名前呼び
合同演習が始まってすでに六日が経過した。
本来ならば、チェスターとイアンの二人と交流を深め、好感度を稼ぐ時期であった。
それなのに、チェスターに近距離攻撃の指導を願うと、もれなくサディアスが現れ、結局は二人がかりで指導を受けることになる。
負けじとチェスターに剣術の話題を振っても、無駄に知識のあるサディアスに会話の主導権を握られ、結局はチェスターとサディアスの仲が深まっていくだけ。
それならばと、イアンの好感度を上げようと彼を探すが、私にへばり付くサディアスの代わりに演習の指揮を取らねばならなくなり、忙しそうに走り回っているため声をかけられない。
そして、昼食はサディアスお手製ランチを食しているため、チェスターとイアンの二人と交流する時間はなく……。
(何だ、この悪循環)
私は目の前の色男を睨みつけながら、白身魚のフリッターにフォークをぶっ刺す。
この二人きりの食事も、私の体力作りのために特別メニューを用意していると周りには言い訳をしていた。
しかし、チェスターとのトレーニング食の話題に影響を受けたのか、やたら栄養バランスのよい食事が提供されるようになったので、あながち嘘ではなくなっている。
「好き嫌いはよくない。ちゃんと残さず食べるんだ」
相変わらずのセクシー低音ボイスが響く。
「はい。お母さん」
「誰がお母さんだ。上官だぞ」
いや、セリフが完全にお母さんなんだよ……。
せっかく作ってくれた料理を残すような真似はしないが、なんとも言えない気持ちになってしまう。
(いい人なんだけどなー)
私を心配してくれていることはわかるが、その行動があまりにも攻略の邪魔になる。
悩んだ私は、なかなか進展しないチェスターとの仲を一気に深めるため、禁断の手を使うことにした。
ゲームでは、チェスターとの好感度が一定値を超えると、互いを名前で呼び合う会話イベントが始まる。
相手を名前で呼ぶことは親しい間柄だからこそできることだが、その基準は人や場所によって様々だった。
第四魔術師団はかなりゆるいので、団長のサディアスを筆頭に、本人の許可を得ずとも名前で呼ぶことが許されている。
しかし、チェスターはその真面目過ぎる性格故か、騎士団の慣習が理由なのかはわからないが、相手のことを家名で呼ぶのがデフォルトなのだ。
そんな彼がヒロインを名前で呼べば、特別に親しくなったのだと強調される演出だった。
しかし、いつまで経っても、名前で呼ばれるイベントが発生する気配がなく今日まで来てしまった。
(明日には合同演習が終わっちゃうのに……)
それに、演習最終日である明日には、ゲームの通りに進めば別のイベントが発生してしまう。
名前呼びの会話をするならば、今日しかない!
そうして、私は会話イベントを自然発生させるのではなく、無理やり再現することを思いつく。
(うまくいけば好感度が急激に増えるかもしれないし……)
そうでなくとも、名前を呼ぶことで私を意識するようになる可能性だってある。
そう考えた私は、午後の演習中、意を決してほぼゲーム通りのセリフでチェスターに話しかける。
「団長……あ!そういえば、団長だと分かりづらいので名前で呼んでもいいですか?」
同じく団長のサディアスがいつも側にいるので、不自然ではないはずだ。
「ああ、構わないよ」
すると、ゲーム通りのセリフを笑顔のチェスターから返される。
「それじゃあ……チェスター様とお呼びしますね?」
私はちょっぴり恥ずかしそうな表情を作り、上目遣いでチェスターを見つめた。
(これって成功したんじゃない?)
一気にテンションが上がった瞬間、またもや後ろからサディアスの声がする。
「では、俺もチェスター団長と呼んでもいいだろうか?」
「ええ、もちろんです!」
「…………」
いや、なんでだよ。
なぜか、サディアスもチェスターの名前を呼びたいと言い出した。
それを食い気味に了承するチェスター。そのせいで、私の渾身のはにかみ顔はスルーされてしまう。
「あと……俺のことも名前で呼んでくれて構わない」
そして、サディアスがほんのり頬を染めながら照れくさそうに呟く。
普段が無表情だからか、そのギャップは凄まじく、なんというか……色気がだだ漏れだった。
「で、では、サディアス殿と呼ばせてもらいます」
そんなサディアスの色気にあてられたのか、そう言ったチェスターの顔は真っ赤になってしまっている。
(これは……マズい)
なんだか初々しいカップルのような雰囲気になっている。
またサディアスに主導権を握られてなるものかと、私も負けじと会話に割り込む。
「チェスター様!私のことも名前で呼んでください!」
「あ、ああ。……では、ミア嬢と呼ばせてもらおうかな」
「えへへ、嬉しいです」
「ならば、俺も名前で呼ばせてもらおう」
「…………」
いや、あんたは関係ないでしょうが?
私は全力でサディアスの言葉を聞かなかったことにする。
結果だけを見れば、チェスターと名前で呼び合うことには成功した。
しかし、ゲームのミアとチェスターの間に流れていた甘酸っぱい空気のようなものは微塵もなく、セリフを再現させただけでは好感度が上がったようには思えなかった。
(これから私のことを意識してくれるようになるといいんだけど……)
それより、チェスターの態度を見ていると、私よりもサディアスの好感度が高いような……。
まるで、私が得るはずだった好感度がサディアスに奪われているような……。
そんなことをぐるぐる考えていると、演習の終わりを告げる合図が鳴り響く。
「さあ、行くぞ。ミア」
「…………」
聞かなかったことにしたはずなのに、サディアスからは名前で呼ばれるようになってしまっていた。
しかも、なぜか呼び捨てで……。
すたすたと歩き出したサディアスの背中を見つめながら、このままじゃダメだと思い知らされたのだった。
◇◇◇◇◇◇
「おはよう……」
神殿の食堂、その入口には気怠そうな態度のエイベルが待ち構えていた。
「おはようございます!」
「はあ……朝から元気だね」
溜息混じりにそう言ったエイベルは、相変わらずツンツンしている。
「そういえば、南の森に魔物が出現したみたいだよ」
「えっ!?」
「聖女候補さまにも声がかかるかもね」
そう言って、私の返事も待たずにエイベルは食堂の中へと入ってしまった。
隠れキャラであるエイベルは、このように重要なイベントの予告をしてくれる存在でもある。
先ほどのエイベルのセリフも、初めての魔物討伐イベント前にゲームの中で聞いたものと全く同じだった。
(魔物討伐……)
ゲーム内ではゆるいRPGのような扱いだったが、その結果によって得られる報酬が、次に現れる攻略対象者の好感度を上げるために必要になる。
チェスターの好感度があまり期待できない今、この討伐で結果を出し、その後の展開に活かすべきなのかもしれない。
「シュミット嬢!緊急事態であるからと、すでにお迎えが……」
どうやら、朝食を食べる時間は無さそうだ。
「すぐに向かいます!」
そうして、迎えにやって来たサディアスと共に、最短ルートで王城へと向かったのだった。