第五十五話 合格には違いない
ボーン。
バッファの背筋が凍った。
鐘が鳴り出してしまった。この鐘があと四つ鳴り終えれば、学院の門が閉ざされてしまう。
王立図書館の後始末をし、学院正門前広場にてアーシェたちを待っているバッファは気が気でなかった。
信じていないわけではない。だが、ただ待つだけは辛いものがあった。
「アスレイ様はまだ……?」
馬車の中からバッファに声がかかった。
「ユーリア様。アーシェ様は必ず来ます。ただ、もしかしたらお話をなさる時間はないかもしれません」
「そうですか。では」
馬車から女性が降りてきた。
「私もここで待ちます。一言でいいのです。一言、申し上げれば」
バッファの横に立つ。バッファは一歩引いて女性の斜め後ろに立った。その横に馬車の側で控えていた男が立った。第一師団長のハンスである。
ボーン。
二つ目の鐘が鳴り、三つ目の鐘が鳴ってもアーシェたちは現れなかった。
バッファはじれじれと待っていた。
こんな緊張感は金輪際ごめんだと、珍しく心の中で悪態をつく程だった。
そして四つ目の鐘が鳴る頃。広場に突風が吹いた。
道行く人々が小さな悲鳴を上げて、帽子やらスカートやらを押さえる。
「来ました!」
バッファが顔を両腕で庇いながら喜びを隠さずに叫んだ。
風が収まった時、広場に四人が立っていた。
「アーシェ様!!」
バッファが駆け寄ろうとした時、四人は一斉にしゃがみ込んだ。
「うげぇ、もう二度と通らないぞ」
「最っ低」
「吐く……」
「……(やっぱり言葉もない)」
リク、少女、トーマ、アーシェの順である。
ボーン。
「ぎゃあ!? 何個目!? い、行くわよ皆!」
少女に促されて、三人は辛うじて立ち上がった。
「お待ちを!」
凛とした声が響く。
アーシェが驚いた。トーマもである。
「ユーリア……なぜここに? ハンス!?」
王立図書館で別れた第一師団長がその横にいた。
「お久しゅうございます。アスレイ様。トーマ様。もう時間がございませんので、端的にお話させて頂きたく存じます」
女性は誰の返事も待たずに言葉通り端的に続けた。
「議会は朱麗試合の開催を正式に決定し、新たなる大公家が誕生することになりました。つきましては、家と家との約束として成されていたあなた様と私との婚約は白紙となりました」
(こ、婚約……!?)
少女は顔がこわばるのが分かった。
(アーシェは貴族。家と家との結びつきで婚約者がいてもおかしくは、ない)
アーシェは少女に「俺を信じろ」と、短く残して、女性に歩み寄る。
「……承知した。そのことを伝えるためだけに来たのか?」
女性が頷く。
「……ハンスの罪は、私の罪です。私も共に背負いましょう」
いくら鈍いアーシェでも気がついた。ハンスを見る。寡黙な男は目だけアーシェに向けていた。
少女への自分の気持ちに気がついたアーシェだから分かったのかもしれない。
「五日後、火竜からユーリアを守れるな? ハンス」
「無論です」
王立図書館でラーイが消した火竜は、ハンスの忠誠を誓う人の元へ五日後に送られた。
忠誠と愛情を向ける人の元に。
急ぎ朱麗へ戻る道中で、幸運にも蒼斗へ向かって来ていたユーリアと合流出来たのであろう。
「これで手ごわい刺客もなりを潜めるな?」
「左様に存じます」
ユーリアに横恋慕して、アーシェに嫌がらせを重ねていた第三公子のロプスを利用してまで、ユーリアと大公家との婚約を白紙撤回させたかったのだろう。
アーシェは、口数が少なく物静かな男の中の激しい情熱を垣間見た気がした。
アーシェがユーリアの手を取り、朱麗月の扉の鍵を握らせた。
「コレを。『黒竜の呪い』はもう流行することはないだろう。戻るまで、国を頼む。……議長殿」
父である議長が『黒竜の呪い』で倒れてから、その一身に重責を背負っているユーリアに、はっきりとアーシェは告げた。戻るまで、と。
ボー……。
「急げ!!」
トーマが叫んだ。
門へと駆け出した四人を見送るハンスとユーリアは、深々と頭を下げた。
バッファが四人の荷物を門の中へ投げ込む。
「何か壊れたら申し訳ない!」
バッファらしからぬ大声も気にならない程、四人は全力で走り、何とか鐘五つの閉門に文字通り滑り込んだのである。
バタン。
重厚な音と共に門が閉められた。
「一人、二人……四人。あなた方が最後です。いくら鐘五つまでと決まっていても、合格者は発表後、我先にと門をくぐります。学院設立以来、もっとも遅い入門記録樹立、おめでとう!」
細身で細目、少々おでこの広い中年の男性が四人を出迎えた。
「私はこの王立学院の副学院長を務める、ゾイス・ザーマス。……由緒ある学院が始まって以来、能力受験の首席と次席が入学辞退かと、冷や汗ものでしたよ。さあ、急いで寮に向かいなさい」
「首席と次席!?」
やったぁ! と、少女がリクに抱き付いた。
なぜ、今ここでそのリアクションなのか、訳の分からない副学院長が尋ねる。
「合格発表は成績順になっていたはずです。なんと? 発表を見ていない!? なのに門をくぐったと……? なんと、なんと、呆れた……」
副学院長の髪の毛が何本かハラハラ抜け落ちた。
アーシェが落ち着かないように、もじもじしながら聞いた。
「時間がなくて、すまぬ。身分受験の百十九番だが……」
クラクラする頭を押さえながら、副学院長が持っていた資料をめくった。
「補欠一番。病気による辞退が出たので繰り上げです」
瞬間、大爆笑となった。
「なぜ笑う! 合格には違いないではないか!!」
少女とリクが膝を折って地面を叩きながら笑い転げ、トーマは笑いながら目に涙を滲ませた。
「お前らしい!」
「と、取ろうと思っても、取れない順位だよなぁ」
痙攣する脇腹を押さえながら、三人は「アーシェを合格させる」という使命を無事に(?)果たしたことを労い合った。
ちなみにトーマは十五番、順当であった。
「……ッホン(もうヤダこの子たち)。急ぎなさい。寮で月輝石を預け、入寮の宣誓をするように」
四人は男女に分かれ、寮に向かった。
最後になった首席と次席を待ちわびていた女子寮の係員は、二人を激しく歓迎した。
ガラスの宝石箱を渡され、自分で月輝石を入れて寮長に渡すように指示される。この宝石箱に入れることによって、月輝石を封印してしまうのである。自分の手ですることによって、学生同士はもちろん、入寮指導に当たる教員にも身分を伏せることになる。
「次に、この寮を守る『寮の精霊』に宣誓を」
少女とリクが、箱に月輝石を納めて係員に渡すと、続いて宣誓を行うように促された。
「寮の精霊?」
「家っていうのは精霊が好んで宿るんだ。ここは学生たちの家だからな」
係員の呼びかけに現れたのは、白い髪に白い髭で顔がまるで見えない、小さなおじいちゃんだった。しかも、体の向こうが透けている。
「おばけ!? ……え? 精霊?」
〈そうじゃよ。光の子。わしはこの寮を守る精霊じゃ〉
「しゃべった!」
大興奮でリクの袖を掴んだ少女をリクが窘めた。
「少し落ち着けよ、スズ。慣れてないのは分かるけど」
少女はついさっき、月の加護を受けたばかりなのである。
〈入寮する者はこのわしに宣誓する決まりになっておる。後に続くがよい〉
神妙に二人は頷いた。
ひとつ、友達を大切にします。
ひとつ、ご飯は残しません。
ひとつ、掃除と片付けをします。
ひとつ、ちゃんと勉強します。
ひとつ、男を連れ込みません。
「……ねえ、リク」
「ん」
「ここは本当に大陸一の智が集まるところなの?」
「……ん、そのはず」
〈ばかもん! 一番大切なことじゃ! 誓うか……?〉
二人は力無く、「誓います」と宣誓した。




