魔王吹雪、寄り道のススメ ~無料スペースは心のオアシス、ただし懐は極寒注意報~
「ふははは! 見つけたぞ、健太、アリア! 我が新たな聖地を!」
俺、吹雪は、仕事帰りの興奮冷めやらぬまま、いつものカフェで高らかに宣言した。
昨日は徒歩で仕事場から京橋駅まで歩いたのだ。
最初は2駅くらいのつもりだったが、幸い足底筋膜炎が騒がなかったので、思い切って足を延ばした結果、素晴らしい発見があった。
「また魔王様が新しいアジトを見つけたのか? 今度はどこのダンジョンだ?」
健太がやれやれといった顔でコーヒーカップを傾ける。
「ふぶきんが、そんなに楽しそうだと、私もワクワクしちゃう!」
アリアが目を輝かせて身を乗り出してきた。
「うむ! 京橋の、とあるビルの一角なのだが、なんと無料で机と椅子を開放している。さらにそこはコンセント付きなのだ! 休日前の寄り道など何十年ぶりか…。『寄り道なんて時間もお金が勿体ない』と思っていた俺が、無料のフリースペースというだけで、これほど魅力的に感じるとは!」
俺が熱っぽく語ると、健真顔を上げた。
「ほう、フリースペースでコンセント付きか。それは確かに便利だな」
「だろう? 夜の20時前だというのに、勉強している学生や、パソコンを開いて仕事をしている社会人がチラホラいてな。家ではできないことも、ああいう場所ならできるだろう。少し落ち着いた雰囲気のビルの一階で、未来に希望を持って頑張っている人たちが、なんだか輝いて見えたのだ。俺ももっとここで人生を磨く何かをしたいと、魂が震えた!」
「それで、魔王様は何を磨くんだ? 魔剣か? それとも爪か?」
健太の茶々に、俺は構わず続ける。
「決まっているだろう、小説だ! 今は仕事前にブログを書き、時間があればラノベ、という流れだが、ラノベまで手が回らないことも多い。そんな日は、仕事後にあそこに行って書くのもいい。休日の前にも最適だ。明日の計画を練るのにもな」
「へえ、ふぶきん、ブログ書くために家も買ったのに、まだ外で書く場所探してるんだ?」
アリアが不思議そうに言う。
「家はあくまで非常手段だ、アリアよ。色んな場所に行って、無料で利用できる場所を見つける方が楽しいのだ。その工夫自体が趣味であり、発見した場所を使うことで二重の趣味となる! 給料を減らされて何かしなきゃと考えている中で、それができそうな楽しみの場所を見つけられた。これもその成果の一つだ」
なんだか聞いてはいけないような話が聞こえたが、突っ込まないでおこう。
「この場所は友人と遊んでいる時に入った事のある場所だった。だから一人でも行ってみようと思ったんだな。こんな風に人と会っていなければ見つけられなかったものは多い。つまり、人と会うという事は、自分の楽しみや大切な場所の幅を広げる可能性が高いということだ!」
「…お前がそこまでポジティブに語るとは珍しいな。何か裏があるんじゃないだろうな?」
健太の疑念の目に、俺は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……裏、というか、まあ、現実的な問題もなきにしもあらずでな……」
「やっぱりか。で、今度は何をやらかしたんだ?」
ここは聞かずにはおれなかった。
「いや、やらかしたわけではないのだが……。人と会う金が、その……ない、というか、ほとんどないのだ」
俺は観念して、家計の窮状を白状した。
生活費、NISA、iDeCo、ローンで給料はほぼ消え、去年の支出から計算したら毎月1.5万円ほど足りない。
薄給のボーナスでチャラになるかどうかで、貯金は一切できない。
それなのに、今後数年で冷蔵庫、洗濯機、バイク、スマホの買い替えで、ざっと100万円は必要になりそうだ、と。
「……魔王様、それはかなり深刻な財政危機じゃないか。ポイ活だけじゃ焼け石に水だろ」
健太が眉間に深い皺を刻む。
「ふぶきん、大変だー! でも、小説書いてココナラで売るって言ってなかったっけ?」
アリアの言葉に、俺はか細い声で答える。
「ああ、それはもちろん考えてはいるのだが、まあ、そんなにうまくいくとは思えん。だが、好きなこと、苦痛ではないことで生きていこうと決めたのだ。何かをするには体が元気な事はすごく重要で、疲労していてはやりたいことも後回しにしてしまう。今のように心も身体も負担の少ない仕事がいい。自分の時間を大事にしたいのだ」
「続けられるもの、か。お前にとっては、それが小説やブログなんだろうな」
健太が静かに言う。
「そうだ。少なくとも、今のブログのように楽しいと思えることは続けられる。だが『商用ブログ』となると途端に書けなくなる。つまり書く内容にもできない事が多々あるのだ。だから、書きたいものを書ける時に書き、その時間も確保する。それしかない」
俺は窓の外を見つめた。
京橋のフードコートで感じた、あの静かで熱意に満ちた空気。
あそこなら、今の俺でも何かを生み出せるかもしれない。
「金はない。将来も不安だ。だが、希望はある。あのフリースペースが、俺の新たな力の源泉になるかもしれん」
「…まあ、お前がそれで前向きになれるなら、いいんじゃないか。ただ、無理だけはするなよ。足の裏も、懐も」
健太の言葉に、少しだけ心が温かくなる。
アリアがキラキラした目で俺を見た。
「ふぶきんの新しい小説、楽しみにしてるね! フリースペースで書いたら、きっと近くのラーメン屋の美味しい匂いがする小説になるよ!」
「……アリアよ、それはどういう理屈だ」
俺は苦笑しつつも、まんざらでもない気分だった。
金はないが、時間と、ささやかな楽しみと、そして書くべき物語がある。
元魔王の新たな挑戦は、京橋の片隅から、静かに始まろうとしていた。




