魔王様は星になったクリエイターを想う
「……また一人、名士が没する、か」
俺、吹雪は、YouTibeの動画から顔を上げた。
スマホ画面には、ある高名な作曲家の訃報が静かに表示されていた。
知っていたハズなのに、俺は今の今まで、なぜか思い巡らせていなかった。
すぎやまこういちさん……俺の青春、いや、全てだったかもしれない「ドラゴンクエスト」の音楽を生み出した人。
心の奥底から、ずしりと重い何かがこみ上げてくるのを感じた。
「どうしたんだよ、魔王様。世界の終わりでも予知したかのような顔して」
いつものように軽口を叩きながらカフェオレを運んできたのは健太だ。
その隣には、心配そうにこちらを覗き込むアリアの顔もある。
「健太……アリア……。いや、世界の終わりではない。だが、ある意味、俺の世界の一部が終わったような、そんな気分だ」
俺はスマホの画面を二人に見せた。
「ああ、すぎやまこういちさんか……。ドラクエの音楽は、確かに偉大だったな」
健太が静かに頷く。
アリアは
「ドラクエ? あの、スライムが出てくるやつ?」
と首を傾げている。
「俺はドラクエ2から入ったんだ。兄貴が買ってきたのに、俺の方がドハマりしてな……」
自然と、昔の記憶が蘇ってくる。
鳥山明先生の描くモンスターが大好きで、来る日も来る日もノートに模写していた。
上手い下手なんて関係なく、ただただ楽しくて、ワクワクしていた。
小説家、漫画家、ゲームデザイナー……そんな憧れが芽生えたのも、あの頃だ。
「でも、昔はそういうの、馬鹿にされたんだよな。『まともな人がなるもんじゃない』って風潮があってさ。だから、子供心に黙ってた。でも、諦めきれなくて、徹夜でモンスターの絵を描いたりしてた。絵のタッチは、もうモロにドラクエ風だった」
「ふぶきん、絵、描いてたの? 見たい!」
アリアが目を輝かせる。
「もう何十年も描いてないさ。高校は全寮制で、アニメ好きは馬鹿にされる風潮だったから、高校1年の前半で封印した。好きな事を否定されるってのは、いびつな気持ちを植え付ける。卒業する頃には絵には興味がなくなっていた。でもその代わりにプログラマーになるなんて言ってたけど、専門学校の勉強についていけず、奨学生の新聞配達しながら学校にも行かなくなった」
「……お前にも色々あったんだな」
健太が、いつになく真剣な表情で聞いている。
「言い訳かもしれないけど、自分の好きなものが否定される世間で生きていると、自分に自信がなくなるんだよな。でもその頃にはもう、ゲームをしてもすぐに飽きるようになってた。ただ、」
と吹雪は続ける。
「ただ、物語への憧れだけは強く残ってた。ドラクエの音楽を聞くと、今でも少し涙が出るんだ。ノスタルジーなのか、失った青春を感じるのか……戦闘曲はワクワクするし、フィールド曲は涙が出る。そんな音楽を作った人が、亡くなってしまうんだからな……」
「でも、90歳って大往生だよ。ふぶきんの心の中では、ずっと生き続けるんじゃない?」
アリアの言葉は、時々核心を突く。
「ああ、そうだな。ゲームが織りなす物語と、それにフィットする音楽は、感動を立体化させる。確実に俺の心に生きている。……あの人は、幸せだったのだろうか? そうであってほしい。そうでないと、人生ってなんなんだって思ってしまう」
「クリエイターの幸せか……難しい問題だな」
と健太。
「鳥山明さんは68歳だった。あの人の絵も、俺の心に今でも生きている。なんでこんな偉業を成した二人の死が、もっと話題にならなかったのか当時は不思議だった。でも、世の中ってそんなもんなんだよな。重要な人の死でも、情報はただ流れていく。俺が思っているような称えられ方はされない」
俺は、ふっと自嘲気味に笑った。
「だから、生きている人は、生きている間に幸せにならないといけないと思う。そうでないと報われない。どんなに人に深く影響を残したって、世間はただの情報として終わらせる。それなら、自分がやってる事をそこまで過剰に評価しない方がいいし、そこに心を奪われて全てを賭けるような生き方は、割に合わない気がする」
俺が自嘲気味にそう結ぶと、健太はカップをソーサーに静かに置いた。
「でも、吹雪。そうやって誰かの心に深く残るものを作れた人生は、本当に割に合わないだけなのかな」
健太の言葉は、いつもの軽口とは違う、静かな響きを持っていた。
「え……」
「俺はさ、ドラクエも鳥山先生の絵も、吹雪ほど詳しくはないけど」
と健太は続ける。
「でも、お前がこんなにも心を揺さぶられて、人生の一部だって言うくらい影響を受けた。それって、作った人にとっては、ものすごいことだと思うぜ。世間がどう報じるかなんて、ちっぽけなことかもしれない。本当に大切なのは、受け取った人間がどう感じて、どう生きるかじゃないか?」
アリアは屈託なく笑う。
「楽しかったんでしょ? ワクワクしたんでしょ? それが一番だよ」
楽しかった。ワクワクした。
アリアの純粋な言葉が、凝り固まっていた心の何かを溶かしていく。
そうだ、あの頃の俺は、誰に褒められるでもなく、ただ好きだから描いていた。
ノートに描かれた不格好なモンスターたちは、確かに俺の世界の HERO だった。
すぎやまさんも、鳥山さんも、きっとそうだったんじゃないだろうか。
もちろん、多くの称賛を浴びただろう。
だが、その原点は、きっと純粋な「好き」という気持ち、「創りたい」という衝動だったはずだ。
そして、その衝動から生まれたものが、俺のような人間の心に深く刻まれ、何十年経っても色褪せずに生き続けている。
「……そうだな」
俺は、ふっと息を吐いた。それは、今まで胸につかえていた重い何かを少しだけ押し出すような息だった。
「彼らが幸せだったかどうか、俺には分からない。でも、彼らが残してくれたものは、間違いなく俺を幸せにしてくれたし、今もこうして心を揺さぶる。そして、それはこれからも変わらないだろう。それだけで、彼らの人生はものすごく価値があったんだと、今は思える」
「だろ?」
と健太が少し得意げに笑う。
俺は、まだ温かいカフェオレを一口飲んだ。
苦味と甘みが、不思議と今の心境に寄り添うようだった。
「世間がどう評価し、どう流れていこうと関係ない。俺の心の中で、彼らの音楽や物語・絵は生き続ける。そして、俺も……俺自身の『好き』を、もう少しだけ信じてみてもいいのかもしれないな」
空は高く、どこまでも青かった。
すぎやまこういちさんも、鳥山明さんも、もうこの空の下にはいない。
けれど、彼らが紡いだ物語と音楽は、確かにここにあり、俺の心に、そしてきっと多くの人々の心に生き続ける。
それで十分じゃないか。
いや、それこそが、クリエイターにとって最高の勲章なのかもしれない。
俺はもう一度スマホの画面を見た。
そこには、すぎやまこういちさんの穏やかな笑顔の写真が映っていた。
ありがとう、と心の中で呟き、俺は画面をそっと閉じた。
失ったと思っていた青春の欠片が、少しだけ、輝きを取り戻したような気がした。




