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作者: Tachun
掲載日:2026/05/29

夜、男は一本の毛を見つけた。


洗面所の白い陶器の上に、黒く細い毛が一本だけ。


それ自体は珍しくない。人間なら誰でも毛は抜ける。髪も、眉も、睫毛も。


何故か男は指先で摘まみ上げる。


すると毛は、ぴくりと動いたように見えた。


不気味になって手を離した。毛は再び洗面台へ落ち、何事もなかったように静止する。


変な汗が身体から吹き出る。


見間違いだ。


疲れているだけ。


今日はちゃんと寝よう。そう思い床につく。


---


いつものように起き、いつものように顔を洗う。朝食を済ませ、出勤する。妻や娘が起きるより早く、家を出る日常。



駅まで歩き、電車に乗る。


会社につき、業務を始める。



昼休憩に入り、

ふと、パソコンの隅に黒い線がある事に気がつく。


指で払う。


毛が一本。


その時は何も思わなかった。


---


いつも通りの帰り道。


毛が一本。


道に落ちていた。


---


それからというもの、男は事あるごとに見つける。


毛が一本。


玄関。


冷蔵庫の取っ手。


電車の吊り革。


スマートフォンの画面。


毎回、一本だけ。


異様に目を惹く毛。


それでも、

男は誰にも相談しなかった。


相談したところで、誰も相手にしてくれないだろう。


妻や娘には、時々顔色を心配されるようになった。


話しても分かってもらえない。そう思い、いつもはぐらかす。


だが男は次第に確信する。


あれは、自分を追っている。


なぜ、そう思ったのかは分からない。


それからというもの、男は毛を見つけるたびに毛から逃げるようにしていた。


電車で見つけると、1本遅らせる。


道で見つけると、迂回する。


一般人からすればどれも奇行であり、彼を気味悪く思うだろう。


しかし、男は真剣に逃げている。


---


数年が経った。


男は普通の日常を送っていた。


ただ、その日常の中に、


毛が一本。


男は毛から逃げるのをやめていた。


逃げても無駄だと悟ったからではない。


ただ、毛が日常の一部と化していた。


また、この数年の間に男は理解者を手にした。


その同士達は「あれは増えている」と言った。


誰も笑わなかった。


彼らは毛を無くすのを目指している。


男はその共同体にいる。


心が休まる気がするのだ。


---


最近思う。


毛を無くす、

そんな事出来るのだろうか。


部屋を見渡す。


しばらく掃除してないな。


そう思うと、


ベッドの隙間。


毛が一本。


またか、

そう思いながらふと隙間を見る。


大量の毛。


それは黒いインクを流し込んだように密集している。


やはり、毛をなくすなんて無理な話だったんだ。


シーツで隙間に蓋をする。


今日はもう寝よう。


---


今日も普通に生活をする。


朝、男は一本の毛を見つけた。


洗面所の白い陶器の上に、黒く細い毛が一本だけ。


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