チューチュー3本が魔王の決意を固める日
アラームが鳴るより早く、吹雪の意識が浮上した。
カーテンの隙間から漏れる朝日は、部屋に薄ぼんやりとした光の筋を落としている。
いつものルーティンで、家事や仕事の準備を終わらせた。
その後は近所のチョコザップへ向かうはずだった。
「……今日は、行くのはやめとくか」
だが、そんな魔王の隣には、いつの間にか冷静なドラゴンのような男、健太がいた。
「おい、吹雪。今日は朝からいつも通りチョコザップに行くんじゃなかったのか?」
健太の言葉は相変わらず冷たい。
「ああ、健太先輩。今日はなんか体が重くて、気分が乗らないんです。なので家から近いチョコザップはパスします」
「ふん、相変わらず気まぐれだな。まあいい、それがお前らしいと言えばそうだが」
そんな話をしながら駅に到着し、少し目が覚めた頭で吹雪は通勤の電車に乗り込んだ。
ガタンゴトンと規則的な振動に身を任せていると、ふと「森ノ宮」の駅名が目に飛び込んできた。
特に理由があったわけではない。
ただ、何となく、ここで降りてみようと思ったのだ。
春の気配がまだ遠い街を、店に向かって歩く。
結局、足が向いたのは玉造駅近くのチョコザップだった。
「玉造か。わざわざここまで来るなんて、奇特な魔王もいたもんだな」
健太は呆れたように言いながらも、吹雪の行動を静かに見守っていた。
チョコザップは幸い、人がいなかった。
吹雪はワークデスクの机の上にノートパソコンを開いた。
カタカタとキーボードを叩き、頭の中に浮かんでくる言葉を紡いでいく。
ブログを一本書き上げると、少しだけ気分が晴れたような気がした。
「ブログ、書き上げたのか。その集中力だけは、さすがだな、魔王」
健太は感心したように呟いた。
そして少し重い足取りでそのまま職場へ向かう。
午前中は、上司が珍しくオフィスにいた。
彼は2階、吹雪は1階。
互いの気配を感じつつも、それぞれの業務に没頭する。
吹雪の担当はデータ収集。
これがなかなか骨の折れる作業で、膨大な数字の海と格闘しているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。
午後になると、アルバイトが出勤してきた。
彼女は人懐っこく、話好きだ。
そして話しているとつい時間が過ぎていってしまう。
今日も、作業の合間についつい話し込んでしまい、気づけば終業時刻が迫っていた。
「やばい、時間が…!」
慌てて残りのタスクを片付け、なんとか一日の業務を終える。
会社を出ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
特に足がパンパンに張っていて、ズキズキと痛む。
慣れない道を歩いたせいだろうか。
「今日のウォーキングは、さすがに無理だな」。
そう判断し、家の最寄駅で電車を降りると、吹雪は吸い寄せられるようにパチンコ店のネオンに誘われた。
別に遊技をするわけではない。
目的は、店内に併設された休憩スペースの漫画コーナーだ。
読みかけだった漫画を一冊手に取り、しばし現実逃避の時間を楽しむ。
パチンコ店から出ると、ちょうどアリアが通りかかった。
彼女はいつも、なぜか絶妙なタイミングで現れる。
「吹雪くん、お疲れ様!今日も頑張ったんだね!」
アリアはにこやかに笑い、手に持っていた小さな袋を差し出した。
中には、吹雪が大好きないちご大福が2つ。
「アリア、どうしてここに?それに、これ……」
「なんとなく、吹雪くんが疲れてるかなって思って。これ食べて元気出してね!」
アリアはキラキラとした目で吹雪を見つめ、去っていった。
その不思議な行動に、吹雪は思わず苦笑した。
しかし帰宅してからも、吹雪の戦いは続く。
食欲という名の、手強い敵との戦いだ。
「今日は頑張ったし、ちょっとくらい…」
そんな悪魔の囁きが聞こえてきそうになるのを、ぐっと堪える。
ヘルシーな鍋と白米、そして山盛りのサラダ。
途中、忘れずにプロテインも味わいながら流し込む。
これでタンパク質は完璧なはずだ。
「相変わらず、食への執着は半端ないな、魔王」
健太はそんな吹雪の様子をモニター越しに見ていた。
そして、寝る前のささやかな、しかし至福の儀式。
冷凍庫から取り出したのは、キンキンに冷えたチューチュー。
それも3本。
ひんやりとした甘露が舌の上でとろけ、一日の疲れを優しく包み込んでくれるようだ。
「これくらいなら、ダイエットにも問題ないはず!大丈夫だ!きっと」
そう、心の中で力強く宣言する吹雪。
その隣で、健太は腕を組み、小さくため息をついた。
「まあ、それがお前の魔王としての均衡というものか。チューチュー3本で満足できるなら、大したもんだ」
明日はきっと、今日よりも少しだけ軽やかな一日になるはずだ。
そんな根拠のない自信を胸に、吹雪はそっと目を閉じた。
アリアがくれたいちご大福の甘さが、まだ口の中に残っている気がした。