1-7.豹獣人の集落
豹獣人の集落に到着すると、まず案内されたのは彼らの住まいだった。その家は、こぢんまりとした質素な造りで、内装もごく簡素なものだった。
家具と呼べるものは、二台のベッドと机と椅子、それに小さな調理場くらいだ。
俺は体格の良い豹獣人をそっとベッドに寝かせた。彼の呼吸は、安定しており、さっきほどよりもずっと穏やかだ。
すると突然ドアをノックする音が響いた。
弟豹獣人がドアを開けると、そこに現れたのは、規格外のサイズを誇る豹獣人……“らしき”人物だった。
”らしき”というのも、見えたのは、胸から下だけだったからだ。
ドアの枠にはまったく収まりきらず、顔も腕もまるで見えない。扉の向こうに胸そのものが、堂々とそこに「立って」いた。
(な……なんだこれは……?)
思わず二度見する。
いや、正確には、三度見くらいはしてしまった。
そんな“胸”と弟豹獣人は、至って普通に猫語で会話を交わしている。
そしてようやく、“胸”がゆっくりと身をかがめた。
ギシ……と床が軋むような音とともに、その奥から厳つい顔がぬうっと現れる。
ひとまわり大きなその顔が、じわりと扉から前へせり出し、無言で俺を見つめてきた。
……瞬きひとつ、しない。
(うわっ……めっちゃ見てる……)
言葉を失いかけた直後――
大柄の豹獣人「シャー」
……威嚇された。
今にもドアをぶち破って襲い掛かってきそうな気迫で威嚇された…。
けれど、そんな緊張感を打ち消すように、穏やかな声が背後から響いてきた。
声の方に目をやると、年老いた豹獣人がゆっくりと現れた。
老豹は俺に軽く会釈をすると、そのまま真っすぐベッドへと向かった。
彼に続いて、弟豹獣人と胸野郎も静かに後を追った。
……いや、胸野郎は扉の幅に何度か引っかかって、少々苦戦していたが。
老豹と胸野郎は、ベッドで静かに眠る豹獣人の様子を確認すると、ほっとしたように表情を緩めた。
そして老豹がこちらに振り返り、優しげな目を向けながら、謎の猫語で話しかけてくる。
年老いた豹獣人「みゃんみやん。みゃおみゃおん、みゃみみゃおん」
もちろん、その言葉の意味はひとつも分からない。
クライス「すまん。俺には、お前さんたちの言葉が理解できないんだ」
そう返すと、老豹は一瞬だけ目を丸くして驚いた様子を見せた。
だが、すぐに柔らかな笑みに変わり、深々と丁寧なお辞儀をしてくる。
そして次には、胸野郎に向き直ると、途端にキリッと表情を引き締め、なにやら猫語で叱りつけはじめた。
叱り終えると、老豹は再びこちらを向き、もう一度お辞儀をした。
そのあとで胸野郎のお尻をぴしゃりと軽く叩き、ぶつぶつと何かを言いながら、ゆっくりと部屋を後にした。
(やんちゃな息子を叱る父親みたいだな……)
残された胸野郎は、さっきまでの威圧感が嘘のように、すっかり肩を落としてしょんぼりしている。
気まずそうにこちらを振り向くと、そっと頭を下げ、小さくひと鳴きした。
胸野郎「……みやん」
あれほど威圧的だった胸野郎が、まるで子猫のような可愛らしい声で鳴いている。
クライス「あぁ……さっきのことは気にするな。俺は平気だ」
恐らく先ほど威嚇したことを謝罪したかったのであろう。
俺がそう微笑んで言うと、胸野郎はどこか照れたように視線を伏せ、ちらりと嬉しそうな表情を浮かべた。
その巨体からは想像できないような、人懐っこい笑みだった。
だがその直後、彼はぐっと息を吸い込み、きゅっと眉を寄せて表情を引き締めた。
そして誇らしげに胸を張り、こちらに視線を向けると、軽く手を挙げて堂々と家を出ようとした。
ゴンッ。
肩と顔面をドア枠にぶつけた彼は、そのまま一気に気まずそうな顔へと早変わりした。
(うん。絶対にぶつけると思った。だってさっき入り口の扉から胸しか見えてなかったもん。それなのに胸を張って出て行こうとした時には、申し訳ないけど、バカなのかなって思っちゃったよ。誰がどう見ても、ぶつける事は目に見えてたのに、自信満々で扉に激突しに行ってたから、若干の狂気を感じたし、大混乱だ……)
そんなことを脳内で考えていると、隣にいた弟豹獣人がケタケタと笑いながら猫語で何かを言った。
おそらく、あれは日常茶飯事なのだろう。
その後胸野郎は、大股を開けて横を向き、指先をチョキチョキさせながら、ぎこちないカニ歩きでドアを抜けていった。
(なんだか憎めないやつだな……)
そう思った。
隣では、先ほどのカニ歩きがツボに入ったのか、弟豹獣人が腹を抱えて笑っている。
その姿を見て、俺の頬にも自然と笑みが浮かんでいた。
クライス「さて……これから、どうするかな?」
過去に戻り、豹獣人たちを救うことには成功したが、それですべてが終わったわけじゃない。
俺自身が、どういう状況に置かれているのか。まだ何ひとつ分かっちゃいない。情報を集めたいと思うものの、この集落で使われている猫語は、俺にはさっぱり理解できない。
ましてや、この森の外に村や街があるのかどうかすら分からない。
考えれば考えるほど、じわじわと手詰まり感が押し寄せてくる。
――そんな時だった。
先ほどまでケタケタ笑っていた弟豹獣人が、ふと俺に向き直り、身振りで何かを伝えようとしてきた。
口元に手をやり、もぐもぐと食べ物を頬張る仕草をしている。
クライス「飯、食っていけってか?」
弟豹獣人「にゃ~♪」
問いかけると、弟豹獣人はにっこりと笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
確かに、さっきまで命がけで魔物と戦っていたんだ。腹が減ってるのは間違いないし、この空腹のまま先のことを考えるのは、さすがに効率が悪い。
それに、豹獣人たちは、俺の言葉を理解してくれているみたいだから、食事のときに、近くに村や街があるか尋ねのもいいだろう。
クライス「それじゃぁ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
弟豹獣人「にゃ~ん!」
弟豹獣人は嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく手を振って「ついてこい」とでも言うように俺を促した。
俺は軽く笑い返しながら、彼の後についていくことにした。
◇ ◇ ◇ ◇
豹獣人たちの食事は、その日に自分たちで調達するのが基本らしい。
弟豹獣人の後をついて歩くと、案内されたのは集落の奥にある、静かな湖だった。
そこで彼は釣り竿と餌を手渡してきた。どうやら、「ここで魚を釣れ」ということらしい。
俺が湖に向かって竿を垂らしている間、彼はというと、せっせと湖畔の周りで野草やキノコを集めていた。
その姿は実に楽しげで、歩き回るたびにしっぽがふわふわと揺れている。
しばらくして戻ってきた彼の手には、ぎっしりと中身の詰まったカゴがあった。中には青々とした野草、色鮮やかなキノコ、そして見たことのない小さな実などが所狭しと詰め込まれていた。
一方、俺のほうはというと……丸坊主。
湖面をじっと見つめながら、釣り糸だけを揺らしている自分が、ちょっと情けなく思えてきた。
クライス「すまんな。まだ釣れてないんだ」
苦笑いしながらそう伝えると、弟豹獣人は気にする様子もなく、にっこりと笑って俺の隣に腰を下ろした。
湖面を渡る風は心地よく、木々の葉がそよそよと揺れている。穏やかな空気の中、ビクッと竿の先端が動いた。
クライス「……来た!」
すかさず竿を上げ、湖面から魚を引き上げると、銀色に輝く美しい魚が目に入った。その魚は、なかなかの大きさがあり、これなら十分、夕食の主役になりそうだ。
隣にいた弟豹獣人は、その魚を見た瞬間、目を輝かせた。
弟豹獣人「にゃお〜ん!にゃお~ん!」
言葉は相変わらず分からないが、その喜びようから彼の気持ちは十分伝わってくる。俺も釣り上げた魚を眺めながら笑みを返した。
立派な魚とたっぷりの山菜を手に、俺たちは並んで家路についた。
扉を開けて中へ入ると、椅子に腰かけた体格の良い豹獣人の姿が目に入ってきた。
ガコッ
何かが床に落ちた音と同時に、隣にいた弟豹獣人が彼に向かって駆け出し、そのまま飛びついていた。
豹獣人「にーにゃん!」
力いっぱい抱きついた彼は、そのまま声を上げて泣き出していた。
これまで平然を装っていたが、どれだけ心配していたのか……。
その涙から痛いほど伝わってきた。
兄の豹獣人は、泣き続ける弟豹獣人をそっと抱きしめ返していた。言葉を交わすわけでもなく、ただお互いの存在を確かめ合っているような静かで深い再会だった。
それは、とても暖かな日だった。
空にはゆっくりと陽が昇り続け、穏やかな時間が流れていく、そんな日だった。
涙がようやく落ち着いた頃、ふたりは揃って俺の方へ向き直り、深々と頭を下げた。
俺も小さくうなずき返し、促されるまま席に着く。
兄の豹獣人はすぐに、俺たちが釣ってきた魚や摘んだ山菜を手際よく調理し始めた。
その姿は実に慣れたもので、包丁の代わりに使っている短剣のような刃物も、不思議と様になっていた。
その様子を横目に、俺は槍の手入れを始めていた弟豹獣人に声をかけた。
クライス「兄ちゃんが無事で良かったな」
彼は顔を上げてこちらを見つめ、ぱぁっと笑顔を浮かべると、大きくうなずいた。
その素直な反応に、俺も自然と口元が緩む。
クライス「なぁ、一つ聞きたいんだが、ここの近くに街か村はあるか?」
豹獣人「にゃんにゃ~」
俺の問いに、彼はすぐさま返事をしながら扉のほうを指差した。
そして、二本の指を足に見立てて床の上でちょこちょこと動かし、左に一度、右に一度、カクカクと曲がる動作を見せた。
クライス「おぉ、近くにあるのか!」
期待に目を輝かせる俺を見て、弟豹獣人はふとこちらを指差し、今度は本を開いて読むような仕草をした。
クライス「……本を読めってことか?」
豹獣人「にゃんにゃん!」
それが当然だろ、と言わんばかりの表情だ。しかも軽く肩をすくめて見せる仕草には、若干の挑発すら感じる。
(こいつ、俺の知識不足を指摘してきやがったな……!)
事実、俺は本を読むのが得意じゃない。特に魔導書なんてのは、見るだけで頭が痛くなる。だが、それをこうも当たり前のように言われては、言い返す言葉も見つからない。
悔しさを噛みしめながら、俺は涙をのんだ。
そんなやり取りをしていると、奥から料理の香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。
振り返ると、兄の豹獣人が料理を運んでくるところだった。
皿の上には、大きな魚が丸ごと焼かれ、湯気を立てている。その身には、炒められた山菜とキノコが餡のようなソースと共にたっぷりとかけられていた。
魚の香ばしい焼き目に、鮮やかな緑と茶の彩りが映え、なんとも食欲をそそる。さらに立ち上る香りは、胃袋を一気に刺激してきた。
クライス「……いい匂いだ」
思わず呟いたその直後、俺の腹の虫が盛大に音を鳴らした。
豹獣人の兄弟は一瞬ぽかんとした後、吹き出すように大笑いし始めた。
その楽しげな笑い声につられて、俺もつい堪えきれず、大声を上げて笑ってしまう。
笑い声が静まる頃には、テーブルの上には山菜料理も並べられていた。その彩りと香りに、思わず感心していた俺は、ふと自分の袋の中にパンが入っていたのを思い出した。
クライス「そうだ……これ、やるよ」
おもむろに袋からパンを取り出し、それぞれの手にひとつずつ渡す。
豹獣人の兄弟は、パンをまじまじと見つめ、目を輝かせながら小さく頭を下げてきた。
その仕草が妙に礼儀正しくて、笑みがこぼれる。
机の中心に置かれた魚は、皮がパリッと焼かれ、中はふっくらと柔らかい。山菜とキノコの餡かけはほどよく塩気が効いており、素材の風味を引き立てていた。
口に運ぶと、その味わいは想像以上に美味く、パンと一緒に食べれば、これまた絶妙な組み合わせだ。
弟豹獣人「ゴロにゃ~ん!」
クライス「うまい!」
言葉は通じなくとも、俺たちは美味い料理を分かち合い、同じ喜びを共有できている。そんな温かなひと時に、心も満たされていくのを感じた。
貴重なお時間を使って、お読みいただきありがとうございます。
少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をしていただけますと、大変うれしく今後の励みになります。