13 騎士団長の秘密(後)
スマホが短く一度振動しただけで静かになった様子から考えて、メッセージの類だろう。
瀬戸先輩に断って、ぱっと手もとで確認すると、工藤君からだった。話に集中しすぎて、スマホをチェックするのを忘れていたのだ。ごめん、工藤君。
未読は二通だった。十五分ほど前の、『車はタラリア騎士団につきました。どういうことなんでしょう?』というメッセージに続いて、たった今届いたメッセージには『待ってみたけれど出てきません。病欠したあげく、こんな喉で店に顔出しても心配かけるだけなんで、中には声かけずに、今日はそのまま帰ります』とあった。
「あちゃー。これは、悪いことをした……」
風邪がぶり返さないといいけれど。とりあえず、お疲れ様、のスタンプだけ返す。
「大丈夫? 何か緊急の用件?」
案じるように首を傾げた先輩に、私は街で見かけた先輩を工藤君と二人で追った経緯だけを手短に説明した。もちろん、工藤君の恥ずかしすぎる勘違いその他もろもろは全省略だ。
「え、何。勧誘商法だとか疑ってたわけ? あいつの思い込みもなかなか極まってんなあ」
彼は呆れたように笑いかけたけれど、ふと真顔になった。
「いや、心配してくれたんだよな。後で連絡して下宿に寄ってみるよ。そこの販売コーナーでのど飴買って、差し入れに持っていこうかな」
「……あの、先輩。一つだけ、聞いてもいいですか。答えづらかったら別に構わないんですけど」
私の問いかけに、彼は短く「何?」と促した。
「どうして、ネクタイ恐怖症になったんですか? 私の引っ越し後の中学校初日みたいに、何かきっかけになるような出来事があったんですか」
そっと尋ねた私に、彼は腕を組んだ。
「笑うなよ」
「とんでもない」
他の誰が笑ったって、私が笑うわけがない。他人から見て些細なことだと思えても、今の自分が見たって大したことないと思えても、やはりそれだけの禍をのこす何かというのは、その時その場の本人にとっては深刻な事柄なのだ。そんなこと、身にしみてわかっている。
「あまりにくだらなさすぎて、家族にも言ったことがないんだ。暑がりで冬にマフラーすらしなかったから、ネクタイがどうにも苦手だってことに気がついたのは高校生くらいなんだけど、それまで、そんな出来事があったことさえしばらく忘れていたし――」
緊張するとちょっと饒舌になるのがくせなんだな、とだんだんわかってきていた私は、慌てて止めた。
「あ、あの。無理しなくても大丈夫です。別にどうしても聞かなきゃいけないってわけじゃないので」
「いや、言わせて」
先輩はため息をついて、また窓の外に視線を投げた。ふてくされたように頬杖をついて、私の方を見ずに言う。
「叔母のせいなんだ」
「オーナーですか?」
「そう。俺が幼稚園児の頃だったと思う。祖父母の家に遊びに行った時、ちょうど家にいた叔母がパソコンでインターネット上の動画を見ていたんだ。興味を持って近寄った俺に、面白いのがあるよ、と言って何気なく見せてくれた。それがまずかったんだと思う。その晩、ひどくうなされた覚えがある」
「……どんな動画だったか、伺っても?」
それが問題の核心のはずだ。先輩はのろのろと言った。
「本当にバカバカしい、他愛もない実験で」
画面には、大きなラグビーボール型のスイカが映っていたのだそうだ。画面の中の人物は大げさな身振りで、そのスイカに、細い輪ゴムを一本ずつ掛けていった。果たして、スイカに輪ゴムは何本掛けられるか、限界を超えるとスイカはどうなるか、というわけだ。早送りのように画面が動いて、輪ゴムが何十本も掛けられ、画面の隅に表示された本数のカウントが進んでいくにつれて、無数のゴムに締め上げられたスイカは見るも無残にくびれていった。
そして、その瞬間は唐突に訪れた。
それまでと何ら変わらない細い茶色のゴムが、運命の一本だった。それが掛けられるやいなや、皮にわずかに走っていた亀裂がぴしりと大きく広がり、真っ赤な汁を吹き散らしながら、ばあん、とスイカは粉々にはじけとんだ。
その後、軽快な音楽とともに、爆発の瞬間のスローリプレイが角度を変えてくり返されたという。
その晩、瀬戸少年の夢には、ハロウィンのカボチャ大王ならぬ、真夏の夜のスイカ大王が訪れた。スイカ大王は、怯えて逃げ惑う少年にニタニタと嫌な笑顔で迫ってきた挙句、彼の目の前で爆発四散したのだという。
「だからといって別に今、叔母を恨んでいるわけじゃないし、ごく普通の親族関係なんだけどね。そもそも、叔母も他の家族も、この一件がきっかけだったとは今も知らないし。ただどうにも、首周りに何かが巻き付くのだけは苦手なんだ。あと、スイカも」
彼はそう話を閉じた。
叔母さんに非があったかと言われれば、客観的に見て、あまりないのではないか、と思う。小さい男の子が喜びそうな、豪快な科学実験動画だと思って見せてくれたに違いない。たまたま、幼児の繊細な感受性の琴線に、思いもかけない動画が触れてしまっただけの、いわば不幸な事故だ。
だがそれにしても、色々な意味で胸が痛くなるような話ではある。
「絶対、誰にも言いません。私の名誉にかけて」
私は神妙な顔で右手を左胸に当て、騎士の宣誓の仕草で団長に誓ったのだった。