魔王、跳ねて悟る
「ジャンプしたら痩せるって言ってたんだ」
魔王吹雪は、どこから仕入れてきたのか、今日もまた突拍子もないことを言い出した。
玉座に座る代わりに、フローリングの一階のフローリングの上で足踏み程度のジャンプを繰り返している。
その姿は、魔王というよりは、新しいダイエット法にハマった隣の兄ちゃんといった風情だ。
「朝昼晩の一日三回、ゆるジャンプで一分200回でOKだってさ。なわとび感覚だから、まあ最後はちょっとキツイけど、なんなくいけるレベルだぞ!」
吹雪が熱弁をふるう横で、健太は爪を研いでいた。
巨大な体躯に似合わず、どこか気だるげな視線を吹雪に向け、鼻で笑う。
「魔王様が今さらダイエットねぇ。それに、木造の家じゃ耐久性の問題もあるし、騒音問題にもなりかねん。あんたの家は一階がやたら丈夫だからいいんだろうが、一般人はそうはいかない」
健太の指摘に、吹雪はぴょんぴょん跳ねながらも頷いた。
「ふっ、朝、出勤前にするのもいいし、チョクザップでやるのもいいな。最初は家の一階に100均の床シートでも貼って、そこでジャンプするのもいいかなって思ったんだ。準備したら続けやすいだろ? 費用もたった400~600円だし」
「いきなり設備投資はやめとけ。どこでもできる方がいいに決まってる。習慣化してから考えろ」
健太の言葉はいつも的確だ。
しかし、チョクザップの案には、吹雪は渋い顔をした。
「チョクザップは人目があるからなぁ……。あ、そうだ。仕事場はありだ! 朝イチで仕事に行った時、着替えたり、アトピーの薬塗ったり、インスタントコーヒーの準備をしたりで、ブログを書く前に結構時間かかってるだろ? そのついでにジャンプも取り入れようと思うんだ。健康の事を考えてもなかなかラジオ体操はしなかったけど、ジャンプならできそうだし」
アリアが、にこにことしながら吹雪の足元に転がってきた。
彼女はいつも、唐突で、しかし優しい行動で場を和ませる。
「じゃんぷ、たのしい!」
アリアの言葉に、吹雪はさらに張り切った。
「だろ? 仕事場では昼間は難しいから、アルバイトさんが来る前にする方がいいだろうな。こまめなジャンプがダイエットに繋がるって信じてるんだ。腕を上げるとさらに肩甲骨とかにもいいらしいが、それはしんどいから、たまにでいいか」
健太はため息をついた。
「結局、楽な方に流れるんだな、魔王様は。だが、その方が続くのは事実だろう」
吹雪は、ジャンプのリズムを少し緩めて言った。
「そうなんだよ。だから、帰宅した時も一階でジャンプしておきたいんだ。二階に上がる前にね。ていうか、家での習慣として、一階に降りた時は絶対やる、ってのはどうだ? ゴミ捨て、出勤帰宅時とか。腕はめんどくさいなら上げなくていい、という事にして」
健太は顎に手を当てて考え込む。
「それは悪くないな。習慣化すれば、休日にも行えるし、体のストレッチにもなる。ダイエットにもなるってんなら、やらない手はないな」
吹雪は真剣な眼差しで、遠い未来を見据えるように語った。
「ああ。ていうか、年取ってからの筋力の衰えを軽減させる手段として、このジャンプはかなりありだと思うんだ。だから、一生の習慣として取り入れておきたい。取り組む前の自分への報酬は何がいいだろうか? まぁどっちにしても老後対策が基本だな。今の足の健康維持にもなるし、もちろんダイエットにもなる。やると気持ちがスッキリする感じもあるから、これが報酬の一部になるだろう」
「つまり、報酬はいらないってことか?」
健太の問いに、吹雪は再びジャンプを始めた。
「いや、どこでもできるのがいいって言ってたけど、一階に行ったらするっていう習慣はなかなか身につかないと思うんだ。だから、『一階でジャンプするメリット』を見つける必要がある。でも床が盛り上がっている部分ではジャンプしないほうがいいらしいんだ。いいと思ったのにダメだったな」
健太は、爪を研ぐのをやめ、吹雪の跳ねる姿をじっと見つめた。
「ジャンプは運動神経も上がるらしいぞ。それも健康として重要な要素だ。スポーツをしないあんたにとっては大事なことだろう。肩こりも少しは改善するらしいから、長時間の座り仕事にもいいんじゃないか?」
「ウォーキングで痩せようとしてたんだけど、足底腱膜炎になっちまってな。一日一万歩もなかなか辛くなってきたんだ。ダイエットも難しくなって、食事制限しかなくなっていたからさ。それはそれでいい経験だったと思うけど」
吹雪はジャンプを止め、深呼吸をした。
アリアが、吹雪の足元に近寄って、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「肩こり、血流改善、認知症予防、ダイエット、気分転換、長時間座るデメリットを改善、空間の有効利用……。できる場所としては家、仕事場、人がいない駅、人がいない公園、人がいないチョクザップ。そんなところかな?」
吹雪は、自分に言い聞かせるように、一つずつメリットを挙げた。
その顔には、魔王としての威厳は一切なく、ただひたすら健康に、そして少しでも楽に痩せたいと願う、等身大の男の姿があった。
健太は、何も言わずにただ吹雪を見ていた。
その視線の奥には、呆れと、ほんの少しの心配と、そして確かに応援の気持ちが込められているようだった。
アリアは、そんな二人の間を、何の気なしに駆け回っている。
彼らの日常は、今日もまた、ゆるやかなジャンプのリズムと共に過ぎていくのだった。