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こどもの国

作者:

 教室の窓から見える、ひらひらと降る雪を眺めながら、高校3年生の私は独りよがりな憂さ晴らしをよく考えます。英語を学ぶ意味とか、学歴社会の正当性とか、日本の受験システムの非効率性とか、分かりもしないはずだけどそれは受験に対する悶々とした気持ちを解消するためのもので、きっと数年後には馬鹿らしいことだったと笑えるようなものだと思います。

 けれど私達には、今はどうしてもそれが無いといけないのだと思います。

「ねー年末暇?」

 私の前の席に、比奈が椅子をまたいでこちら向きにとんと座ります。小柄でショートカットの、そばかすが可愛らしい子です。

「暇だよ。英単語を覚えなきゃいけないの以外は」

「いやいや、それは佐上さんのセリフだよ」

「私だって受験生だもん」

「ゆっちそういうキャラじゃないって」

「まあ確かに」

「息抜きに街行こ! カラオケとかしたい」

「したいね。もうちょい誘っていろいろやろう」

「よっしゃー。佐上さん誘ってみよー。ばぁい」

「ばいばい」

 私は小さく手を振って、また窓の外に目を移します。たった今出来た年末の小さな幸せを御褒美に、今日の灰色の時間を乗り越えていける気がしていました。


***


 教室の窓から外を見る時、受験についてもさることながら、私はいつも夢のことを考えます。

 私には夢があって、漠然と私は幸せになりたいのです。

 子供の頃、私は魔法の国のお姫様になりたいと言っていたみたいです。大人たちが可愛いねと言っていたのは覚えていて、恨めしくはないけれど、いっそ笑い飛ばしてくれれば良かったのにと思います。その頃から人見知りで友達があまりできず、きっとそういった鬱屈を無意識に魔法の国に重ねていたのです。魔法の国がないことを知ると、私は一層魔法の国が恋しくなりました。魔法の国は、私を現実の棘から護ってくれる殻だったから。そのくせ現実の私はといえば一丁前にわがままで人を不快にさせ、学業もぱっとせずスポーツは苦手で、今や「ザ・普通の女子高生」の雲の下をぐらぐらと飛んでいる気がします。0.9を掛けていくと0に近づいていくような不安が、墜落する悪い想像を私に湧き起こさせるのです。そうすると、私はまた魔法の国に閉じこもりたい気持ちになるのです。

 周りの皆は制服のスカートをひらつかせながら口々に「幸せになるんだもん」と言っていて、私も「幸せになりたいね」と言ってみるのですが、きっと皆は幸せになる方法というのを本能的にわかっていて、私だけがどんどん幸せから遠ざかっているような気がするのです。

 だからこそ私は将来への不安を解消するために、現実と魔法の国とを行ったり来たりしなければならないのです。


***


 翌朝、学校の玄関で靴を履き替えているとちょうど比奈がやって来て私に声を掛けました。

「おっはー」

 比奈の口から白い息が出ます。玄関は外の空気が入ってきていて、手袋をしていても靴箱の金属の蓋が少し冷たいです。私はその蓋を開けながら言いました。

「おはよう。元気良いね、どしたの?」

「今日の星座占い3位だったのさ!」

「へー」

「あーそっか、ゆっち占い信じない人か」

「いやいや、そんなことないですけど」

「そんなことある言い方ですけどー」

「ないってば」

 私達は靴を履き替えて、教室に向かいます。

「そんなゆっちは今日1位でしたー」

「へー」

「実際ちょっと気になるでしょ?」

「うーん、あんまり」

「今まで気にしてなかったことを気にしてみよう。新たな発見があるかも!」

 比奈は裏声で言いました。朝のワイドショーで占いを読み上げる声にそっくりです。

「出た。誰にでも当てはまるカンジのアドヴァイス」

「信じなさい。さすれば救われる」

「なんだ、そのキリストのパチモンみたいなフレーズは」

「あはは。あ、そうだ佐上さん駄目だったわ。やっぱ勉強忙しいって」

「やっぱそっか」

「あと手塚さん誘ってみたけど断られた」

「えー、手塚誘ったの!?」

「うん」

「手塚はやめときなよ。私達のこと馬鹿にしてるもん」

「ゆっちいつもそれ言うけどそんな悪いひとかね?」

「あんたは鈍いんだよ。確かに愛想良いけど自分の成績を褒めてくれる人と一緒に悪口言うし」

「でもうちらも悪口ぐらい言うじゃん」

「そりゃそうだけど、手塚は人の評価を下げて自分を上げるから」

「そっか。やな奴なのか」

「やな奴だよ」

「じゃあ佐上さんは良いひとだ」

「うん、良いひとだ」

「ではさらばじゃ」

「うん、さらばじゃ」

 比奈は大きく手を振って、教室に入っていきます。私は比奈と組が違うので、小さく手を振り返してからその隣の教室に入っていきました。

 席に着いて、マフラーと手袋を外し、コートを椅子に掛けます。

 今まで気にしていなかったことを気にしてみよう。

 私は床を見てみました。教室の床は青みがかった灰色で、表面にワックスの層があるみたいです。シャーペンの芯が机に潰されてついた黒い跡や画鋲が刺さっただろう小さな丸いへこみがありました。

 なるほど、結構色んな発見があるものだ。私は天井を見てみました。天井には小さく丸い穴がたくさん空いていました。その穴のいくつかはほじくられていたり、消しゴムのかすが詰まっていたり、画鋲が刺さっていたりして、私はまるで天井を見る族の先人達がそこに居るような気分になりました。

 私は楽しくなってきて、教室の色んなものに気をつけてみました。机。よく探してみると、机の中の奥に「マリオを盗んだのは篠原」と書いてありました。黒板の上に、豆粒ほどの豚のキーホルダーが置いてありました。カレンダーがなぜかまだ11月のままでした。昨日男子が「俺の教科書がねえ」と騒いでいた英単語帳が、クラスの本棚にある「その時歴史が動いた」の中に混ざっていました。後で教えてあげよう。

 私は佐上さんを見てみました。長い黒髪で表情は見えませんが、黙々とシャーペンを走らせています。佐上さんが顔を上げました。その前には男子が居て、佐上さんと言葉を交わしています。

 ん? と私は思いました。その相手は隣の組の笠野という男子でした。背は高めで、端正な顔立ちをしています。私は二人の様子をじっと見ました。普段笠野が人と話すのを見たことなかったのと、笠野にはあまりいい噂がなかったからです。勉強はできるけどプライドが高い。王子様。人を見下している。といった感じです。

 笠野が柔らかく微笑むと、佐上さんも微笑み返しました。そうして笠野は教室から出ていきました。振鈴が鳴って、笠野と入れ代わりに担任が入ってきて、号令をかけました。

「はい、起立、礼」

 私は頭の中で微笑みあう二人を何度も再生しながら、立ち上がって小さく頭を下げました。


***


「なにー!? 笠野と佐上さんが付き合ってるだと!?」

「ちょっとマイクで言わないでよ」

「いいだろ誰も聞いていやしねー!」

「そういう問題じゃなくて!」

 私は比奈からカラオケのマイクを奪い取りました。

「だから、付き合ってたりしてね~って言っただけで、付き合ってるなんて言ってないじゃん」

「ゆっち必死ですな」

「そこははっきりしておきたいの」

「いずれにせよ、年明け佐上さんに突撃ですな。それじゃもう1曲入ーれよ」

「ちょっと私トイレ行ってくるわ」

「あいよー」

 私はカラオケボックスを出て、少しだけ静かな廊下に出ました。私はカラオケ店の廊下が好きでした。うるさくもないのに空気が賑やかで、不思議な感じがするのです。そんな皆の「楽しい」の最大公約数を足場にするように、私はゆっくりと廊下を歩いていきました。

 そしてトイレへ向かって角を曲がると、見たことのある顔がありました。

「あ」

 笠野でした。私は立ち止まって思わず声を漏らしてしまいましたが、笠野は無表情のまま、あっという間に私の横を通り過ぎて行きました。

 私は少しの間その場に立ち尽くしていましたが、思い直してトイレを済ませ、廊下の雰囲気を楽しむことも忘れてボックスに戻りました。

「こ~と~し~さーいーしょのぉ~ゆーきーのぉー」

「比奈、今笠野が居た」

「はーなをぉ~! え!? まじ!?」

「まじ! びっくりした」

「笠野カラオケすんのかよ! ヒトカラ?」

「知らない」

「探してこよう」

 比奈はマイクをどんと置きました。

「いいよ、やめなよ」

「だいじょぶだいじょぶ」

「気にしてたらかわいそうだよ」

「笠野はそんなヤワじゃないでしょ」

「ちょっと待ってって、比奈!」

 私は飛び出ていく比奈を追ってボックスから出ました。比奈は扉の窓から露骨にボックスの中を覗いていきます。私はちょっと距離を置いてすました顔をしながら比奈の後を歩いていきました。

 そしていくつか目の扉の前で、比奈は立ち止まりました。


***


 センター試験の日は生憎の天候でした。吹雪で電車もバスも遅れ、試験は数十分遅れで始まりました。私はというと予定通りに到着はしたものの試験を微妙に失敗し、満足と不満足を1対2ぐらいで両脇に抱えている気分のまま会場を後にしました。

 外はまだ吹雪いていました。私は白い溜息をついて、手袋とマフラーをつけ、フードを被り雪道を歩き始めました。それでも衣服の隙間から殴りつける風雪が私の頬を真っ赤に染め上げました。

 突然、肩をぽんぽんと叩かれて、私は振り返りました。

「おっす」


***


 喫茶店に着いて、私はフードをとり、手袋とマフラーを外しました。店内は暖かく、溜息をついても白くなりませんでした。それから肩や鞄にかかった雪を払って、案内された席に座りました。

 私の向かいには佐上さんがゆっくりと座りました。佐上さんはホットコーヒーを、私はアイスカフェラテを頼みました。

 先に口を開いたのは佐上さんでした。

「試験どうだった?」

「うん、イマイチ。マークずれちゃってたし」

「もう、何やってんの」

「ほんと。直しきれなかった」

「何で?」

「英語」

「もったいない。悠奈がんばってたのにね」

「がんばってないよ」

「がんばってたよ」

「そうかなあ……」

 私は机にだらりと頭を載せて、うめき声を上げました。ちょうど店員が飲み物を持ってきたので私は慌てて身体を起こしました。

 佐上さんはコーヒーにミルクを入れて、ひと啜りしてから言いました。

「この間、私カラオケに居たでしょ」

「え、気づいてたの」

 私もカフェラテを啜って、半月ほど前のそのことを思い返しました。比奈が見つけたボックスに、佐上さんと笠野が居ました。佐上さんは泣いていて、笠野は見られているのに気づくと、私達に言葉を交わすでもなくボックスを出ていったのです。私達は佐上さんに掛ける言葉を探ったけど、見つからなかったので自分たちのボックスに戻ってそのまましっとりとカラオケをしたのでした。

「いいや。笠野が言ってたんだよ」

「うわ、あいつか。……佐上さん、何で泣いてたの? 笠野のせい?」

「まあね」

「やっぱりか」

「そう。笠野に振られちゃって」

「え?」

「あれ、気づいてなかったのか」

「か、笠野と付き合ってたの?」

「うん」

「何で笠野……?」

 佐上さんはコーヒーをひとくち啜りました。

「あいつ、周りに色々言われてるけど自分のやりたいこと貫いてるでしょ」

「確かに、成績は良いけど」

「将来弁護士になるんだって」

「へえー……佐上さんに似てる」

「そう? まあ自分に似てるとこにも惹かれて付き合ったんだけど、私達やっぱ違うよねって」

「ええ、何それ。違うよねって何!」

「なんかね、そうなっちゃったんだ」

「……ふーん」

 私はカフェラテをこくこくと喉に落としました。

「私ね、東京に行こうと思って」

「え、東京行くの!?」

「うん。私は裁判官になるのが夢だから」

「そっか……」

 私はカップを口につけたまま言いました。カップにそっかという声がちょっとだけ反響しました。

「東京かあ」

「携帯でちょくちょく連絡するよ」

「うん、私も」

 そう言って私はカフェラテを飲み干しました。


***


「そーゆーことか」

 比奈がシャーペンをくるくる回しながら言いました。私の部屋で、私達はこたつに勉強道具を広げて向かい合って座っていました。

「そーゆーこと」

「そっか。……はあ、やっぱ佐上さんって大人だな」 

「そうだね」

「なんかよく分かんないけど」

「ね。なんかよく分かんないけど、大人だなって思う」

「はー、大人って何だー」

 比奈が身体を後ろに投げ出します。

「私達が子供なのかな」

「もう18だぞ」

「じゃあ、子供と大人の中間?」

「んー。むずかしいことは考えるのやめて、勉強しよー」

 比奈は寝転がったまま言いました。

「勉強する気ないじゃん」

「ある」

「全然進んでないし」

「進んでる。むしろ進んでしかない」

「私のカントリーマアム食べてしかないじゃん」

「それはそれ」

「何だそれ」

「はは」

 私はふっと微笑んでノートに目を落としました。綺麗に並べた英単語の隙間にChildrenと書いてみたけれど、比奈に見られるのも嫌なので消しゴムで消した。


 今はとりあえず、アルファベットを書きまくろう。

 それに意味があるのかは、まだ分からないけれど。

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