6 ポーションコンテスト
「ポーションって?」
マネージャーの言葉に、エリカさんが首を傾げた。エリカさんはファンタジー系のゲームやアニメ、ライトノベルにはあまり詳しくない。耳慣れない言葉だったらしい。
「ファンタジー世界の飲み薬みたいなものって言えばいいかな? ほら、巷のお店では、カラフルなクリームソーダとか流行ったじゃない。ああいうの、ポップでカワイイなあと思ってて。で、うちのファンタジーっぽい世界観とすり合わせるために、瓶に入れて提供して、回復薬っていう設定を打ち出すのはどうかなと思ったんだよね」
「クリームソーダを出すんですか?」
怪訝そうに眉をひそめたクロード君に向かって、「ううん、そうじゃなくて」とマネージャーは顔の前で手を振った。
「分かりにくくてごめん。うちでも、夏らしくて華やかな季節限定ドリンクを提案してもいいんじゃないかなと思ったってこと。で、どうせなら、そのスペシャル感のあるドリンクのアイデアをコンテスト形式でバイトスタッフの皆さんに出してもらおうかなあと。ほら、僕やシェフの佐々木さんが考えるより、感性が若いし」
「じゃあ、騎士団が建国記念祭にポーションを売るっていう設定になるんですか? それってどっちかといえば魔法使いや薬師の領分なんじゃないですか」
「まあまあ、クロード君、細かいことは言いっこなし。楽しんでもらえればそれでいいの」
衣装にまだ一言二言文句を言い足りなかったらしいクロード君の八つ当たり気味の絡みを、マネージャーは笑顔で受け流した。
「ドリンクのアイデアですか。出せるかなあ。私、料理とかお菓子作りはからっきしなんですよねえ」
騎士の時はいつもポニーテールにまとめている真っすぐの黒髪を結い直しながら、エリカさんが苦笑交じりに言う。
「うん。負担になってもいけないし、騎士さんたち、二人一組くらいで考えてもらえばいいかなって。いいアイデアを一つか二つに絞って、佐々木さんにレシピ化してもらおうと思うんだ。選外のアイデアは、ポスター掲示したり、お店のSNSにアップするだけにすれば、考える側も気楽でしょ。そのかわり、レシピ化したアイデアを出してくれたペアにはボーナス出しちゃおうかな」
「え、やった! じゃあ、クロード君組もうよ。前、シアトル系のコーヒーショップでバイトしてたって言ったでしょ。その知識を拝借したい! 足は引っ張らないようにするからさあ」
「ちょっとエリカさん色々気が早すぎですって。正式発表されてからでもよくないですか」
「いやいや、頼りになる人材は早いうちに確保しておかないと」
「こういうときだけほめても何も出ないっすよ」
ぐいぐい話を進めようとするエリカさんに、たじたじとクロード君が身を引く。本当に仲のいいコンビだ。
私は思わずにやついてしまいそうになるのをごまかして、ハムとレタスの分厚いサンドを頬ばった。
「はいはい、エリカさんとクロード君はそろそろ休憩終了だよね。僕が片付けておくから、持ち場に戻ってー」
「ありがとうございます」「行ってきます」
マネージャーの声を合図に、二人もぱっと騎士モードの顔に戻って、部屋を出ていく。
食べ終わったランチボックスを片付けながら、思い出したように、マネージャーが言った。
「そうだ。団長、大学でクドリャフカ君に会った?」
「いや、サークルも休んでるんすよ。風邪ひいたとかで」
「大学に入学して、バイトも始めて、生活激変だもんね。疲れが出ちゃったかなあ。お昼前に電話くれたんだけど、今日のシフト休みたいって言ってた時、声、大分しんどそうだったから」
シフト表には入っていたのに顔を見なかったのはそういう事情らしい。来客数にもゆとりがある平日なら、一人少なくてもどうにか回る。
ただ、前回のシフト上がりの時、ずいぶん落ち込んだ様子だったのが少し気にはなった。
「週末のシフトには来れると思うって言ってたから、もし大学で会ったらフォローしといて」
「もちろんです」
じゃあ僕もそろそろ戻らないといけないから、と店長もスタッフルームを出ていった。私はまだあと少しだけ、一息入れていていい時間のはずだった。
ぽっかりと、団長と二人だけの時間だ。もう少ししたら、次に休憩に入る誰かがやってくるだろう。聞くなら今だ、と思い切って、先日からずっと気になっていた話題を振ってしまうことにした。
「先輩、就職活動とかってもう始まるんですか」
「うーん、今考えてるんだけど――。とにもかくにも、ここをちゃんとしないことにはなあ。他のことを考える余裕もないというか」
「え? ここって、バイトですか?」
私は驚いて、思わず声が高くなってしまった。慌てて一呼吸おいてトーンを落ち着けてから、続ける。
「だって、バイトより就職の方が大事じゃないですか。自分が何をしたいかとか」
「あー、うん。それはそう。そうなんだけど」
困ったように頬をかく先輩を見てはっと我に返った。余計なお世話もいいところだ。
「って、立ち入った話をずけずけと聞いてすみません。忙しくなったりするのかなって思ったので、ほんの世間話みたいなつもりで」
「いや、気にしてないから。こっちもこの前はごめんね」
クドリャフカについて話していた時のことを言っているのだろう。
「いえ、それこそ、気にしてませんし」
「まあ、時間ギリギリまでは、色々考えたり、それこそ自分のしたいことを見極める時間にしなきゃかなって思ってる。だから知り合いを頼って企業訪問とかはするかもしれないけど、まだバイトは普通に続けるよ」
すごい衣装だけどサマーフェスタも面白そうだし、と団長は笑った。
私が口出しすることではないけれど、ちょっと気になる。
本当に今言った通り、内面をじっくり見極める時期ならそれでもいいのかもしれないけれど、もしカフェの状況が落ち着かないせいで就職活動に集中できないなら、心配だ。
自分の人生の大事な時期に、バイトが優先ではさすがにお人好しすぎるのではないか。
私はランチボックスの最後の一口だった小さめのフライドポテトを飲みこんで、お茶で流し込んでから言った。
「エリカさんなんか、もう、何社も説明会に申し込んだり、インターンの募集にエントリーしたりしてるって言ってました。授業後の平日はいいけど、土日のシフトは入りにくくなるし、夏休みはちょっと難しいかもって。やっぱり大変なんですよね、三年生」
「ああ、あの人はわりともう、はっきりしてるからなあ」
「三年生がだんだん入れなくなると、ちょっと寂しいですね」
ぽろっと言ってしまってから焦った。ちょっと私。本音がダダ洩れすぎてる。
「あの、いやそういう意味じゃなくてえーと、うん。クロード君も寂しいだろうなあって。あ、私もクロード君も、もう来年には同じ立場ですけど!」
クロード君も二年生なのだ。
「エリカさん、完全にクロードの相棒だからな。……だからこそ、クドリャフカとかの一年生メンバーがどんどん戦力になってくれないと困るんだけど」
「風邪、早く治るといいですね」
「風邪もだけど、何かわかんないけど、一山乗り越えてくれるといいんだけどなあ」
ため息をこぼすように言ってから、団長ははっとした。
「あ、今の、聞かなかったことにして。クドリャフカ、ちゃんと頑張ってるしサボってるわけじゃないから。風邪も本当だし」
「わかりますよ」
「ごめん。変な言い方して。あーもう、俺全然だめだわ。アンだけだからつい、安心っていうか気が緩んじゃって」
机に突っ伏してしまう。
この無意識の殺し文句、凶悪だ。これは単に、オープニングからの古株同士の気やすさ、というだけの意味のはず。他意はないのが分かっているだけに、心臓への負荷がうらめしい。
こういうのにいちいち変なリアクションをしていたら、お互いに居心地が悪くなってしまう。
早くなった鼓動がばれてしまわないように、私はとっさに親父ギャグでごまかした。
「アンだから安心って、ダジャレもいいとこじゃないですか。ひどーい」
笑い方、ぎこちなくなかったかな、とちらっと様子を伺うと、団長もふふっと笑ってくれたのでほっとした。
「団長だからって、色々抱え込みすぎですって。こんなに割のいいバイト、他ではそうそう見つからないですもん。きっと続けたいって思ってるでしょうし、次のシフトは……まだ二日ありますよね。風邪を治してちゃんと来ますよ」
「ん。ありがと、信じてみる。俺は俺で、自分もちゃんと頑張らないといけないこともあるし」
「……みんな、それぞれですよねえ」
私はそれを潮に会話を切り上げて、仕事に戻ることにした。
だが、部屋を出てドアを閉める直前、独り言のつもりだったらしい団長のぼそっとぼやくような一言が聞こえて、私は少し首をかしげた。
「にしても、あの制服。気をまわしたつもりなんだろうけど、いらんことしやがって」