11 ハーブショップ<ル・ミディ>
瀬戸先輩が私を連れてきたのは、駅前の繁華街から住宅街側に少し進んだ先にある小さな店だった。
入り口の横に立てかけられた素朴な木製の看板には<herbes et épices Le Midi>とつづられている。おそらくフランス語だ、というところまでは見当がついた。私自身は第二外国語がドイツ語選択なので自信はないが、後半の大きいフォントで書かれた部分が店名で、「ル・ミディ」と発音するのだろう。カジュアルでこじんまりした店構えだ。
中に入ってみると、喫茶店……というのとも、少し違った。さほど広くない店の半分程度は雑貨の販売スペースで、残りの半分が喫茶営業をしている様子だ。
メニューを見て驚いた。コーヒー、紅茶といった定番メニューがほとんどない。ハーブティーが中心だ。カモミール、ミント、ラベンダーといった耳馴染みのあるものから、聞いたこともないようなものまで、色々な種類がずらりとリストアップされていた。その他にも、ハーブのシロップを炭酸水やフルーツジュースと組み合わせた飲み物や、焼き菓子を中心にしたスイーツも並んでいる。
「ハーブとスパイスの専門店なんだ。あっちで販売もしている」
よく見れば、販売スペースの品物も全て、各種ハーブティーや焼き菓子のほか、ポプリ、ドライフラワーや室内香といった香りの関連グッズらしい。切り花や鉢植えが並んでいる一角にあるのは、すべて食用のフレッシュハーブとエディブルフラワーなのだと聞いて納得した。さすが、徹底している。
「こっちの方角にお店があるのすら知りませんでした。住宅ばっかりかと。よくご存じでしたね」
武骨、質実剛健、といった言葉がよく似合う瀬戸先輩と、このふんわり可愛いハーブ専門店はなかなか意外な取り合わせだ。
「ちょっと興味があって、調べたもんだから」
「へえ」
うなずきかけて、ひらめいた。
「あ、もしかして、サマーフェスタのポーションコンテストですか? 確かに、実際にリフレッシュ効果があるハーブとかを取り入れられれば本格的ですよね」
さすがセドリック団長。こういうところでも手を抜かず、リサーチしてメニュー開発に臨むとは。
私が納得して小さく手を叩くと、彼は、ああ、まあ、と曖昧にうなずいた。
「さっきまでティールームにいた人を連れてくるのはどうかと思ったんだけど。実はカレーがうまいんだ、ここ。夕飯食べちゃってよければ、一緒に、と思って。お茶のほうが良ければ、そっちでもいいし」
なんだか、いつもの団長よりかなり口数が多い。といって、楽しそうというのとも違った。
これは……そう、緊張している人のアレだ。
私までつられて緊張してきてしまう。
とにもかくにも、団長がラムキーマカレー、私が手羽もとのスープカレーを注文してから、場の空気にこらえきれず、私の方から口火を切った。
「それで、相談っていうのは?」
何か、よほど困ったことがあるに違いない。そわそわとおしぼりをいじり倒していた団長は、大きくため息をついた。
「ええと、どこから言ったもんかな。まず、相談の前に。さっきの人は本当に彼女とかじゃないので、そこだけは誤解しないでほしい。最後のアレは、ネクタイが緩んでたのを直されただけで」
人が着けているネクタイを直すなんて、知り合い程度だったらあまりしないと思う。距離感おかしくない?
怪訝に思いつつ、私は問い返した。
「じゃあ、どういうお知り合いなんですか?」
「あれ、叔母なんだ」
「……叔母様?!」
思わず声がひっくり返ってしまいそうになった。いやいや。そんなお歳には見えませんでしたけど。遠目では二十代か、最大限上に見積もって三十代前半かと思っていた。年齢不詳の美魔女系なのか。叔母さん……なら、ネクタイ直すのもありか。家族って感じなら。
「母の、少し年の離れた妹。現在アラフォーだけど詳細は言ったら殺される。でもって――」
団長はそこでいったん言葉を切ると、手の中でひねっていたおしぼりを畳んで置き直し、腹をくくったように続きを一息で言った。
「あれが『タラリア騎士団』のオーナーだったりもする」
「えええー!」
私は思わず悲鳴に近い声をあげかけて、慌ててトーンを落とした。この静かなお店の迷惑になってはいけない。
「オーナーさんって会ったことなかったですけど、あの方?! え、しかも団長の叔母様なんですか?」
「店では言わないようにしてたんだけど」
団長はきまり悪そうに首の後ろに手をやった。
「今日も、店の関係の打ち合わせとか、叔母の外回りに同行するっていう名目で呼び出されて。ついでに、所作の品位がキープできてるかチェックするから、世間で変な目で見られない程度に実演してみせろって言われてさ」
「そうだったんですか! ……じゃあ、もしかして開店する段階から、瀬戸先輩がお店を手伝うことに決まってたんですか?」
私が首をかしげると、彼はうなずいた。
「新店を立ち上げるにあたって、気心の知れた甥を引き込みたかったらしい。学生とはいえもう十八を過ぎてるんだから働け! 事業の経験を積め! って言ってきてさ。でも俺も本分は学業だから、あくまでバイトの立場でしか関われないし。同世代のバイト同士なのに、変にお互い気を遣う感じになっても嫌だから、苗字が違うのをいいことに、学生のうちはそこは知らぬ存ぜぬで通してくれ、というのを条件にしたんだ」
「マネージャーは?」
「うん。店ではあの人だけ知ってるけど、黙っててもらってる」
「わあ、大変な秘密を聞いちゃいましたね。これ、私も他言無用ですよね?」
団長は渋い顔でうなずいた。
「アンなら信頼できるから」
それで納得がいった。クドリャフカが落ち込んでいた時、ひどく気にしていたのは、自分が勧誘した後輩だから、というのもあるだろうけれど、半分は経営側の立場のようなものだから、その点でも責任を感じていたのだろう。
「でも、それは別に、困りごとではない……ですよね?」
大きな秘密を打ち明けてくれた訳ではあるけれど、相談、というフレーズには馴染まない気がする。
「うん。これは前置きで」
彼は無意識のように喉元を右手で軽く触った。ネクタイは、ヘルメスホテルを出てほどなく外し、バッグにしまっていた。
「オーナーがあのきらきらした夏服を提案してきたのは、俺にからんだちょっとした裏の意図があって――」
私は固唾をのんで、話の続きを待った。