1-8.旅の始まり
翌朝、俺は豹獣人の兄弟に礼を伝え、この集落を後にすることにした。昨日何度も教わった道を思い出しながら進めば、街か村には辿り着けるはずだ。
別れ際、弟豹獣人はどこか寂しげな顔で、名残惜しそうにしていた。ずっと何かを「にゃんにゃん」と言い続けていたが、彼の言葉の意味は最後まで分からずじまいだった。
一方、兄の豹獣人からは、ひとつの首飾りを手渡された。
宝石をあしらったその首飾りは、力強くも繊細なデザインで、この集落や彼らの民族を象徴するかのような独特の美しさを放っていた。
クライス「いや、気にしなくていい。俺は大したことなんて――」
言いかけて首を横に振った俺の手に、彼はぐいっと首飾りを押しつけてきた。どうやら、これを受け取らない限り、集落を出ることは許されないようだ。
クライス「……ありがとう。大切にするよ」
受け取った首飾りをそっと胸にかけ、俺は集落を後にした。
道すがら振り返ってみると、兄の豹獣人は手を振り続けてくれていた。
大きく手を振り返してから、しばらく林道を進んでいると、静寂を破る声が後ろから聞こえてきた。
豹獣人「にゃっにゃ~!」
振り向くと、先ほどまで寂しげな顔をしていた弟豹獣人が、こちらに向かってくるのが見えた。
やがて俺の目の前で立ち止まり、肩で呼吸を整えながら、真剣な眼差しでこちらを見上げてきた。
クライス「どうした?」
豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ」
まただ。別れ際にも何度も繰り返していた猫語だ。
しかし、言葉が通じない以上、推測するしかない。忘れ物を届けにきた様子でもないし、何か他に理由があるということだ。
豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ」
彼は、さらに真剣な顔で同じフレーズをゆっくり繰り返している。その必死さに押され、俺も声に出してみた。
クライス「おんお、にゃんにゃっにゃ?」
……何の進展もない。
言葉にしてみたが、やはり意味も理解できない。
豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ!」
それでもまだ彼は諦めずに、何度も同じ言葉を繰り返している。
仕方ないのでリズムに合わせて、適当な言葉を当てはめてみることにした。
クライス「おまえ、ツヨかった……?」
もしかして、俺を称賛するためにわざわざ来てくれたのか?
……なんだよ、可愛いやつじゃねぇか!
クライス「そんなに褒めるなって。照れるだろ~」
自分で言って、少し得意げになったその瞬間、弟豹獣人が千切れるんじゃないかってくらい、首を左右に振り始めた。
いや、振りすぎだろ!
クライス「……そこまで否定しなくても……悲しくなっちゃうよ……?」
そんな俺の言葉を聞いて、弟豹獣人は更に激しく首を振った。
あまりの速さに残像が見え、三つ首になっているかと錯覚してしまった。
クライス「首が増えてるぅぅぅ!!落ち着け!一旦落ち着け!!」
弟豹獣人の肩をがっしりと掴み、高速で左右に揺れる首を止めるよう促した。
しばらくすると首の動きが止まり、彼と目が合う。
クライス「俺が強かったって言いたかったのか?」
弟豹獣人「にゃぁぁぁぁぁ!!」
目の前の豹獣人が震え始め、再び三つ首のケルベロスのように見え始める。
クライス「うわぁぁぁ!ごめんごめん!そうじゃないよな!」
高速で顔を左右に振る弟豹獣人を必死でなだめる。言葉の壁を感じながら彼が落ち着くまで少し待った。その後、彼が肩で息を切りながら、こちらを見てきた。
クライス「俺が強か――」
言葉を発するや否や、俺の顔面にふにゅっと肉球が押さえつけられた。
彼はうんざりした表情で、今度は自分を指差しながら一言発した。
弟豹獣人「おんお」
次に俺を指差し、歩く真似をしながら続けた。
弟豹獣人「にゃんにゃっにゃ!」
そこでようやく、ピンときた。
クライス「……もしかして、俺も、連れてってって言いたいのか!?」
弟豹獣人「にゃん!!!!」
弟豹獣人は目を輝かせながら、大きく頷いた。その純粋な反応に、俺は思わず苦笑いしてしまう。
クライス「……お前さん、ついてきたら、大変な目に遭うかもしれないんだぞ?」
弟豹獣人「にゃんにゃ〜ん!」
胸を張り、まるで「覚悟はできてる」とでも言いたげにニッと笑ってみせた。
その様子を見て、俺は軽くため息をつき、少し微笑みながら肩をすくめた。
クライス「まったく、しょうがねぇな。じゃあ、一緒に行くか!」
そう告げると、彼は満面の笑みを浮かべ、俺の隣に並んだ。
旅は、一人よりも二人のほうがきっと楽しいだろう。
クライス「っと、そうだ。大事なことを忘れるところだった」
ふと思い出し、俺は懐中時計を取り出す。銀色に輝く懐中時計の上部を押し、過去に戻るポイントを更新した。
クライス「これで準備完了だな。」
隣を歩く弟豹獣人は、時計を操作する俺を不思議そうに見つめていたが、特に深く追及することもなく、またニコニコと笑顔を浮かべている。その無邪気な顔を見ていると、肩の力が抜けたような気がした。
クライス「さて、行こうか」
そう言って歩き出すと、彼もすぐに隣に並んでくる。
並んだ足音が、林道をリズムよく刻んでいく。
俺たちの旅は今、ようやく始まったばかりだ。
貴重なお時間を使って、お読みいただきありがとうございます。
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