第五十六話 トラブらずにはいられない病
その夜のことである。
大円団で終われないのが少女である。
様々なことがありすぎて、身体が疲れ切っていた少女は、入浴中に浴槽で寝てしまい、ぶくぶくと沈んでしまったのである。
リクは、昼間に散々精霊たちを使役したので、長い祈りを捧げるため、一緒には入っていなかった。
災難だったのは、一緒に入浴していた本日初めましての同級生たちである。助け出そうにも、浴槽の底に沈んだ人間を持ち上げる力は彼女たちには無い上、ここは浴場である。全員裸のところに男性の助けを呼ぶわけにはいかなかった。
女子寮は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
騒ぎに気付いたリクが浴場に向かった時には、もう既に遅かった。
蒼究月の加護を受ける寮の係員の一人が、精霊を捕まえて少女を助けようとしたところ、精霊が言ってしまったのである。
〈コノコナラ、スイマダカラ、ミズノナカデモヘイキヨ。ミテ、ネテイルダケ〉
別の意味で寮は大騒ぎになった。人型を取る魔物は、時には人間よりも知能が高く、人々に恐れられていたから尚更である。
夜が明けて。
朝、素っ裸で浴槽の底で目が覚めた少女は、「やってしまった」と青ざめながらリクの部屋に向かった。
「リク……リクっ……!」
ドアをノックし、小声でリクを呼ぶ。まだ早朝の時間帯である。大きな声は出せなかった。
返事か無いので、少女はそっとリクの部屋のドアを開けた。そして驚愕した。
リクの部屋に、同級生女子二十五人、少女をのぞいた全員が、体育座りでいたのである。
与えられた個室は決して広い部屋ではない。足の踏み場もない程ぎゅうぎゅうに詰めて座っている同級生たちが、一斉に少女を見た。
皆、寝ていないと一目で分かるギラついた目をしていた。しかも皆、その目が涙に濡れていた。
その異様な光景に少女はたたらを踏んだ。
「な、なに!?」
(こ、こわい)
少女が異様な光景に恐怖を覚えていると、一人の同級生が立ち上がって少女に告げた。
「……私たち、決めたの」
同級生たちが一斉に頷いた。
「水魔だって関係ない! 恋する乙女が世界の掟よ! スズ、あなたのこと応援するわ!」
そう言うと、他の同級生が全員立ち上がり、口々に少女を激励しながら、自分の部屋に帰って行ったのである。
最後に残ったリクがぐったりとベットに倒れ込んだ。
「疲れた……。もう勘弁……」
何が何だかさっぱり分からない少女はリクに詰め寄った。
「ちょっとリク! 彼女たちに何言ったのよ!!」
「……ちょいちょい省いて、スズとアーシェの恋物語を……」
ムニャムニャとそう言って、リクは眠ってしまった。
「ええぇぇ!?」
かくして、身分どころか種族を越えての激しい恋物語に心酔した同級生たちは、あっさりと少女を受け入れたのである。
能力受験次席の少女が水魔であること。身分受験補欠合格(知れ渡っていた)のアーシェと恋仲であることは、あっという間に学院中に広まった。
応援する者、興味本位に聞いてくる者、嫌悪感を示す者。
反応は様々だったが、一様に「構って」いられない程毎日が忙しく、表立って水魔である少女の入学に抗議する者はいなかった。
この二週間は男女別々のカリキュラムである。
少女はアーシェを遠目から見かけることはあっても、話す機会が持てなかった。
少女ですら、必死で取り組まなければならない課題の量と質に、きっとアーシェは四苦八苦しているに違いなかった。
そうして二週間が経ち、迎えた入学式。
入学生は支給された真新しい制服に身を包み、緊張して式が始まるのを待っていた。
席が指定されているので、少女はリクたちと離れて着席していた。
粛々と式が始まろうとした時のことである。
「申し上げたい議がございます!」
場内がざわついた。
「何者か!」
副学院長が立ち上がり、厳しく誰何した。
「私は身分受験首席のゼンと申します。由緒あるこの蒼の王立学院に魔物が入学することについて、学院の考えをお聞かせ願いたい!」
場内のざわめきが更に大きくなった。同調する者が声を上げ、窘める者の数を上回った。
「静かに!!」
副学院長の一喝でぴたりと静まる。
「我が学院の身元審査は、精霊により厳格に行われておる! 魔物であろうと、その審査を通ったからには、何の問題も無いと考える!」
「しかし! その身元は月輝石を元にしているのでありましょう! なぜ魔物が手に入れられたのか、不思議でなりません! 有り体に申し上げれば、誰かの物を盗んだか、偽造したかと考えられるのではないでしょうか!?」
場内から悲鳴が上がる。月輝石に関する不法行為は、どの国も厳罰に処している。
もっとも厳しい刑となれば、死刑が待っていた。
少女にとっては謂われのない非難だが、ここで言い返したりすれば、水掛け論になり泥沼化するのは目に見えていた。
アーシェもリクもトーマも、拳を握りしめて、正真正銘少女の力でここにいることを学院が公言してくれることを待っていた。
「試験の次席にしても、魔物の力を用いて取ったこと、違うと言い切れますか? 副学院長!」
ゼンは畳みかけた。
断じて自らの学院入学の栄光に陰は許さない姿勢だった。
「身元も怪しい。試験も不正がなかったと言い切れない。そうですね?」
「……むう」
副学院長が大粒の汗を流して仁王立ちになった。
「是非、スズなる魔物の入学をこの場で取り消して頂きたい!」
さすがに堪え切れずに立ち上がろうとしたアーシェの目に、数列先に座る少女の後ろ姿が入った。
少女は凛として、背筋を伸ばし微動だにしない。
様々な視線にさらされても、少女はただ黙っていた。
他でもない、少女自身が無実であることを知っているからである。
(アーシェ。あたしはあなたに人を信じる心も教えてもらったわ。だから……あなたもあたしを信じて)
アーシェは少女の気持ちが分かった。伝わったのである。
拳を握りしめたまま、静かに座り直した。
(誰よりもお前を信じている)
ざわめきが収まらない場内を収拾しようと、副学院長は決意した。
今、この場で何の結論も出せはしない。取れる行動は限られていた。
「静粛に! ……入学式の開始時間を遅らせます。その議、この私が預かります」
場内がどよめいた。学院は少女の話を何も聞かずに、ゼンの主張を取り入れた格好になったのである。
「スズは私と共に来なさい」
少女は静かに立ち上がった。
(……スズ!)
リクがどう切り抜けるか考えあぐねいていた時だった。
「その必要はない。ゾイス」
場内後方から、空気を切り裂いたかのような鋭い声がした。
少女が振り返る。聞き覚えがある声だったからだ。
そこにはキースが立っていた。
しかし、少女はこんな剣呑なキースを見たことがなかった。穏和でちょっと抜けた感じのお兄さん的なキースは、今、アーシェが刺客と向き合っている時のような、張り詰めた殺気すらあった。
「おじさん……」
少女のこの呟きが、意外な程場内に響いた。




