第五十二話 スズの色は
リクは少女の強い口調に目を見張った。
リクだけではない。アーシェもトーマも、ラーイですら驚いた。
「ラティメリア。あなたはついさっき、あたしに『つらいこともちゃんと過去になってる』って言ってくれたわね?」
「……だから何?」
「あなたも、リクに言われたこと『過去』にしなさい! 今すぐに!」
無茶苦茶である。
「泉に入りなさい。干からびるわよ」
少女はラティメリアを無理矢理押して泉につっこんだ。水しぶきを浴びながら、少女が続ける。
「あなたとの約束、ごめんなさい、守らないわ。だから、何か他のことを言って? タダで何でもしてもらおうなんて思わないし、気持ちも悪いわ」
「他のこと……?」
「そう。『黒竜』を起こして、国宝とやらをアーシェに返して。それから、あのキモい人形に『黒竜』を移して、……魂たちを解放して光の精霊を起こして欲しいの。どうすればそうしてくれる?」
人魚はしばし少女と見つめ合って呟いた。
「……答えてくれたら」
「なにを?」
「スズ。あなたは何色の月の扉を開けてやって来たのか、答えてくれたら……言う通りにするわ」
〈弱ってもさすが意地が悪いわね……。スズに分かるわけないじゃない! 七分の一、確率の問題だわ!〉
ラーイの叫びに、リクたち三人が同調して頷く。
少女は人魚の頭を撫でた。
撫でて、撫でて、撫で倒した。
「な、何?」
少女の行動に訳か分からず、人魚は瞳孔を細めて動揺した。
「あなたは、結局のところ『優しい子』だって、言ってた」
誰が、と人魚が尋ねる前に、少女はきっぱりと答えた。
「黒よ」
全員が少女を驚いて見た。
「あたしは、この世界の人には見えない、黒い月の扉から落ちてきたのよ」
この世界の命では見ることの出来ない、黒い月。
新月の扉。
「……知っていたの?」
「あたしには何も見えないし、分からないわ。けど、長が言っていたわ。奥さんと娘さんが『黒竜』に連れて行かれたと話していた時、『あれは新月の精霊』だって。力ある精霊には違いないけど、黒い空に漂い、誰の目にも留まらないって。あたしは精霊が見えない。名前を許してくれたラーイすら声も聞こえないし、姿も見れないし、触ることも出来ないの。なのに『黒竜の呪い』は、今あたしの中にいる。中にいることが出来るのよ。それは、あたしも黒い月に属する者だから、だわ」
人魚が両手を上げた。
苦肉の質問も答えられては仕方がない。
「いいわ。あなたの望む通りにしてあげる。我が君が復活なさるのには変わりないのだし。……あら? 『黒竜』はもう起きているじゃない。出てきなさい……」
少女の体が燐光に包まれた。
「わわわ!?」
「スズ!」
アーシェが少女の元に駆け寄る。
光はすぐに収まり、少女の前に一人の女性が立っていた。金に近い栗毛に深緑の瞳をした美しい女性だった。
リクは自分の目が信じられなかった。
女性は静かに凛とした声で話し出した。
「リンカ、ですね? 最後に会ったのはあなたがうんと小さな時。……それでも私が分かりますか?」
リクが喘ぐように呟いた。
「……伯母上」
少女が驚いてリクと女性を交互に見る。
「今は私が『黒竜の呪い』です」
「なぜ!? 『黒竜の呪い』が新月の精霊ならば、オレたちに姿は見えないはずです……!」
「私が月の加護を受けているからかしら。詳しいことは分かりません。他の人も皆いますよ。ただ、起きている人がとても少なくて……私が代表して表に出ているようなものです」
「長……伯父上は今、村にいます。連れて来るから待ってて」
「それには及びません」
女性はリクの言葉をぴしゃりと遮った。
「あの人は、分かっていて来ないんですよ。ねえ? ラーイ。ラティメリアがスズにどんな質問をするかも分かっていた。ここにいる全員が、ライレットの言葉を思い出せば、答えられたでしょう?」
黒竜の呪いの名前の由来を忘れてはいけないよ。
あの長は確かにそう言っていた。
「会うと、また別れなければならない。私は、私たちは、解放されて次の世に行くのですから」
〈……リューシア様〉
ラーイが女性を呼んだ。
「あなた方精霊は、本当に感情豊かだこと。そして、本当に優しい子たちね。ラーイ。ラティメリア」
泣きそうな顔をしているラーイと複雑な顔をしているラティメリアに女性は優しく微笑んで、少女に目を移した。
そっと少女の手のひらに美しい細工の鍵を乗せた。
「スズ、あなたの愛しい人に渡してあげなさい。この鍵を国から持ち出すのに力を使い果たしてしまって、アンジルもジェイドも眠ってしまいました。代わりに私が返します」
アーシェが女性を凝視する。
喘ぐように声を絞り出した。
「嘘だ。父も兄も死んだ。『黒竜の呪い』にかかって! その父上と兄上が、なぜ『黒竜の呪い』本体になってこの鍵を持ち出さねばならないのだ!?」
慟哭だった。
「鍵があれば、すぐに大公が継承されたでしょう。第二公子の……か弱きあの子に」
「それが順当だ」
「鍵が無くなれば、時期は延びる。そして朱麗試合が行われることになるでしょう」
「……それが、父と兄の望みだとでも言いたいのか!」
「最期の言葉です」
女性がアーシェを見て悲しそうに微笑んだ。
「アスレイ、我が息子」
「父上……」
「お前が立て」
「……兄上!!」
少女がそっとアーシェに鍵を握らせ、その胸に顔を埋めた。
温かいものが次々に降ってきたが、少女は目を閉じて気付かないふりをした。




