16 サマーフェスタ、波乱の幕開け
「え、カレルとクロード君、来られないんですか?」
サマーフェスタの初日にあたる土曜日、少し早めに出勤すると、マネージャーが青い顔をして電話をかけまくっていた。
予約で満席なのに、騎士の急な欠勤が重なってしまったのだという。
ご実家で急な不幸があったという新人のカレルも、またじわじわと流行り始めているたちの悪い夏風邪を拾ってしまったクロード君も、仕方のない事情とはいえ、間が悪かった。
シフトに入っていない他の騎士たちに急遽出勤を頼んだが、今日はどうしても都合がつかないのだという。もともと、近隣の大きなカンファレンスホールで就職活動フェアがあり、三年生を中心にそちらに参加申し込みをしたせいで休みを希望していたメンバーが多くて、シフトを組むときからギリギリだったらしい。
マネージャーは眉毛を八の字にして頭をかいた。
「どうしたもんか。こんなにみんなの予定が詰まってることなんて、今までなかったからなあ……。常連さんに事情を説明して、予約の日程を変えてもらうか……」
「え、だめですよ!」
私ははっとした。
「今日のご予約の常連さんって、本当に毎月、この第一土曜日に入れてくださってるグループですよね。すごく楽しみにしてくださってますし」
たっぷりのアフタヌーンティーメニューも残さず食べ、食べきれないときはスコーンや焼き菓子をわざわざテイクアウトボックスに入れて持ち帰ってくれる方々で、以前からお名前を覚えていた。厨房スタッフへも会釈を欠かさず、季節ごとに変わるメニューへの感想をさり気なくテーブルに一言メモで置いて行ってくださる神客の貴婦人たちだ。
子育てや介護といったそれぞれの家庭事情をすりあわせて、月に一度、気心の知れた昔なじみの友人たちでここで集まっておしゃべりするのが楽しみなのだと、以前メモに書き添えてあったのが印象に残っている。
「でも、せめてあと一人、ホールに入れないとサーブが回らない。オーナーに連絡して他店から応援をもらおうにも、騎士役は所作もあるから、付け焼刃じゃどうにもならないし……」
「俺が四テーブル担当します」
団長が言ったが、マネージャーは首を横に振った。
「来店体験の品質を下げるわけにはいかないよ。普段のオペレーションは時間差で二テーブルだ。四テーブルになるとタイミングも重なってしまうし、サーブが遅れれば、お茶も料理も冷めてしまう」
団長が悔しそうに唇を引き結んだ。マネージャーの言葉は正論だ。
一瞬、場に重い沈黙が降りた。
「……私、ホールやります。ケイティに出勤頼めませんか」
思わず言っていた。はっとして団長が振り返る。
「アン」
「アンちゃん! ……できるか」
マネージャーは目線を合わせて聞いてくれた。早くも私の喉の筋肉は強張り始めていたけれど、私は目をそらさずにうなずいた。
「慣れないポジションではありますが、全くの未経験者よりはお役に立てると思います。お店の品質を落とさないように頑張ります」
もういい加減、こんなのは終わりにしたい。うじうじ悩んでいるのなんて、時間の無駄だ。みんないろいろあって、それでも頑張って日々を重ねている。今日は私の番だ。
「アンなら所作も段取りももちろん完璧に覚えてます。だけど――、そうだ。女性騎士服は数が少ないですから、アンのサイズはないですよ」
心配そうに団長が割り込んだ。以前、私が声を気にしていたのを、しっかり覚えていてくれているのだ。うう、これ、エリカさんが聞いてたら絶対、『団長、また過保護が出てますよー』って笑うやつ。
「うん。でも、アンちゃん小柄だから」
店長はさっきまでの蒼白な顔色が嘘のようににんまりと笑った。
「キッズの一五〇サイズなら入るよね。騎士服を着てみたいってお子さんが多かったから、今回のは同じデザインで子ども用も作って、ウェイティングスペースのフォトスポットの備品として今日から投入予定だったんだ。今、ケイティに厨房補助で臨時出勤頼めるか、聞いてみる。ケイティがダメでも、厨房補助なら、最悪、経験の多い人を頼めば他店からの応援でもなんとかなるから」
◇
無事ケイティも連絡がついて、店は通常通りの開店に向かって動き出した。
できる限り負担が少ないように配慮する、と店長が請け合ってくれたので、私はひとまず着替えに向かった。
受け取ったボーイズサイズのウェアは、袖と裾の丈も、肩幅もぴったりだった。
(一五〇かあ)
己のお子様体型を改めて突きつけられたようで悔しいけれど、仕方がない。むしろ、着られるものがあってよかったと思うべきだろう。
さすがに胸囲はちょっときつめだ。他の女性騎士スタッフのために常備されている晒しを分けてもらってぎゅっと締めてから着直すと、どうにかだらしなくない印象に襟元が落ち着いた。気分も引き締まる。
団長と散々練習したネッククロスは、むしろ、他のどの騎士たちより綺麗に結べている自信があった。
「よし、行くぞ」
私は自分に気合を入れるべく、ぺしぺしと頬を両手で叩いてから、開店前ブリーフィングが行われるウェイティングルームに向かった。
店長から今日の段取りや、サマーフェスタの注意点が伝達される。人員が少ないこと、急遽私がヘルプに入ることも説明してくれた。
斜め前で話を聞いていたクドリャフカが少しだけ振り返って、親指を立ててくれる。
私も笑顔でうなずいた。
大丈夫。やるしかないし、やれる。
「安西さんは緊急ヘルプだから、団長が四テーブル担当ということにして、その補助に付けます。アドリブの多いセリフまでやってもらうと負担が大きいので、今日は安西さんは基本喋らない設定でお願いします」
どういうことだろう。私は怪訝に思いつつ、スタッフ全員の前で話すマネージャーを見つめた。
マネージャーは名刺サイズのカードをかざした。テーブル担当の騎士を紹介するため、お客様にウェイティングルームで渡しているものだ。騎士ネームや、騎士としてのプロフィール設定が記入されている。
「今日は、安西さんはアンちゃんじゃなくて、騎士ネームのアンソニーで呼んでください。アンソニーは建国祭の騒ぎに便乗してお城を抜け出してきた第四王子です。護衛任務についていたことのあるセドリック団長を頼ってお忍びで訓練所に社会見学に来ていますが、声を出すと周囲に気づかれてしまうので、なるべく声を出さないようにしています」
そこまでをカードを見ながら説明した後で、マネージャーは一同を見渡した。
「この紹介カードを急遽、クドリャフカ君に作ってもらいました。あ、間違えてアンちゃんって呼んじゃっても、ニックネームです、って言えばいいだけだから周りも心配しすぎないで。王子だからって敬語じゃなくても大丈夫です。お忍びなので」
マネージャーの最後の一言で、少し緊張していたバイトの面々も、ふふっと笑ってしまって、場がほぐれてきた。
パソコン作業が得意だと言っていたクドリャフカに、大急ぎで作成・印刷してもらったらしい。さっきの親指はそういう意味だったのか。
「アンソニーは、フードとドリンクを運んだり、皿を片付けたりを中心に落ち着いて動いて。団長は周りを見つつ接客中心で、必要に応じてアンソニーのカバーに入ってください。二人とも開店当初からのスタッフだし、連携はばっちりだと思うから、役割分担は臨機応変で。他の面々も、各自の持ち場を確実に対応してください」
さて、とマネージャーは明るい声で呼びかけて、大きく一つ、手を叩いた。一同の空気が変わる。
「みなさんお待ちかねの、ポーションコンテストの結果発表です。今日からもう提供が始まるので、説明ができるようにきっちり覚えてください。採用メニューは二つ」
そこで言葉を切って、たっぷり間を置いたマネージャーを、みんなが固唾を飲んで見守った。
「エリカさんとクロード君考案の、状態異常回復ポーション・パッションフルーツとマンゴーのジュレソーダと、オーガスト君とモーリス君考案の魔力回復ポーション・スイカとミントのチョコチップスムージーです」
はじけるように、わっとみんなが盛り上がる。特に、今日シフトに入っていたオーガストとモーリスは、周囲から肩を叩かれたり、軽く小突かれたりとにぎやかな祝福を受けた。
その盛り上がりに控えめな笑顔で参加している団長の横顔を、私は思わず見つめていた。
心なしか、血の気が引いている気がする。
何てことだろう。
他にも、メニューはいくらでもあったはずなのに。
偶然とはいえ、よりによって、なぜスイカのスムージーが選ばれてしまったのか。