第五十話 誤解
様子を見るために、自分だけそっと水面から顔を出したアーシェは、その光景に愕然とした。
リクが顔を出したアーシェに気が付き、氷点下の雰囲気で問い質した。
「アーシェ。スズは無事だろうな?」
「あ、ああ、無事だが、これは……?」
リクが仁王立ちになり、その足下で人魚が、……足のない人魚が、正座をしていたのである。
しかも、その横には、トーマまでもが正座していた。
「どう、なっているんだ……?」
少女を抱えながら水辺に向かって泳ぎ出したアーシェは、理解出来ずに呟いた。
「そっちこそ、それ、どうなってんの?」
アーシェに抱えられて、泣きながらぐったりしている少女を指しての言葉である。
リクの気配がどんどん鋭くなっていった。
「い、いや、その」
「はっきりと、言え」
言い逃れが許されないことを悟ったアーシェは、包み隠さずに話した。
トーマが正座しながら、首だけ向けて呆れて言った。
「お前ね、花街のおねーさんたちとは違うんだから。生娘に手加減なくやっちゃ、腰も砕けるわ」
「止まらなかったんだから……仕方がない」
リクは絶対零度の声でアーシェに問いかけた。
「それで? スズにそんなことした責任は取るんだろうな? このエロ腹筋が」
ぐったりとしていた少女が、一瞬で息を吹き返し、「ぶぶーっ」と吹き出した。
エロ腹筋、なんてぴったりなのか。
「ス、スズ!」
大笑いしすぎて水辺に突っ伏して痙攣している少女に、アーシェが抗議する。
「……笑い過ぎだぞ。けがはないな?」
アーシェが少女に手を差し伸べながら不満げに言う。
少女はヒーヒー息を整えながら、その手を取って立ち上がり、アーシェに抱きついた。
「けがをしたのはあなたの方でしょ。それ、濡れているうちは水の力で止血されているけど、乾いたらまた出血しちゃうわ」
「助けてもらったお礼を言うべきだな。ありがとう、スズ」
アーシェは少女を抱き、額を軽くついばんだ。
「……こら、エロ腹筋。慎しめ」
リクの言葉に、アーシェの腕の中で少女がコロコロ笑っている。
「それで? そっちは、どうなって、そうなっているわけなんだ?」
アーシェが未だに理解出来ずに聞いた。
人魚とトーマがまるでリクに説教されているかのような構図である。
〈見たまんまよ。マセガキの口撃に魚が耐えられなかったのよ。トーマは巻き添えってところね〉
「口撃?」
「え、なに?」
ラーイの言葉が聞こえない少女が聞き返す。
「風の精霊が言うには、どうやら、あの人魚はリクに言い負かされて、ああなっているようだ。トーマは巻き添えらしい」
「ラーイがここにいるの? 助けに来てくれたの? トーマって、あの人?」
「ああ、風の精霊が俺たちをここに連れてきてくれたのだ。そうか、スズにはトーマをまだ紹介していなかったか。俺の幼馴染みだ。今回一緒に受験している」
少女がハッとなった。トーマという青年は、宿の廊下で遠目に見た公子様ではないか。
「ば、馬鹿リク! その人にそんなことして! 後でどうなっても知らないわよ!」
「その人、とは、このトンマのことか?」
「トンマ!」
アーシェが素っ頓狂な声を上げた。切れ者で名高いあの男を「トンマ」などと呼ぶ者は皆無なのである。
「や、やめなさいよ!」
少女の制止にリクがつまらなさそうに言い捨てた。
「いいだろう。スズに免じて許してやる。立ってあっちに行け、トンマ」
ものすごい言い方だが、不思議なことに、当のトーマが「はーい」とあまり気にしていないどころか、少し嬉しそうだったのを二人は見逃さなかった。
「え、なに? そういう趣味の人?」
少女が呟くとラーイが呆れて言った。
〈そうみたいよ。あの二人、つき合うんですって〉
「なんだと!?」
アーシェがいきり立った。
「どうしたの?」
「風の精霊が、あの二人が、つ、つ、つき合うことになったと」
「へえ? リクの好みって、ああいう人だったんだ」
すんなりと受け入れた少女に、アーシェががぶり寄る。
「俺は……俺は、割と色々な世界を知っているし、非難するつもりもない。だが、あの男が、子どもと……しかも男とつき合うなど、想像したくない! どっちがどっちとか、考えるのもイヤだ!!」
三人は残念な子を見るような目でアーシェを見た。
「はあ? リクは女の子だけど?」
少女が呆れ顔でアーシェに告げた。
「は?」
「そういうこった。余計な想像までしてくれてありがとう、エロ腹筋。そっちが水の中でいちゃいちゃしている間に、こっちはとっくにこの魚と話が付いてんだぞ」
リクが蔑んで言い放ち、トーマが追い打ちをかけた。
「お前な、頭が春モードになってんだな? いいんだよ、こっちのことは。それよりもちゃんとそっちはまとまったのか?」
「まとまる、とは?」
トーマが匙を投げたように天を仰いだ。
「かーっ……。そんな腰が砕けるキスをする前に、ちゃんと好きだって言ったのかっての! ああ?」
アーシェが慌てて止める。
「ば、馬鹿、お前! そういうのは自分の口で言う!」
「ってことは言ってないんだな? 今言え! スズに腹を決めてもらわなきゃ、話が進まないんだよ! とっととくっつけ!」
背中をバシンと思い切り叩かれて、少女の前に進み出たアーシェは、改めて少女と向き合う形になった。
「お前な!」
トーマに抗議しようとしたアーシェだが、少女に声をかけられて萎んでしまった。
「背中、大丈夫なの?」
「あ? 痛いが大丈夫だ」
けがをしている背中を叩かれても感じないくらい、アーシェは緊張していた。
(ド、ドラゴンを退治している方がマシだ)
それでも、一つ息を吐いて、思い切って切り出した。




