1-10.脅威
その高台から見下ろす景色は息を呑むほど美しかった。どこまでも続く草原が柔らかな風に揺れ、所々を彩る小さな花々が日の光を浴びて輝き、まるで絵画の一部に迷い込んだような気分だった。
美しい景色に呆然と立ち尽くしていると、シロが遠くを指をさした。指の先には、木造の建物が立ち並び、少し大きめの街を城壁がぐるりと囲んでいるのが見えた。
シロ「にゃ~ん!」
シロが嬉しそうに声を上げる姿を見て、俺も思わず口元が緩んだ。
クライス「結構大きな街だな……」
俺は、目の前に広がる街を眺めながら呟いた。それなりに旅をしてきてはいたが、この街には全く見覚えが無かった。
旅先で飲んだ酒のせいで記憶を飛ばしたことが何度もあったので、あの花畑広がる不思議な樹木の部屋が、酔った勢いで泊まった特殊な宿だったのではないかと思っていた。それに、ここ数日の景色は初めて見るものばかりだ。
クライス「もしかして酔った時に、間違って遠国に転送される魔法陣でも踏んじまったのか?」
冗談めかして自分に問いかけたが、その答えは返ってこない。今の状況を説明するには、そんな突拍子もない仮説でもなければ辻褄が合わないように思えた。
クライス「まぁ、街で色々調べてみるしかないよな……」
これ以上悩んでも仕方がないと、自分に言い聞かせるように頭を振り、気持ちを切り替えた。緩やかに続く坂道を下ると、街へと伸びる均された道に出た。
目の前の街まではそう遠くなさそうだ。10分も歩けば到着できるだろう。今から向かう街は比較的大きい割に、道中には人影が見当たらなかった。
クライス「嫌に静かだな……」
俺たち2人だけの足音が、やけに大きく響いている。その音が不自然な静寂を強調しているようで、俺は少しだけ落ち着かない気分になった。
だが、隣を見るとシロは鼻歌を口ずさみながら大きく手を振り、軽快な足取りで歩いている。その無邪気な姿を見ると、自然と肩の力が抜けていった。
クライス「上機嫌だな。街に来るのは久しぶりなのか?」
シロは笑顔で大きくうなずき、何やら饒舌に話し始めた。その声や仕草から、この街に楽しい思い出が多くあるのだろうと伝わってくる。
クライス「シロのお気に入りの街ってことか」
勝手にそう解釈して笑みを向けると、シロもまた笑顔を返す――はずだった。しかし、さっきまでのご機嫌な表情が一変し、彼は足を止め、真剣な面持ちで前方を見据えている。
クライス「どうした?」
尋ねながらシロの視線の先に目をやると、そこには全身を黒い鎧で固めた人物が立ちはだかっていた。
(なんだ……あいつは……?)
ビビビッと全身を貫く嫌な予感が走る。まるで「死」そのものが目の前に立ちふさがっているかのような圧迫感に、無意識のうちに後ずさりしていた。
クライス「何か用か?」
声を発した瞬間、黒い鎧の人物は急接近し、大剣を振り下ろしてきた。
クライス「っ!」
反射的に地面を蹴り、後方に飛び退く。俺が立っていた場所には大剣が叩きつけられ、轟音と共に小さなクレーターのように地面が沈み、ひび割れが広がった。
クライス「危ねぇ!何すんだよ!」
俺の怒声に答える気配は全くない。黒い鎧の人物は無言のまま再び大剣を振り上げ、容赦なく斬りかかってきた。
斧を構えた俺は、大剣の斬撃を受け止めた――つもりだったが、衝撃が全身を突き抜け、ガクンと片膝をついてしまう。
(嘘だろ……普通の人間に出せる力じゃねぇ……)
黒い鎧の人物「死ね」
低く響くその一言に、総毛立った。大剣は常人には扱えないような重量とサイズだが、奴は片手で軽々と振り回している。
圧倒的な力の差を感じ、全身から冷や汗が流れた。
クライス「シロ、街まで走れ!俺たちに適う相手じゃない!」
臨戦態勢に入っていたシロに大声で呼びかける。シロは一瞬ためらう素振りを見せたが、大きくうなずき、街に向かって駆け出した。その姿を確認し、俺も後を追おうと黒い鎧の男の大剣を弾こうとした――が、微動だにしない。
クライス「くそっ!なんて馬鹿力だ」
俺が動けない間に、黒い鎧の男の左手に青白い光が集まり始めた。周囲の温度が一気に低下し、空気が刺すような冷たさを帯びる。
左手に宿る光はどんどん膨れ上がり、不気味なまでの輝きを放ち始めた。光が一瞬、強烈に輝いたかと思うと、奴は左手を俺の腹部に向かって突き出してきた。
(やばい……!)
俺に向けられた冷気の魔力が放たれる瞬間、受け止めていた大剣の重みが急に消えた。
クライス「っ!」
俺はとっさに地面を蹴り、バランスを崩した黒い鎧の男を横目に、全力で駆け出す。
黒い鎧の男「何っ!」
背後で黒い鎧の男が驚愕の声を上げるのが聞こえた。続けて大きな衝撃音とともに、甲高い音が辺り一面に響き渡る。振り返ると、そこには凍りついた地面が広がっていた。
直撃していたら間違いなく全身が凍結していただろう。
視線を前に戻すと、シロが膝を付いている姿が映った。シロの足元には、何故か黒い鎧の男が持っていた大剣が転がっていた。
クライス「シロ!早く逃げろ!」
俺が叫ぶと、シロは膝を付いていた体勢から素早く立ち上がり、俺の方を見た後、血相を変えて右を指さした。俺は、ジェスチャーの意図を察して即座に右側へ飛び込む。
次の瞬間、圧縮された風の塊が俺の左側を掠めて通り過ぎた。その風圧は凄まじく、身体を引っ張られそうになるが、咄嗟に斧を地面に突き刺して全身で踏ん張ることで耐えた。
風は俺を巻き込むことなく、前方の大きな岩にぶつかった。音もなく風が霧散し、周囲の草花が舞い上がる。その直後、岩はまるで居合切りのように斜めに切断され、轟音と共に上部が滑り落ちた。
クライス「んなもん反則だろ!」
吐き捨てるように叫び、俺はシロと共に再び走り出した。黒い鎧の男から距離を取ったところで振り返ると、奴は薄い茶色がかった光を纏う拳を振り上げて地面に叩きつけていた。
地面が軽く揺れ、石がカチカチと音を立てる。足元に小さな割れ目が走ったかと思うと、そこから鋭い岩の槍が突き出してきた。狙いは俺の頭――間一髪で避けたものの、背筋が凍る。
(まずい。こいつはバケモンだ……)
全身に警戒を張り巡らせながら、俺は黒い鎧の男を睨みつけた。奴は変わらぬ余裕を漂わせながら、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。その無防備とも取れる動きに、焦燥感が胸をかき乱した。
だが、それ以上に拭いきれない違和感があった。
(なぜ、追撃してこない……?)
つい先ほどまでの魔法の猛攻や、大剣の容赦ない斬撃――まるで嵐のようだった攻撃は嘘のように消え去り、奴はただ、一歩一歩こちらへと迫ってくるだけだった。
(この瞬間も魔法を放てば、俺たちを仕留められるはずだ……)
(なのに、なぜそれをしない?)
思考を巡らせるたびに、胸の奥で警鐘が鳴り響く。不自然な静けさが、まるで獲物をじわじわと追い詰める捕食者のように、俺の神経をすり減らしていた。
(どうする……)
じっとしていても、逃げ道が開けるわけではない。だが、この状況で、まだ逃げられる余地はないかと、俺は一縷の希望を抱いて街の方向へ目を向けた。
(街までの距離……)
(運が良ければ逃げ切れるかもしれない……)
(でも、何かがおかしい――)
脳裏に湧き上がる疑念が、胸を締め付けていく。その疑念に突き動かされ、俺は街へ続く道を凝視した。よく見れば、さっきまで滑らかだった地面が、細かなひび割れで埋め尽くされている。
その変化に、背筋が冷たくなった。
クライス「シロ、動くな!」
足元に転がっていた石を拾い上げ、街へ続く道に向かって投げる。石が地面に触れた瞬間、バキバキバキッという音と共に複数の岩の槍が勢いよく飛び出した。その光景を目の当たりにしたシロは青ざめ、俺の方を見て一言も発せずに固まっている。
クライス「……くそったれが……」
歯噛みしながら、絞り出すように呟いた。
街に辿り着けば助かるかもしれない――そんな希望も打ち砕かれた。ヘタに進めば串刺しになる未来しか見えない。
その間も、黒い鎧の男は一定の足取りで俺たちに迫ってきている。迫り来るその足音が、追い詰められた俺の心に重くのしかかる。
覚悟を決めるしかない――俺は心を落ち着かせるように深呼吸し、手にした斧の柄を強く握りしめた。額には冷や汗が滲み、手の平も汗で滑る。
ゆっくりと近づいてきた黒い鎧の男は、大剣の前で立ち止まり、それを軽々と拾い上げた。その動作の余裕さえ恐ろしかった。
クライス「なぜ俺達の命を狙う?」
黒い鎧の男「貴様には関係ない」
クライス「関係なくはないだろう。それともあんたは、理由もなく人の命を狙う狂人なのか?」
黒い鎧の男「狂人で構わん。大人しくしていれば、一瞬で終わらせてやる」
この男には話が通じそうにない――俺は苛立ちと絶望を覚えながらも、斧を握り直し、隙を伺うしかなかった。
その時、シロが鋭い声を上げた。
シロ「にゃんにゃんにゃ!」
彼の叫びに、黒い鎧の男は一瞬ため息をつき、視線を向けた。
黒い鎧の男「知らなくて良い。邪魔をするな」
それでも食い下がるように、シロはさらに言葉を重ねた。
シロ「にゃにゃにゃ!」
黒い鎧の男は再び冷然と言い放つ。
黒い鎧の男「無駄な殺しは好まん。どいていろ」
そして、黒い鎧の男は左手を上げ、スッと横に振った。次の瞬間、突風のような力がシロの身体を包み込み、彼を遠くへ吹き飛ばした。
クライス「シロ!」
俺は叫びながら駆け寄ろうとしたが、それを遮るように奴が立ちふさがった。
クライス「お前の狙いは俺だけなんだよな?」
黒い鎧の男「そうだ。大人しくしていれば苦しませはしない」
クライス「なんで俺の命を狙ってるんだ?」
黒い鎧の男「答える必要はない」
「答える必要はない」と吐き捨てる奴の言葉に、胸がざわつく。
(俺の命を狙う理由があるってことか……。なぜ俺なんだ? 俺にそんな覚えはねぇぞ……)
頭の中でいくつもの思いが渦巻く、だが今は生き延びることが最優先だ。
黒い鎧の男「仮に理由を述べたとして、貴様は大人しく命を捧げるのか?」
クライス「捧げねぇよ!」
黒い鎧の男「だろうな。故に貴様に話す必要はない」
その冷徹なやり取りを終えると同時に、黒い鎧の男は大剣を肩に乗せ姿勢を低くした。気づけば、奴の左手から緑色の光が漂い消えていくのが見えた。何か不吉な予感が胸をよぎる。
(まさか……)
次の瞬間、奴は大剣を肩に乗せたまま、地面を蹴った。蹴られた地面がドスンと沈み、その重厚そうな鎧からは想像もつかないほどの速さで距離を詰めてきている。俺は慌てて足を動かそうとするが――全く動かなかった。
クライス「なっ!」
視線を落とすと、俺の太ももまで蔦が絡みつき、地面にがっちりと固定されていた。奴の魔力で操られたそれは、まるで生き物のように強固に締め付け、俺の動きを奪っている。
(くそっ!このままじゃ……!)
黒い鎧の男「さよならだ、クライス……」
低く響く声と共に、大剣が鈍い光を放ちながら振り下ろされる。死の気配が目前に迫る中、俺は瞼を強く閉じ、最悪の瞬間を覚悟した――だが、いつまでたっても痛みも衝撃も訪れない。
(……どういうことだ?)
恐る恐る目を開けると、俺の首筋に迫っていた大剣がピタリと止まっている。それどころか、刃先が震えたように微かに揺れ、黒い鎧の男はその場で膝をつき、重々しく崩れ落ちた。
黒い鎧の男「なぜだ……?そんなはずは……」
低く漏れた声から、明らかな動揺が滲む。それと同時に、俺を絡め取っていた蔦が光の粒子となり、ふわりと宙へ消えていった。
(……何が起こったんだ?)
足元の自由を取り戻した俺は、黒い鎧の男から距離を取りつつ斧を構え直した。しかし、奴は膝をついたまま微動だにしない。
(今なら攻撃できる……けど、こんなにも隙だらけなのに、こいつを倒せる気がしねぇ……)
目の前の敵に向けた恐怖が、全身にまとわりついて離れない。奴が立ち上がったら終わりだ――それは分かっている。それなのに、斧を握りしめる手はまるで鉛のように重く、動かなかった。
クライス「くそっ!」
俺は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、シロの方へ駆け出した。
クライス「シロ!大丈夫か!?」
「にゃ~ん」と応える声が遠くから聞こえる。その方向に目を向けると、シロが少し離れた場所からこちらへ駆け寄ってきているのが見えた。
シロと合流し、息を整える間もなく街への道を振り返ると、地面から光の粒子がふわふわと舞い上がり、ひび割れた道が次第に修復されていくのが見えた。
クライス「……魔術が解けたのか?」
黒い鎧の男の様子を伺うと奴は未だに膝をつき、動く気配はない。この隙に街に逃げ込むべきだ――そう判断した俺は、落ちていた石を拾い、試しに道へ投げる。
石は地面にコツンと当たり、そのまま静かに転がった。
クライス「シロ、今のうちに街に逃げ込むぞ!」
シロは力強く頷き、俺たちは一気に街に向かって駆け出した。
貴重なお時間を使って、お読みいただきありがとうございます。
少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をしていただけますと、大変うれしく今後の励みになります。




