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第2話 令嬢と神官

 世界の平和を求めて、勇者が、戦いに明け暮れた時代から五百年。いまだ世界は混沌の中にあった。


「はあ、はあ、はあ」


 少女はうっそうと茂る森林の中を必死に走っていた。

 彼女の名はミレイナ・アスナール。田舎領主アスナール伯の娘だ。

 穏やかな日常だった彼女の日常は一夜にして消さった。アスナール伯の家臣たちが謀反を起こしたのだ。

 この時代、謀略によって領主が倒されることは別段、特別なことではない。だが、ミレイナにとっては世界の崩壊に等しい。

 近くの神殿の神官たちを招いた晩餐会の最中、突如として父、アスナール伯が討たれた。鉄剣で心臓を一突きだった。

 昨日までの味方はほとんどが敵となり、わずかな供回りとともに神殿に向かって逃げた。

 道中、母も討たれ、味方の家臣や兵も次々に倒れた。最後に残った神官たちの案内で深い森に入り、神殿に向かうが、神官たちも倒れ、

ついには、ミレイナと手負いの神官長しかいない。


「お父さま、お母さま」


 目をつぶって走っているとまぶたの裏には剣で貫かれた両親の姿がありありと浮かんでくる。

 ミレイナは涙枯れ果てるほどに泣いている。それでも、足を止めない。老神官長を引きずるように森を走り抜ける。みんなに救われた命をつなぐために。


 若い神官の女は退屈していた。


「あーあ、つまんなーい」


 女神官はいつも通り、気だるげにほうきを持ち、悪態をつきながら、神殿の掃き掃除をしていた。


「来る日も来る日も掃除、掃除、掃除。こんなボロ神殿、掃除しても変わんないっつーの」


 彼女の名はエルメラ。この魔王神殿を守る神官団の中では最も若いが、すでに十七。世間の同年代ならば、青春を謳歌している年齢だ。

 だが、神官の彼女は、外の俗事とは全く無縁といっていい。一生、この退屈な神殿の仕事を死ぬまでこなすのである。

 神官団は数が少ない。そのためボロでもそれなりに広い神殿なのだが一人で仕事をしていることが多い。自然、独り言も多くなる。


「はああ、誰が来るってわけでもないのに嫌になる」


 エルメラは深いため息をつく。

 仕事は別に辛くはない。神殿を掃除して、週に一度祈祷をすれば、それで仕事は終わりだ。この場所で育ったエルメラからすれば苦もない。ただ、とにかく退屈なのである。


「服といえば、この真っ黒な神官服だけ。食事も毎日同じパンとスープ。町にも行かせてもらえない」


 さらにこの神殿は変わっている。神殿というが、別に神をあがめているわけではないのだ。神殿の最奥、鎖でがんじがらめに縛られた巨大な水晶の中に封じられた男を慰め鎮めているのである。


「魔王のせいだよ。私がこんなに退屈しているの」


 エルメラは掃き掃除をやめ、男の封じられた水晶に腰を掛ける。

 封じられた男は人間とまるで姿かたち変わりない。

 伝承によれば、五百年前、魔王と呼ばれたこの男が世界に災厄をもたらしたという。それ以後、エルメラの一族はようやく封印されたこの男が目覚めないようにこの地で守護している。


 だが、当時、この男が生きていた時代の人々ならば口をそろえて、彼のことをこう呼ぶだろう。

 【勇者】と。


「魔王かぁ、私にはただの人間にしか見えないけど」


 男の封じられた水晶を指ではじく。


「顔は私好みだから許しちゃうけど」


 魔王はエルメラと同年代くらいの若者だ。黒髪黒目で目鼻立ちも整っている。裸で封じられているからその鍛え上げられた肉体もよく見える。水晶に閉じ込められているのではなく町を歩いていれば、女性たちは黄色い歓声を上げることだろう。

 幼いころから神殿で育ったエルメラにとって、見目麗しい魔王は初恋だった。一人魔王を独占して眺めているこの時間が、唯一の趣味でもあった。


「もう五百年、外の世界の人はきっと忘れちゃってるよ。魔王のことも私たちのことも」


 同じ神官たちは文句の一つも言わず、粛々と働いている。一度、それとなく文句を言ったことがあるが、全員から白い目で見られた。


「あーあ、いっそ魔王が復活でもして、世界をめちゃくちゃにしてくれないかな」


 エルメラは不平不満に満ちているが、状況を変えようと努力する気もなければ勇気がない。だが、刺激は欲しい。もっとも神聖で恐ろしいこの場所で罰当たりなことをうそぶいてみるのが精いっぱいである。


「にしても、遅いな。私もクレソスの町に行きたかったなあ」


 神官団は一番若いエルメラだけを留守番に残して、この地域を領地とする貴族アスナール伯の住む町、クレソスに出かけてしまった。


「なんだか外がざわついているような」


 自然の音は案外うるさいものだが、今日は人の騒がしさを感じる。

 すると突然、一族の長老である祖母が、血相変えて、転がり込んできた。


「エルメラ!」

「お、おばあさま!」


 エルメラは慌てて立ち上がる。


「私、さ、サボってなんかいませんよ。ほら、これはあれです。魔王様の封印に不備がないか近くでよくよく調べていたんです。なので決して、サボっていたわけでは」


 真面目な優等生で、神官団では通っている。職務怠慢が露呈すれば面倒なことになる。エルメラは退屈が嫌いなのであって、面倒ごとが好きなわけではないのである。


「馬鹿だね。あんたは。お前が不良神官だなんて、みんな知ってるよ」


 神官長が柄にもなく笑う。


「おばあ様? あれ、あなたは……?」


 よく見れば尋常ではない。神官長は、身なりの良い格好をした自分と同い年くらいの少女に肩を借りている。


「よく聞きなさいな。エルメラ」

「おばあ様! けがを!」


 剣で刺されたのだろうか。よく見ると神官長は腹のあたりから血を流している。


「よいか、エルメラ。この場所に何人も通すな。魔王様の怒りを買ってはならぬ。魔王様の眠りを妨げてはならならぬぞ!」


 倒れ込むようにエルメラの胸ぐらをつかんで、断末魔のように叫ぶと長老神官はそのまま、こと切れてしまった。


「おばあ様。おばあ様。そんな、どうして……」

「ごめんなさい。ごめんなさい。神官長様は私をかばって」


 少女はただひたすらに涙を流し、謝る。


「あんたは……?」

「私はアスナール伯の娘。ミレイナ・アスナール」

「アスナール伯? 領主様の娘がどうしてこんなところに」

「家臣が謀反を起こして。それでお父さまもお母さまも神官長様もみんな……」

「……」


 涙を流すミレイナをエルメラは黙ったまま見つめ、なぐさめることはしない。


「追っ手が、すぐそこまで来てる。あなたは逃げて」

「あんたはどうするつもりよ。お嬢様」

「私はここに残るよ」

「みんな、殺されたんでしょ。一人で守り切れると思ってるの」

「たとえ守り切れなくても、あなたが逃げるくらいの時間は作れるから」


 ミレイナは涙をぬぐい微笑む。その微笑みは死の淵に立たされている者とは考えられないほど、思いやりにあふれ、温かくやわらかい。


「バカみたい。泣き虫の癖に」


 エルメラはそっぽを向く。


「でもね。私を見くびらないで、みんなを殺されておめおめ逃げられるわけないでしょ」

「ごめんなさい。あなたを勘違いしてた。もっとダメな人かと」

「どういう意味よ。あんたは正直すぎるわね。けれど間違ってないわ。私は神官なんて仕事大嫌いだし、魔王なんてみじんも崇めちゃいないわ」

「魔王様の前で」

「黙ってなさい。あんた一人じゃ時間稼ぎにもならないでしょ。遅かれ早かれ、私もあんたと同じ末路になる。そんなの最悪。だから、ここに残る。勝算があんのよ」

「勝算?」


 この期に及んで、この女神官は何を言っているのだろう。


「追っ手は数十人。もっといっぱいかも。勝てるわけない。せめて、あなただけでも」

「あなたじゃないわ。エルメラよ。覚えておきなさい」


 エルメラの表情は血気に迫るものがある。どうやら冗談ではないらしい。


「ご、ごめんなさい。エルメラ」

「それでミレイナ・アスナール様は剣をどれくらい使えるの?」

「今まで稽古はしてきたけど、本物を握ったのは今日が初めて」

「それで、ここまで何人倒した?」

「振るのが精いっぱいで一人も……」


 ミレイナは金髪碧眼のか細い深窓の令嬢といった様子で。戦力にはなりそうもない。


「わかったわ。それなら私に剣を貸してくれる?」

「でも」

「大丈夫。あなたを裏切ったりしないわ」

「違うよ。剣の稽古をしていない神官よりも私がやった方が」

「一人も倒せてないのに偉そうなことを言ってんじゃないわよ。それにこう見えても私、剣には自信があるの。おばあ様も私に守りを任せた。この意味が分かるわよね」

「……ならお願いします」


 ミレイナはエルメラに剣を渡す。


(まあ、大ウソなんだけどね。剣を振るのなんて今日が初めて。ホウキを振るのは得意だけど)


「お、追っ手が来た!」


 神殿の入り口に兵士たちが迫っている。ミレイナの言った通り、数十人という大部隊だ。

 エルメラも死の恐怖を感じ、全身が震える。


(やるしかない。どうせ逃げたところで、捕まるだけ。そしたらどんな目にあわされるか。こんなところで死ぬわけにはいかないわ。退屈なだけの人生で終わらせるわけにはいかないんだから)

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