3 極端な人見知り
閉店後、店長に呼び止められ、打合せに連れていかれてしまった団長の代わりに、私は急いで新人騎士に声を掛けた。
「工藤君」
工藤だからクドリャフカ。安西だからアン。割と安直なネーミングなのだが、呼ばれてすぐ返事をするには安直ぐらいがちょうどいいのだそうだ。ちなみに、セドリック団長の本名は瀬戸陸である。騎士ネーム、ほぼ本名。
クドリャフカは、むすっと不機嫌そうな顔をしていたが、私に気がつくと慌てて頭を下げた。
「さっきはありがとうございました。片付けしていただいて」
「いいよいいよ、そんなの誰でもあるし」
「厨房スタッフさんのお手まで煩わせるなんて、すみません。僕がちゃんとしていないばかりに」
どことなくとげとげしい調子だった。どうしたんだろう。私は少々いぶかりつつ、努めて明るく笑顔で言った。
「マントの所作だけもう一度確認したら、もうああいうことにはならないと思うよ。大丈夫。ちょっとコツがあるの」
怪訝そうに眉をひそめた工藤君に、私はスタッフルームのすみに積んであった練習用のマントを持ってきて羽織ってみせた。
「こうね、布が肩から下がっているでしょ。上半身から大きく動くと、遠心力で広がっちゃうんだよ。だから」
私は彼に背を向けてから、くるりとマントをさばきつつ振り返ってみせた。
「少し重心を下げて、腰からこう振り返る。ばたっと大きくひるがえるのは、広い空間だと見栄えがするけどホールでは実用的じゃないから。進行方向に腕を差し出すのは、こっちの足に重心が乗ってマントがこう下がって、このタイミングでするとエレガントに見えるの」
工藤君は驚いたように見開いた目で私を眺めていた。騎士枠ではない私が所作を実演してみせたせいだろうか。見て覚えただけの門前の小僧とはいえ、新人さんにちょっとしたアドバイスくらいはできるようになっているんだけど。
練習してみようよ、と誘ったけれど、彼は力なく首を振った。
「すみません、すごく疲れちゃってて。次のシフトまでに、家で再確認してきます」
相当がっくりきているらしかった。ふらふらした足取りでロッカールームの方向に歩き出してしまった彼をそれ以上呼び止めることはできなかった。
少しは何かをつかむきっかけになるといいんだけど。
まだ初めたばかりなんだし、あのお客さんたちも怒ってなかったどころか、最終的にはにこにこして喜んでくれて、また来ますって感じだったし、気にしすぎなくてもいいのに。
でも、あれだけ落ち込んでいると、そんな言葉も入りそうにない。
私は小さくため息をつくと、気分を切り替えた。
さあ、厨房のゴミ出しだ。本来なら今日、工藤君に教えなければいけなかったのだが、次回にせざるを得ないだろう。
晩春とはいえ、夜の空気は少し冷たい。練習用なのをいいことに、マントを羽織ったままゴミをまとめて裏口のダンプスターに捨て、戻ってくると、団長がマネージャーの部屋から戻ってきたところだった。
「あれ。ゴミ出し、何でアン一人で?」
「クドリャフカ、相当疲れたみたいで、今日はもう帰っちゃって」
険しい表情になった団長に、慌てて私がフォローすると団長は更に眉間のしわを深くした。
「あいつ、しょうがねえな。アンが甘やかすことないんだぞ」
「だって、無理矢理やらせてもよくないでしょ。覚えること多すぎてパンクしちゃっただけだと思いますし」
「だからって、仕事だぞ。最後まで責任もってやれって、後で言っとく」
工藤君は、団長の瀬戸先輩が紹介した新入生なのだ。同じ大学のサークルの後輩らしい。
「あまり怒んないであげてくださいね」
「やけにかばうじゃん。仕事なんだから、そういうとこはちゃんとしないと」
「緊張でパンクしちゃうのは、気持ちわからなくもないんで」
むっとした顔になった団長に私が苦笑すると、彼も少し察してくれたようで、表情を和らげた。
「悪い。そういうつもりじゃなかった。でも、アンはちゃんと頑張ってるし、そもそも本来の仕事が工藤とは違うからな。適材適所だ」
さっきの私の盛大な失敗のことをかばって言ってくれているのはすぐにわかった。
私は普段、ホールにはなるべく出ないようにしている。実際、何度かマネージャーにホールへの配置転換やピンチヒッターを打診されたのだが、固辞しているのだ。
ホールの時給は、私のやっている厨房補助より少し高い。
学業との両立を考えれば、ホールに入って、月間のシフト日数を減らす方が合理的だ。
でも、私がそうしないのには理由があった。
接客業に、壊滅的に向いていないのだ。
対人恐怖――というほどのものでもない。極端な人見知り、という程度なのだが、人前に出ると、声が上ずって喉が凍りついたようになる。思考力が低下して、失敗を連発する。
茶器を割って固まってしまったクドリャフカのことはまったくもって笑えない。
私自身、フォローと言ったって、結局のところ、お客様対応は大失敗。後はクドリャフカ任せで、割れた破片や床の汚れを片付けて、ちょっと助言しただけだ。自分があれ以上お客様に声を掛けようと思ったら、クドリャフカよりもひどい緊張の発作に見舞われていたに違いない。本当の意味で彼のピンチを救ったのは、私ではなく団長である。
いつかは直さないと、と思ってはいる。中学生の頃に比べれば、ずいぶんとましにはなった。でも、現状はまだ、バイトで日常的に克服訓練をするという荒療治に耐えられるほど改善もしていないし、そんな目的でバイト先を選べば迷惑をかけるのはわかりきっていた。
生活を支えるためのバイトでもある。長く続けるためにも不得意分野を避けて選ぶべきだ。
とはいえ、「客と会話しない」仕事なんて、何の資格も特技もない、それまでバイトした経験すらない大学生にはなかなか見つかるわけがなかった。入学直後に探して、運良く滑りこめたこのアルバイトは、私にとって天恵のようなものだった。
お客様はこの店に、騎士のサービスを期待して来店する。私は町娘の格好で厨房にいる限り、お客様からは、いわば『お呼びでない』存在だ。騎士の格好をしていなければ接客に立てないのだから、シフト中に急にヘルプを頼まれることがないというのは、私にとって絶大な安心材料でもあった。普通の飲食店なら、こうはいかないだろう。
団長も、騎士バイトの取りまとめ役として、マネージャーとの面接に同席することもあったから、私が接客に極端な苦手意識をもっているのを知っていたし、普段から配慮して接してくれていた。だからこそ、私が掃除道具を持ってクドリャフカのフォローに入ろうとしたことに驚いたのだろう。
……結局のところ、私だって、いつまでもこのままでいいと思っているわけではないのだ。