1-3.樹木の魔物
ウルズ「そろそろ時間のようです。クライス、これからの貴方の人生が幸多きものとなることを願っています。また、器が強化される時にお会いしましょう」
クライス「え?まだ聞きたいことが――!!」
思わず聞き返したが、ウルズからの返答は無かった。その後何度呼びかけても、返事はなかった。
クライス「クソ……ここがどこかなのかは、分からずじまいのままか……」
今あれこれ考えようとしても、手元の情報が少なすぎる。
仕方なく行動するしかないと判断した俺は、もう一度老獣人の墓を作り直し、花を手向けた。
その後、ウルズから教わった過去に戻るポイントを生成しておくことにした。
クライス「念のためポイントは作ったけど……森に入りたくねぇな……」
一度死の恐怖を経験してしまったせいで、身体全体が森に入ることを拒んでいる。それでも、四方を森に囲まれたこの地形では、どうしても森を抜けなければならない。
クライス「さっきは部屋を出て正面の森に入ったから、今度は逆方向に入ってみるか」
恐怖を振り払うように重い足を無理やり動かしながら、俺は先ほどとは反対の森へと歩を進めた。
全神経を研ぎ澄ませ、特に聴覚を最大限に活用して、魔物の気配を探る。慎重に進むため、ペースは牛歩のごとく遅いが、それでも今は安全を優先すべきだ。
先ほど入った森とは違い、こちら側は見通しが良く、森自体も明るかった。木々の間からは柔らかな木漏れ日が差し込み、小鳥や草食動物の姿もちらほら見て取れる。
クライス「……こっちには魔物はいないのか?」
疑問を抱きつつも警戒は解かず、森の中を進む。その中で武器になりそうなものを探した。
だが、こちら側の森も武器になるような太い枝や、使えそうなものは見当たらなかった。
クライス「武器になりそうなもん、どこかに落ちてねぇかなぁ……」
ぼやきながら進んでいると、ふと足元の景色が変わった。目の前には獣道とは明らかに異なる、多少整備された道が伸びていた。
クライス「おお、ラッキー!こっち側にはヒトがいるかもしれねぇ。」
少し気分が明るくなり、俺はその道を進んでみることにした。
やがて視界の先に小さな山小屋が現れ、道はそこで行き止まりになっていた。
小屋の近くにはいくつかの薪が積まれているが、あたりは静まり返っており、耳を澄ませても生活音のようなものは一切聞こえてこなかった。
俺は念のため扉をノックし、声をかけてみた。
クライス「すまない、誰かいないか?」
反応はなく、何度呼びかけても返事はなかった。
クライス「今は使ってないってことか……」
周囲を改めて観察すると、どうやらこの山小屋はしばらく使われた形跡がないようだった。
そんな中、薪割りに使う斧が切り株の上に刺さっているのが目に留まった。
その斧は、所々に錆びついており、手入れがされていない様子だった。
クライス「使われてない斧か……。ちょっと借りていってもいいかな?」
森に魔物がいないわけではない。
むしろ、いると考えておいた方が賢明だ。武器になるものがどうしても欲しい状況で、目の前に使われていない斧がある。
とはいえ、勝手に持ち出すのは気が引ける。
クライス「すまん……必ず返しに来るから、今は俺に貸してくれ」
そう呟いた言葉は誰に届くわけでもなく、宙に消えて行った。
クライス「はぁ……これ、普通に泥棒だよな。村か町を見つけたらすぐに戻しに来よう……」
”借りる”と言えば聞こえはいいが、実際のところ立派な窃盗だ。
罪悪感を抱えたまま斧を手に取る。まさか、こんな形で武器を手にするとは思わなかった。
若干の後ろめたさを感じつつ、俺は斧を片手に来た道を戻り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
先ほどの森から歩道にぶつかった地点をゆうに超え、10分ほど歩いただろうか。
目の前に広がったのは、大きな湖だった。
静かな水面を見て、俺は一息つく。湖のほとりにしゃがみ込み、水を飲もうとした時、ふとあることを思い出す。
クライス「水で思い出した!食料と水の入った袋、持ってくるの忘れた!」
俺は盛大に頭を抱えた。
森を抜けるならサバイバルは必至だ。それなのに、なぜ必要不可欠な食料や水を忘れたのか、激しく後悔する。
後悔の念で地面に頭をこすりつけていると、森の中から金属で木を叩くような音が聞こえた。
クライス「近くに誰かがいる!?」
ようやく見つけた人の気配に、俺の足は反射的に音のする方へと走り出した。
やがて視界が開けた場所にたどり着き、そこで足を止めた。
開けた空間の中央では、白い毛皮の豹獣人が、樹木のような大型の魔物と対峙していた。
明らかに豹獣人は押されており、元々は白であろう毛皮は、所々赤く滲んでいる。
大きな一撃を受けてしまったのか、腹部が真っ赤に染まっていた。それでも諦めずに立ち向かっていたが、動きは鈍く、防御も甘い。
一方の魔物は、幹や枝に刻まれた傷をいくつか負っていたものの、威圧感は衰えていなかった。特に、太い幹の一部には、同じ場所を狙らっていたのか、大きく抉られた傷跡がある。
俺は無意識のうちに状況を判断し、迷わず戦闘態勢に入った。幸運にも、魔物はこちらに気づいていない。
今なら、背後からの奇襲が決まる。しかし、この好機を逃せば、戦況を覆すことは難しいだろう。
俺は魔物の背後へ回り込み、足に力を込めた。
――だが、その瞬間、身体が動かなくなった。
全身が硬直し、意思に反して足が止まる。
胸元が熱を帯び、喉を締め付けられるような息苦しさが襲う。
全身に広がるのは、紛れもない死の恐怖だった。
震える足、激しく鳴る心臓の音が、魔物に聞こえてしまうのではないか――そんな錯覚さえ覚えた。
豹「ぐあぁぁ!!」
目の前で、大量の血が飛び散った。
魔物の鎌のような枝が振り下ろされ、豹獣人の腕をかすめていた。
裂けた傷口から鮮血が噴き出し、彼は苦痛に顔をゆがめる。
その姿が、その叫び声が――
俺自身の過去と重なった。
(死にたくない!)
一瞬、時間が止まる。
――いや、正確には止まったような感覚に陥った。
直後、動けなかった身体の奥底から、マグマのような熱が一気に駆け巡るり、気づけば、思考より先に、俺の身体が動いていた。
宙高く飛び上がり、落下の勢いと全体重を乗せた斧を振り下ろす。
クライス「くそがぉぉぉぉ!!」
ズバンッ!!
轟音と共に魔物の腕が地面に落ちた。
自らの鎌のような腕が転がるのを見て、魔物が怒りの咆哮を上げる。
俺は、着地と同時に体勢を整え、身体をひねると、両腕に渾身の力を込めて、斧を振り抜いた。
クライス「消えうせろぉぉぉぉ!!」
斧は、魔物の大きく抉れた傷に深々と食い込み、硬い木の皮は裂かれ、内部の脆い部分へと刃が到達した。
バキィィィ!!
巨大な樹の魔物が、鈍い音を立てながらへし折れ、そのまま、ピクリとも動かなくなった。
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