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雪の魔女(元)

作者: 鈴切蒼架

 暗い暗い森の奥、とても大きな木の下に小さな洞窟がありました。

 村の人々は洞窟には雪の魔女が住んでいると言い、冬だけではなく、春も夏も秋も、誰も近付いては来ません。

 雪の魔女は長い間人間に会わずに過ごしていました。

 けれど、今日はいつもと何かが違っています。

 洞窟の奥に居ても聞こえてくる音に深い眠りから起こされた雪の魔女は、久し振りに洞窟から出ました。

 冬の厚い雲越しの陽が、雪の魔女の真白い髪や肌、服を照らします。

 雪の魔女は音を探して周囲を見回しました。

 降り続ける雪はすっかり辺りの緑を覆い隠し、墨で描いた絵の様な、白と黒の風景が広がっています。

 音は洞窟の入り口のすぐ隣から聞こえてきました。

 雪の魔女は皺だらけの手を木の根のうろに伸ばし、音の出ている籠を持ち上げて顔を寄せます。

 大きな音はそこから聞こえていました。

「何が入っているんだろうね、雪の魔女」

 透明な生き物が近寄ってきます。

 植物を編んで作った籠に、赤や黄、緑や青の色とりどりの布に包まれた塊が入っています。

 少し雪を被ったその塊が、もぞもぞと動きました。

「動いた! 動いたよ、雪の魔女!」

 驚いた複数の透明な生き物が、騒がしく周囲を飛び回ります。

 雪の魔女は恐る恐る色鮮やかな布を捲ります。

 一枚、二枚、三枚と布を退かすと、中から小さな人間が出てきました。

 人間は小さい身体から出しているとは信じられない大きな声で泣いています。

 透明な生き物が盛大に顔をしかめます。

「大きな声大きな声! うるさすぎだよ」

 真っ赤な顔や、喉を壊しそうな程の声がとても苦しそうで、雪の魔女はひんやりとした指先で小さな人間の頬に触れました。

 雪の魔女の手が溶けそうな程、小さな人間の身体は熱を持っています。

 雪の魔女の冷たい指先に驚いたのか、小さな人間は更に声を大きくしました。

 空からは、まだまだ止まない雪が降り続けます。

 きっとこのまま外に置いておけば、この小さな人間はすぐに死んでしまうでしょう。

 雪の魔女は迷います。

 初めて触れる小さな人間が、生まれたばかりの人間なのは知っています。

 本当なら、人間の親に守られて暖かい家に居る筈の生き物です。

「きっと誰かの悪戯に決まっているよ、雪の魔女」

 耳を塞いだ透明な生き物が、嫌そうな顔をして泣く小さな人間の鼻先を豆粒程の靴でつつきます。

 村の人々が雪の魔女に近付かない様に、雪の魔女も村の人間に近付いた事はありません。

 小さな人間なんて、どうやって扱えば良いのか想像もつきませんでした。

 籠を持ち上げたまま悩んでいると、布から出た小さな人間の顔にどんどんと雪が降ってきます。

 熱い顔は雪を溶かしながらも、段々と雪の魔女が触れるくらい冷えていきました。

 大きかった声は徐々に小さくなり、時間が経つと小さな人間は静かになりました。

 雪の魔女は、人間が死ぬと冷たくなると知っています。

 この小さな人間は死んだのかもしれないと思った雪の魔女は、急に怖くなりました。

 慌てて洞窟の中に入り、小さな人間を包む布越しに小さな身体を擦ります。

 透明な生き物達も、雪の魔女にならって小さな人間を擦りました。

 皺だらけの手と豆粒よりも小さな複数の手が、布の塊を温めようと頑張ります。

 小さな人間は次第に頬の熱を取り戻し、目を開けました。

 また大きな声で泣くのだろうかと、雪の魔女は小さな人間の口を押さえる為に手を伸ばします。

 小さな人間は不思議そうに雪の魔女の指先を掴むと、口の中に入れました。

 小さな人間の口内のあまりの熱さに、雪の魔女は驚きます。

 溶けてしまう。溶けてしまう。このままでは指が溶けてしまう。

 焦った雪の魔女は、小さな人間の口から指先を奪いました。

 途端、小さな人間は顔を歪めてあの大きな声で泣き出します。

 雪の魔女はまた焦って、指先を小さな人間の口に入れました。

 泣き止んだ小さな人間の口が動く度に、雪の魔女の指先は短くなっていきます。

 やがて小さな人間が眠る頃には、雪の魔女の指の殆どが無くなってしまいました。

 もう、籠を持ち上げる事も出来ません。

「雪の魔女、指が無くなっちゃったよ」

「雪の魔女、指は大丈夫なの?」

 雪の魔女の代わりに籠を支えた透明な生き物達は、口々に心配します。

 何も無い洞窟の奥に小さな人間の入った籠を残して、雪の魔女は洞窟の外に積もった雪に倒れ込みました。

 ひんやりした雪は心地好く、指先の欠けた身体に力が湧いてきます。

 そうしているうちに重たい雲の向こうで太陽が沈んでいき、辺りは暗くなっていきました。

 雪の魔女はそのまま、降り続ける雪に埋もれる様に、眠りに落ちました。


 次の日から、小さな人間の声で起こされ、小さな人間が起きている間は指先を与え、小さな人間が眠ってからは洞窟の外で雪に埋もれて眠る生活が始まりました。

 不思議な事に雪に埋もれて眠ると雪の魔女の指先は元に戻っていたので、毎日外で寝ていれば困る事はありませんでした。


 ある日、少し大きくなった小さな人間が、魔女の摘んできた赤い花に興味を持ちました。

 冷たい雪の中でも咲く、色鮮やかな花です。

 気に入ったのか、握ったまま離そうとしません。

 しかし寒さに強い花も、小さな人間の熱に負けて萎れてしまいます。

 すっかり茶色くなった花を見て泣き出した小さな人間に、雪の魔女は指先を与えようとします。

 けれど小さな人間は指先を嫌がり、茶色い花を握り締めて一層大きな声で泣きました。

「うるさいうるさい! もう、うるさいな! 泣き止め! 花ならまた摘んできてやるから!」

 泣き声に負けじと声を張り上げ、透明な生き物が小さな人間の頭上を飛びます。

 雪の魔女は泣き止まない人間にほとほと困り果て、両手で涙に濡れた頬を拭います。

 手の平が溶けて、小さな人間の頬を更に濡らしました。

 小さな人間をつつんでいる布の色が濃くなっていきます。

 その中の赤い布を見て、雪の魔女は思い付きました。

 赤い布だけを取り、大きな布の一部を切り取ります。

「何をする気なの、雪の魔女?」

 透明な生き物達が雪の魔女の手元を覗き込みます。

 雪の魔女は残りの赤い布は再び小さな人間に巻き付け、切り取った布を小さな人間の目の前で揺らしました。

 小さな人間は泣き止み、手を伸ばして赤い布を追い掛けます。

 雪の魔女は赤い布を大きさの違う三枚と細い紐に分け、三枚を重ねて真ん中を紐で縛り、更にそれを二つ折りにして縛りました。

 ひらひらとした端の形を整えると、先程枯れた花よりも立派な花が出来上がりました。

「花だ! すごいよ、雪の魔女!」

 小さな人間に差し出すと、嬉しそうに笑います。

 その笑顔に雪の魔女も温かい気持ちになり、皺だらけの顔を綻ばせました。

 透明な生き物達が、小さな人間が泣き止んだのを喜んで、飛び回ります。


 寒い日々は段々と過ぎ去り、暖かい日が増えてきました。

 外に降る雪も減り、近頃は溶けていくばかりです。

 雪の魔女は、そろそろ洞窟の奥で眠らなくてはなりません。

 寒い雪の季節だけ生きていられる雪の魔女は、冬以外の季節を眠りに就いて過ごします。

 雪の下からは冬を耐えた植物が顔を出し始め、春の訪れを告げようとしていました。

 いつもならばこのまま深く眠ってしまいますが、今回は小さな人間がいます。

 雪の魔女は冬の間、春になったら小さな人間をどうするのかずっと考えていました。

 いくら透明な生き物がいるとは言え、自分では動けない小さな人間を三つの季節の間、洞窟に置いておく訳にはいきません。

 やはり小さな人間は、人間達の元に帰すのが良い気がします。 雪の魔女は、春が来る前にと、急いで村に行く事にしました。

 赤い花を握ったまま穏やかに寝ている小さな人間の籠を抱え、洞窟を出ました。

 まだ残る雪を踏み締め、籠を落とさないよう慎重に進みます。

 雪の下で木の根が複雑に絡み合う森の地面は、生まれてからずっと住んでいる雪の魔女にも歩き易い道ではありません。

 時には透明な生き物に籠を預け、また時には年老いた身体では越えられない段差や裂け目を透明な生き物に運んで貰いながら進みました。

 夢中で進むうちに陽は傾き、一日目は小さな果実を付けたくさむらの中で休む事にしました。

「これ、人間が摘む果実だよ、雪の魔女」

「雪の魔女、こいつもこの実を食べるんじゃないかな」

 雪の魔女は小さな人間の口に、潰した紫の実を差し出します。

 小さな人間は果汁を舐め、足りないのか雪の魔女の指先を口に含みます。

 雪の魔女は指先で果実を潰し、何度も小さな人間の口元に運びました。

 夜は皆で寄り添って眠り、朝日が昇るとまた村に向けて歩きました。

 雪の魔女は出発前に多めに摘んだ果実を小さな人間の布で包み、籠と一緒に持っています。

 二日目は冷たい雪が降り、洞窟よりも低い気温に小さな人間が凍えないよう、透明な生き物達が籠の中で寄り添って過ごしました。

 次の日は大きな川に道を塞がれ、困りました。

 真冬でも凍らない、大きくて流れの早い川です。

 昔はあった筈の船も見当たらず、雪の魔女は水面を凍らせて歩いて進みました。

 また次の日は、雨混じりのみぞれが降りました。

 春が、思っていたよりも近いのかもしれません。

 雪の魔女は、みぞれでぬかるんだ道を急ぎました。

 五日目はとても暖かく、強い日差しが繁った木の葉の間から降り注いできました。

 地面に残った雪が、じわじわと溶けて地面に染み込んでいきます。

 雪の魔女は暖かい日が苦手です。

 暑さに体力を奪われ、籠を持つ手に力が入りません。

 太陽が完全に真上に昇る頃、雪の魔女は足を止めました。

 小さな人間を透明な生き物に任せ、地面に残った雪の上に寝転びます。

 今日の暑さで殆どの雪は溶け、地面には茶色いぬかるみが増えていました。

 寝転んだ雪の魔女の真白い髪と服が、泥で汚れます。

 それでも僅かに残った雪で少し体力を回復した雪の魔女は、籠を抱えて歩き出しました。

 ふらふらと覚束ない足取りで、遂に森の端までやって来ました。

 雪の魔女は森の外に出た事はありません。

 初めての森の外は、木々が少なく不思議なところでした。

 暗くなった空の下、遠くに見た事も無い明るさが見えています。

 あれが人間の住む村なのでしょうか。

 まだ遠い。

 雪の魔女は愕然としました。

 あまりにも疲れて、もう力尽きてしまいそうです。

「明日にしよう、雪の魔女」

「今、雪を集めてきてあげる。休んでて、雪の魔女」

 透明な生き物達が集めてくれた泥混じりの雪に埋もれて、雪の魔女は眠りに就きました。

 次の日も日差しは強く、雪の魔女はなかなか歩みを進める事が出来ません。

 ゆっくりゆっくりと、たまに見付ける日陰で休みながら歩きます。

 漸く辿り着いた人間の村は、賑やかな場所でした。

「すごい。人間が沢山いるね、雪の魔女」

 透明な生き物が、建物の間を行き来する人間を見て驚きます。

 人間達は色々な大きさで、それぞれ違う格好をしています。

 こんなに人間が居ては、誰に小さな人間を渡したら良いのかわかりません。

 人間達は泥だらけでへとへとな雪の魔女を訝しげに見つつも、知らぬ振りをして通り過ぎて行きます。

「お婆さん、どうしたの。泥だらけじゃないか」

 若い、大きな人間が近付いて来ました。

 雪の魔女よりも低い声をしています。

「ここに立っていては危ないよ。村に入るんだろう?」

 大きな人間は雪の魔女の手を取ります。

 けれど、何かに驚いてすぐに離してしまいました。

「冷たい。お婆さんの手、すごく冷たいね。今日は暖かいけど、そんなに冷たかったら寒いよね。うちで良かったらおいで。温かいスープを御馳走するよ」

 大きな人間は改めて雪の魔女の手を取り、歩き出しました。

 途中、小さな人間の籠を持ってくれます。

 暑い日差しでほてった雪の魔女には、大きな人間の手の体温がわかりませんでした。

 けれど雪の魔女の手はゆっくりと溶けていきます。

 頭もぼうっとしていました。

 大きな人間に連れて行かれた建物は、様々な色の硝子で飾られていました。

 列んだ木の椅子に座らされます。

「スープ作ってくるよ。待っていて」

 雪の魔女は何を言われたかも理解出来ません。

  大きな人間が離れていく時に渡された籠を隣に置き、小さな人間を覗き込みました。

 小さな人間は元気に雪の魔女に向けて手を伸ばしてきます。

 雪の魔女は小さな人間の口元に潰した果実を与えました。

 丸く柔らかい顔が花の様に綻びます。

「雪の魔女、雪の魔女」

「どうしたの、雪の魔女」

 透明な生き物に返事をしたいのに、身体に力が入りません。

 目の前には、真ん丸の瞳で雪の魔女を見る小さな人間の顔があります。

 愛おしい。

 初めて、雪の魔女はそう表せる温かい感情を実感しました。

 愛らしい、小さな生き物。

「雪の魔女、雪の魔女」

 透明な生き物の声が微かにしか届かなくなり、身体から全ての感覚が抜けていきます。

 雪の魔女は椅子に横になり、籠を抱き締めて目を閉じました。


 雪の魔女は真白い雪になり、小さな人間の籠を守るように深い深い眠りに落ちました。

 大きな人間が戻る頃、部屋には姿の無い小さな泣き声が無数に響いていたと言います。

 色とりどりの硝子の向こうには、春を告げる木が鮮やかな薄紅色の花を咲かせていました。

 読了有難うございます。

 このお話は「冬童話2013」に投稿しようと、急遽考えたものでしたが、如何でしたでしょうか。


 一応このお話には落ちとしての続きも考えているのですが、物語としてはこの結末で終えたいと思い、完結としました。


 実は児童文学風のものは初の試みだったので(この投稿自体が、こちらのサイトでは初投稿ですが)、いまいち何処までの表現が許されるのか不明でしたが、書き終えられてホッとしております。


 もし良かったら、誤字脱字や日本語の表現の微妙な点等、御指摘頂けると有り難いです。



 改めまして、拙い文章を読んで頂き、有難うございました。

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