9.それぞれの結末
「……裏切り者どもめ」
釈放されたアルフォンスは、屈辱を噛みしめていた。
貴族の身分に免じて投獄こそ免れたものの、サルディア王という有力な後ろ盾を失った今、王政復古の志はもはや風前の灯であった。
「アルフォンス」
不意に名を呼ばれ、アルフォンスは振り向く。
そして、はっと息を呑んだ。
「リリア様……!」
そこに立っていたのは、紛れもなくリリアだった。
「無理を言って、ここまで連れてきてもらったの」
アルフォンスはリリアに駆け寄り、縋るようにその手を取った。
「今からでも遅くはありません! サルディアの支援がなくとも、私どもの力でルミナール王家の復活を…」
「……もういいのよ」
捲し立てる彼の言葉を、リリアは静かに遮った。
「もう私たちの時代は終わったの。
時代の流れは誰にも止められない。あなたにも、私にも。今さら無理に王権を取り戻したところで、きっと長くは続かないわ」
リリアはアルフォンスから目を逸らすことなく、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「すべて私たちのためにしてくれたことなのに、こんなことを言ってしまってごめんなさい……今までありがとう」
その言葉を聞いたアルフォンスはしばらく呆然と立ち尽くしていた。やがて行き先も告げることなく、どこかへと去って行く。
リリアはその背中が見えなくなるまで、ただ静かに見送った。
※
帰りの船の上で、ディアナは来た時と同じように、揺れる波を眺めていた。
ただ一つ違うのは、その傍にラウルが寄り添っていることだった。
「私に課せられた使命は一朝一夕に終わるものではありませんでした」
やがて、ラウルが静かに語り始める。
「リリア様が自由の身になるには、ルミナールの政情が安定するまで、少なく見積もっても三十年はかかる。
公爵家の家系を繋ぐためにも、結婚を先延ばしにするわけにはいかなかった」
「それで、リリア様と共に暮らすことになっても不満の出にくい相手――母や妹と折り合いが悪く、帰る家のない私が選ばれたというわけですね」
「そんなことは……!」
ディアナの率直な言葉に、ラウルは咄嗟に否定する。
しかし、短い沈黙の後、気まずそうに続けた。
「……我が家に嫁げば、少なくとも伯爵家にいるよりはましな生活を送れるはずだと、考えていました。
ですが、それを言い訳に、あなたのことはおざなりになっていた。
その隙を敵につけ込まれ、あなたを危険な目に遭わせてしまった」
そう言ってラウルは悔しそうに目を伏せた。
そんな彼を慰めるように、ディアナはそっと身を寄せる。
「良いのです。ラウル様はちゃんと来てくださいましたから」
ラウルの体温を感じながら、ディアナは、今、自分は確かに幸福なのだと思った。
「……実は、あなたにもう一つ、謝らなければならないことがあるのです」
幸福の余韻に浸るディアナに、ラウルは言いにくそうにそう切り出した。
「私は、もはや今までと同じ地位にはいられないでしょう」
「……どういうことですか?」
サルディア王にアルフォンスの所業を突きつけたことにより、これまで秘匿していたリリアの存在が公になった。
ルミナール国内では、いまだに王侯貴族の徹底的な排除を主張する声も少なくない。そのような強硬派がリリアの暗殺を企てる恐れがあった。
ラウルはサルディア行きの船に乗り込む前、ディアナの救出へと向かうにあたり、王に宛てた書簡をしたため、従者に託していた。
そこには自らの独断でリリアの存在を公にすることへの謝罪が綴られ、最後は次のように結ばれていた。
――リリア様を守りきるという王命を賜りながら、このような事態を招いたこと、深くお詫び申し上げます。
――帰国の暁には、いかなる処分も甘んじてお受けする所存にございます。
「私は王命を果たせなかった責任を取ることになるでしょう。領地の没収、爵位の剥奪もあり得ます」
ラウルの言葉に、ディアナは即座に応えた。
「構いません。あなたと共にいられるのなら、それ以上は何も望みませんわ」
その言葉に嘘はなかった。
結婚前、ディアナは継母たちに全てを奪われ、孤独だったのだ。
今は愛する人――ラウルが傍にいる。
もはやそれだけで十分だった。
※
無事にアストリアへ戻った二人は、その足で王宮へと向かった。
不安げにラウルを見つめるディアナを、彼はそっと抱きしめる。
そして何も言わぬまま、静かに馬車を降りた。
その背中を、ディアナは一人、祈るように見つめていた。
王の御前にて、ラウルは膝をつき、深く頭を垂れる。
「書簡で申し上げたとおりです。いかなる処分も、甘んじてお受けいたします」
覚悟は、すでに決まっていた。
ラウルは無言のまま、王の裁定を待つ。
アストリア王はしばらく無言でその様子を見下ろしていたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「……そこまで泥を被せるつもりはない」
ラウルは思わず顔をあげた。
その言葉の意味を理解する前に、王は堂々たる声で宣言する。
「リリアを、アストリア王家に養子として迎え入れる」
その言葉は、聞いた者の胸に重く響いた。
ルミナールでの市民蜂起の報せを受け、誰よりも愛娘の身を案じていたのは、アストリア王その人である。
即座に兵を送り、王妃を救い出すことも、選択肢の一つではあった。
だが王は、アストリアの未来と家族への情を天秤にかけ、革命政府との共存の道を選んだ。
リリアを王族として迎え入れるという決断は、彼にとって、救えなかった娘への贖罪にほかならなかった。
王の宣言を受け、早速、側近たちは国内外に通告を出すべく動き出した。
その背中に向かって、王は声をかける。
「通告に付け加えよ。『もしリリアの命を狙うの者があれば、即ちアストリア王国への宣戦布告と見做す』と」
これはリリアの身を守るための苦肉の策であると同時に、ひとつの賭けでもあった。
強硬派がアストリアとの衝突を恐れて拳を下ろすか。はたまた、態度をさらに硬化させ、戦争も辞さない構えをとるか。
王は、自らが名君として名を残すか、近隣諸国との係争の火種を生み、戦乱を招いた暗君と評されるか、後の世に委ねることにしたのである。
王は厳かに告げた。
「ラウルよ、大義であった」
ラウルはただ静かに頭を下げた。
※
ディアナはラウルと共に屋敷へと戻った。
屋敷を空けていたのはわずか数日だったが、なぜか長いこと帰っていなかったように感じられる。
王族として王宮で暮らすことになったリリアの荷物は、すでにすべて運び出されていた。
この家に嫁いだ時から当たり前のようにそこにいた存在が去ったことに、ディアナは一抹の寂しさを覚えた。
ラウルはディアナを庭園に誘うと、至って真剣な顔で切り出した。
「プロポーズをもう一度やり直させてくれませんか」
ディアナの承諾を得て、あの日と同じように、ラウルは膝を付き、手を差し伸べた。
「愛しています、ディアナ。どうかこれからの人生を私と共に歩んでくれませんか」
ディアナは満面の笑みで答えた。
「ええ、もちろんですわ」




