異世界に行かない
昨今の創作物では、『異世界召喚』や『異世界転生』という文字をよく見かける。
それは文字通り地球とは異なる世界であり、魔法があり、魔物がおり、魔王がおり、ときに宇宙船を駆る。主にファンタジーやSFと言われる世界に、召喚、または記憶を保持したまま転生することを指す。
創作物の設定を借りるならば、なんの取り柄もない人間が勇者として異世界に召喚されたり、筋金入りのニートが死亡した末にチートを貰って転生したりと、因果関係を無視して描かれているものがぽつぽつとある。
例えば勇者召喚。まず平凡な主人公Aがお姫様に召喚される。そしてお姫様にこう言われるのだ。
『あぁ、よくぞお越し下さいました、選ばれし勇者様! どうか、どうか! あなた様の特別な力で! 私たちの世界を救ってくださいませ!』
そうしてその気になった勇者様がなんやかんやあって世界を救ってハッピーエンド。そんな物語。
まぁ、ここまであからさまなものは少ないけれど、召喚、転生等の異世界モノは、主人公が何かに選ばれている設定が多い。
果たして、それは本当に選ばれているのだろうか?
もし、仮に選ばれているのなら、
「田中が落ちたぞッ!」
「クソッ! こっちに魔法陣が来たぞッ! 気をつけろ!」
「ウワァーーッ! イヤダァーーーーッ!」
「山田ァァァァァァァァァア!!!!」
彼らは全員選ばれているのだろうか。
僕の目の前、目測十メートル先。田中 と呼ばれた少年が地割れに落ち、山田と呼ばれた少年が魔法陣に包まれて消えた。
「…………マズいな、ワームホールだ。
これは逃げきれない、オレのことは放って置いてお前は逃げろ。
なぁに、ワームホールの一つや二つ、軽く捻ってやるさ。さ、行け! 振り返るなよ!
…………じゃあな、親友」
「くっ……すまないっ!」
突如として虚空に現れたワームホール。いち早く危険を察知した青年が、身を呈して親友を逃がす。美しい友情である。親友は逃げた先で隕石に襲われた。
「うふふ、鏡よ鏡。この世で一番美しい者はだ・あ・れ?
そうっ! それは、このわたーー」
声が聞こえた方向を見ると、不思議な国のような青いエプロンドレスを身に纏った女性が、いい歳して恥ずかしいセリフを叫び、しかし言い切る前に鏡に吸い込まれていた。そこは普通白い雪の姫ではないのかと。
心の中でツッコミを入れていると、噴水の縁に立ち、手を繋いだ男女が目に入る。
「フッ、時は満ちた。
共に行こう! 我が覇道はここから始まるのだ!」
「はい、主様よ。妾はどこまでもついて行きまする」
「「いざッ! 新天地へッ! トウッ!
ガハッ、ゴボッ、い、息が……」」
戦国武将みたいな鎧を装着した二人が池に飛び込んだが、どうやら何もなかったようで、鎧の重みで溺れている。
「あっ!」
背後の声に振り返る。そこにはランドセルを背負った幼女がいた。
首もとで二つに結った銀髪のツーテールが可愛らしい。頭に黄色い帽子を乗せているところを見るに、小学校低学年くらいの年齢だろうか。
紅玉の瞳、スッと通った鼻筋、桜色の小さな唇、それらの配置は神に愛されたかのように整っており、誰もが見惚れるほどの美幼女だ。
子供服に包まれた体躯は見るからに華奢であり、ガラス細工のような印象を覚えーーふとしたきっかけで壊れてしまいそうな、そんな儚さを醸し出していた。
「ねこさんっ! あぶないっ!」
幼女が叫び、駆け出した。道の中腹には猫がうずくまっており、そこへトラックが迫っている。
幼女はアスファルトの地割れを一足飛びで越え、そのまま上半身の重心を後方へ傾けーースライディングの体勢に移行する。そして滑り込みながら猫をキャッチ、空中にリリース。わずか三秒の救出劇だった。
放り出された猫は空中で放物線を描き、開いたマンホールの穴に落ちた。それを満足そうな顔で見送った幼女は頷き、踵を返して去って行く。え、幼女が選ばれたんじゃなくて猫が選ばれたのかこれ。
僕は確信する。平凡な人間は選ばれないと。
だって、唖然と突っ立っていた僕には被害がゼロなのだから。
「もうこんな時間か」
見上げた空は、いつの間にか茜色に染め上げられていた。
暮れなずむ街並みはカオスとしか言えない状況であり、これ復旧費用いくらかかるんだろう、などと現実的な思考がちらつくが、まぁ、それはお役所様の仕事だろう。
「…………帰るか」
こうして平凡な僕は選ばれることなく帰路につき、悲鳴や断末魔をBGMに街を去るのであった。