17 サマーフェスタ、怒涛の進行
「大丈夫ですか」
待機場所で、私は周囲に聞こえないようにできるだけ小さい声で隣にいる団長に尋ねた。
「これ? 平気」
団長は自分のネッククロスを指してみせた。何度も練習した綺麗な結び目だ。可能な限りゆとりを取りつつ、華やかに見えるように工夫した。クロスの結び目に飾る騎士団の紋章のブローチも歪みなく留められ、それと胴着の襟章を繋ぐ装飾チェーンも、きちんとあるべき場所におさまっている。
団長の集中的な訓練はどうにか実を結び、練習時間内であれば、クロスを着けたままでも落ち着いて別の作業に集中できるようになっていた。シフトはそれより長い時間にはなるが、途中で短い休憩を挟みながらいけば、最後まで通してやれるだろう、という見通しまで立っていた。
予想外の要素がなければ、の話である。
「スムージーの方です」
私は声をひそめたまま、予想外の要素を指摘した。案の定、団長の表情がくもった。
「正直あれ以来、給食でどうしても食べないといけなかったときしかスイカも食べていないから、ちょっと予測がつかないんだけど」
最後に食べたときはと尋ねれば、小学校時代まで遡るという。クラスには他にもスイカが苦手な子が何人かいて、食べ渋っているうちに時間切れになり、一口か二口程度でごまかして逃げ切ることができていたらしい。
「でも、運ぶだけだから大丈夫だ。瓶に入ってるし、ビジュアルは生のスイカとかなり違うから。匂いも好きじゃないけど、壊滅的にダメとかではないし」
私を安心させるように言って、頭をぽんぽんと叩いた。久しぶりに団長のくせが出て、場違いにもどきっとしてしまう。
「それより、アンの方こそいいのか? 今までずっとホールは断ってただろ。人員確保の段階で、三年生の割合が多ければ、いずれこういうことがあるのは予測していなきゃいけなかった。マネージャーと俺の見込みが甘くて、迷惑をかけてごめん」
「それはいいんです。むしろ、この土壇場であの特殊設定まで付けて配慮していただいて、ありがとうございます」
マネージャーと団長が文面を考え、クドリャフカが既定のフォーマットに打ち込んで簡単にデザインを施してくれたというプロフィールカードのおかげで、私は、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」の挨拶をきちんと言うことに集中すれば、後はテーブルサーブと後片付けに専念できることになった。
結果的に私の極端な『人見知り』というか、『声だし恐怖症』のリハビリとしては、十分すぎるレールを敷いてもらったことになる。
私だって、いつまでもそのままでは生活に差し障る。この頃では、大学のゼミ発表くらいなら、ところどころ「聞き取れません」という苦言をいただいては言い直して、どうにか終わらせることができるレベルにまでこぎつけていたのだ。テーブルのお客様は一卓で四人まで。初対面かもしれないが、人数で言えば、ゼミ発表の聴衆の三分の一以下だ。後は私が腹をくくるだけだ。
「特に、スムージーのオーダーに関しては私がサーブして片付けます。そこは分担として徹底しましょう」
「ん、ありがと。……あのさ、俺今までちゃんと言ったことなかったけど」
団長は真顔で私を見た。小さい声で会話しているせいで、ごく近い距離にいるので、自然と私は見上げる格好になる。
「アンは本当にすごいよ。周りを見てそれが必要だと思えば、苦手なことでもその場で判断して思い切って飛び込んでる。色んなタイミングで思ってるけど、今日もアンがいてくれてよかった」
わたしはぐっと言葉に詰まった。
ずるい。今このタイミングで、そういう殺し文句を言うなんて。
また団長が無自覚に団長してる。これだからもう。
「私も色んなタイミングで思ってますけど、団長は呼び方の精度が甘すぎます。せめて団長くらい、今日はアンじゃなくてアンソニーで統一してください」
気合を入れていきましょう、と、私は右のこぶしをつきだした。
団長もこぶしをかためて、私のこぶしにこつんとぶつけると、あはは、と笑った。
「また怒られちゃったなあ」
◇
詳細はSNSで当日発表、というサマーフェスタのPRが、かえってお客様たちの興味をそそる結果になったらしい。店はいつも以上に活気に溢れていた。
テーブルから聞こえてくるお客様たちの会話から判断するに、騎士たちの新制服も評判がいいし、ポーションも、佐々木シェフ渾身のスペシャルアフタヌーンティーも好調だった。
その分、ホールも厨房も目が回るほど忙しい。次から次に生じてくる仕事に一つ一つ対応することに集中しているうちに、あっという間に時間は過ぎ去っていった。
それがかえって良かったのかもしれない。
ざわざわと人の声が反射するホールでは、自分の声をいちいち反すうしている余裕などない。意味が伝われば上等。あとは目線や姿勢、態度でおもてなしの心を伝えるほかない。声を張りすぎるのも、また、雰囲気を壊してしまう。
そう割り切って、丁寧な仕草でご案内し、サーブしようという意識に集中できた。
団長がさり気なく、言葉でのコミュニケーションが必要な場面を先回りして対応してくれたのも大きい。
第一土曜日の常連の貴婦人たちも、私たちの担当だった。中の一人が、あら、と私に気がついてくれたのには驚いた。
「アンソニー王子、お忍びは初めてではいらっしゃいませんよね? 以前はあちらのカウンターの奥で、お料理の準備を手伝っていらしたのではなかった?」
その言葉に、他の三人もてんでにうなずいた。
「道理で、見覚えのある方だと思ったのよ」
「ねえ、本当は、王子も世を忍ぶ仮の姿で、王女様なのではなくって? 王室も複雑な事情を抱えていらっしゃるのかしら。あら、こんなこと聞いたら答えづらいわよね、いいのよお返事は頂けなくて」
「まあ、その発想最高よ。男装の麗人の騎士はいいわねえ! 今風に言うと、推せる! ってことよね」
四人でどっと盛り上がる。こちらはたじたじと会釈でかわすしかない。こちらの返事がどうであれ、それを物語にとりこんでおしゃべりに興じているあたり、世界観を満喫しているとはまさにこういう過ごし方のことを言うのだろう。
何と言っても、にこにこと楽しそうに、料理と飲み物へのお褒めの言葉を直接聞かせてくださったのは嬉しかった。あとで佐々木さんにも伝えなくちゃ。
団長も、見ている限りほとんどネッククロスには手を触れず、接客に専念できているようだった。ときどき休憩を入れて対応しようと思っていたのが、今日の混雑状況では不可能なのが難点だったが。
お店全体がフェスタ初日のいつにない熱気に満ちていた。それでも時計は進んでいき、営業終了の時間は次第に近づいていった。何とか無事に走り切れそうだ、と思ったのが、かえって災いしたのかどうか。
閉店間近、今テーブルについているお客様がそれぞれ最後の担当客になる時間帯に、事件は起こったのだった。