第一話 ボードゲームの決勝今日だけど昨日寝てねぇから辛いわ
「俺は姫騎士をIの2へ」
俺が言うと、盤上の駒がひとりでに動き出す。
「……ボクは、剣士をCの6だ」
「では俺は、Iの1に姫騎士を戻す」
フェアリーナイト。
既存の将棋やチェスとは違い、取っ掛かりやすさと派手さを売りにした戦略ボードゲームである。
十年前に大流行を起こし、今ではプロの試合だけではなく、芸能人同士が喋りながら対戦するTV番組なんかが週に二回は必ず放送されている。
今日は電脳学校ヴァーチャルスクールのフェアリーナイト大会、その決勝戦である。
全校生徒3000人の中から選ばれた、フェアリーナイト名手500人が参加者である。
とはいっても、直接顔を合わせて対戦するわけではない。
スマートフォンを用いて電脳仮想空間に意識を飛ばし、そこで勝負を行っている。
VRという奴だ。俺の本体は自宅にある。
しかし、さすが決勝戦だ。
準決勝とは違い、ほぼ生徒全員が観戦に来ている。
いや、対戦相手のカリスマ生徒会長ちゃん、円頓寺円のおかげでもあるのかな。
もっともクールが売りな彼女は、らしくなく青筋を立てて俺を睨んでいるわけだが。
「俺は、姫騎士をIの2へ」
「ボクを馬鹿にしているのかっ!」
俺が連続5周目の姫騎士往復を宣言したとき、円頓寺が叫んだ。
それと共に、今まで堪えていた観客からもブーイングが飛ぶ。
俺は序盤に剣士や道化を犠牲にし、奴隷商人で相手の盾士を奪っていた。
奴隷商人は弱いが、倒した相手を自軍の駒として使うことができる。
常識的に考えれば盾士を得ても剣士と道化を失えば大幅の損失だ。
だから円頓寺も、最初は勝利を確信して爽やかな笑みを浮かべながら俺を小馬鹿にしてきていた。
だが、俺の作戦は最初から盾士にあった。
強引に盾士を得て、相手の慢心を突いて銃士を潰す。
それから攻撃を放棄し、得た盾士と元からいた盾士の二枚を自陣の中心に添え、他の駒もすべて守りに回す。
盾士の横に奴隷商人を配置することで、無理矢理攻めに来た相手の駒を取り、自軍の守りに回すという強力な半ループ防御に持ち込める。
そして後は戦況に影響が出ない位置にいる姫騎士を行ったり来たりさせる。
これがフェアリーナイト史上最低の戦法、甲羅の陣である。
「キミはっ! 序盤で強い駒を取られたからヤケになっているんだろうっ! ふざけるなっ! 真面目に勝負しろ!」
「おいおい、対戦相手への暴言はルール違反だろう。俺はそんな勝ち方はしたくないぞ」
「ボクを馬鹿にしやがって! キミの狙いはわかっているぞ! 自分のミスを帳消しにするため、千日手に持ち込むつもりだろう! このクズが!」
千日手とは、互いの手が数周ループして進展がないと判断されたとき、その勝負を引き分けとして後日仕切り直すルールである。
クズだと? 失敬な奴め。
こっちは失敗を誤魔化すために仕方なくこの戦法を取ったわけではなく、最初から甲羅の陣を作るためにわざと剣士と道化をくれてやっただけだというのに。
ああ、それだと余計酷いか。
「お前はなぜだか今、冷静ではないようだからな。このままではあっさり勝ってしまう。それでは興醒めだから、千日手にしてやろうという俺からの優しい提案だ。さあ、お前も姫騎士を行ったり来たりさせればいい」
「今日こそキミに辛酸を舐めさせてやると、お父様にも言ってきたんだ! ぶっ潰してやる!」
「相変わらずのファザコンだな。お前のファンが泣くぞ」
「誰がファザコンだぁっ!」
さて俺も余裕ぶってはいるが、あまり状況はよくない。
円頓寺は甲羅の陣と戦った経験などないはずなのに、一転突破でこっちの守りを崩す陣形へと切り替えている。
正しい。これが甲羅の陣を崩すほぼ唯一の方法だ。
さすがは100年に一人の天才といわれる円頓寺だけはある。
普通に戦っていれば、俺はあっさりと負けていただろう。
これだけ煽ったから多少はミスをしてくれるかと思ったのだが、怒りこそすれど彼女の手は冷静そのものだ。
仕方ない、ストラテジー3に移行だ。
円頓寺の知力と真っ向から戦ってはいけない。一気に攻め滅ぼされる。
「銃士をDの4へ」
俺は久々に姫騎士以外の駒を触る。
攻め特化の円頓寺の陣形を牽制するための銃士。
「……そう来ると思ってたよ。でも、そんなのただの時間稼ぎにしかならない。ボクは魔術師をCの5だ!」
円頓寺の言う通りだ。
俺がここに銃士を置いても、円頓寺の陣形完成がほんの少し遠のくだけだ。
これを足掛かりに攻めに転じる気もない。
「銃士をEの2へ」
俺は前に出した銃士をすぐ守りに引っ込める。
「馬鹿にしやがって!」
円頓寺が吠える。
そのまま勝負はぐだぐたと続いた。
攻めると見せかけてすぐ守りに入る特に意味のないチラチラ攻撃のお蔭で引き延ばせはできたが、ついに俺の甲羅の陣に亀裂が入る。
円頓寺の道化により、守りの要である盾士の片割れが無力化されたのだ。
一枚欠ければ、そこからの崩壊は早い。もう長くは持たないだろう。
「へ、へへ……ようやく、キミを追い詰めたよ」
「ああ、ようやくこっちもお前を追い詰めた」
持ち時間は決勝戦ということもあり、互いに30分ずつ与えられていた。
しかしこっちは思考を放棄した千日手上等の姫騎士上下、対する円頓寺は戦い慣れていない陣形を相手に試行錯誤しながらの攻撃だ。
この差は大きい。
また対戦回数が多く、学生の試合であるため、決勝以外の持ち時間はたったの15分だった。
普通はそれで決着がつく。
だから円頓寺も、今まで待ち時間をさほど気にしては戦っていなかっただろう。
重ねて決勝戦では急に待ち時間が倍になるのだから、そりゃあ油断もする。
更に俺は、ちょっとでも円頓寺の打つ手が遅くなるよう、彼女を必要以上に煽っていた。
結果、俺の持ち時間はまだ4分残っているのに対し、円頓寺の残り時間は30秒だ。
「30秒あったら、キミなんて充分だ! 銃士、Bの3へ!」
円頓寺が一気に攻めてくる。
彼女の目が輝いていた。獲物を追い詰めたと確信した狩人の目、そのものだ。
興奮してアドレナリンが出ている。
これはちょっと、まずいかもしれないな。ストラテジー8だ。
興奮してくれるのは結構だが、集中力の高まった円頓寺は知能の怪物だ。
「ふー」
俺は溜め息を吐き、椅子に凭れて天井を見る。
「どうした、次はキミだ!」
「いや、退屈で眠くなってきてな。ちょっとお前が必死過ぎて可哀相だから、俺の待ち時間を一分くれてやる」
「はああぁっ!?」
「嬉しいだろう?」
「はぁぁぁあああ!?」
相手の集中力を一気に削ぎ落とす。
別にこっちの4分がちょっと減ろうと痛くも痒くもない。
ぐーっと俺は伸びをする。
「昨日寝てなかったから、辛いな」
ぼそっと、俺は円頓寺に聞こえるか聞こえないか程度の声で言う。
目を見開き、歯軋りしながら円頓寺は俺を睨む。
1分が経過しても俺はそのまま天井を眺め続け、1分30秒後に思い出したように前を見て、机上の時間計を確認する。
「おいおい、30秒過ぎてるじゃないか。どうして言ってくれなかったんだ、姑息な奴め。そこまでして勝ちたいか。お前は本当に負けず嫌いだなぁ」
きっちり頭で測ってはいたが、あえて円頓寺を非難する。
「いい加減にしろぉっ!」
これで円頓寺の集中力は完全に瓦解した。
時間はくれてやったので俺を詰める算段は頭にあるはずだが、それを使わせてやりはしない。
「さて、俺はFの6に銃士、チェック」
ここに来て俺は攻める。
「……え? な、なら、ボクは王をDの8」
俺が守りで逃げ切るつもりだと踏んでいた円頓寺は、怪訝そうに顔を顰めながら俺の銃士を避ける。
その様を見て、俺は勝利を確信する。
この反応、円頓寺は、この展開を予想できていなかったということだ。
本当にコイツは正統派の女だ。だからこそ、いつも俺に及ばず負けるのだろうが。
「魔術師、Hの7でチェック」
俺の甲羅の陣は、ただの甲羅の陣ではない。
相手が一転突破陣形に切り替えたとき、連続で相手にチェックを掛けられるよう俺なりに改造したものだ。
それでトドメを刺せるわけではないが、集中力の切れた円頓寺に素早い対処はできまい。
ましてや、さっきまで攻め方ばかりを必死に考えていた彼女だ。
俺の連続チェックを避け切った後、円頓寺の残り時間は5秒だった。
「ああ、俺の駒はほとんど取られてしまった! 俺の負けかもしれないなこれは」
わざとらしく俺が言ってやると、円頓寺は机をぶっ叩いた。
ここはフェアリーナイトを公正に行うための仮想空間なのでそれで駒が乱れはしないが、苛立ちは十分に伝わってくる。
「早くしろぉっ! 早く、早く次を打てぇっ!」
「ちょっと待て。これではお前が可哀相だから、特別に後1分待ってやろうかと……」
「いるかぁっ!」
「仕方ない。打てるところもあまりないし、姫騎士をIの1に戻すか」
「がぁぁぁぁあっ!」
ヴァーチャルスクール、フェアリーナイト大会。
決勝戦においては前代未聞の時間切れによる決着で幕が降りた。
円頓寺は涎を垂らしながら、呆然としたように盤に頬をくっつけていた。
彼女の綺麗な黒髪が乱れ、盤上を覆い隠している。
そうとう悔しかったのだろう。
「はぁーはっはっはぁー! だから俺は仕切り直そうとあれほど言ったのに! これほど無様なことはないなぁ円頓寺!」
ブーイングの嵐の中、俺は笑いながらログアウトする。
後の結果発表やら賞品授与に興味はなかった。
負け犬円頓寺の憔悴した顔と、予想通りの展開にならず文句を喚き散らす馬鹿共の声を聞ければ十分だ。
調子に乗って舞い上がった馬鹿を、なるべく最低な手段で卑劣に貶める。
それが格上相手ならば尚格別!
これほど楽しいことはない。
「はぁーはっはっはぁー!」
自室に戻った俺はひとり笑う。
「はぁっはっはー…………はぁ」
俺はVRゴーグルを外して放り投げ、スマートフォンを操作し、ヴァーチャル学園のアプリを終了する。
「つまらない」
ぽつり、俺は呟く。
たまに、妙な空虚感に襲われる。
俺はいったい、何を求めているのだろうか。
楽しかったはずのさっきのフェアリーナイト大会も、色褪せたものに思えてくる。
その原因が何なのか、自分でもまるでわからない。
スマートフォンを弄っていると、クラスメイト達から嫌がらせメッセージが山ほど届いていた。
クラスメイトとはいえ授業も仮想空間で行うため、直接顔を合わせたことのある相手はいないのだが。
『死ね』『ふざけるな』
『生徒会長に土下座しろ』
『普通に戦ってたらまどかちゃんが勝ってた』
『卑怯もの』『マジで死ね』
一番頭の悪そうな奴に返信してからかってやろうかと思ったが、文章を途中まで打って消した。
なんとなく、今日は気分が乗らなかった。
『優勝おめでとう! みんなは色々言ってたけど、私はすっごく楽しかったよ!』
ひとつだけ、妙に肯定的なものがあった。
「嫌味パターンか。クラスメイトからにしては、珍しいな」
いつもは直接的な奴ばかりなのだが。
名前を見るが、特にどんな奴だったか思い出せない。クラスメイトのアバターなどほとんど覚えていない。
俺はスマートフォンを閉じ、ベッドに背を預ける。
そうして見知った部屋の天井を眺め、溜め息をひとつ漏らす。
何か俺の、この空虚感を埋めてくれるものはないだろうか。