレベル上げに来ていました」
どうも歯切れが悪いが……まあいい。それよりも――
「何で白井さんは奴隷の首輪をしていないんだ?」
「へ?」
「ん?」
何だ? 何故ポカンとした顔で俺の顔を見ているんだ? ……何か変なこと言ったか?
戦争に参加させるために召喚されたのなら、命令を聞かせるために奴隷の首輪を着けられていないのは変だと思ったのだが……。
首を傾げている俺のことを、白井さんは何を言われたのかわからないといった表情で見ていた。
「えっと……奴隷の首輪? って、何のことでしょう?」
「いや、何のことかって言われても……それがないと白井さん達に命令出来ないだろう?」
「? 誰がですか?」
「そりゃあ……王国の奴らだろ?」
「どうして王国の人達が私に命令するんですか?」
何だ? 何かさっきから話が噛み合ってない気がするが……。
おかしなことは言ってないよな? 命令するには奴隷の首輪がないと……いや、ちょっと待て……確か白井さん、さっき王国に手を貸して欲しいとお願いされたって言ったか……?
「……なあ、白井さん達は王国でどういう扱いをされてるんだ?」
「私達ですか? そうですね――」
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「……なん、だと」
白井さんに王国で召喚された後の話しを聞いた俺は、王国と帝国で天と地程の差がある勇者の扱いに心の中で号泣した。
何より大きいのは、王国は帝国の様に勇者を奴隷扱いしないことだろう。
白井さんの話では、いきなり召喚されて戸惑っている白井さん達に対してエスタシア王国の国王はまず、勝手に召喚したことを自ら頭を下げて深く謝罪したらしい。その後、白井さん達が落ち着いたのを見計らって彼女達をこの世界に召喚した方法と理由を話した。その時に、戦争に参加して帝国から王国を守って欲しいとお願いされたそうなのだが、国王は決して白井さん達に戦争参加を強要しなかったそうだ。戦うのが嫌だと言う人には戦争が終わるまで王城にて手厚くもてなすことを約束してくれたらしい。戦争がはじまるまでの衣食住は勿論のこと、戦争に参加する者達には城に保管されている一級品の武器や防具、アイテムの支給。さらに、ステータスを上げるための訓練や魔物討伐のサポート等々。しかも、戦争に勝利すれば可能な限り一人一人が望む報酬を出すとのことだ。
そこまでの話ですら帝国の所業を知っている俺に取っては驚愕の連続だったのだが、その直後に聞いた内容はそれ以前に受けた衝撃など紙っぺらの様に吹き飛ばす程重要な物だった。
その内容とは、戦争終了後に勇者を元の世界に帰還させるための方法。
国王の話では、勇者が元の世界に帰還するための送還魔法が記された資料がこの世界には存在しているらしい。ただ、問題はその資料が魔人領にしかないということなので、戦争が終了し次第、王国の騎士団が魔人領にいる魔人族と交渉して、その送還魔法が記された資料を貸してもらおうと考えているそうだ。
その話を聞いた俺は、一瞬だけ歓喜し――直後に悲嘆した。
(は、ははっ……。俺は馬鹿か……)
俺は視線を下げて、そこにある自分の体を見下ろす。
(こんな体で元の世界に帰れる訳がないだろう……)
俺は魔物となった自分の体を眺めながら、帰還する方法があると聞いて一瞬でも喜んだ己に舌打ちしたい思いだった。
自分でも呆れてしまう。俺の様な異形の存在が元の世界に帰った所でどこにも居場所はないというのに。
元の世界に帰還した所で世間どころか家族からも化け物として恐怖された後、どこかの実験施設にでも隔離されて研究対象にでもされるのかもしれない。
最悪、帰還してすぐに警察か自衛隊にでも射殺されるか……。どちらにしろ、俺はもう向こうではまともに生きていけないということだ。
いや……元の世界だけじゃないな。こっちの世界でも同じだ。
この世界に存在する魔物は総じて人類の敵。ならば、俺も人々の中で今までの様な普通の生活を営むことは出来なくなる。騎士や兵士に目を付けられない様に、森や山の奥深くで一人でひっそりと暮らしながら寿命が尽きるのを待つしかない。
そして、その未来が訪れるのは俺だけ……。唯達は違う。
あいつらなら元の世界へ帰ってもかつての様な日常に戻ることが出来る。こっちの世界で手にした力がどうなるのかはわからないし、向こうでは行方不明扱いになっているだろうからすぐに元の生活に戻れるかはわからないが、それでも時が経てば解決することだ。
帰還する方法があると知ってそれを手に入れた時、きっとあいつらは元の世界に帰ることを選ぶ。
当たり前だ。いきなり召喚された上に奴隷にされて、挙句の果てには戦争に参加させるために魔物と戦わせられているんだ。こんな碌な思い出のない世界に残りたいと考えるはずがない。
例え俺が残ってくれと頼んだところで首を縦に振るとは思えない。それどころか――
――俺の姿を見た唯達は今まで通り接してくれるのか?
ずっと考えない様にしていた。例え脳裏に浮かびかけてもすぐに首を振って追い払っていた疑念。
だが、白井さんの話を聞き、唯達との別れの可能性が出て来たことでついに直視してしまった。
唯達と再会した時に今まで向けられていた親愛が、笑顔が……もし、侮蔑へと変わったら――
「っ……⁈」
ただ想像しただけだというのに、デミットに殺されそうになった時やポイズンスライム、オーガと相対した時の恐怖など比較にならない絶望に全身が満たされた。
思わず呼吸が乱れかける。だが、目の前には白井さんがいる。無様な姿を晒したくはない。
俺は目を閉じてゆっくり呼吸を繰り返し、不自然にならない様に息を整える。
そのまま己の中に沸いた絶望を打ち消す様に、かつて心に刻んだ決意を確認する。
(どうせ、いつかは向かい合わなければならないことだったんだ……)
帝国から唯達を助け出す決意は変わらない。そのために何でもすると誓い、魔物の身に堕ちたのは自分で選んだことだ。
(それに――)
俺はこの世界に来て三度死にかけた。だが、その度に生き残れたのはあいつらの御蔭だ。
一回目はデミットに殺されそうになった時。
誠と鈴音が奴隷の首輪の激痛に耐えながら俺の救出に来てくれた。その御蔭で傷を塞いで出血を止め、激流に呑み込まれながらも生き永らえた。
二回目はポイズンスライムとの戦闘。
帝城の倉庫で俺に調合させておきながら全て没収されたアイテムを、雪は暗殺者のスキルを活かして回復薬と解毒薬を保管庫からくすねて来てくれた。その御蔭でポイズンスライムを倒すことが出来た。
そして、三回目。
毒に犯されて諦めかけていた俺に活力を与え、人の存在から外れる恐怖を振り払ってくれたのは、今も俺の手首を飾る唯に贈られたミサンガ。
俺を見た唯達がどう思うかなんて関係ない。そんなことは再会した時に考えればいいことだ。
そして、俺が受けた恩は何としても返さなければならない。
そのために帝国から解放し、半ば諦めかけていた元の世界へ戻るための手掛かりとなる情報を持って唯達の元に戻ればきっと喜んでくれるだろう。
俺は閉じていた目をスッと開け、心の中に生まれかけた揺らぎが収まったことを確認する。
こんなことで悩まされるのは煩わしくもあるが、少し嬉しくもあった。悩み、悲しみ、怖いと思えるのは、まだ俺の心だけは完全に魔物に堕ちてはいないということなのだから。
「あのう……?」
一人で考え込んで放置してしまっていた白井さんがおずおずと話しかけて来た。
いかんいかん、そろそろ話を進めなければ。
多少すっきりした頭で考えられる様にはなった。だが、その御蔭で一つ懸念も生まれた。
「……その送還魔法の話は信用出来るのか?」
俺は白井さんの話を聞いた後、王国が魔人領に送還魔法を手に入れるために赴くと言うのは建前で、本来の目的は魔人領を侵略しようとしているのではないかと疑念が浮かんだ。
俺達を召喚した帝国は確か王国に戦争で勝利したら魔人領に攻め込むと言っていた。ならば、王国も帝国と同じ様に交渉に行くと言いながら白井さん達を利用して魔人領に攻め込むつもりかもしれない。今白井さん達に友好的な態度を取っているのは王国に対して油断させ、重要な場面で王国のために利用して切り捨てるためなのでは? そう思って聞いてみたのだが。
「いえ、おそらくそれはないと思いますけど……。魔人領に赴く際には、交渉が決裂すると危険かもしれないから私達は王国で待っていて欲しいと言われていますから」
「……そうか」
……どうやら、本当に王国は勇者を利用するつもりはない様だ。まあ、利用するにしても帝国の様に奴隷の首輪もなければ強力な力を持つ勇者を御することなど早々出来ないか。白井さんが身に付けていない時点でその心配はなかったのかもしれない。
はあ……どうもこの世界に来て最初に帝国を見たせいか疑り深くなってるな。
「そうか……それなら大丈夫そうだな。王国の奴らが善人でよかったな」
まあ、勝手に召喚した時点で問題なんだが、それは王国も悪いと思ってるみたいだしな。帝国のクソ共に比べたら百倍マシだ。
「はい。何だか私達の方が王国の人達に対して申し訳ない位です……」
「ん? 何でだ?」
何が申し訳ないのだろうか? 確かに白井さん達は高待遇で受け入れられているが、そんなのは召喚した理由を考えれば当たり前だし、むしろ足りないと思う。被害者には変わらないと思うが……。
白井さんは俯いて暗い表情になりながら話し出した。
「その……私の他にも一緒に召喚された人達はいるのですが、その人達が王国の状況と自分達の立場を利用して好き勝手な振る舞いをしているんです」
「……マジか?」
「はい……」
白井さんは元の世界では公立高校の二年生だったらしく、彼女の話では王国に召喚されたのは同じ学校のクラスメイト達らしい。てっきり年下かと思ってたけどまさか年上だったとは……。まあ、それは今は置いておくか。
学校名を聞いたが俺の知らない名前だったので別の県にあるのかもしれない。でだ……問題はその学校が県内有数の不良校らしく、素行の悪さや暴力事件の件数では県内一ということだ。
元の世界でも平気で他人を傷つけ好き勝手に振る舞う様な奴らが弱みを抱える王国に召喚され、さらには元の世界ではあり得ない超常的な力を得てしまったら……最悪の一言に尽きるだろう。
不良にとっては面倒でしかない学校に行く必要がなくなった彼らは、召喚された次の日から惰眠に暴食、さらに城内の金庫に保管されている金銀宝石などの財産を漁って勝手に自分の物にし、戦争に参加すると言いながら訓練の時間になってもサボり、王都をふらついては事件を起こしているそうだ。
最近では城に住んでいる王女や勤めているメイドに手を出そうとした輩がいて、間一髪防ぐことはできたものの、危険と判断した国王が城内には男性の使用人だけを残して、王女や王妃、メイドを全員城外へ避難させたらしい。
「……」
召喚された者達のあまりのゲスっぷりに俺は開いた口が塞がらなかった。
白井さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。
王国にとってはとんだ災難だろう。国を救ってもらうために召喚したはずの勇者が逆に国を荒しているんだからな。
「だが……そこまで勇者がクズだったなら王国はそいつらを追放するなり処分するなりすればいいじゃないか? 何故それをしない? 勇者がいなければ戦争に勝つことが難しいとはいえ、このままじゃ戦争が始まる前に内側から国を破壊されるんじゃないか?」
勇者と言えど最初は一般兵並みのステータスしかないのだ。王国にいる騎士とやらが総出で取り押さえにかかればそう難しいことではないだろう。
「それは……確かにそう進言した方達もいたんですが……」
白井さんは悩まし気な表情になり、溜息を吐いて続ける。
「……国王様が『先に自分達の都合で勇者を異界から召喚したのは我々だ。だと言うのに、期待していた者達と違ったからと言って今度は処分するなど許されることではない!』と……」
「……」
どうやら道理から外れたことを随分と嫌う人の様だ……。
平時なら国民にとっても素晴らしい国王なんだろうが、今の王国の状況を考えると……言っちゃ悪いがその真っ直ぐな人柄は迷惑でしかないな。
まあ、一度人の道理を曲げてまで勇者を召喚してることによる後ろめたさもあるんだろうが……帝国とは違って最低限の誠意は見せている訳だし、それでも好き勝手に国を荒し回っている奴らになら、なりふり構っている場合じゃないと思うがな。
俺達の場合は召喚された国がクズだったが王国の場合は召喚した勇者がクズだったということか……。
これで召喚する方かされる方、どちらかが逆になっていれば上手くいったかもしれないが……。
まあ、何を言っても変えられないことか。
ところで、気になったんだが……。
「白井さんは何でそんな不良校に通っていたんだ?」
「えっと、それは……」
「……嫌だったら別に言わなくてもいいぞ?」
「……いえ、大丈夫です」
大丈夫と言いながらも白井さんは若干言い難そうに話し出した。
「私の両親は三年前に交通事故で死んでしまって、それ以来叔父の家にお世話になっているのですが……その、何と言うか、生活費や学費で家計を圧迫している私は叔父にとって厄介者でしかない様で……。私もそう思われているのはわかっていたので、なるべく学費がかからない学校に行こうと思って……」
「それで今の学校にと……」
「はい……。あっ! でも、今の学校は家から近いですし、いいこともあるんですよ!」
話を聞いた俺が同情的な視線を送っているのに気付き、慌てて笑顔を浮かべて取り繕っている。
行きたくもない学校に行くことになった上に異世界の勇者召喚に巻き込まれるとは……不憫過ぎる上に無理やり浮かべている笑顔が痛々しくて見てられん。
聞かなきゃよかったか……。
「それに……きっと、私が行方不明になったことで叔父は厄介者が消えたって喜んでいると思います……。私としてもあの家は正直息苦しかったので、この世界に召喚されたのは結果的に良かったんだと思います」
そう言って、白井さんは眉を八の字にしながらどこか儚い笑みを浮かべた。
ここで「そんなことない。きっと叔父さんも悲しんでる!」なんて知った様な口を言っても迷惑にしかならないんだろうな……。それどころか怒らせるかもしれん。
まあ、本人がこれで良かったと言うなら俺が口を挟むことじゃないか。
さて、話を戻すか。……余計な質問をして脱線させたのは俺だけどな。
「それで、話を戻すが……」
「はい」
「ここにはレベル上げに来ていたということだったが……何でこんな所まで来ているんだ?」
「? こんな所までと言うと?」
「いや、だってここは帝国領だろう? なんで王国に召喚された勇者がわざわざ国境を超えてレベル上げに来てるんだよ?」
「帝国領? えっと、ここは王国領のはずですが……?」
「は?」
何だかさっきもこんな風に話が噛み合わないことがあった気がするが……。俺の質問に頭に疑問符を浮かべた白井さんが持ってた地図を取り出して俺に見せてくれた。それを見て俺の今いる位置を確かめてみると――
「うそん……」
確かにここは王国領だった。
どうやら俺が落ちた川は国境を跨いで王国側にも流れていたらしく、俺は流されているうちにいつの間にか王国領に来ていた様だ。
てか、どんだけ流されてんだよ俺。よく溺死せずに済んだな……。
他にも、よく地図を見てみるとどうやらここは森の出口付近だということがわかった。白井さんを見付けた位置からなら、おそらく歩いて一日もかからずに森から脱出出来るだろう。
さらに、森の前に伸びた街道を行けば、歩きだと何日掛かるかわからないがこの国の王都がある。白井さん達はそこから馬車に乗って森に来たそうだ。
地図を見た限りでは王都周辺は街や村が点在している。それぞれの街や村に繋がる街道は定期的に騎士が巡回して被害が出ない様に周辺の魔物を討伐しているそうだ。そのため、白井さん達は王都から離れたこの森まで来たのだろう。
「しかし……よく他の勇者達を説得してここまで連れて来れたな」
話を聞いた限りではわざわざ王都から離れてこんな森まで来るような奴らには思えないんだが……。
「えっと……確かに最初はみんな面倒臭がっていたんですけど、王国の騎士団長のグラハムさんという方が条件を出したんです」
「条件?」
「はい。グラハムさん一人と召喚された勇者全員で決闘をして、もしグラハムさんが負けたら今後どんな行動をしても文句は言わない。代わりに、もし勇者全員が負けたら訓練に参加してもらうと……」
すげえ度胸だな、その騎士団長……。召喚された当初はまだステータスも低いとはいえ、勇者全員を一人で相手にしようとするとは。
「……それで、勇者は受けたのか?」
「はい……。結果はグラハムさんの圧勝でした。それで、条件通り全員でこの森に来て魔物を相手にした訓練をしてたんです」
「白井さんも決闘に参加したのか?」
「いえ、私はしてません。私は王城での訓練にも参加していましたし、ここでの訓練にも最初から参加するつもりでしたから」
「最初から訓練に参加してたのは白井さんだけか?」
「はい」
成程。どうやら王国に召喚された勇者でまともなのは白井さんだけの様だ。
「そうか。じゃあ森で一緒に――」
そこまで言いかけて口を閉じた。そう言えば森で白井さんと一緒に行動してた男達はおれが全員殺してたんだった……。
聞いておいた方がいいよな……。
「なあ、白井さん」
「何ですか?」
「俺が殺した男達のことなんだが……」
「……」
「……俺を恨んでいるか?」
俺の質問を受けた白井さんは最初キョトンとして、次に僅かに眉を寄せて困った様な表情になった後、苦笑して俺の方を見た。
「いえ、恨んではいません。薄情な女だと思われるかもしれませんが、彼らとは学校でも殆ど話したことはありませんし、あの場にいたのもグラハムさんの指示に従って魔物を狩るのに不満を持った彼らに無理やり連れ出されたからなんです。それに……」
そこで白井さんは自分の体に腕を回してギュッと抱きしめると――
「私を襲おうとした彼らに同情する気はありません」
きっぱりと言い放った。
大丈夫だろうとは思っていたが、それを聞いて俺は安心した。
「そうか……ありがとう」
「ふふっ、お礼を言うのは私の方です」
白井さんは姿勢を正すと、俺に向かって深く頭を下げた。
「先程は助けて頂いてありがとうございました」
こっちの世界に来てから碌なことがなかったせいか、俺は不覚にも白井さんの感謝の言葉にジーンと来てしまった。
「あのう……いいでしょうか?」
俺が感動に打ち震えていると白井さんが遠慮がちに話しかけて来た。
「ああ、悪い。何だ?」
「ずっと気になってたんですけど……あなたは何者なんでしょうか?」
「……」
「最初は魔物なのかなと思ったんですが、普通に言葉も喋っていますし……何故か日本や学校のことも知っているので……」
……あまりにも会話が自然に進んでいたせいか、白井さんに聞かれるまで自分の正体を話していないことを忘れてた。
確かに、白井さんからしたら魔物みたいな姿をしてる俺が日本のことを知ってたら気になってしょうがないか。
さっきから俺ばかり質問していたし、今度は俺のことについて話すのが筋ってもんだよな。
問題は最初に悩んでいた『俺のことをどこまで話すか』だが……。
今までの白井さんの話にはおそらく嘘はないだろう。
帝国で聞いた話と両国の状況から考えて白井さんの話の辻褄は合う。
まあ、俺に逆らったらどうなるかわからないからってのもあるかもしれんが……魔物の姿をした得体の知れない男に礼を言う様な子だ。それに、ここまで素直に話してくれた彼女になら俺のことも話していいだろう。
だが、素直に俺も日本人なんですって言って信じてもらえるか? 俺の容姿でそんなことを言われても『何言ってんだこいつ?』ってなるだろ。
でも、それを言わなきゃ話にならんしな……。
いや、まて……。そうだ、ステータスがあるじゃないか! 名前も載ってるし、それを見せれば信じてもらいやすくなるはずだ。
そう考えた俺は早速ステータスを開いた。
「えっ⁈」
俺の前にステータス画面が開いた瞬間、白井さんが驚愕の声を上げた。まあ、普通の魔物だったらステータスなんて開けないだろうからな。
俺は開いたステータスが白井さんに見える様に移動する。
「名前の所を見てくれ」
「名前? えっと……霧島、雄二……えっ?」
白井さんは目と口をまん丸に開いて固まってしまった。うん、普通そういう反応になるよな。
「あ、あああの、こ、これは……?」
「まあ……見ての通り俺も日本人なんだわ」
「……」
目を擦って俺とステータスの表示を見直しても何も変わらないぞ?
「ええと、信じてもらえたか?」
俺が聞いても白井さんは暫くの間何かを思い出す様に視線を宙に彷徨わせたり、目を閉じて頭を押さえながらうんうん唸っていた。
そんな感じで数分が過ぎた頃――
「……本当に私と同じ日本人なんですね?」
「ああ」
俺は念の為に元の世界にしかない物の名前をこれでもかという程挙げて、白井さんに信じてもらうことが出来た。
「確かに国王様から帝国も勇者を召喚したという話は聞きましたけど……あの、失礼ですが、何で魔物の姿をしているんですか……?」
(まあ、そこは疑問に思うよな……)
あまり他人に話したいことではないが……俺だけ肝心な部分は全部だんまりというのも白井さんに失礼だろう。
俺は白井さんに帝国に召喚された日のことから順に話していった。
次回は土曜か日曜に投稿します!