引きこもり魔王と二人の仲間
「昨日もよくやったものだ、健太よ」
自室のソファに深く沈み込みながら、俺――吹雪は呟いた。
昨日と言えば、仕事の話し合いと、長らく懸案だった商品メンテナンスの件が片付いた。
大したことではないが、それでも俺にとっては大きな一歩だった。
隣でコーヒーを淹れていた健太が、フン、と鼻を鳴らす。
「吹雪さん、仕事の『思い出』って概念、そもそも吹雪さんの中にあります?」
健太は、細身だがどこか強靭さを感じさせる佇まいの男だ。
まるでドラゴンが人間の姿を借りたような、そんな現実的な視点を持つ彼は、俺の無駄な思考をバッサリと切り捨てる役目を担っている。
「うむ…確かに、あまりないな。仕事は仕事だ。終われば忘れる」
「まあ、それが吹雪さんのいいところでもあり、悪いところでもあるんですけどね」
健太は淹れたてのコーヒーを俺の前に置いた。
ふわりと漂う香りが、少しだけ俺の心を穏やかにする。
今日の課題は「休日の自分」。
これについては、頭を悩ませていた。
休日はとにかく俺は動こうとしない。
かつては「動いている自分」というモチベーションがあったように思う。
外に出る自分が珍しくて、それだけで新鮮だったのだろう。
だが、それも少し慣れてくると、過去の経験則で一番慣れ親しんだ「家でゴロゴロ」が復活し始めてきたのだ。
「休日は朝にのんびりする時間はない、と、自分に言い聞かせることですね。前日から休日モードに入ってしまっているのが問題ですよ。それにやっぱり目的がないと」
健太は的確に俺の弱点を突いてくる。
休日は、すでに前日の夜から体が違う感覚で、仕事の日と同じように「準備万端で朝出かける」ということが、そもそもできない。
同じ行動でも思考が違うせいで、仕事の日と休日では「精神疲労度」が全く異なるのだ。
だから行動が進まないし、無理に動いてもすぐに「休憩」モードになってしまう。
「だから、やることは『とにかく外に出る事』なんだが、それが難しい」
俺はソファにもたれかかり、天井を仰いだ。
休日は生活に必要な面倒なことは、全て無視するか、適当に終わらせる。
朝の面倒な行動は極力やらずに外に出る。
これが第一の課題だと、昨日も自問自答していた。
「で、今日はどこへお出かけなさるんですか?」
最近は前日までに休日の行動を記す習慣がつき、朝の時間を取られることは減った。
だが、この習慣が続くかどうかはわからないので、パターンは作っておきたい。
「今日は…原付きは使いたくないな。どうせ帰ってきて、家に引っ込んでしまうのが目に見えている。今まで何十回も繰り返してきた」
そう、原付きで遠出は避けたい。
――楽しい気持ちでやりたいことが溢れている、人と関わる用事がある、目的がある――
これらのどれがあればいいのだが、俺にはそれらがほとんどない。
だから「何もしない方がいい」と脳が訴えかけてくるのだ。
人間の性質だから仕方がない。
しかし休日に近場をウロウロすると、結局俺は家に引っ込んでしまう。
「それなら、人と約束する用事を優先すればいいじゃないですか」
健太の言葉に、俺はハッとさせられた。
そうだ。電車代がかかったとしても
「食べてもらいたいコロッケがある」
というアリアとの約束は守った方がいい。
「アリアか…そうだな、今日はアリアに会いにいこう」
ちょうどその時、扉が勢いよく開いた。
「吹雪!健太!コロッケ食べに行こうよ!」
そこに立っていたのは、幼馴染のアリアだった。
彼女はいつも突拍子もない行動で俺たちを驚かせ、そして場の空気を和ませる。
まるで吹雪を呼ぶ風のような、そんな不思議な存在だ。
「アリア、ちょうどその話をしていたところだ」
「え、そうなの!?やった!じゃあ、早く行こうよ!」
アリアは、俺たちが返事をする間もなく、ぐいぐいと俺たちの腕を引っ張ろうとする。
彼女の底抜けの明るさは、時に俺の沈んだ心を浮上させてくれる。
しかし、今日の目的地は少し遠い。
遠くに行くには余計な電車賃がかかる。梅田に行くには最初は天六で降りる。
仕事の定期範囲なので無料でいける。
(帰りは面倒くさいのでお金かけて帰るが)
この「最初は無料電車」というのが行動を軽くしてくれる。
「吹雪さん、無理に遠出しなくても、コロッケを食べに行くのも立派な『活動』ですよ」
健太がそっと俺に声をかける。
「そうだよ!美味しいコロッケ、きっと吹雪も元気出るって!」
アリアが俺の顔を覗き込む。
彼女の言葉は、いつも俺の思考を簡潔にしてくれる。
休日の充実とは、
「こなしたいと決めたことをこなした一日」
だ。
そして、今の俺にとって「こなしたいこと」とは、
「日中は活動していること」
という、ごく単純なレベルなのだ。
なんとなく『一日活動していれば、何か達成できるんじゃないか』と感じている。
そこに目的が入っていないから、実際には何も達成できないのではないか?
俺は心の中で自問する。
「一日行動し続けてそれが習慣になれば、目標が見つかって行動するようになる」
と思っているようだが、これも幻想なのかもしれない。
「でも、行動していかないと、何をしたいかは見えてこないじゃないか」
一緒にやってくれる人がいると、どんなに有り難いだろう。
俺は独り身で、行動を共にする友人が少ない。これは大幅な人生ロスだ。
必要なのは、能力のある友人ではない。
行動が共にできる友人なのだ。スキルは関係ない。
「吹雪、何考え込んでるの?早く行こうよ!」
アリアの声が、俺を現実へと引き戻す。
「分かった、アリア。行こう。健太も、頼む」
健太は小さく頷き、俺たちに続いて歩き出した。
利害関係のない友人。
それが、今の俺にとって一番大事な財産なのかもしれない。
これまで、俺はそんな相手を手放し続けてきた。
勇気を持って誘うこと。
でも無理に作ろうとしないこと。
イベントには極力参加すること。
人との関わりを大事にすること。
嫌なものは嫌と言うこと。
助け合うこと。
利害はない方がいい。
「…ここからスタートか」
俺は小さく呟いた。
青い空の下、アリアと健太と共に歩き出す。
今日という一日が、俺にとっての新たな始まりになることを願って。