第五十七話 今、ここにいます
「つ、慎め! この方はこの学院の学院長であり、リーシェス王国の王弟殿下であらせられるぞ!」
副学院長が大声で、キースをおじさん呼ばわりした少女を叱りつけた。
全員の目がキースに向いた。
「構わない。事実、私は彼女のおじさんなのだから」
場内が水を打ったように静まり返った。
キースは入学生の間の通路を進みながら。厳しい口調で問い質した。副学院長でもゼンにでもない。
「スズ、君はこの学院に何しに来た?」
怒っているかのような口調に、入学生全員のみならず教職員と保護者までもが知らずに姿勢を正した。
少女も背筋を更に伸ばして問いに答えた。
「……学ぶために、来ました」
「何を?」
「自分が何者かを。……自分に何が出来るかを」
「なぜ?」
「大切な人たちのために」
「ならば、何もこの学院でなくても良い。なぜここに来た」
「あたしが水魔になったのは、つい二週間前のことです。どの色の月の加護もない、この世界ではないところから、この世界に迷子になってきて、……色々あって、水魔になりました」
「世迷い言を……!」
叫んだゼンをキースが一瞥で黙らせた。
「月輝石は養ってくれた村の長が用意してくれた物です。自分で言うのもなんですけど、得体の知れないあたしを受け入れてくれたんです。その恩を返したい。大陸一のここでしか手に入れられないものを学んで、この世界に返したいんです」
少女はまっすぐキースを見た。
「だからあたしは、今、ここにいます」
二人は睨み合いのような視線を交わした。
少女は絶対に目を逸らさなかった。
まるで息が詰まるような緊張感が会場内を漂い、やがてキースが微笑んだ。
「ならば何も問題はない。ここは誉れある学究の徒が集まる場所。月の扉の向こうから来た者であろうが、魔物であろうが、学ぶ意欲のある者は受け入れよう」
「そんな! 学院長! 月輝石の問題はどうなりますか!? 月の扉の向こう? 魔物? そんな生き物を後見するような物好きがおりますでしょうか!?」
ゼンが猛烈に抗議を続けたが、副学院長をはじめ、教職員が息を呑んだ。
教職員は入学生の身元をまだ知らない。目の前のこの少女が「誰」であるかは、まだ分からないのである。
だが、どこの誰が合格し、入学したかはもちろん知っていた。
身元と人物が初めて合致するのが、今日のこの入学式なのである。
月の扉の向こうからやって来た者や魔物を後見。
そんなことを嬉々として率先してやりそうな人物、その後見を受けた女子が一人合格しているのを、もちろん知っていたのである。
「リンカ・ルキア・フェーデレン」
突然名前を呼ばれたリクは、臆することなく立ち上がった。
「はい」
「本来であれば、式中に月輝石を返し、身元を明らかにした上で、正式に入学を許可する慣例だが、許す。今、スズの身分を証しなさい」
アーシェが驚いた。トーマは静かに「やっぱりか」と目を瞑った。
フェーデレンとはフェーデレック王国の王族の名である。
場内は別の驚きでざわめいていた。
今呼ばれたその名は、十の年でフェーデレック王国王立学院を首席合格し、一年も経たずに卒業した神童の名だったからである。
神童としての名を知らなくても、少女はフェーデレンという名の意味は知っていた。
「え、なに……?」
(リクが王族? では、伯父である長も?)
少女は嫌な汗を止められずにいた。
とんでもないことに自分は巻き込まれているのかもしれない。本当に一番最初から。
「我が名にかけて、証します。スズは、我がフェーデレック王国の王弟、伯父であるライレット・オークが正式に養子に迎え、第五の王位継承権を持つ、スズ・オーク・フェーデレン。我が従姉です」
場内が悲鳴で割れた。
あのライレット・オークの義娘!
それだけで、場内が恐怖に包まれたと同時に、彼ならば、魔物だろうがなんだろうが、養子にすることを躊躇わないだろうという、納得感が生まれた。
納得出来なかった人物は、ただ一人である。
「ちょっと待ちなさいよ! リク、従姉妹って、何よそれ……初めて聞いたわよ!? あんたが王族だってのにもびっくりなのに、長まで王族で、あたしが正式に養子で、王位継承権って……あんたたち頭おかしいんじゃないの!? アホなの? ねえアホなの!? 後見はしてもらったけど、養子なんて、聞いてないわよ!!」
リクは悪びれずに言った。
「だって、言ったら嫌がるだろ? 文句は長に言ってくれよな」
「なんで当の本人の了解を得ずに、勝手にやんのよ!?」
「言ったら良かった?」
「断るわよ!!」
「ほらな」
「馬鹿リク!!」
かわいい私のかわいい娘のスズ。それが長の口癖だった。娘のように可愛がってくれていると思っていた。それが、本当に娘にされていたなんて、少女は開いた口が塞がらなかった。
当の本人に内緒で養子縁組み。
犯罪になりそうな話だが、世界各地に様々な伝説を残すあのライレット・オークならば妙にしっくりくると、会場内、特に保護者世代は更に納得した。
それよりも、フェーデレックの神童をアホだの馬鹿呼ばわりしている様を見て、会場中が感心した。「さすがあの男の娘」というのである。
「ライレットは私の従兄である。その娘からおじさんと呼ばれてもおかしくはない」
キースが呟くと、保護者世代が皆頷いた。この蒼の国と碧の国の先代王妃が姉妹であるのは、有名な話だった。
「月輝石の件、これ以上ないくらい得心したことであろう。試験については我が国の威信をかけて、不正は不可能であると公言しよう。それに……」
すでに追及の意志は無いゼンを見やる。
「皆の不安、私も捨て置いてはいない。彼女の受験が決まってから、こちらに向かう道中、私は彼女と行動を共にし、しかと見定めた」
キースは一度言葉を切って入学生を見渡した。
「彼女は皆と志を同じくするに相応しい」
誰もが息を吐いた。王弟であり学院長であるキースの言葉を疑う者はいなかった。
「おじさん……」
(ありがとう。厳しく、優しく……やっぱり先生だったのね)
「他に議のある者は?」
沈黙が満ちる。学院が少女を受け入れることに、もう誰も反対はしなかった。
キースが高らかに宣言した。
「では、ただいまよりリーシェス王国王立学院、第百五十一期生の入学式を執り行う」
全員が総立ちになり、拍手喝采となった。




