略奪された夫と最愛の息子
メリッサとマイクと三人で定期市にいくことが楽しみでならない。その当日まで、「おふくろ亭」でどれだけ働いて疲れていたとしても、ワクワクどきどきがおさまらずになかなか眠ることが出来なかった。
そのようなとき、マイクの寝顔を見て心を落ち着けようとした。
「おふくろ亭」の二階は、居住スペースになっている。マイクとわたしは、その一部屋を借りている。最初こそ家賃を支払うことが出来ず、メリッサが「家賃はいらないよ」と言ってくれたのでその好意に甘えていた。しかし、彼女の手伝いで「おふくろ亭」で働くようになってからは、家賃と食事代は給金から引いてもらっている。もっとも、その他もろもろの費用は彼女に甘えているのだけれど。
現在は、広めの部屋に寝台を二つ置いてマイクとすごしている。が、マイクがもうすこし大きくなったらもう一部屋借り、別々の部屋にしてもらう予定にしている。
マイクが成長すれば部屋を別にすることはごく自然なのだけど、母親としてはそれはそれで寂しいものである。
最近、そのときのことを考えると悲しくなってくる。いまもマイクの寝顔を見た瞬間癒され落ち着きはしたものの、すぐにそう遠くない将来のことを考えてしまった。
部屋を別々にするだけではない。彼は、いずれここから巣立つ。わたしのもとから去ってしまう。
正直なところ、そのような将来は来て欲しくない。出来れば、彼にはずっとここにいて欲しい。わたしといっしょに「おふくろ亭」でメリッサの手伝いをして欲しい。
そう願いはするものの、やはりそれはわたしのワガママにすぎず、母親といえど息子を縛りつけることなど出来ないということもわかっているつもりである。
マイクは、わたしに似ていない。
彼は、金髪に碧眼である。彫りの深い顔立ちは、五歳前にしてすでに美しい。これもまた、母親のひいき目なのかもしれない。しかし、メリッサや「おふくろ亭」のお客たちや近所の人たちもそう言ってくれるので、彼は美しいに違いない。
金髪碧眼で美しいマイクとは違い、わたしの髪と目は黒色である。自慢ではないけれど、わたしは美しさとはほど遠く、外見はパッとせず陰気な雰囲気が漂っている。ちなみに、マイクは同年齢の子どもたちより背が高いけれど、わたしは背が低くて痩せっぽちである。
マイクは、間違いなく父親似ということになる。
わたしは、彼の父親であるサンダーソン公爵をよく見ていない。
嫁いだ日、ずっと俯いていた。サンダーソン公爵は、わたしよりかなり年上らしい。しかも軍人だけあって背が高くてがっしりしている。さらには、威圧感が半端なかった。
サンダーソン公爵の体格や雰囲気に圧倒され、一度たりとも彼を見ることが出来なかったのだ。しかも彼は、わたしを嫌っている。そしてわたしは、とてつもなく彼のことが怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。
彼の顔を見るどころか、立っていられなかった。踵を返し、彼の前から走り去りたかった。いっそのこと消えてなくなりたかった。
初夜は、さらに耐えがたかった。実家でありとあらゆる暴力にさらされる方がまだよかった。そう思えるほどの苦行だった。
当然、寝台の上でもサンダーソン公爵をまともに見ることなど出来なかった。彼にされるがままだった。
ずっと瞼を閉じ、嵐のようなひとときを必死に耐えた。
というわけで、サンダーソン公爵の顔がわからないのである。それから、彼がどんな声だったのかは覚えていない。
とにかく彼は、わたしにたいして冷酷で容赦がなかった。
わたしにたいしては、終始「氷獣の将軍」と呼ばれるにふさわしい態度に徹していた。
マイクは、その彼に似ている。
きっとそうに違いない。
サンダーソン公爵は、寝台で「初夜でのこと」が終ると眠っているふりをしているわたしを置いて彼自身の寝室から出て行ってしまった。
そして、戻ってこなかった。
きっとわたしのことをよりいっそう嫌いになり、うんざりしたのだ。
わたしは、寝台でのことは初めてだった。だから、どうしていいのかわからなかった。
いまにして思えば、よくもあんな醜態をさらしたものである。といっても、寝台の上での本来の意味での醜態ではない。そういう意味での醜態はさらすことが出来なかった。とにかくうまく反応出来なかったし、どう動いていいのかもわからなかった、ほんとうにひどかった。自分が男性でも、わたしみたいなレディはイヤだし嫌悪しただろう。わたしは、それほどひどかった。
結局、サンダーソン公爵は二度とわたしのもとに戻ってこなかった。それどころか、顔を合わせないまま王都に行ってしまった。
彼が早朝に王都に行ってしまうと、彼の寝台の上で起き上がり、痛み傷ついた体と心をひきずって自分の部屋へと戻った。
そのときのことを思い出すたび、あのときの体と心の痛みがぶりかえす。
そのつど、マイクの寝顔を見て気持ちを落ち着かせ、痛みを忘れるようにしている。