魔王、道に迷うという趣味
水曜の夕暮れ。
魔王城に帰還した吹雪は、心地よい疲労と、知的な興奮に満たされていた。
彼は今日、いつもの京橋ではなく、天王寺の地で魔導列車(電車)を降り、わざと知らない道を歩いて帰ってきたのだ。
「健太先輩。我が領地の偵察は、実に有意義でした」
執務室で、吹雪は竜の健太にその日の発見を語り始めた。
「タバコ屋なのにジャンプを売る店、場所は良いのに閑散とした店…。商売とは、実に不可思議な魔術ですな」
その散策は、彼の老後の計画にも、新たな光を投げかけた。
「我が城の周辺は、買い物に不便な土地。ならば、一階で野菜屋を営めば、年配者からの需要は堅いのではないか、と。利益は少なくとも、我が食費の節約にはなる。あるいは、景観を損なわぬ煙草の販売や、ジュースの自動販売機を置くのも良い…」
吹雪の頭の中では、壮大な事業計画が渦巻いていた。
「そして、明日の休日の過ごし方にも、革命的な戦術を思いつきました」
彼は、一枚の羊皮紙を広げた。
「明日の詠唱訓練は、正午12時に予約した。そして、午前中は、銀行やauという名の、普段は『めんどくさい』と感じる厄介な用事を済ませるのです。つまり、義務を前半に、ご褒美を後半に配置する。これで、有意義な休日になるはずです」
健太は、その見事な計画に静かに頷いた。
「お前は、自らの心の癖を読み解き、巧みに誘導する術を身につけつつあるな」
「ええ。そして、今日の最大の発見は…」
と吹雪は続けた。
「『わざと道に迷う』という行為が、実に良い運動と思索の時間になるということです。道も覚えられる。一石二鳥だ。これからは、毎朝『今日はどこを経由して行こうか』と考えるのが、楽しみになりそうです」
しかし、その高揚感に、冷や水を浴びせるかのように、彼の足に鈍い痛みが走った。
「…くっ。しかし、これです。せっかく良い趣味を見つけたというのに、この脆弱な肉体が、それすらも許さぬと言う…」
その声には、やり場のない、深い憤りが滲んでいた。
その時、部屋の隅で絵を描いていたアリアが、心配そうに駆け寄ってきた。
「ふぶきん、お足、痛いの?」
アリアは、何も言わずに、吹雪の痛む足元に、ふわふわのクッションをそっと置いた。
その小さな優しさが、吹雪のささくれだった心に染み渡る。
「…ありがとう、アリア」
彼は、アリアの頭を優しく撫でた。
そうだ。足が痛い日もあるだろう。
そんな日は、無理に歩く必要はない。
この城で、滞っている日誌や物語の執筆に集中すればいいのだ。
一つの道が閉ざされれば、また別の道を探す。
それだけのこと。
健太が、諭すように言った。
「限界を知ることもまた、強さだ、吹雪。お前の身体は、お前が進むべき道を、痛みをもって教えてくれている。時には歩き、時には書く。その流れに身を任せるのも、また一興ではないか」
吹雪は、足元のクッションに目を落とした。
明日の計画は、完璧だ。
朝は用事を済ませ、昼からは心ゆくまで歌う。
そして、もし足が痛むのなら…。
その時は、今日のように、アリアと健太と共に、この城で静かに過ごすのも悪くない。
魔王は、自らの限界を受け入れ、そして、その中で最善を尽くすことを学んだ。
彼の人生の旅は、決して平坦ではない。
だが、その回り道や、思わぬ寄り道にこそ、本当の宝が隠されているのかもしれない。
吹雪は、穏やかな気持ちで、明日の休日を思い描くのだった。




