最終話 不思議な月の輝く世界で
アーシェはいつかリクに言われた言葉を思い出していた。少女が「何者でも構わないのだな?」と。
いよいよもって大公にならなければ、あの長殿がスズを手放すなんてないだろう。
トーマがアーシェの背中を叩く。
「いやぁ。大どんでん返しだねぇ……」
入学式が終わり、二人は会場の外の公園にいた。
今日はこの後、久しぶりの自由時間である。親兄弟が入学式に列席している入学生も多く、これから寮の門限まで共に過ごすのだろう。
「お前……気が付いていたな?」
トーマは、まあな、と頭を掻いた。それでもやっぱり、目の前に突き付けられると衝撃だったが。
「ラージャンってな、初代フェーデレック王の名前。それに、バッファがもしかしたら、リクはそうかもしれないと、勉強していて思ったらしい」
「言ってくれよ……」
「いいじゃん。スズはスズだろ。しかし、本人に黙って養子とはな。新たな伝説の始まりだな」
「そんなに有名人なのか? 長殿は」
トーマが信じられないものを見る目でアーシェを見た。
「知らない奴がいるとはな。希代の魔法使いで、世界一の変態で、大陸一の刺繍の腕前だ」
「なんだそれ」
なんだその統一性の無い肩書きはと、アーシェはげんなりした。
どの色の精霊も使役出来る魔法使いだけでもとんでもない能力だというのに。
「もうひとつ。予見の眼を持っていると言われている。これは噂だがな」
予見の眼。
幾通りもの未来を見通す眼と言われている幻の能力である。
アーシェは息を呑んだ。
「そんなことが……」
「ホントだよ。……見えすぎて、言動が変な人なんだ」
リクと少女がやって来た。
誰も家族が来ていない四人は、これから金獅子の庭でバッファたちと合流して、夕食の予定としていた。
さらっととんでもないことを「ホント」と言ったリクは、何食わぬ顔をして肩を回した。
「いやー肩凝ったなぁ」
ぐるぐると肩を回した後、身体も伸ばす。
見事能力受験の首席として挨拶をしたリクは、クタクタに疲れ切っていた。
「こいつらといると驚くことばかりで、身が持たんわ……」
トーマの呟きは誰にも聞かれることなく風にさらわれていった。
溜め息ばかりついてもしょうがないな、とトーマは気持ちを切り替えた。
「リク姫……制服似合わないね」
女子の制服はスカートである。リクの生足に、トーマは目のやり場に困って茶化した。
「うっさいわ。姫って言うな。ほっとけ」
トーマが手を差し出した。
憎まれ口を叩きながら、リクは手を握り返した。
それのなんと自然なことか。
羨ましくなったアーシェも少女に手を差し出した。
ところが、少女は俯いて立ち止まっていた。
「スズ?」
顔を上げた少女の頬が膨れていた。
原因は入学式で知ったアーシェの身分である。
「アーシェが公子様だったなんて」
アーシェはすっかりスズも知っているものだと思い、言うのを忘れていたのである。
「らしくないだろ? 殿下?」
少女は本当に嫌そうな顔をした後、真顔で「止めてよ」と言った。
これは本気だと分かったアーシェは以後この話題には触れないことにした。
本来であれば、誰もが喉から手が出る程欲するだろう途轍もない権力なのだが、少女にとってはタダの「余計なもの」でしかないのであろう。
少女は真顔でアーシェに尋ねた。
「大公に、なっちゃうの?」
アーシェは少女の手を取ってしっかり握り、迷い無く言った。
「なる。決めた。俺が、なる」
握っているトーマの手が一瞬震えたのをリクは気付いた。
(武者震いかよ。本当に妬けるくらいこの男が大好きなんだよなー)
リクは素知らぬ振りをして、少女たちの会話に耳を傾けた。
「さっきな、格好良かったぞ。スズはどこにいても、スズだな」
その言葉に、少女は何かを決心したように顔を上げ、アーシェに聞いた。
「……朱麗、でも?」
言外に、あなたと共に、と少女は気持ちを込めた。
その言葉にアーシェの赤い瞳が輝いた。
少女が、この世界で、自分と共に生きていく決意をしてくれたのが、アーシェには分かったのである。
「もちろん! スズはスズらしくあればいい。俺が、ずっと隣にいるから」
アーシェは少女をひょいっと抱き上げて、走り出した。全力疾走である。
「バッファが腰抜かすぞ! 何もかも予想以上だ!」
少女は急に抱っこされ、しかも走り出したものだから「ぎゃあ」と驚いたが、嫌がるどころかその腕をアーシェの首に回した。胸筋と腹筋を堪能することは忘れない。
「マリアにも全部報告しなくっちゃ!」
少女は「くしゃっ」とはにかんで、アーシェに顔を寄せた。
その顔はとても幸せそうで、誰が見てもアーシェに全幅の信頼を寄せているのが分かった。
それを見ていたリクとトーマは眉を下げて呟いた。
「走らんでもいいのに。筋肉馬鹿め」
「あーあ。あれ、プロポーズだってブタ半裸はちゃんと分かってんだろうな? スズから求婚しちゃって、まあ、長が泣くな……」
トーマはニヤッとして言った。
「笑っている気もするけどな。これもきっと、その眼で見ていたんじゃないのか?」
「そーだろーなー……。泣いて笑って、気持ち悪い感じだろうな……」
リクは苦笑いしながら、帰ったら一回くらいは「伯父上」と呼んでやるか、とライレットに感謝した。
予見の眼は、その時点で可能性がある未来を見る眼。
きっと「他の未来」がたくさんあったはずである。
(それでも長は、スズが幸せに生きる未来を選択し、オレたちに指し示してくれた)
失った最愛の人が守った命。その少女の幸せを願うまでには、一体どれ程の慟哭と葛藤があったのだろうか。
なんだかんだ言って、あの人は『大人』なのかもしれない。
(ま、変態だけど)
次は自分たちの時代がやってくる。きっと長は試してもいる。どう時を紡ぐつもりなのか、自分たちをじっと見ているのだろう。
リクは右手から伝わる温かさを確かめて、目を閉じた。
きっと、いつでも欲しいものは困難の先にある。これからも。ずっと。
(大丈夫)
少女のあの笑顔がある限り。
苦労人のこの手のぬくもりがある限り。
ついでに変態的な強さを持つ戦士がいる限り。
(なんとか、なるさ。オレたちは一人じゃない)
少女を抱えたまま小さくなって行くアーシェを追かける形で、呆れ顔で二人も続いた。
後の世に、月鍵七国をはじめ、大陸の国々で細やかな施策を行い、貧困と混乱を大陸から無くすために尽力した英雄が讃え語られることになる。
その数、実に百人。
「百英雄」と讃えられる英雄たちのほとんどは、学院在学中に築いた強固な絆を武器に奔走した、リーシェス王国王立学院第百五十一期生の面々である。
中でも特筆されているのは、朱麗大公夫妻である。
大公は前大公の第四公子であったが、前大公の死去後に行われた朱麗試合でその力を示し、勝ち抜いて大公となった強者である。『黒竜の呪い』で混乱した朱麗公国を数年で立て直し、揺るぎない統率力を発揮した治世者でもある。
朱麗公国においては、その時代の評価が特に高く、妻と共に様々な困難を乗り越え、周囲の国々と連携し、精霊を愛し守り守られた治世であったと伝えられている。
朱麗大公夫妻の国を超えた働きが、大陸に太平を齎した大きな一因であることを疑う者はいない。
大公はただ一人の女性を愛し抜いたことでも知られている。
大公の妻は、歴々の王たちと互角に渡り合った異国の女性で、人々に愛され、精霊に愛され、時には魔物にさえ愛されたと云われている。
女性はその生涯、夫と共に大陸中の安寧のために駆け抜けた。
一線を退いた後は、緑深き故郷の森で大切な人たちと共に余生を過ごしたと言われている。
赤い瞳をした最愛の人の隣で眠りについているその墓標には、精霊たちが挙って花を咲かせ、美しく咲き誇る花々が絶えることはない。
その事実を伝える時代の空に輝くのは、鍵のなくなった美しい月。
七つの月の扉が閉じられ、別の世界であった時代がおとぎ話でないことを知るのは、眠ることのなくなった美しい精霊たちだけだった。
読んでくださり、ありがとうございました。
全五十八話、長い話に最後までお付き合いくださいまして、心から感謝いたします。
私の好きなものが「ぎゅっ」と詰まったお話となりました。
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よろしくお願いいたしますm(_ _)m。
ありがとうございました!




