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魔王吹雪とドラゴンの『心の声』談義

「はぁ…今日の来客もゼロとは。書類整理が進むのはいいが、こう玉座に座りっぱなしじゃ体がなまっちまうな」


魔王吹雪は、静まり返った魔王城の執務室で大きく伸びをした。


朝からの雨で、いつもの日課である

「京橋から徒歩で仕事場まで行く」

はできなかった。


これでは運動不足は明らかだ。


幸い、執務を終える頃には雨もすっかり上がっていた。


「よし、今日は帰りに京橋まで歩いてみるか。ついでに、あそこのフリースペースで書きかけの『魔王軍再建計画書・超改訂版』も少し進められるかもしれんしな」


思い立ったが吉日、吹雪は軽い足取りで魔王城を後にした。

京橋までは徒歩で約55分。いい汗をかきそうだ。


目指すは、賢者や魔法使い見習いたちが夜な夜な集うという噂の「知恵の泉フリースペース」。


薄暗い照明の中、皆が真剣な面持ちで分厚い魔導書を広げたり、古代ルーン文字を書き写したりしている。その独特の雰囲気が、吹雪には案外と心地よかった。


「ふむ、やっぱり悪くないな、ここ。結構集中できるじゃないか」


あっという間に時間は過ぎ、気づけば予定の20時半。

滞在時間は約50分だったが、計画書の筆は自分でも驚くほど進んでいた。


魔王城に戻り、ラウンジでくつろいでいたドラゴンの化身、健太を見つけると、吹雪はその日の出来事をやや興奮気味に話し始めた。


「なあ健太、聞いてくれよ! あのフリースペース、めちゃくちゃ良かったぞ! なんであんなに快適だったのか…俺って、同じ場所に3時間もいられないタイプだろ? それがさ、あの50分は我ながら見事な集中力だったんだ!」


健太は手にしていたハーブティーのカップを置き、面白そうに片眉を上げた。


「へえ、そりゃ珍しいな、吹雪。確かにお前、昔から一つのことにじっと取り組むのは苦手だったもんな。時間の区切りと、周りのあの真剣な空気がお前にハマったってことか?」


そこへ、いつものようにひょっこり現れたのは幼馴染のアリアだ。

手には、なぜかキラキラ光るキノコを数本握りしめている。


「ふぶきー、けんたー、これ、フリースペースの裏庭で見つけた『星詠みダケ』! きれーだから、スープにしない?」


「アリア、それは食用じゃなくて占い用のキノコだぞ…まあ、お前が言うなら、試してみるのも一興かもしれんが」


健太は苦笑しつつ、アリアの自由さには慣れたものだ。


吹雪は興奮冷めやらぬ様子で続ける。

「そうなんだよ! 平日の朝に書いてる『魔王活動日誌』は1時間があっという間なのに、休日に『さあ、時間はたっぷりあるぞ!』と思うと、途端にうんざりして何も手につかなくなるんだよな。『これ、いつまでやれば終わるんだ?』って感じでさ」


「ああ、わかるぜ、それ。終わりが見えない作業ってのは、どうにも気が乗らないもんだ。締め切り間際の方が、かえって集中できたりするだろ? 人間も魔族も、その辺は案外似たようなもんだな」


健太は、アリアが星詠みダケを健太の読みかけの本の栞代わりに挟もうとしているのを、やんわりと制しながら首を横に振った。


「だからさ、この流れが今の俺には最高なんだ! 朝は家事で動き回って、仕事は…まあ、暇だと体は動かせんが、その分、帰りにウォーキングで運動不足解消! しかも、そのウォーキングの先に『執筆』っていう楽しみがあるから、歩くのも苦じゃない。軽く運動して、好きなことに没頭する。この充実感がたまらんのだ!」


吹雪の目は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように輝いている。


「もし電車で京橋まで行ってたら、運動もしてないし、そこまで執筆意欲も湧かなかったかもしれん。『歩いたからこそ、ついでに書ける』って感じなんだよ、まさに!」


健太は腕を組み、なるほどな、と頷いた。


「体動かしてスッキリして、その勢いで好きなことに打ち込む、か。そのサイクルがお前にとっての『ごきげんモード』ってわけだ。その『寄り道』が、お前の日常に新しい風を吹かせたんだな」


吹雪は大きく頷き、さらに言葉を重ねる。


「ああ! 今のこの環境、仕事も(暇が多いとはいえ)そこまできつくない。その上でさ、『自分の心の声を聞く』ってのが、すげえ大事なんじゃないかって気づいたんだ。今、自分は楽しいのか、そうじゃないのか。どういう気分で、何をしたいのか。そういう自分の感情をちゃんと見て、それに合わせて動く。ほら、魔法訓練場でもさ、『今日はこの系統の魔法は練習したくないな』とか『この魔道具は触りたいけど、あっちは今はいいや』とか、そういうのあるだろ?」


アリアが、今度は健太の肩に顎を乗せ、会話に割り込んでくる。


「ふぶきん、それって、アリアがお腹すいた時に『ぐー』って鳴ったら、おやつ食べるのと同じことー?」

「はは、そうだな、アリア! ある意味、それも自分の体の声を聞いてるってことだ!」

吹雪はアリアの頭をわしゃわしゃと撫でた。


健太は少し目を細め、面白そうに口元を緩めた。


「自分の感情や状態をちゃんと見て、それに合わせて行動を選ぶ、ね。それって人間界じゃ『マインドフルネス』なんて呼ばれてる考え方にちょっと似てるな。自分の内側の言葉を聞いて上手く付き合っていく感じだろ? なかなかどうして、お前も面白いところに気づくじゃないか。魔王のくせに、妙に人間臭いというか」


「なっ、なんだよ魔王のくせにって! でも、そう言われると悪くない気もするな」


吹雪は照れくさそうに鼻を掻いた。

暇を持て余していたはずの魔王が、日常の些細なことから、自分自身を深く理解するヒントを掴みかけていた。


「これからも、この『自分の心の声を聞く』ってやつ、続けてみようと思うんだ。そうすれば、平日のプライベートも充実するだろうし、休日もきっと前よりずっと面白く過ごせるはずだからな!」


吹雪の言葉には、確かな手応えが感じられた。


京橋のフリースペースは、彼にとって単なる作業場所というだけでなく、自分と向き合い、日常に新しい価値を見出すきっかけを与えてくれる、ちょっと特別な場所になったようだ。


「よし、明日は休みだし、またあのフリースペースに行ってみるかな! もちろん、今回も徒歩でな!」


魔王の顔には、退屈とは無縁の、活気に満ちた表情が浮かんでいた。


「わーい!ふぶきんとまたお散歩ー!今度は光る石ころ探すんだー!」

と、アリアは星詠みダケを振り回しながら嬉しそうに宣言するのであった。

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