魔王、朝の激戦と午後の疲弊
金曜の午後。
魔王城から離れた人間界の魔道喫茶で、吹雪はテーブルに突っ伏すようにして、ぐったりとしていた。
その姿は、世界の支配者というよりは、大規模な戦闘を終え、燃え尽きた一人の兵士のようだった。
「…作戦は、成功です。健太先輩」
彼は、対面の席で静かに紅茶を飲んでいる竜の健太に、今日の戦果を報告し始めた。
「今朝、我が城を出立したのは6時半。7時前の魔導列車(電車)に乗り、拠点に到着したのは8時48分。準備に15分を要し、詠唱訓練を開始できたのは、9時10分。全て、計画通りでした」
その計画は、緻密を極めていた。朝5時前に起床し、買い物と兵糧(弁当)の準備を完了させ、7時半には城を出る。そのための最大の課題は、兵糧の準備だった。
「米が熱すぎて、おにぎりが握れぬという致命的な欠陥を発見しました。今後は、炊飯を完了させ、米を冷ます工程を、補給(買い物)の前に行うよう、作戦を修正します」
彼は、今日の兵糧についても、詳細な分析を続けた。
「バゲットに焼きそばを挟む戦術は、失敗でした。味がぼやける。しかし、ハムを買い忘れた故に試した『おはぎサンド』は、意外なほどの美味。今後の標準装備として採用を検討します。ソーセージはケチャップのみ。コロッケはマヨネーズのみ。やはり、兵糧はシンプルが一番です」
その報告は、さながら優秀な補給将校のようだった。
だが、彼の声には、勝利の昂揚感ではなく、深い疲労の色が滲んでいた。
「…しかし、健太先輩。作戦完了後の今、我が体内のグリコーゲンは完全に枯渇し、脳が機能不全に陥っています。アドレナリンが切れ、ただ、城に帰還し、眠りたいという欲求しか残っておりません」
健太は、カップを静かに置いた。
「お前は、戦闘計画と補給計画は完璧に立てた。だが、最も重要な『戦士の休息と回復』の計画を、完全に失念していたようだな」
「休息…」
「いかなる王も、ただ戦い続けることはできぬ。エネルギーを放出した後は、それを回復させる時間と場所が必要だ。お前の計画には、それが欠けている」
健太の言葉通りだった。
このままでは、実家に帰る気力も、他の拠点に立ち寄る気力もない。
ただ、家に帰って眠るだけ。それでは、せっかく外出した意味が半減してしまう。
「仮眠を取る場所があれば…」
吹雪がそう呟いた、その時だった。
「あ、ふぶきん!」
店の外から、アリアの明るい声がした。彼女は、楽しそうに店の窓を覗き込んでいる。
「こんな所にいたんだ! 歌い終わった? ふぶきん、なんだかお顔が真っ白だよ。疲れたの?」
「アリアか…。ああ、少しな。もう、帰って寝るしかできそうにない」
吹雪が力なく言うと、アリアはきょとんと首を傾げた。そして、にぱっと笑って言った。
「疲れたなら、おうちに帰っちゃダメだよ! もっと疲れちゃう!」
「何を言っているのだ…?」
「公園に行こうよ! 駅の近くの、あの大きな公園! 気持ちのいい木陰があるから、そこにシートを敷いて、みんなでお昼寝するの! 風がすーすーして、最高だよ!」
公園で、昼寝。
その、あまりにも単純で、そして完璧な「休息」の提案に、吹雪は目を見開いた。
なぜ、その考えに至らなかったのだろう。
休息とは、必ずしも城のベッドでなければならない、という固定観念に囚われていた。
彼は、健太の顔を見た。健太は、面白そうに、ただ静かに頷いている。
吹雪の口元から、ふっと力が抜けた。
「…そうか。公園で、昼寝か。悪くないな」
壮大な計画と、緻密な計算の果てにたどり着いた、疲労という名の行き止まり。
その壁を打ち破ったのは、幼馴染の、あまりにもシンプルな提案だった。
魔王は、まだ飲み干していないコーヒーのカップを手に、ゆっくりと立ち上がった。
彼の休日の午後は、まだ終わってはいなかった。
どうやら、これから極上の休息時間が、始まりそうだった。




