失恋した人と結婚した、経過と言い訳
その後、聖慈くんは万事滞りなく整えられた庭園から脱走した。
残されたわたしと春樹さんは、蹴飛ばされた布団や、開けっぱなしの襖を黙々と元に戻した。
きりがついてから、アイスティーのおかわりを注文した。
「あの。聖慈が、なんか、すいませんでした」
「いえ。わたしもなんか、濃厚なキスにテンパりました」
礼儀正しく机を挟んで頭をさげあうふたり。
春樹さんは真っ赤になって目線キョロキョロ。
「あの、でも、聖慈くんに言われたことは、見当違いじゃあないんです」
「?」
「わたし、お嬢様らしい社交できないし、段ボール作るしか、仕事もできないんです。家事は、洗濯だけ。整理整頓が1番ダメ! だからね、春樹さんも、こんなはずれ物件を引き受ける必要、ないんですよ」
笑えないけど、笑うしかない。
事実なんだから仕方がないけど、自分で言うの、けっこうキツイなあ。
でもさ、どうやったらお道具箱を整理できるのか、机の中をきれいにできるのか、ランドセルがぐちゃぐちゃにならないのかわかんないまま大人になっちゃったんだよ。
整理整頓そのものが、できないわけじゃない。継続が無理。
気がつけば、持ち物はぐちゃぐちゃ。
部屋もぐちゃぐちゃ。
鍵はなくすし、体操着は家にも学校にも忘れたし、いつだって遅刻ギリギリか、極端に早く来てヒマだし。
そんな自分が、嫌いだけど直せない。治らないことを諦めながら、空回りしながら、あがいてきた。
「それは難儀だね」
春樹さんは、深く深く頷いてくれた。
「僕が同性しか愛せないことと、同じくらい難儀なんだろうなあ」
「え?」
「僕も、女性を好きになろうとしたことがあります。人として好意を持つことはできるんです。でも、心身ともに愛することができなくて。多分、脳の作りがそういう風にできているんです。僕は比較的器用だから、たいていのことは普通にできます。なのに女性と恋愛することだけ、できない。その人にとって無理なことが、大多数の人に普通にできると『ちゃんとしなくちゃ』って焦るんですよね。だから、難儀になるのかなって。貴女も」
こんな風にわたしのことを考えてくれる人に、初めて出会った。こころが切なくうずいた。
ああ、これが落ちたっていう現象か。
一応、それなりに彼氏はいたし、処女でもない。
でも、恋ってもっとこう、顔が好みとか、どこかに出かけて思い出を作りたいとか、キスしたいとか、セックスしたいとか、自分の欲望が最優先な感情だったはずだ。
自分が楽しいことさえしていれば、相手も楽しいと思っていた。
どんな恋も、初めはドキドキしたし、終われば悲しかったから。
目の前の人が笑ってほしいとか、幸せであってほしいと望んだのは、生まれて初めてだ。
「ゲイは、病気じゃないですよ」
思ったままを言ったら、春樹さんは悲しそうに微笑んだ。
「親は、病気だと思ってますよ」
「逆ですね。うちの親は、わたしのうっかり大魔王が病気って、認めてくれませんよ。何かの障害だと思うんですけどネ。間違いなく」
せいいっぱい笑ったら、結った髪が崩れないようになでなでしてくれた。
「僕はゲイだから結婚はできないけど、お友達になりましょう」
恋をした瞬間にふられてしまった。
でも、救われたと思った。ちいさな神様に出会えたみたいな衝撃だった。
1週間後。
勤務先の物流センターに、聖慈くんがやってきた。
大きなトラックが行き交う駐車場に、オレンジ色のプジョーって。異質すぎる。
聖慈くんは、それとなくフォーマルな服で、でっかい花束を持っていた。
「先週は、ごめんなさい」
小学生みたいな謝罪だ。
大きな体で周囲を気にしながら、ぺこぺこ。
「気にしてませんから、お気遣いなく」
大人な対応をしたのに、「来て」と、プジョーに拉致された。
「オレ、めちゃくちゃ失礼でしたよね。ごめんなさい。なんか、くやしすぎまして、頭がおかしくなってました」
「敬語じゃなくて良いよ。話しにくそう」
「ありがとう。でも、本当にごめん! その……夏海さんが、ハルが付き合っても大丈夫な女に思えて、ひどく嫉妬したんだ」
左ハンドルに慣れた運転だ。
肩幅が広いせいか、助手席にいても圧迫感がすごい。春樹さんと並んだら、かえって密着感が良いのかな?
「ありえませんよ。彼、女性に興味ないんですから。むしろ、両刀ができるの、聖慈くんでしょ?」
「そこまで話したの?!」
「聞いてない。わたしの予想よ。違った?」
「……違わない」
やっぱり、素直な人だ。わたしは、胸の前でカバンを持ち直した。あ、ロッカーに化粧ポーチ忘れた。ま、いっか……。定期や携帯じゃないし。
「過去に付き合ってた女の子と、セックスできたってだけの話。もうしたくない。ハル以外の男とも」
「普通だね」
「普通じゃないだろ」
「好きな人とだけセックスしたいって、普通なんじゃないの? ゲイって、同性相手なら、いつでも誰でもやりたい人たちじゃないよね?」
テールウェイを見つめる眼差しが、パチパチとした。
これは、人がびっくりした時の反応だ。
「……参った。こりゃ、ハルが推すわけだ」
「?」
聖慈くんはニカっと笑うと、ベイサイドの高級ホテルに車を停めた。
「あの日、振袖を気にしてろくに蟹が食えなかったんだろ? 奢るよ。詫びもしたいし、オレも夏海チャンと話したくなった。友達になろ?」
「んー。食後のミルクティーは、おいしいお店?」
「蟹屋にあるかよ。ミルクティーが飲みたいなら、食ってからハルんち行こうぜ?」
それは、どうなんだろう???
ふたりは、この近くのマンションで同棲しているらしい。
春樹さんの部屋に、帰国直後の聖慈くんが転がり込んだ、ともいう。
聖慈くんは本当にサッカー選手で、高校を卒業してから8年間、欧州のクラブチームでプレイしていたらしい。引退を決めた国で骨を埋めるつもりだったのに、政情不安やテロが相次いで、大使館から帰国を促されて、現在に至る、と。
サッカーの話や、東欧のいいかげんな電気事情、春樹さんが潔癖症だから、洗面所を使ったあとにウェスで拭く癖がついたこと、自身が大の料理好きだって話を聞いた。
日本は食材が豊富だから料理が楽しいけど、クロアチアでホームステイしていたお宅の、おばあちゃんのシチューだけが越えられない壁だそうだ。
うちのおばあちゃんのお味噌汁の方が、多分おいしいって言ったら、食べ比べしたいねって盛り上がった。
もちろん、蟹は無言で食した。めちゃくちゃ美味しかった。
お酒も飲んでないのにハイテンションで春樹さんのマンションになだれこんだから、もれなく春樹さんに呆れられた。
「夏海さんを夕食に誘って詫びるって聞いてたから、なんとなく覚悟してたけどさ」
呆れながらも、真新しい紅茶缶を開けてくれた春樹さんの横で、春樹さんの夕食の食器を手際よく洗う聖慈くん。
連携、とれてるなあ。
春樹さんの夕食は、聖慈くんが朝のうちに仕込んだテールシチューだったという。
「ふたりとも凄い。魔法みたい」
差し出された紅茶の前でパチパチ手を叩くと、春樹さんは余裕で微笑んで、聖慈くんは日に焼けた顔を赤くして照れた。
一口含んだだけで、目が開いた。
おいしすぎる!
専門店レベルじゃないか!
無言の絶賛に、春樹さんよりも聖慈くんの方が嬉しそう。
「あ、そうだ。このグロス、夏海さんの落とし物だよね? お見合いの時、お気に入りって話されてたブランドだし」
「わ、わたしのです! ほら、シールをはがした裏に名前書いてあるから!」
「ホントだ。工夫、してるじゃん」
わたしはいつも、家でも会社でも道を歩いていても、うっかり大魔王が世間様にバレないよう、バレても最小限ですむよう、アンテナを張り巡らせている。
自分で張り巡らせたアンテナに絡まって、財布をなくしたりハンカチを落としたり、傘を忘れたりして、わたわたしている。
そんなわたしのことだから、振袖をお吸い物にポチャンなんて普通にやりかねなくて。そこばかり気にしていた。
だから、あの日あの店のレストルームに忘れたお気に入りのグロスを、春樹さんから手渡されてびっくりした。
「机に置かないで、すぐにポーチにに入れちゃいなよ」と、聖慈くん。
「いやあの、化粧ポーチを会社に忘れまして……」
「あー。忘れ物が多い子って、一定数いるよね。オレが教えてるスポーツチームでも、公式戦にユニフォーム忘れてくる奴とかいるし」
「え。それも困りますよね」
「うん。チームのアシスト王だから、いないと困る。親もたいがい忘れっぽいから、公式戦の前日は必ず電話してるよ。今すぐユニフォーム入れてー。ソックス入れてーってやってる」
「聖慈くん、神だ」
「よくわからんけど、支援学級に通ってるんだって。ひとりだけ甘やかすなとか、障害児は相応のチームでって父兄もいるけどさ。グランドの中でも外でも、みんなでフォローしあえばよくね? ヨーロッパじゃ、腕がない子だって普通にサッカーしてたし」
……なんて話をしてたらさ。
普通にお友達になりたいって思うじゃん?
そんな話をする聖慈くんに頷いたり、うっとりしたりな春樹さんを見たらさ、普通にお似合いだって思うじゃん?
それでよかったのに。
それが良かったのに。
平和を壊すインターホンが鳴った。
「春樹、鍵を開けなさい。話がある」
くぐもった声にガヤガヤな外野。
春樹さんは、らしくなく舌打ちをした。
合鍵を使われて、春樹さんのご両親やお祖父様、ご親戚の何人かがなだれ込んできたみたいだ。
玄関には春樹さんが自分でつけたキーがあるから時間稼ぎはできるらしい。でも、そんなの時間の問題だ。
「聖慈、クロゼットに隠れて」
「へいへい」
わたしは、テーブルの上の紅茶セットをひとつ、流しの下の引き出しに隠して、ダイニングに香水をシュッとした。
春樹さんについて玄関に行き、スリッパを全部取り出して、空いたスペースに聖慈くんの靴をつっこんだ。
潔癖症らしい春樹さんが、おもいきり眉をひそめた。申し訳ないけど、この大きなスニーカーを隠す方が優先だよね?
春樹さんの白い手が、嫌そうに玄関を開いた。
「28にもなって、みっともない真似を……ん?」
凄い剣幕で雪崩れ込んできた皆様が「ん?」と固まった。
全員の視線が、春樹さんを通り越してわたしに注がれている。
「あら、まあ、夏海さん!」
思い詰めていたみたいな春樹さんのお母さんが、目を見開いて笑みを浮かべた。
「お、お邪魔しております。先日は、大変お世話になりました」
「なんだね、知り合いかね?」
「鳥栖製薬会社の、専務さんのお嬢さんですわ。先週、お見合いをしたの。お断りするって言ってたのに、春樹ったら……」
「鳥栖製薬か。堅実だな。間違いのない選択だ」
春樹さんの実家は、うちみたいな同族経営の企業グループで、うちよりもずっと規模が大きい。
春樹さんの両親より、周りの親戚の方が発言権が強そうだ。
わたしに対して、なんとも申し訳なさそうな顔をしている。
「いやなに、近くで食事をしたから立ち寄っただけだ。無粋なことをしてすまなかった。鳥栖夏海さんか。覚えたよ。春樹をよろしくたのむよ」
1番偉そうなハゲが、上機嫌で帰っていった。
そのあとを、ご親戚の皆さんが従うように踵をかえした。
偉そうなだけではなく、本当に偉いのだろう。あのハゲ、たぶん日経新聞の常連だ。
「春樹さんと結婚したら、聖慈くんに子どもを育ててもらいたい」は、本気の本気だった。
でも、常識派の春樹さんがそれを受け入れるとは思わなかった。わたしも聖慈くんも。
でも、ハゲたちは外堀を埋めにきた。
本家ではなくても華麗なる一族の片翼を担うご子息が、ゲイであってはならない。あるはずがないのだ。彼らの中では。
さすがの私もちょっとビビって「わたしみたいな粗忽者にはムリなんじゃ?」と親に言った。
けど「長男じゃないし。先方が良いと言っている間に嫁ぎなさい」だって。妹にも「お姉ちゃんは、黙っていればしっかり者に見えるから、大丈夫」とフォローにもならないことを言われた。
わたしの家族は、勉強しかできないわたしを愛しているけど、もてあましてもいる。まして、春樹さんがゲイであることを知らない。教えるつもりもないけど。
春樹さんは、なかなか首を縦にふらなかった。そりゃ、そうだ。聖慈くんだけを愛してきたんだから。その聖慈くんに三連休の日にぶっ通しで説得されて、しぶしぶ婚姻届にサインをしたという。
「お前の親戚はお前の結婚を諦めないだろ? 夏海チャンを手放したって、他をあてがわれるだけだぞ。なら、夏海チャンがいいよ。ていうか、オレが夏海チャン以外の女は嫌だ」と。
役所に提出したわたしと春樹さんの婚姻届は、双方の親が保証人だ。
でも、わたしが正式なものと信じる婚姻届には、春樹さんと聖慈くんの名前がある。保証人はわたしだ。1番尊い宝物だから、神棚の奥に隠した。
こうして、わたしと春樹さんは、半年後に時代錯誤で派手な披露宴を開いた。
彼の一族とわたしの家族が嬉しいだけの、新郎新婦が置いてきぼりの結婚式だった。