5.宮廷舞踏会
翌日、ディアナはラウルと共に王宮で開かれる舞踏会へ出席した。
リリアが「お城の舞踏会なんて、お兄様たちばかりずるいわ」とぼやくのをなだめ、二人は黒塗りの馬車に乗り込む。
向かい合って座る二人の間には、気まずい沈黙が横たわっていた。
もともと会話が弾むような仲ではない。それでもディアナは落ち着かない様子で、時折ラウルの顔色を窺っていた。
あの日の広場で、結局ディアナはアルフォンスの手を握り返すことは無かった。
彼の甘い囁きに、思わず流されそうになったその瞬間、脳裏に浮かんだのはラウルの顔だった。
ディアナははっと我に帰り、アルフォンスの手からそっと自分の手を引いた。
ラウルがディアナに隠し事をしているのは、間違いないだろう。だが、それが彼を裏切る言い訳になるだろうか。
誠実さを求めるのなら、まずは自身が誠実であるべきではないか。
ディアナはさりげなくアルフォンスと距離をとると、穏やかに微笑んだ。
「お心遣い、感謝いたしますわ。それでは私はこれで」
そして淑やかに一礼し、その場を後にしたのである。
※
王宮に到着すると、ディアナはラウルにエスコートされながら馬車を降りた。
会場となる宮殿の大広間は別名、「白銀の間」とも呼ばれ、その名の通り壁一面に銀の装飾が施されている。
会場に足を踏み入れると、シャンデリアの灯りが銀の装飾に反射し、まるで光の中にいるような錯覚を覚えた。
部屋の中央奥に立った国王が、高らかに宣言する。
「今日、この場へ集った諸君は皆、揺るぎない勇気と知性、そして愛国心を備えた忠臣である。
諸君の献身は、我がアストリアにかつてない繁栄と平和をもたらした。
この豊かな国を次の世代へと受け継ぐためにも、諸君のより一層の働きに期待している」
ディアナは他の招待客と同様、厳粛な面持ちで王の言葉に耳を傾けていた。
ふと、大勢の招待客の中にアルフォンスの姿を見たような気がして、思わず顔を強張らせる。
「どうかしましたか?」
隣に立つラウルが、小声で問いかけた。
「いえ、何でもありません。知人を見かけたような気がしたのですが……気のせいでしたわ」
侯爵夫人の私的な茶会とは違い、今宵は国王の主催する宮廷舞踏会だ。招待されるのは伯爵家以上の上級貴族、軍功のある軍人、そして国王自ら選定した文化人に限られる。
外国貴族とはいえ、一介の留学生に過ぎない彼が容易に参加できるものではない。
きっと見間違いだろう。そう自分に言い聞かせた。
間も無く舞踏会が始まろうという時だった。
「すみません。用事を思い出しました。少し席を外します」
「はい?」
ラウルの言葉に、思わずディアナは聞き返した。
舞踏会の最中に一体どんな用事があるというのだろうか。
「必ず戻ります。そこを動かないでください」
ディアナの返事を待つことなく、ラウルはそう言い残し、人混みの中へ消えていった。
間も無く、管弦楽団が最初の曲を奏で始める。
カルロス・アルバラード作『アストリア舞曲第一番 青のメヌエット』。
優雅な旋律に合わせて、貴族たちが華麗なステップを踏む。
ラウルの言葉に従い、ディアナは会場の隅で一人、その光景を眺めていた。
一曲目が終わり二曲目が始まる。
ラウルはまだ戻ってこない。
やがて二曲目も終わり、会場には小休憩の時間が訪れた。
「あら、ディアナじゃない」
その声に、ディアナの心臓が凍りついた。
声の主はモンテアルト伯爵夫人――即ちディアナの継母である。傍には娘のマリアの姿もあった。
「久しぶりね」
「はい、お母様もマリアもご機嫌麗しゅう」
ディアナが丁重に挨拶をすると、伯爵夫人は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「今日は公爵様はどちらに?」
「それは……」
言い淀むディアナを見て、マリアが口を挟んだ。
「お母様、そんなことを訊いてはお可哀想よ。公爵様は『事情のある方』なのですから」
「あぁ、そうだったわね。悪気は無かったのよ。ごめんなさいね、ディアナ」
二人は顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「そうそう、マリアももうすぐ結婚するのよ。相手はとても評判の良い立派な紳士なの」
「ええ。もうすぐ妻になる私のことを、何より大切にしてくださる方なのよ」
ディアナは俯き、拳をぎゅっと握りしめた。
思わず涙がこぼれそうになるが、唇を噛み締めてなんとかこらえる。
今の自分は公爵夫人なのだ。公爵家の名誉のためにも、前を向かねばならない。
ディアナが顔を上げると、その凛とした視線に、二人は一瞬たじろいだ。
「なによ。あなたなんか……」
マリアが何か言いかけたその時だった。
「やあ、これはどうも。モンテアルト伯爵夫人、ご令嬢」
不意に背後から声がかかる。
振り返ると、いつの間に戻ったのか、そこにはラウルの姿があった。
その声色は不自然なほどに明るく、浮かべた笑みはまるで張り付いた仮面のようだ。
「可愛い私の天使。一人にしてすまなかったね」
ラウルはそう言って二人に見せつけるように、ディアナの体を引き寄せた。
「ラウル様……!」
「おや、いつものように、『ダーリン』と呼んでくれないのかい?」
そんな風に呼んだことなど一度もない。
まるで前世からの恋人のように情熱的に、ラウルはディアナに熱い視線を送る。
わかっている。これは継母や異母妹に向けてのポーズにすぎない。
頭ではそう理解していても、感情が追いつかない。
ディアナはラウルのなすがままに、彼にぴたりと身を寄せた。
やがて三曲目の舞踏曲が始まる。
ラウルはディアナをそっとホールの中央へエスコートしながら、ふと足を止め、伯爵夫人とマリアを振り返った。
「曲がりなりにも、妻の母と妹だ。一度の無礼は水に流しましょう。ですが、もしまた私の妻を侮辱するようなことがあれば、その時は容赦しません。悪しからず」
氷のように冷たいラウルの表情に、二人は青ざめ、言葉を失った。
『アストリア舞曲第三番 銀のガヴォット』。
管弦楽団が奏でる軽やかな旋律が広間を満たす。ラウルにリードされてディアナが舞うと、それに合わせて彼女の真紅のドレスがひらりと揺れた。
ダンスの最中、視界の端に、伯爵夫人とマリアが壁を背にしてこちらを睨みつけているのが見えた。しかし、先ほどのラウルの牽制が効いたのか、二人がそれ以上近づいてくることはなかった。
長い間ディアナを縛りつけていた呪縛が、ふっとほどけたような気がした。
日付の変わる頃、舞踏会は静かに幕を下ろした。
帰りの馬車に乗り込んだラウルは、深く息をついて背もたれに身を預ける。
「異母兄弟というのは仲が拗れるものだと聞きますが、まさかあれほどとは……」
ため息混じりにこぼれた言葉に、ディアナは首を傾げる。
「まるでラウル様には異母兄弟がいないかのような言い方ですのね……リリア様がいらっしゃるのに」
それを聞いたラウルは、しまったと言うように口を押さえた。その目は泳ぎ、どう言い繕おうか考えている様子だった。
「……やはり何も教えてくださらないのですね」
ディアナが悲しげにそう呟くと、ラウルは慌てたようにディアナへ向き直る。
「……申し訳ありません。私の口からは何も言えないのです。ですが、これだけは信じてほしい。
あなたの夫として、恥じるようなことは決してしていません。神に……いや、あなたに誓います」
ラウルはそう言ってディアナの目を真っ直ぐに見つめた。その黒い双眸の奥に真剣な光が宿る。
「無茶を言っているのは分かっています。ですが、どうか私を信じてください……それとも、もう遅いでしょうか」
継母たちの前であれほど堂々と振る舞っていたラウルが、今はディアナに縋るような目を向けている。
それが無性におかしくて、ディアナは思わず笑みをこぼした。
そしてラウルの手をそっと握った。
「……いいえ、遅いなんてことはありませんわ」
「それはよかった」
ラウルは、心の底から安堵したように微笑んだ。
二人を乗せた馬車が、静かに夜の王都を駆けていった。




