1 カフェ『タラリア騎士団の訓練舎』
「ようこそ我が騎士団へ。本日はお越しいただき、まことに光栄にございます。ご案内を勤めます、当騎士団の団長、セドリックと申します」
かちりと音をさせてブーツのかかとを合わせ、左胸に右手を当てた団長は、軽くひざを折って二人のご令嬢がたに礼をした。
私は、受付嬢がお二人にウェイティングルームで記入していただいた帳面をちらりと確認した。セドリック団長のお相手は、ここには初めて来られた方々だ。
『タラリア騎士団の訓練舎』一の美丈夫が繰り出す折り目正しい礼の攻撃力は高い。潔く短く刈り込んだ髪は、彼の首筋から頭蓋骨の美しい骨格を引き立てていたし、甲冑やマントを堂々と着こなす、引き締まった体のがっしりとした厚みも、間近で見ればさらに迫力があるはずだ。
案の定、場馴れしていない二人のご令嬢はどぎまぎしたように頬を赤らめてお互いに視線を交わした。
片方のご令嬢が、もう片方を肘で軽く小突いて、『ねえ、どうしたらいいの』と目顔で訴えている。もう一人も緊張を隠せない表情だったが、深く息を吸い込んで、やや上ずった声で応じた。
「こちらこそ、訪問をお許しくださって光栄ですわ」
だが、その後が続かない。ご令嬢の一瞬の戸惑いを見逃さず、セドリック団長は顔を挙げて堂々と微笑んだ。
「ご令嬢の有難いお言葉、恐縮に存じます。では、お二人のためにお席を設けてございますので、こちらへ。お飲み物をご用意いたします。必要なものは何なりとお申し付けくださいませ」
彼がマントを優雅にひるがえして軽やかに歩き始めると、ふたりのご令嬢はすっかりのぼせて、ほうっとため息をつきながら、おずおずとしたドレスの裾さばきでその後に続いた。窓際のカウチ席へのご案内だ。
私は慌ててカウンターから頭をひっこめ、プレートを数枚とティーカップ、受け皿を二枚ずつとって湯につけ、温め始めた。ディッシュスタンドを調理台に出して、サンドイッチと冷たい前菜を載せるガラスの食器を一番下の段にセットする。十中八九、次に来る展開は決まっている。
セドリック団長はさっきまで私がホールの様子をうかがっていたカウンターに肘をおき、厨房側に少し身を乗り出すようにして、よく通る声をあげた。
「窓際カウチ席のご令嬢方に、アフタヌーンティーセットを」
「かしこまりました」
返事より早く作業が進んでいるのを見て、団長はにかっと笑った。私だけに聞こえるように声を落として言う。
「さすがアン。先読みしてたな、えらいぞ」
騎士の魅力にノックアウトされれば、ご令嬢がたの次の行動はお決まりなのだ。二時間、お茶飲み放題のアフタヌーンティーセットは、フードの配膳に紅茶のおかわりにと、テーブルを担当する騎士からの奉仕を受ける機会も多く、一番自然に長時間過ごせる。客の半分以上が注文する店の看板メニューだった。
カウンター越しに制服のバブーシュカの上からぽんぽんと頭を撫でられて、私は慌てて一歩下がった。
「ちょっと、やめてくださいよ」
長くのばしていた髪をショートウルフに切ってからというもの、結んでごまかせないので、セットにはかえって時間がかかるようになった。個人的にはちょっと大人っぽくなったかな、と思っているけれど、多分、団長は全然気がついていない。
団長はいつも私を小さい子扱いする。そりゃ、人一倍背も高くてがっちりした団長から見れば、百五十センチをどうにか超えただけの私は小学生と変わらないように見えるだろう。実際には一学年しか違わないけれど、それでも年下だし。他意がないのはわかっている。でも、この距離感は慣れない。緊張が加速してしまうから、離れないと。
「わりいわりい」
「その言葉遣いも! 世界観台無し!」
小声でいさめると、団長は人差し指で小さく頬をかいてから、すっと背筋を伸ばした。
「貴重なご示唆、感謝する」
一瞬で顔つきも声も引き締まるのは、本当にずるいと思う。
「あーもう。こんなところで騎士力無駄遣いしてないで、早くカトラリー持っていってください」
どきっとしたのをごまかすように、私は人数分の銀器がセットされたかごを急いで団長に押し付けた。
いきなり、至近距離で騎士の魅力を振りまかれても困る。免疫が多少あるとはいえ、心臓に悪いことこの上ない。
団長は、ははっと笑って片手を小さく振ると、くるりと踵を返してエレガントな歩調でカトラリーをテーブルに運んでいった。
私がわたわたするの、わかってやってると思う。でも、何故わたわたしているのかについては、全くの無自覚。そういうところが、団長の団長たるゆえんである。私は連戦連敗だ。
◇
『タラリア騎士団の訓練舎』は、廃業した結婚式場のチャペルと洋館を居抜きで活用してはじめられた、いわゆる「コンセプトカフェ」だ。現代日本にぽっかり出現したささやかな異世界空間――というのだろうか。中世風の架空の世界にある騎士団の訓練舎を貴族が視察に訪れるという設定で、コーヒーや紅茶、スイーツを提供する喫茶店である。
来店客は、まずウェイティングルームで、店員からの呼び方の希望や避けたい食材、そのほか必要な配慮事項などの情報を顧客カルテに記入してもらう。そのカルテをもとに、騎士に扮した店員が席までエスコートし、注文に応じてフードやドリンクを提供する、という仕組みだ。
夜営業中心のコンセプトカフェにありがちな、担当店員の指名やツーショット写真サービス、着席接客や長時間のおしゃべりは、世界観を壊すという理由で禁止。同じ理由で、客のスマホやカメラもウェイティングルームのロッカーに預けて頂くことになっている。希望者には、コンセプトに合わせたドレスやフロックコートなどの衣装も貸し出されるが、写真撮影はウェイティングルームのフォトスポットのみで、店員を撮影するのは禁止。店内ではあくまで、カフェとして飲食を楽しんでいただくのが店の流儀だ。
着席時のデジタル機器禁止というSNS全盛の現代に逆行するような不便なルールがありながら、非日常体験を味わうための徹底した世界観づくりと凝った内装、何より、徹底した騎士たちの接客に定評があって、開店二年目ながら人気は上々だった。
私、安西琴寧は、大学に進学したのを機に引っ越してきたこの街でバイトを探していて、オープニングスタッフを募集していたこの店の厨房補助に運よく採用された。店での愛称は「アン」。
裏方である厨房補助の時給は決して高くないけれど、まかないもおいしくて人間関係も悪くないこの職場は気に入っている。メインの調理は正社員のシェフが担当してくれているが、盛り付けとドリンクの準備はかなり任せてもらえるようになったし、ホールとの繋ぎや、新人バイトへのフォローも担当するようになってきていた。