略奪レディと人の情け
メリッサ・ノートンは、わたしにとって恩人であり師匠ともいうべきレディである。彼女がひとりで切り盛りしている食堂「おふくろ亭」は、小さいながらもいつも満席状態。「おふくろ亭」は、朝食から夕食までランチタイム後の数時間以外ほぼ半日近く開店している。驚くべきことに、その間店内にお客がいないということはまずない。
メリッサとわたしは、注文をとってから調理をし、料理を運んで会計。テーブル上の後片付けまで、ふたりですべてをこなしている。
そのハードさに、最初こそ体力が続かなかった。とてもではないけれど、途中で体がいうことをきかずに休憩をしなければなかった。が、調理自体は面白い。なにより楽しくてならない。食事の量もかなり増え、体力がついたこともある。気がついたらお店の忙しさにすっかり慣れていた。
メリッサは、「若いっていいわね」と感心する。しかし、若さだけで超多忙な食堂で働くことは出来ないと思う。
やはり、調理が好きなこと。したがって、仕事が楽しいこと。それがそのままヤル気につながること。これらがあってのことに違いない。
それはともかく、わたしはメリッサに救われた。
厳密には、彼女はわたしとお腹の子どもを助けてくれた。
略奪レディにサンダーソン公爵家を追い出されたあと、公爵家の執事のひとりがわたしを憐れんで追いかけてきた。
サンダーソン公爵家でのひとときは、ほんとうに楽しかった。
このサムズ王国の将軍である公爵は、妻になったわたしを嫌っていただけではない。公爵は、初夜の次の日に他国に進軍する準備の為に王都に行ってしまった。いわば訳アリ婚である形式上の妻のわたしだけれど、公爵が不在のサンダーソン公爵家を守らなければならない。が、家事は出来ても領地の経営や屋敷の管理などはまったくわからない。
サンダーソン公爵家の使用人や管理人や代理人たちは、ありがたいことにみんないい人たちだった。
みんなに助けてもらいながら、もろもろのことを切り盛りした。事務関係だけではない。積極的に領地をまわり、領民たちと親交を深めたり視察もした。
そのようにして、サンダーソン公爵家での生活にすっかり慣れたときだった。
例の略奪レディがやって来たのである。
いずれにせよ、公爵には嫌われまったく顧みられなかったけれど、公爵家のみんなには仲良くしてもらってしあわせだった。
そこでは、あらゆる類の暴力にさらされ、恐怖と不安を抱かずにすむ毎日を送ることが出来た。
そういうわけで、執事のひとりが追いだされたわたしを追いかけてきてくれた。
『奥様、旦那様に確認すべきです。旦那様は、そういう方ではありません』
その若き執事は、そう言った。
が、公爵がわたしを嫌っていたのはたしかなこと。だから、王都でレディと仲良くなってもおかしくはない。
だから、笑ってその提案を拒否した。
まず、時間のムダである。公爵に確認している間に彼女になにをされるかわからない。「出て行け」とハッキリきっぱりスッキリ宣言されたのだ。彼女のあの勢いなら、平気で物理的な攻撃をしてくるに違いない。わたしひとりなら、慣れている。実家でずっと物理的な攻撃を受けていたから。しかし、いまは違う。わたしひとりの問題ではない。わたしのお腹には、宿ったばかりの命がある。その命になにかあれば、後悔してもしきれない。
『それでしたら、おれの実家に行ってみて下さい。王都ほどではありませんが、そこそこの街です。そこで父が食堂を経営しているのです。奥様は料理がお得意ですから、父の食堂を気に入ってもらえるかもしれません。おれの部屋が空いています。落ち着き先が見つかるまで、そこでのんびりなさってください』
彼のその提案は、ずいぶんと魅力的だった。
訂正。天からの啓示、もしくは光明だった。
『奥様。旦那様は、戦争が終わらないことには屋敷に戻ってきません。今回の戦争は、かなり長引きそうだと聞いています。数年はかかるでしょう。しかし、奥様がおれの実家にいらっしゃるかぎりはコンタクトがとれます。旦那様が戻ってきたら、すぐに連絡がつきます。これは、みんなから集めました。急なことなので、みんなもあまり手持ちがなかったので申しわけないのですが……』
彼は、説明しつつ銅貨の入った袋を差し出した。
涙があふれた。それから、嗚咽が漏れた。
泣きながら受け取った銅貨入りの袋は、ずっしりと重たかった。
その重さは、物理的というよりかはみんなの気持ちによるもの。
涙を拭いつつ、若き執事から実家の場所を聞いて別れた。